2025年が明けました。「去年今年(こぞことし)貫く棒の如きもの」(虚子)とはいうものの、「(自分を)少しでも変えるぞ、変えたい」って思って毎年新年を迎えてきました。私は今年で数え80歳です。自分の実感との落差に慄き(おののき)呆れる思いです。子供の頃に耳にした童謡『船頭さん』の一節「ことし60のおじいさん」が、自分的には歌詞の間違いではないかと思うのは、慶賀に値することなのかもしれません。60を前に死んだ母も、80少し前にこの世を去った父をも超えることを目標にしてきた私ですが、遂に2人を追い抜きました。よくぞここまで、という思いはあまりなく、よし次は、とかねてより背中を見てきた大先輩の「85歳の壁」を越えようと目標を立てているしだいです◆さて前置きはこの辺で辞めます。この映画は、言うまでもなく創価学会の第三代会長だった池田大作先生の同名の小説が原作です。小説そのものは、昭和40年(1965年)正月元旦に聖教新聞で連載がスタートして、平成5年(1993年)2月11日まで、実に28年間にわたって、1509回(単行本は全12巻)も書き続けられました。(続編の小説『新・人間革命』は1993年11月から2011年11月まで)私自身の入信(入会)が昭和40年の3月なので、当時の学会を取り巻く雰囲気を覚えています。みんな毎朝届く聖教新聞を貪って読んでました。当時大学に入ったばかりの私は、お経を読み題目を唱えることよりも、新聞小説の方は時間が短くて済むので気楽でした。以来、ちょうど60年もの長きにわたって信仰を続けてきたことになります。その間に体験したことの大要は回顧録ブログ(『日常的奇跡の軌跡を追って』)に書いてきましたが、実はこの「人間革命」という「4文字熟語」が月並みで恥ずかしながら「キーワード」になっています。それは私が法華経信仰を体内に取り入れることになった学生時代の4年間に、口癖のように言い続けたこの言葉を聞いて、我が母が「人間革命なんか出来るわけないやん。ほんまに出来るおもとんか」と詰った(なじった)からです。この言い回しに私は反発して信心をしてきたのです◆映画は、戸田先生が豊多摩刑務所(中野刑務所)から出獄するところから始まり、戦前の塾「日本小学館」経営に代わって、通信教育に打ち込みつつ、学会再建へと展開していきます。その合間に場面はフラッシュバックして、恩師・牧口先生との出会い、入信、創価教育學會の設立を経て、軍部・官憲の逮捕拘留へ。そして獄中の法華経読誦・唱題と呻吟・懊悩を繰り返す場面が赤裸々に描かれいくのです。丹波哲郎扮する戸田城聖の、七転八倒してまで思索に苦しみ抜く様相は、凄まじいまでの迫力で圧倒されます。最終的に悟達に至るのですが、その中身は最後の十界論講義で、「仏とは生命なり」(われ地涌の菩薩なり、とも)と明かされます。哲学的思考を掘り下げ展転する様子を、これほどまでにリアルな映像で観たのはこれが初めての人は多いに違いありません。他方、獄卒からの非情な仕打ち、調査官からの退転の強請は執拗に続きます。次々と「軍門に降っていった」獄中の同志たちの実態を聞かされるにつけ、いかに当時の創価学会組織が脆弱だったかを思い知る丹波の苦悩の表情には、深い共感を禁じ得ないのです◆50年経って今改めて観て、新たに感じる最大のものは、創価学会の「組織再建」ということの意味についてです。戦前と戦争直後、そして再建時から70数年後の今と比較するというより、実感としての日本の現状に厳しさを感じざるを得ません。かつては「戦争」という「外圧」が組織を壊滅させました。今は「安穏」という「内圧」が「組織の弱体化」そして「分断」を招いてるのかもしれません。昔の仲間が集まると、侃侃諤諤の議論の末に、「もう一度草創の原点に立つしかないね」「連続革命だからね」というのが結論のオチです。その場合に必要なのは、我々の今世では、昔のような勢いを取り戻すのは無理だから、次の世に期待するしかないとの諦めに支配されがちなことへの自省です。政治家である私ゆえ、自他の起因如何を問わず、公明党の存在を巡る議論が大いなるウエイトを占めがちです。その時に得心するのは真の「自主」「自立」とは何かという問いかけでしょうか。その掘り下げなく、ただ時流に流されただけの「愚痴の披歴」であってはならないと強く自戒します◆その他にも新旧問わぬ気付きは、宗門の堕落を誘因した元顧問弁護士や連座した元教学部長のことや、十界論の展開などあれこれと浮かびます。前者については中野区での出会いと高等部御書講義の正副担当などの忘れ得ぬ縁があります。後者については、我が折伏の貴重な持ちネタとの比較などについてです。更に、映画や原作での戸田先生の私塾での一例として、犬をめぐる自在の教授法の印象深い展開を挙げたい。ここを観て、つい先頃読んだ河合隼雄対談集『あなたが子供だったころ』での、鶴見俊輔氏(哲学者)のくだりを思い起こしました。彼は戸田先生の塾で教えて貰ったお陰で、驚異的に成績が伸び中学受験に受かったことを述べているのです。(2025-1-5)