【43】銃と愛しのクレメンタインと「雪山讃歌」━━『荒野の決闘』を観て/7-14

 トランプ前米大統領が演説中に狙撃され、それこそ間一髪で死を免れた事件は世界中を驚かせた。多くのことを考えさせられたが、私は米映画『タクシードライバー』で、大統領候補を狙おうとした主人公(ロバート・デ・ニーロ)が警備に阻まれて断念した場面を思い出した。今回は警察が直前に気がつきながら、逆に威嚇されて引き下がっていたとか。真相は未だ詳らかでないが、警備に抜け穴があったことに気づく。この国はリンカーン、ケネディ、レーガンらを始め数多くの大統領暗殺の歴史を持つ。それもこれも市民社会の中で銃を持つことが自由であることがベースにあることが大きいものと思われる。西部劇を観ていて、つくづく銃をぶっ放すことが日常茶飯事であるこの国の伝統に思いを致さざるをえないのである◆最近改めて観る機会があった『荒野の決闘』も酒場で拳銃を抜き、弾丸が飛び交う場面が多いことに呆れるくらいだった。西部劇といえば、砂塵吹き荒れる荒野の中の町の酒場が主たる舞台で、賭け事に興じる荒くれ男とそれにまつわる妖艶な女といったところが、登場人物の通り相場と決まっているが、この映画はやや趣を異にする。まずこの映画は西部地域で有名な伝説がベースにある。保安官のワイアット・アープと賭博師にして医者のドク・ホリデイという実在の人物2人が基軸をなし、それにチワワという酒場の歌い手の看板娘とクレメンタインという名の美女2人が絡む。ホリデイは自分を慕って東部の町から来たクレメンタインを追い返そうとする。一方、アープはクレメンタインに一目惚れする。こういった男女4人の恋愛感情をもつれさせながら、アープ4兄弟とクラントン親子4人との因縁沙汰によるOK牧場での決闘へと話は進む◆この映画はジョン・フォード監督が1946年に作ったもので、ヘンリーフォンダとの組み合わせでは前作『怒りの葡萄』に並ぶ名作とされる。さらに、ジョン・ウエインと組んだ西部劇の古典的名作『駅馬車』に匹敵する高い位置を得ている。また、邦題『荒野の決闘』は、場所がOK CORRAL(牧場)であったことから、米国では、「OK牧場の決闘」と呼ばれ、映画そのものの原題は『MY DARLING CLEMENTINE.  いとしのクレメンタイン』と呼ばれる。実はこのタイトルは、もとを正せば、19世紀後半の米国におけるフォークバラード。この映画の主題歌として一躍世界中に知れ渡ったとされる。日本では雪山ソング『雪山讃歌』の原曲(替え歌の原曲)として知られている。私のような戦後第一世代は、原曲も耳にして歌い、替え歌の方もあの山、この川を前に歌ってきたものである。その意味では、「青春讃歌」そのものだった◆という、特別な付加価値を持った映画だが、根幹部分はいささか〝伝説先行〟のあまり表現不足が目立つ。例えば、ドク・ホリデイとクレメンタインの関係がもう一つ分かりづらいし、彼の病的咳込み(肺結核)が説明不十分のままに終わっていることなど、未消化は否めない気がする。映画製作者が完成した作品に不満で30分ほどカットして追加撮影されたことなどのエピソードが伝わっているのも、確かに、と思わせる。むしろこの映画は一般に言われているメロドラマ的要素よりも喜劇的ムードの方が強いと私は思う。例えば、ワイアット・アープ役のフォンダが、最初にこの町トゥームストーンにやってきた時に入った理髪店での椅子の具合の悪さ(ひっくり返る)や、髭剃り途中で顔にフォームを塗ったままの連続シーン(暴漢への対応)など、笑いを誘う。のちに、保安官になってからも理髪店でのやりとりは、専ら恋の相手を意識させる。小道具としての男性用香水が粋な役割を果たす。そして極め付けは、クレメンタインとのダンスの場面でのアープの足の揚げ方が妙に面白い。そういう意味では、酒場で銃を撃つばかりのイケメン・ホリデイが洒落男・アープの方を引き立てているかのようにも思える。『荒野の決闘』から「トランプとバイデンの対決」まで、「銃社会・アメリカ」の原風景は延々と続く。(2024-7-17)

 

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