【52】2人の革命児が作った異常な映像━━『犬神家の一族』を観て/1-16

 湖とおぼしき水面に逆さになった人間の両足がヌッと突き出た衝撃的な場面。顔全体を白い頭巾(マスク)風のもので覆って両眼だけが出ている男。映画のポスターを飾る幾つかのシーンが、猟奇的な殺戮を妄想させるような映画のタイトルと相まって、かつてこの映画は一世風靡した。エンタメの最高峰に位置づけられる。だが、私は映画館ではもちろんのこと、ビデオでもテレビでも観た記憶がない。今回封切りされてほぼ50年にして初めて観た。しかもリメイク版で。印象に残るのは富司純子の一貫してキッとした眼つき、顔立ち、毅然とした姿勢、物言い。そして、尾上菊之助の歩き方のかっこよさであろうか。その特徴的な佇まいから、この映画の持つ重要な鍵が仄見えたというのは面白い。尤もそう感じたのは瞬時であって、次々と展開する流れに押し流され、謎解きには役立たなかった。というのが正直なところである。ともあれ、中心人物の所作振る舞いが美しかったというのが眼に焼き付いている◆リメイク版が世に出てからでも20年近い。そんな長い間この映画を観てこなかったのは何故か。主たる理由はこの映画が登場した50年ほど前は私は駆け出しの新聞記者で忙しく、同時に、20年前は政治家としての盛りの時だったゆえ、世界一という観客動員数(当時)を誇った映画でも、観るゆとりがなかったということだろう。そんな人間でも人生の最終盤になって、ゆっくりと狭いマンションの茶の間で再放映を観る機会を得た。加えて、NHKBSテレビが有難いことに『アナザーストーリーズ 運命の分岐点』なる異色の解説番組(2015年から毎週日曜放映)でこの映画を取り上げたのである。視聴者のためを慮ってくれたに違いなく、ほぼ同時のタイミングで映画と併せて再放映してくれたのだ。これまで『金閣寺炎上』を同番組で観た時に、従来の表面的な理解を超えた捉え方を3つの側面から観せられた。このため、大いに理解を深めることができ、以来なるべくこの番組は観るようにしてきたが、今回の映画も役に立った◆今回の3視点は、映画製作者としての角川春樹、監督の市川昆、主演の金田一耕助役を演じた石坂浩二の3人による「三つの物語」が伺え、興味深かった。最初の角川春樹は常識を遥かに超えた奇抜なアイデアを次々と出した。「過去の成功譚に興味がない」「過去を振り返りたくない」「絶えず前を見てきた」と言い放つ77歳の角川は、「世の中のメジャーに自分を合わせる必要はない。自分のメジャーに世の中を合わせればいい」と思っていたと語る。エンターテイメントの革命児は「人生は〝戦い〟」との言葉で、地味な出版社だった角川書店を大きく変えた。「まず、本をヒットさせること」に狙いを定め、老作家・横溝正史に目をつけた。「怪奇的、土俗的、ミステリー」との目的に合致する作家を探した末の結果だったという。のちに横溝自身は、既に筆を折っていた自分が「再び脚光を浴びた理由」をメディアから聞かれて、逆に「教えて欲しい」と言っている。実は角川と私とほぼ同世代。改めて映像の向こうに彼の顔を見ると、かなり老化が進んでいる。そこに「人生を戦ってきた」男の風雪を感じた◆市川が20歳歳下の角川と出会った際に、「大変な現代青年がきた」と感じたという。新しいものへの好奇心が強い市川とのふたりの相性が良かったのだろう。既成の枠にとらわれない突出した2つの個性が融合した映像がこの『犬神家の一族』なのだ。市川といえば、東京オリンピックの記録映画の担当をして、アスリートたちの肉体の美しさを徹底して切り取る手法を駆使し、「人間の素晴らしさと哀しさ」を表現した。それに対して河野一郎(元副総理、東京五輪担当相)が「記録的要素が全くない。不可解だ」と文句をつけた。これがきっかけになって、日本中を二分する論争になった。「記録か、芸術か」である。この論争は私も覚えている。私は市川昆の映画は、人間の持つ肉体と精神の美の素晴らしさをふたつながらに見事に表現したものと、深い感動をした。この2人が生み出した作品の「たまもの」が石坂浩二演じる金田一耕助である。石坂についてはどうだろう。私としてはこの役回りに不満である。犬神家の女性たちの強い個性に、ともすれば消えがちに見え、中途半端な役柄に思われた。彼の持つ都会的スマートさが合わないと思ったのだ。髪の毛から落ちたフケのクローズアップ場面が2度登場するが、これほど俳優・石坂にマッチしないものはない。(敬称略 2025-1-16)

 

 

 

 

 

 

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【51】なぜ今これを観る必要があるのか━━映画『人間革命』を観て/1-5

