【40】キリスト教日本布教の困難──映画『沈黙ーサイレンス』を観て/6-22

 なぜ危急困難に直面する人間を前に「神」は沈黙され続けるのか──作家・遠藤周作の小説『沈黙』(1966年昭和41年)のテーマだ。これをもとに篠田正浩監督によって映画化されたのは1971年。その時から46年。マーティン・スコセッシ監督が2017年に作ったのが『沈黙ーサイレンス』である。私自身が法華経の信仰に踏み切ったのは1965年(昭和40年)。「60年代」只中。世界も日本もそして私も「運命」の時代だった。当時の私自身のキリスト教に対する理解は、「神の存在」を含めて理解しがたい宗教であるとの域を出ていなかった。その後、遠藤の一連の著作を読み、その問題意識の一端を共有するに至ったものの、大きく認識を変えることには繋がらなかった。日本における布教過程での壮絶なまでの迫害。にも関わらず、その命脈は連綿と保たれてきた。映画を観て、弾圧の中で布教する側も、その教えに忠実に信仰を続けた側も、「よくぞまあ、ここまで耐えるか」といった率直な感慨を持った◆小説の舞台は17世紀前半の日本・長崎周辺。ポルトガルやスペインから布教に来て、戦国武将や大名にも信者が出ていたが、徳川幕府の方針転換によって事態が変わった。原作では、宣教師の中心人物フェレイラ神父が拷問にあって棄教したとの噂がポルトガル・イエズス会に伝わって、弟子にあたるロドリゴとガルぺの2人のパードレ(司祭)が真偽を確かめるべく日本に向かう。苦難の末辿り着いた先に待っていたのは、弾圧に隠れて信仰を続ける農漁民たちのいたいけな姿だった。キリストの姿が刻印された版像(踏み絵)を踏ませるべく、執拗な追及が行われる。従わなかった者には、壮絶な拷問が加えられていく。その過程でロドリゴ司祭は、ある信者の裏切り行為がもとで捕われ、ガルぺ司祭は民衆を守ろうとする中で死に至る。退転したフェレイラ神父とロドリゴ司祭が会うに至るも、抵抗することが逆に民衆を苦難に沈めるだけだとの事の非を諭され、ついに心ならずもキリストの絵を踏む。弟子もまた師と同様の道を歩み、死に至った日本人に成り代わって江戸で生きていく、との展開である◆この映画で、観るものの眼に焼き付くのは、熱湯の飛沫浴びを始め、はりつけ、火炙り、逆さ吊りなどの残虐な拷問の数々と、信仰を棄てることを迫る踏み絵の場面である。一方、耳に残るのは、フェレイラ神父(棄教した後、沢野忠庵と改名)との漸く叶った対面でのやりとりである。ロドリゴ司祭が涙ながらに「情けない」とかつての師を激しくなじり続ける。それに対して、フェレイラは「この国にキリスト教は根付かない、泥沼のようなもので苗を植えても根が腐る」「山河の形は変われども、人の本性は変わらぬ」などと静かに強調する。師弟の布教をめぐる対話は哀切に満ちて胸を打つ。神への信仰を司祭が続ける限り、信者の生命は果てしなく損なわれる──〝逆さ吊り〟の拷問に苦しむ信者たちの呻き声の前で、ついに司祭が棄教を選択するに至ってしまう。この映画、最大の山場だ◆「信仰の持続か、さもなくば死か」との〝究極の選択〟を迫る布教上の法難は、日蓮仏教の歴史にも「熱原の3烈士」から「牧口常三郎先生の獄死」まで厳然と続く。「信教の自由」が確立された現代社会では、「難来るをもって安楽と心得べきなり」とのご聖訓は現実生活で不断に試される心構えとして根付いている。大学生活の幕開けと共に私は入信。先祖代々の浄土真宗から、日蓮仏教へと、10年余をかけて父を始め一家全員を改宗に導いた。子どもの頃父親の背を見ながら熱心に阿弥陀経を唱え、「白骨の章」に耳そば立てた私だったが、西方極楽浄土への転生よりも、この世における人間変革こそ成仏という原理に強く惹かれた。改宗後に学んだ哲理の数々は我が生命を揺さぶった。〝有るか無いか〟の二元論ではなく、有無を含み持った〝もう一つの存在〟としての「空」。ものごとの本質を掴む上での「空仮中の三諦論」など。至高の生命哲学だと確信し得る東洋の思想に目くるめく思いを抱いた。そんな身にとって、『沈黙』の突きつけた問題設定は、格好の〝非常時のシュミレーション〟であった。友人たちとの宗教的議論のテーマとして俎上に載せても、むしろ究極の選択肢に直面しない〝幸運の巡り合わせ〟こそ焦点だった。神は「沈黙」するが、仏は「感得」するものだ、と。(2024-6-23)

 

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