【49】暑い9月の夜にこんな映画を観た━━『ハドソン川の奇跡』『小さな巨人』『アラスカ魂』/9-29

 『ハドソン川の奇跡』は本当に感動した。大谷翔平の「50本塁打50盗塁」達成の時にも個人の力の凄さに呆れ果てる思いだったが、2度目観たこの映画には心底から震えた。空港を飛び立ってほんの少し経ったときに、鳥が原因で飛行不能の状態にとなった。急遽空港に舞い戻るか、どこかに緊急避難的着陸するしかないという事態に追い込まれ、機長は視界に横たわるハドソン川に不時着することを決断する。僅か35秒の間の判断だった。この奇跡の場面が冒頭に映し出され、全員が無事に救助されたことを喜び、機長は英雄だと讃えられる。だが、その直後に、事故調査委員会が原因究明の調査で、川に不時着する選択よりも、空港に降りる方が、よりマシな選択だったとの仮説の元に、シュミレーション結果を提示してくるのだ。この時に、機長と副機長が人間の瞬時の判断の隙間とでも言うべきものの有り様を主張する。この場面は圧巻だった。人間は機械ではなく、35秒の余分の時間がかかったことを計算に入れないことの盲点を突いた◆実際にあった話を映像で再現され、有事の際の沈着冷静なリーダーとその支え役のコンビの呼吸の重要性を思い知った。乗客たちの中から、突然身に迫った恐怖より起こる不満や不平が一切なかったことに救われる思いがした。川に突入してから、皆、あまた乱れつつも、誘導に当たる機長、副機長、CAたちに従う姿は爽やかだった。機長が川への不時着を選択するとの余計なことをしたために、不利益を被ったとの「事故調」の仮説と、それを打ち破る機長。副機長の反論証明がこの映画のもう一つの肝だった。「相互信頼」という人間関係の持つ基本的美徳が眩しいほど輝くラストシーンに込み上げるものがあった。白い顎髭を豊かに蓄えたトム・ハンクスと常に毅然と主役を守るアーロン・エッカートの2人は、この映画を観た者の記憶に長く残るに違いない◆ダスティン・ホフマンの『小さな巨人』は、米国における先住民族と白人の屈折した関係を、執拗に描いて印象深い。ひとたび囚われて「あちらの世界」の人間になったと思いきや、ドラマチックな運命の悪戯で「こちら側」に戻ってくる、またそこに〝過酷ないくさ〟が悪さをして二転、三転して更にあちらに戻って、また、という風に繰り返される。身長165センチという小柄なホフマンは、30歳の時に『卒業』でデビューし、33歳の時のこの『小さな巨人』でその地位を不動のものにした。その間に『真夜中のカーボーイ』があり、その後に『わらの犬』、『パピヨン』と、若き日に私が観た作品が続く。1976年の『大統領の陰謀』は新聞記者という職業への〝我がこだわり〟を決定的にしたことが懐かしい。31歳だった。私より8歳上のホフマンは、今や87歳とか。この映画でシャボンだらけのバスタブに入ったままで、妖艶な牧師の妻フェイ・ダナウエイに全身くまなく洗われるシーンが妙に記憶に残る◆もう一本。ジョン・ウエイン『アラスカ魂』も。1939年に『駅馬車』でデビューした、西部劇そのものの名優は、日本の時代劇の名スター・三船敏郎とダブル。監督・ジョン・フォードと黒澤明とのコンビとも重なって、明らかに戦後世代の若者の魂を形成する役割を果たした。この米日2組の監督と俳優の関係は、共にほぼ10歳づつ離れている(米チームが歳上)というのも面白い。いわゆる世の中の師弟関係は「10年離れ」を持って基本とする、との漠然たる我が思い込みの一つの傍証でもある。『アラスカ魂』はゴールドラッシュに沸くアラスカを舞台に、一攫千金を狙う男たちとそれに絡む美女を描いた物語だが、北の「アラスカ」が西部劇と結びつかず、この度初めて観た。全編カラッとしたユーモアに溢れていて楽しい。とりわけ「木登り競争」の場面が。不思議だった。昨今の猛烈極まるアクション映画を見慣れた目からすると、ほのぼのとしたシーンは、コッテリした肉料理のあとのお茶漬けみたいで、味わい深かった。(2024-9-29)

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