【62】遥かなる日本の遠い過去の記憶━━『山の音』『浮雲』『浮草』を観て/4-17

 『浮雲』『浮草』と浮くっていう字がつく日本の映画を2本観たあと、3本目の『山の音』に「浮気」とつけてみたくなった。この3本にとくに関連性はない。この数か月の間にNHK BSで放映されたものを観て、単純に並べただけである。しかし、観終えて、テーマ及び製作者側の意図やら演技者の特徴などに思いを致すとそれなりに共通するものが浮かび上がってくる。テーマは三つとも「人の世の愛の行方」で共通する。原作は、映画の公開順に『山の音』(1954年)が川端康成(脚本は水木洋子)、『浮雲』(1955年)は林芙美子(脚本はこれも水木洋子)と、共に小説家の手になるのに対して、『浮草』(1959年)は監督の小津安二郎が脚本(他に野田高梧も)も書いた。監督は後の2本とも成瀬巳喜男である。主演は、『山の音』が原節子と山村聰。『浮雲』が高峰秀子と森雅之。『浮草』が京マチ子と中村鴈治郎。いずれも女優の方が光り輝く印象濃く、男優は揃ってぐっとしぶい◆映画よりも原作の方が名高いのが『山の音』だろう。『雪国』と並んでノーベル賞作家・川端康成の代表作とも言われる。「鎌倉のいわゆる谷の奥で、波の聞こえる夜もあるから、信吾は海の音かと疑ったが、やはり山の音だった」━━裏山から音がすることを自分の「死期を告知されたのではないかと寒けがした」と続く。主人公・尾形信吾は63歳の設定。今時なら、前期高齢者にも届かない年齢ゆえ違和感が強いが、同居する嫁の菊子に淡い恋心を抱くには相応しい年恰好と言えよう。この小説は、老いが迫る家長夫婦と、結婚2年目にして早くも外に女を作った息子とその妻、2人の子どもを連れて、出戻りした娘という崩壊の気分が溢れる中で展開する。ある夜古女房のいびきで眠れぬ信吾は、咽をつかまえてゆすぶった。「はっきり手を出して妻の体に触れるのは、もういびきをとめる時くらいかと、信吾は思うと、底の抜けたようなあわれみを感じた」━━小説ではこうした表現が目立つが、映画の印象は、舅と嫁の2人だけが時に生き生きしている風に見えた。尤も、菊子に扮した原節子は存在感がありすぎ。どうにも新妻には見えないうらみが私には残った◆『浮雲』も小説が名高い。ただし未読の身には、双方を比較する術がない。いくら林芙美子と水木洋子という「不世出の作家2人の大作」と言われても、成瀬、高峰にとっても「生涯の代表作」と聞いても、ピンとこない。ひたすら陰々滅々。くっついては離れ、離れてはまたくっつく腐れ縁の男女の鬱陶しい映画だとしか思えなかった。主役2人の設定は、戦争中のベトナムで出会った農林省の技師・富岡兼吾とタイピスト・幸田ゆき子。出会いの地は、遠過ぎて我が想像力が飛翔する邪魔になった。しかし最終盤で富岡の新任地・屋久島でゆき子が病に伏し、結局は死に至ることとなって俄然哀れさを催す。否が応でも切なさが高まった。遠く離れた異国の地と日本の辺境の地。密林風の湿地帯という似てはいるが故郷と遠く離れた土地での出会いと別れ。くどくどしいとしか見えなかった男女の仲、人間というものの切なさが一気に爆発した。ただし、ここでも高峰秀子の役どころが最後まで違和感を伴った。彼女は私にはどうしても『二十四の瞳』の女教師のイメージが強く、崩れた女の役には合わない。つい先に観た松本清張原作の『張込み』での凶悪犯の元愛人役もハマっていなかったように思えた。映画も同じヒロインを観るにしても、いつどの順番で観るかで大きく違うという当たり前のことに改めて気づかされた◆となると、『浮草』の登場人物はピッタリだった。旅芸人一座の座長役の鴈治郎と女芸人で愛人役の京マチ子はハマってる。若き日の若尾文子や川口浩、そして杉村春子ら脇を固める役者達もいい。なお、この映画は小津安二郎のものでは珍しくカラーである。前二者が白黒だったこともあり、華やいだ雰囲気で楽しめた。小津の第二の故郷・三重県志摩郡界隈でロケ撮影(唯一この映画だけとのこと)したとあって、地元の空気感がそこはかとなく漂っていた(かに思えた)。降りしきる雨の中、路地を挟んで主役の男女2人が激しく罵倒し合う場面は迫力満点。かと思うと、路地の先で交差した道を行き交う僅かな人の姿。縦軸と横軸の行き交う構図は小津作品独特のものと思え、私的にはかつて観て印象に残る『おはよう』以来とても懐かしい。一座も厳しい経営難にあって解散に追い込まれ、身の振り方に座長以下全員が悩んだ末に何とか落ち着く。次なる地に向かう鴈治郎とマチ子の争いの果てに戻った日常性。先ゆく所に何が待ち受けているか。うち続く苦労か。それとも。家族の崩壊と蘇生、夫婦の死に別れ、職場の破綻と生き残り、と。人情絵巻が脳裏と眼底にそれぞれ浮かび沈む。我が住まいの深夜のダイニング。映画思索のひとときはひっそりと幕を閉じる。(2025-4-19 一部修正)

Leave a Comment

Filed under 未分類

Comments are closed.