【52】2人の革命児が作った異常な映像━━『犬神家の一族』を観て/1-16

 湖とおぼしき水面に逆さになった人間の両足がヌッと突き出た衝撃的な場面。顔全体を白い頭巾(マスク)風のもので覆って両眼だけが出ている男。映画のポスターを飾る幾つかのシーンが、猟奇的な殺戮を妄想させるような映画のタイトルと相まって、かつてこの映画は一世風靡した。エンタメの最高峰に位置づけられる。だが、私は映画館ではもちろんのこと、ビデオでもテレビでも観た記憶がない。今回封切りされてほぼ50年にして初めて観た。しかもリメイク版で。印象に残るのは富司純子の一貫してキッとした眼つき、顔立ち、毅然とした姿勢、物言い。そして、尾上菊之助の歩き方のかっこよさであろうか。その特徴的な佇まいから、この映画の持つ重要な鍵が仄見えたというのは面白い。尤もそう感じたのは瞬時であって、次々と展開する流れに押し流され、謎解きには役立たなかった。というのが正直なところである。ともあれ、中心人物の所作振る舞いが美しかったというのが眼に焼き付いている◆リメイク版が世に出てからでも20年近い。そんな長い間この映画を観てこなかったのは何故か。主たる理由はこの映画が登場した50年ほど前は私は駆け出しの新聞記者で忙しく、同時に、20年前は政治家としての盛りの時だったゆえ、世界一という観客動員数(当時)を誇った映画でも、観るゆとりがなかったということだろう。そんな人間でも人生の最終盤になって、ゆっくりと狭いマンションの茶の間で再放映を観る機会を得た。加えて、NHKBSテレビが有難いことに『アナザーストーリーズ 運命の分岐点』なる異色の解説番組(2015年から毎週日曜放映)でこの映画を取り上げたのである。視聴者のためを慮ってくれたに違いなく、ほぼ同時のタイミングで映画と併せて再放映してくれたのだ。これまで『金閣寺炎上』を同番組で観た時に、従来の表面的な理解を超えた捉え方を3つの側面から観せられた。このため、大いに理解を深めることができ、以来なるべくこの番組は観るようにしてきたが、今回の映画も役に立った◆今回の3視点は、映画製作者としての角川春樹、監督の市川昆、主演の金田一耕助役を演じた石坂浩二の3人による「三つの物語」が伺え、興味深かった。最初の角川春樹は常識を遥かに超えた奇抜なアイデアを次々と出した。「過去の成功譚に興味がない」「過去を振り返りたくない」「絶えず前を見てきた」と言い放つ77歳の角川は、「世の中のメジャーに自分を合わせる必要はない。自分のメジャーに世の中を合わせればいい」と思っていたと語る。エンターテイメントの革命児は「人生は〝戦い〟」との言葉で、地味な出版社だった角川書店を大きく変えた。「まず、本をヒットさせること」に狙いを定め、老作家・横溝正史に目をつけた。「怪奇的、土俗的、ミステリー」との目的に合致する作家を探した末の結果だったという。のちに横溝自身は、既に筆を折っていた自分が「再び脚光を浴びた理由」をメディアから聞かれて、逆に「教えて欲しい」と言っている。実は角川と私とほぼ同世代。改めて映像の向こうに彼の顔を見ると、かなり老化が進んでいる。そこに「人生を戦ってきた」男の風雪を感じた◆市川が20歳歳下の角川と出会った際に、「大変な現代青年がきた」と感じたという。新しいものへの好奇心が強い市川とのふたりの相性が良かったのだろう。既成の枠にとらわれない突出した2つの個性が融合した映像がこの『犬神家の一族』なのだ。市川といえば、東京オリンピックの記録映画の担当をして、アスリートたちの肉体の美しさを徹底して切り取る手法を駆使し、「人間の素晴らしさと哀しさ」を表現した。それに対して河野一郎(元副総理、東京五輪担当相)が「記録的要素が全くない。不可解だ」と文句をつけた。これがきっかけになって、日本中を二分する論争になった。「記録か、芸術か」である。この論争は私も覚えている。私は市川昆の映画は、人間の持つ肉体と精神の美の素晴らしさをふたつながらに見事に表現したものと、深い感動をした。この2人が生み出した作品の「たまもの」が石坂浩二演じる金田一耕助である。石坂についてはどうだろう。私としてはこの役回りに不満である。犬神家の女性たちの強い個性に、ともすれば消えがちに見え、中途半端な役柄に思われた。彼の持つ都会的スマートさが合わないと思ったのだ。髪の毛から落ちたフケのクローズアップ場面が2度登場するが、これほど俳優・石坂にマッチしないものはない。(敬称略 2025-1-16)

 

 

 

 

 

 

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