「大学紛争」といえば、1965年(昭和40年)に慶大に入学した私の場合は「学費値上げ反対闘争」を思い出す。大学の司令塔である塾監局が一時的にほんの少しの学生たちによって占拠(この時のテーマは「米軍資金導入反対闘争」)されてしまった。それを少し離れたところから偶々通りかかった石川忠雄先生(後の塾長)と、同期の梶村太一郎君(現在ドイツ在住ジャーナリスト)と一緒に見上げつつ、「ったく、しようがないねぇ。あんなことをして」と慨嘆したものだ。後に1993年(平成5年)に衆議院に初当選して政治改革特別委員会の委員になった。その際に、偶々隣席に座った栗本慎一郎氏(新生党=当時)との雑談のなかで、大学在学中のことが話題になった。栗本氏は、塾監局を占拠したうちのひとりが自分だったことを得意然と明かした。これだけが私の学生運動の現場との関わりだ。そんな私がつい最近に日米両国のフィクションとドキュメンタリーによる、2つの大学紛争に関わる映像を観た。一つは映画『いちご白書』。もう一つはNHK 「映像の世紀」バタフライ・エフェクト『安保闘争』である。共にそれなりのインパクトがあり、感慨深かった◆映画の方は、米国の作家ジェームズ・クネンがコロンビア大学での1966年から68年までの自身在学中の戦争関連施設の建設反対抗議体験をもとに書いたものが原作。出版は1969年。映画は1970年に公開された。ほぼ私の学生時代と重なり、映画初公開からは54年が経つ。映画はボート部に所属するノンポリ男子学生と学部長室に立て篭もる女子学生との恋愛模様を絡ませて進む。タイトルの『いちご白書』は、当時のハーバート・A・ディーン学部長の発言に由来する。大学当局の思惑と学生の反発との交錯の中で、虚実ない混ぜになった論議が交わされた。半世紀経っても「いちご」の持つ味わいは変わらないかに見えるのは面白い。一方、我が日本の『安保闘争』ドキュメントは、60年安保闘争の学生デモ隊の国会突入をピークに、全学連委員長だった「唐牛健太郎」の渦中での動きを追う。権力の頂点にいて安保改定に政治生命の全てをかけた岸信介首相との対比が印象深い。とりわけ当時の運動家の多くは、大学を卒業して普通の就職をする過程で転向を余儀なくされていった。これに対し、「唐牛」がひとり原罪を背負ったかのように労働者であり続け、50歳を前に死んでいった姿には胸を打たれた◆米国ではこの映画はカンヌ国際映画祭審査員賞を受賞したものの、興行的にはあまり振るわなかったという。確かに学部長室占拠から食料調達やら、ボート漕ぎの場面などを挟み、大学に突入してきた警察当局に抵抗するシーンに至るまでストーリーの「甘ったるさ」は否めない。ピリっとしたところを感じることはいささか難しかった。恐らくそれは米国にあっては、ベトナム戦争そのものの直接的な体験の厳しさ、リアルな反戦運動の実態に比べて、どうしても〝学生ごと遊び〟に見えてしまう。その点、日本の場合は、60年から70年前後にかけての「安保闘争」と絡む形で、東大安田講堂事件(1969年)やら、「あさま山荘事件」(1972年)など、小説より遥かに奇異で、奇怪な事実が相次いだ。これは今も時折流される各種ドキュメント映像が物語るように、ただただ圧倒されるばかりである◆私の高校同期生たちのうち、早稲田大学に進んだ連中は、高校の一個先輩に後に早大全学共闘会議議長になった大口昭彦さんがいたことも影響して学生運動に身を任せた者も少なくなかった。ほとんどの友人は卒業と同時にその道から足を洗ったものだが、中には職業革命家とでも言うべき活動に挺身したものもいた。また東大駒場前に新左翼関係の本を中心に取り扱う書店を営んだものもいた。私が訪れた際に、彼が「70年代には革命が起こる、いや必ず起こすとマジで思ったものだが、起こらなかったなあ」と述懐していたことは忘れ難い。大学生時代に「社会革命」ではなく、「人間革命」こそ、人生を根底的に変革する確実な手立てだと確信した私は、勉強そっちのけで、日蓮仏法を体内に取り入れる活動に明け暮れた。おかげで、80歳に手が届くようになった今もなお、学生時代にやり残した「学問」を中途半端に引き摺っている。(2024-6-16)