【46】滴り落ちる汗に共感━━松本清張原作/野村芳太郎監督『張込み』を観て/8-7

 東京発鹿児島行き夜行列車に横浜駅から2人の刑事が飛び乗るシーンから、この映画は始まる。時は真夏。この2人の九州・佐賀駅までの車中の様子が凄い。満席で途中まで通路の床に座ったまま。1958年公開のものだから、エアコンなどなし。天井の扇風機も効き目なく、せいぜい窓からの風が頼り。盛夏の今、見てるこっちもただひたすら暑い。この後、2人は東京での殺人事件の犯人の立ち寄り先として、目星をつけた元愛人宅のそばの旅館の2階に張り込む。冒頭からエンディングまでひたすら汗をかきかき、隣の家の庭先から居間を覗き見し続けること約一週間。お目当ての女性(後妻に入って3児の母)に、郵便物が来るか、人伝てでも犯人からの誘い出しが来ないかどうか、朝から晩までじっと見張り続ける。日々の買い物は勿論、出かける風を感じると、直ちに尾行をするといった具合。かのヒチコックの映画『裏窓』を連想するものの、あちらはアパートの窓から見える複数の部屋の光景を双眼鏡で覗くのに比し、こっちは一軒の変化を追うだけ◆周知のようにこの映画は松本清張の同名のタイトルの短編小説が原作である。小説の方は、文庫本でわずか27頁に過ぎない。佐賀での張込みに従事するのは若い刑事だけ。先輩格の刑事は犯人の本籍の方に回るため、単独行動である。映画の方が圧倒的に獲物を狙う警察力の執念を感じさせて迫力がある。様々な小説や映画で張込みの場面が挿入されているが、このそのものズバリのタイトルで登場する映画での張込みは、当然ながらリアル感が漂っている。よくあるパターンは、目的の人物が出てくる住まいの前で、車の中から監視し続けるというものが大半だが、ここでは真ん前の旅館から隣家を見守り、外出のたびに尾行する。小説では全くない臨場感が、映画ではきっちりと描かれる◆その人妻を演じるのが高峰秀子。犯人役が田村高広。この2人のイメージはどう見ても「静」そのもの。田村はおよそ殺人を犯した人物のイメージとはほど遠い。結核を病んでるというのはさもありなんと思うのだが。高峰の方は、ここでは犯罪そのものとは無縁の役柄なのだが、清張の原作で描かれた犯人の元恋人で今は3人の子持ちの人妻に後妻で入っている雰囲気はよく出ているといえよう。映画では、汗まみれになって、張込み、尾行し続ける若い刑事が次第に、彼女の生活(吝嗇な夫にひたすら支える姿)ぶりに、しだいに同情の念をいだくという感情移入がなされるくだりが出てくるが、観客でさえもそんな思いになっていく。このあたり高峰の演技力が傑出しているかに思われる◆ただ最後の、山あいの温泉宿にたどり着くまでの、2人の逢引きの場面はいかにもとってつけたかのような感が否めない。聞こえない距離の2人の会話は、いかにも不自然におもわれる。一方、小説では、池のそばの堤の上に座っていた2人を発見した大木扮する柚木刑事についての短い描写が、想像力を掻き立てる。柚木の視線の先にある2人を、清張はこう描く。「男の膝の上に、女は身を投げていた。男は女の上に何度も顔をかぶせた。女の笑う声が聞こえた。女が男のくびを両手で抱え込んだ。柚木はさだ子に火がついたことを知った。あの疲れたような、情熱を感じさせなかった女が燃えているのだった」━━後に清張は、この映画を観て、原作よりもよく出来ていると賞賛したというが、私もそう思う。小説はあまりにも素っ気ないし、短かすぎる。この映画の脚本はかの橋本忍、監督はあの『砂の器』の野村芳太郎だが、なるほど、と思わせられた。(2024-8-7)

 

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