「パッチ・アダムス」──この映画のタイトルだが、実在の人物の名前。米国生まれの数えで今79歳。まず映画のあらすじを要約する。自殺未遂を繰り返したのちに、心を病んで病院に入ったアダムス(演じるのはロビン・ウイリアムズ)はやがて自ら医師になろうと決意し、ヴァージニア大学の医学部に入学。そこでただ暗い気分でベッドに寝かされたままの患者たち(子どもや大人たち)を、あの手この手で笑わせる。規則通りでは患者との接触を禁じられているのに、今そこで苦しみ落ち込んでる人たちを放っておけない彼は、ルールを破って現場に入り込み、奇想天外の振る舞いを演じる。抱腹絶倒の演技のウイリアムズは、これまで幾たびか取り上げた映画(『グッドモーニング・ベトナム』『今を生きる』『ミセス・ダウト』)でも主役を演じていた。どれを観ても本当に面白い。この映画ではアダムスが恋人と一緒に仲間たちと経済的に恵まれない不幸な患者たちを救う医療施設を作るくだりが胸をうつ。と同時にショックな事件も起きる◆この映画を観たのは今回で2度目。最初に観たのはもう23年ほど前のこと。恥ずかしながらはっきり覚えていたのは。並べられたベッドに寝ていた子どもたちを明るい気分にすべく、パッチが鼻に赤い色の道化具を付けるシーンと、大学を訪れた学者たちを歓迎するための校舎の入り口が、女性の足を広げた子宮の入り口になっていた場面。そして卒業式でパッチが証書を受け取るラストシーン。いずれもどっと笑ってしまうくだり。そっちに頭がいって、患者を生身の人間と見ようとしない医療現場や、それを覆そうとする真面目な動きの諸場面は忘却の彼方であった。実は、この物語のモデルであるパッチ・アダムスが日本にやってきた2000年に私は直接会ったことがある。親しい友人である小児外科医の高柳和江と共に。高柳は小児外科医を経て、現在は、一般社団法人『癒しの環境研究会』の理事長であり、笑医塾の塾長。当時「日本のパッチ・アダムス」と呼ばれていた。『パッチ・アダムス いま、みんなに伝えたいこと──愛と笑いと癒し』って本を、2人共著で主婦の友社から2002年に出版している。彼女の招きで来日した際に、昭和大学人見講堂での講演会には3000人にも及ぼうかという医学生たちで満員になった◆この20数年というもの、高柳の講演や活動について私は幾たびも直接見聞きすることになり、応援もしてきた。つい先日(5-7)彼女はNHKの番組「ラジオ深夜便」に登場した。2度目のことらしいが、聴いてると相変わらずご本人を含め「女性は26歳、男性は27歳」ということが強調されていた。あれこれ以前のことが思い出されて可笑しかった。まず自分自身が若いとの自覚を持つことの大事さを訴えているのだ。長年癌を患っていた人や鬱症状であった患者が、彼女の話を聞いて笑いと感動を生活に取り入れた結果、治ったり、大きく好転したとの体験談が伝えられていた。笑いが人の免疫性をいかに高めるかが語られていた。この映画でのアダムスの実践がそのまんま高柳の行動と重なっていることが改めてよく理解できた。全国各地で笑医塾を展開しており、自殺者の増加で悩んでいた自治体が「一日に5回の笑いと5回の感動」の励行で、大きな改善がなされたとの報告も紹介されていた。私も兵庫県内各地で実施された講座を現地で見たり聞いたりしてきたが、改めて実例体験を知って感慨深いものがある◆医療現場において、この映画が訴える環境における癒しの重要性を実際に実行している病院の例として、岡山旭東病院のケースを紹介したい。土井彰弘総院長は1988年(昭和63年)に、脳・神経・運動器疾患の総合的専門病院を目指して病院経営を始めたとのこと。高柳との交流を通じて、パッチ・アダムスの招聘、アメリカ、ニュージーランド、カナダへの研修旅行の参加などで、癒しの環境への関心を深めたという。その結果①専属ガーデナーの導入②絵画展示③情報コーナー健康の駅の設置④パッチ・アダムスホールの設置⑤癒しの環境整備委員会の設置と運営⑥癒しの環境院内学会の年一回の開催⑦患者様ライブラリー(司書の配置)などを盛り込んだ病院が実現されている。要するに、笑いと癒しの渦巻く環境を作っておられる病院ということなのだ。他にもある。映画が公開(1998年)されて四分の一世紀、日本でも着々とパッチ・和江の精神が浸透していることは素晴らしい。(敬称略 2024-6-11)