「新幹線ひかり号に爆発物を仕掛けた。止まると自動的に爆発する」との脅迫。犯人の要求通りの金を指定された方法で用意せねば1500人の乗客だけでなく沿線住民の多くの生命が奪われかねない──この前代未聞の凶悪犯罪にどう立ち向かうか。博多到着までの恐怖の時間が刻々と過ぎゆく。その中で明かされゆく犯人たちの切ない過去。1975年(昭和50年)東映制作。監督は佐藤純彌。豪華な配役が話題になった。行動する主役は高倉健(犯人)。受け手役の主演は宇津井健(運転指令長)。そしてもう1人、問題の新幹線ひかり号の運転士役の千葉真一。この3人が中核。過去に大地震や巨大怪獣による様々なパニック映画が作られたが、紛れもなくこの映画のリアルな恐怖感は群を抜く。私個人としても「最も興奮して観た映画」として挙げたい。犯人たちの要求に応えつつ対抗の道を模索する警察や国鉄(現在のJR)当局などの描かれ方も興味深く、この分野屈指の出来栄えだとの高評価に値する◆尤も、現実にはこの映画の評判はそれほど高くなく、興行成績も芳しくなかった。なぜか。いつ何時起こりかねないテーマ。愉快犯を含めて真似をされる可能性が高かったことなど、制作段階から協力を拒んだ国鉄の空気の影響も大きかったものと思われる。その一方、海外ではフランスを筆頭に圧倒的に評判は高かった。超高速の鉄道の存在そのものが珍しい時代でもあり、日本の鉄道技術への好奇心も手伝った感もする。犯罪に追い込まれた犯人たちの実像を追い過ぎず、事件のみを追うことに徹していたら、より迫力があったとの見方もあろう。だが、現実には社会、時代批判的要素を含ませたところに違った意味での膨らみがでた◆3人の犯人像は、集団就職で沖縄から出てきた青年、学生運動に夢破れた男、事業の失敗から家族破綻に陥った中小企業経営者。彼らは、戦後25年が経つ中で、高度経済成長に取り残された庶民群像の3典型とも言えた。それを通常の悪役とは一味も二味も違う高倉健、山本圭、郷英治が演じた。ただしこの部分の説明が長く、3時間を超える作品となったことを批判する向きもあった。が、私はこの部分が逆にいいと感じる。東海道新幹線が初めて運行したのが1964年(昭和39年)。あの年東京オリンピックが開催され、戦後日本の頂点とも言うべき時代が幕開け、持続する象徴でもあった。その影で忘れられた人々の逆襲と捉えるのはいささか無理筋とはいえても、今となっては、あえてそう観てみたくもなるからだ。この映画の見どころは、言うまでもなく、犯人たちの仕掛けた爆発物の場所を発見して、いかにそれを取り除くかである。そこに至る様々の過程を乗り越え、つまづきながらの展開にただただハラハラどきどきさせられる。海外で好評を博してきた日本映画の伝統的手法は、ゆったりした雰囲気での日本文化の高揚といったところが通常パターンだった。スピード感とは無縁のものが多い。それを真っ向から裏切るダイナミックな映像の連続は〝脱邦画〟の感さえした◆安全確保について指令長と運転士との悲壮感漂うぶつかり合い。警察と国鉄との対応のズレ。多くの人命を預かる職業としての国鉄マンの心意気。どこをとっても素晴らしいプロ根性の現れとしか言いようがない描き方だった。とりわけ、最終段階で事実を隠して、犯人に呼びかける場面をテレビメディアで報じさせ続けたのは意表を突いた。その強引なやり方に職をかけて反発し抵抗した宇津井健の役どころは唸らせた。ここまで国鉄マンを好意的に描いて貰って、なんの文句があるのかとも言いたくなるぐらいである。また、海外逃亡する直前に空港に張り込んだ警察の存在を、元妻と子どもの姿を見て気づく高倉健の表情。溢れる緊迫感に圧倒的な迫力を感じた。かつて観たスティーブ・マックイーン主演の『ブリット』の空港でのラストシーンを想起させた。昨今不振ぶりが強調される邦画の中で、かくも凄い迫力の映画があったのだということを今頃になって知った。我ながら呆れるばかりだ。今年は東海道新幹線開業60年。開業の翌昭和40年に私は新幹線に乗って新神戸駅から上京した。まさに人生の曙。夢を抱いて走った。無事の歳月を祝って、改めて多くの人がこの映画を観ることは、大いに意味があろうかと思われる。(2024-7-2)