【36】差別超え胸打つスポーツマンシップ━━映画『栄光のランナー/1936ベルリン』を観て/5-22

 いい映画を観たあとの爽やかさは格別だ。『栄光のランナー』──1936年のベルリンオリンピック大会で一人で4つの金メダルを獲ったジェシー・オーエンスの様々な戦いを描いた作品である。人種差別との戦い。ドイツとアメリカの過去と現在。映像と芸術との政治的宣揚と抵抗。スポーツと政治。選手とコーチの関係。人生の夢と希望、家族愛──などなど多方面に考えさせられる実にいい映画だった。こういう映画を皆が一緒に観て、意見を披歴し合うってことがあってもいいのではないか。この映画の公開は2016年。現実のベルリン五輪から80年後。そこから8年。今年のパリ大会を前に改めて考えることは多い◆この映画が観るものを感動させずにおかないのは、理不尽極まりない人種差別政策に依拠したヒトラードイツの傲慢さを、内外のスポーツマンたちが打ち破ろうとしたこと。ドイツの走り幅跳びのカール・ロング選手が、オーエンスの跳躍の2度の踏切り失敗に対して、タオルをわざわざライン横に置いて目立つようにした。これはいささかオーバーではないかと思われるが、同じ条件で競い合いたいとのスポーツマンの心を表現したものとして、強く惹かれずにはおかなかった。試合後の2人の語り合いで、ロングは国威発揚一辺倒のナチス政府批判を口にした。政治の異常なまでの介入に反発しあった会話も心に残る。また、コーチのラリー・スナイダーが自分自身の若き日の挫折の悔しさを奪取するべく、才能ある後輩に思いを託し夢の実現を果たしたことにも熱いものを感じた◆さらに、記録映画の撮影をヒトラーから任せられたレニ・リーフェンシュタールの振る舞いには注目させられた。この人物については、ファシズムの擁護者か、芸術至上主義者かといった相反する見方があるが、この映画は後者のスタンスに立ち実に興味深い。ゲッペルズ文化相らが撮影に不当な干渉をしようとしたのを跳ね返すシーンを始め、ヒトラー支配に抵抗するかの様な素振りには息を呑んだ。五輪現場での競技が終わった後で、後世の人々に残すためにとの観点から、改めて特別に低い位置にセットしたカメラで、オーエンスに走り幅跳びを繰り返し求める場面など、スポーツにおける「人間の肉体美」を追う姿には率直に感動した。この人物については、芸術の至高さに関われる自己の欲求を満たすため、人間抑圧の権化たるヒトラーに敢えて寄り添う道を選んだのではないかとの見方がある。大いに興味を覚えてきた私としては、この映画での描かれ方には好感を持たざるを得なかった◆偶々前回この欄で取り上げた映画『アラバマ物語』に続いて、ハーパー・リーの同名の原作小説を読んだが、黒人差別撤廃への道は遠いと、改めて痛感する。というのも、これまたタイミングよくNHK総合テレビで放映された『映像の世紀 バタフライエフェクト』──「奇妙な果実 怒りと悲しみのバトン」を観たからである。この映像は1930年代半ばに続発した黒人リンチ事件の非人道性を鮮明に描き、ほぼ100年間にわたる反発、抗議の動きを追ったもの。人々の心を奪い、怒りに立ち上がらせたジャズの歌声を主軸にした表現には胸詰まる思いを抱かせた。尤もバラク・オバマ黒人大統領の登場に大いなる期待を抱かせたものの、米国の現実はさして変化していない。なぜだろうか。私はあらゆる人間の奥底に潜む生命観が歪んでいることに原因があると思う。これを覚醒させるしかない。そのためには、仏教の真髄である法華経を根幹にした日蓮仏法に依るしかない。世界の各地で展開する創価学会インターナショナル(SGI)のリアルな座談会運動の中にこそ、生命の平等観が息づいており、黒人差別撤廃のカギがあると確信する。(2024-5-22)

 

 

 

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