【44】父から子へ流れる悠久の歴史━━中国映画『山の郵便配達』を観て/7-21

 1980年代初めの中国・湖南省西部の山岳地帯がこの映画の舞台である。冒頭の10分足らずに物語の全体像が凝縮されている。郵便配達業務に生きてきた父親(この当時41歳)が足の痛みもあり、息子へのバトンタッチを願う。息子は普通の仕事とは違う公務員になることに誇りを持ち、地元での仕事に就いてくれればとの母親の思いを振り切って、意を結する。父から子へと受け継がれる郵便配達の仕事は、往復223キロの距離を2泊3日で歩く。山あり谷あり、野を越え川を渡っての苦難の業務である。車も自転車のお世話にもならない。ひたすら歩く。これまで父は「次男坊」という愛称を持つ愛犬と一緒に回り続けた。郵便物をリュックに詰めて、息子のデビューの出発の時間がきても、犬は父親のそばを離れようとしない。長年の習性から抜けきれない。父がいくら行けと言っても動かない。痺れを切らした息子は一人で発つ。仕方なく父も一緒に行くことにし、2人と一匹の最初で最後の〝集配行〟が始まった。繋がり薄く、父を「父さん」と呼べない息子に、2人の間の微妙な距離感が陰を落とす◆美しい山の稜線はどこまでも青々生き生きと続く。カメラは遠くから2人の姿に近づき、また近くから遠くへと離れつつ、そのアングルはゆっくりとやさしげに追いゆく。映し出される映像は日本の山岳地帯の農村風景とスケールの違いはあれど大差はない。そしてそこを歩き行く父と子の心象風景も、同じ人間の枠組みから大きく逸脱するものではない。不思議なくらいに。行く先々で新米配達員の息子の感動を誘う場面と出くわす。勿論一緒に動く我々の眼にとっても同じだ。驚く場面は2つ。一つ目は、最初の村で。配達すべき郵便の受け渡しを終えて次に行こうと役場を出たところ、集まってくれた数十人の村人たちと出くわす。みんなこぼれんばかりの笑顔。初めての出会い。郵便物を介在する関係がどんなに深いものかを一瞬にして悟る。「うちの息子です。これからは彼が来ます。何かあれば頼んでください」━━若者を覗き込むように見る子供たち、爺さん婆さんら村人たちに父が誇らしげに紹介する。もう一つは、目が不自由なお婆さんのところに立ち寄った際のこと。この老婆は、遠く離れた孫からの手紙をいつも待っている。ひたすらに。待ってるだけが生きがいと言ってもいい。この時も封筒を開けると手紙とともに十圓紙幣が一枚入ってた。配達員と息子が型通りの短い手紙を読んで聞かせる。時にはお婆さんの代わりに手紙も書く。これだけのことだが、深い感動を呼ばずにおかない。別れる時の寂しそうな表情にこちらまで泣きたくなる◆川を渡る場面。息子が父をおぶって渡る。その昔、息子が幼児の頃、肩車したことを思い起こす。あれから20年ほど。逆に息子の背に乗せてもらう父は涙ぐむ。ゆっくりと流れるこんな時間の中で、2つほど胸騒ぐシーンがあった。一つは、親子が疲れて涼を取ろうと休もうとする場面。つい郵便袋を明けた際に、一陣の風が吹いて郵便物の数枚が風に飛ばされてしまう。あわや飛び去ってしまうかという危機一髪の際に「次男坊」が空中で飛びつき、郵便物を口に咥える。ここは最高に緊張した。犬も人間も一体なることを感じさせた。一方、高い崖をよじのぼらねばならず、近くに住む青年が上から綱を投げてくれ、それを頼りに下から父と息子が上がっていく。崖上で合流した際の何げない会話。青年が学校を出たら「新聞記者になりたい」と夢を語った。瞬時、私の胸が騒いだ。新時代に世の時流に乗ろうとする者と、伝統的な仕事に残る者との対比。ここは、突然に我が家の過去を思い起こさせた。銀行員だった父は私に地元に残って同じ仕事をさせたかった。一方私は、東京での「新聞記者」に憧れた◆親子の仕事をめぐる価値観の違い。地方と中央。伝統的な親子、時代、地域の差異が重なりあって、中国の映画どころか、我が身のことのように思えた。先に疲れて寝る息子を見やりながら、道中で「お父さん」と初めて息子から呼ばれた感激も手伝って、やがて添い寝する父親。私の場合、初めて帰郷した際に、母親が泣いて抱きついてきた。寒かろうと枕元に衝立風のものを立ててくれた。また、上京する際に、両親が揃って仕立て屋に足を運び、父の古いオーバーコートを仕立て直してくれたことも忘れられない。〝田舎の新聞記者志望の青年〟というだけで、こんなことが重なり浮かんで、ゆっくり映画も楽しめない。もう終末に近い年齢のくせに、親にして貰った子の立場のことしか思い出せない。改めて時空を超えた日中(漢)両民族の類似性に思いを馳せざるを得ないのではあるが。(2024-7-21)

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