 2025年が明けました。「去年今年(こぞことし)貫く棒の如きもの」(虚子)とはいうものの、「(自分を)少しでも変えるぞ、変えたい」って思って毎年新年を迎えてきました。私は今年で数え80歳です。自分の実感との落差に慄き(おののき)呆れる思いです。子供の頃に耳にした童謡『船頭さん』の一節「ことし60のおじいさん」が、自分的には歌詞の間違いではないかと思うのは、慶賀に値することなのかもしれません。60を前に死んだ母も、80少し前にこの世を去った父をも超えることを目標にしてきた私ですが、遂に2人を追い抜きました。よくぞここまで、という思いはあまりなく、よし次は、とかねてより背中を見てきた大先輩の「85歳の壁」を越えようと目標を立てているしだいです◆さて前置きはこの辺で辞めます。この映画は、言うまでもなく創価学会の第三代会長だった池田大作先生の同名の小説が原作です。小説そのものは、昭和40年(1965年)正月元旦に聖教新聞で連載がスタートして、平成5年(1993年)2月11日まで、実に28年間にわたって、1509回(単行本は全12巻)も書き続けられました。(続編の小説『新・人間革命』は1993年11月から2011年11月まで)私自身の入信(入会)が昭和40年の3月なので、当時の学会を取り巻く雰囲気を覚えています。みんな毎朝届く聖教新聞を貪って読んでました。当時大学に入ったばかりの私は、お経を読み題目を唱えることよりも、新聞小説の方は時間が短くて済むので気楽でした。以来、ちょうど60年もの長きにわたって信仰を続けてきたことになります。その間に体験したことの大要は回顧録ブログ(『日常的奇跡の軌跡を追って』)に書いてきましたが、実はこの「人間革命」という「4文字熟語」が月並みで恥ずかしながら「キーワード」になっています。それは私が法華経信仰を体内に取り入れることになった学生時代の4年間に、口癖のように言い続けたこの言葉を聞いて、我が母が「人間革命なんか出来るわけないやん。ほんまに出来るおもとんか」と詰った(なじった)からです。この言い回しに私は反発して信心をしてきたのです◆映画は、戸田先生が豊多摩刑務所(中野刑務所)から出獄するところから始まり、戦前の塾「日本小学館」経営に代わって、通信教育に打ち込みつつ、学会再建へと展開していきます。その合間に場面はフラッシュバックして、恩師・牧口先生との出会い、入信、創価教育學會の設立を経て、軍部・官憲の逮捕拘留へ。そして獄中の法華経読誦・唱題と呻吟・懊悩を繰り返す場面が赤裸々に描かれいくのです。丹波哲郎扮する戸田城聖の、七転八倒してまで思索に苦しみ抜く様相は、凄まじいまでの迫力で圧倒されます。最終的に悟達に至るのですが、その中身は最後の十界論講義で、「仏とは生命なり」(われ地涌の菩薩なり、とも)と明かされます。哲学的思考を掘り下げ展転する様子を、これほどまでにリアルな映像で観たのはこれが初めての人は多いに違いありません。他方、獄卒からの非情な仕打ち、調査官からの退転の強請は執拗に続きます。次々と「軍門に降っていった」獄中の同志たちの実態を聞かされるにつけ、いかに当時の創価学会組織が脆弱だったかを思い知る丹波の苦悩の表情には、深い共感を禁じ得ないのです◆50年経って今改めて観て、新たに感じる最大のものは、創価学会の「組織再建」ということの意味についてです。戦前と戦争直後、そして再建時から70数年後の今と比較するというより、実感としての日本の現状に厳しさを感じざるを得ません。かつては「戦争」という「外圧」が組織を壊滅させました。今は「安穏」という「内圧」が「組織の弱体化」そして「分断」を招いてるのかもしれません。昔の仲間が集まると、侃侃諤諤の議論の末に、「もう一度草創の原点に立つしかないね」「連続革命だからね」というのが結論のオチです。その場合に必要なのは、我々の今世では、昔のような勢いを取り戻すのは無理だから、次の世に期待するしかないとの諦めに支配されがちなことへの自省です。政治家である私ゆえ、自他の起因如何を問わず、公明党の存在を巡る議論が大いなるウエイトを占めがちです。その時に得心するのは真の「自主」「自立」とは何かという問いかけでしょうか。その掘り下げなく、ただ時流に流されただけの「愚痴の披歴」であってはならないと強く自戒します◆その他にも新旧問わぬ気付きは、宗門の堕落を誘因した元顧問弁護士や連座した元教学部長のことや、十界論の展開などあれこれと浮かびます。前者については中野区での出会いと高等部御書講義の正副担当などの忘れ得ぬ縁があります。後者については、我が折伏の貴重な持ちネタとの比較などについてです。更に、映画や原作での戸田先生の私塾での一例として、犬をめぐる自在の教授法の印象深い展開を挙げたい。ここを観て、つい先頃読んだ河合隼雄対談集『あなたが子供だったころ』での、鶴見俊輔氏(哲学者)のくだりを思い起こしました。彼は戸田先生の塾で教えて貰ったお陰で、驚異的に成績が伸び中学受験に受かったことを述べているのです。(2025-1-5)

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【50】「人種差別」と戦い抜いた〝獄中28年〟━━『マンデラ 自由への長い道』を観て/12-25

 
映画批評を去年から始めたものの、この9月で挫折した。衆院選が近づき映画を観ることが難しくなったことが主な理由である。年の瀬を迎えて、連載も49回のままで滞っており、50回目の最後の一本を書きたくて、あれこれ溜めおいたビデオを漁った。その挙句に観たのが、南アフリカのネルソン・マンデラの自伝をもとに映画化された『自由への長い道』である。アパルトヘイト(人種隔離政策)に立ち向かって約28年もの長きに渡って獄に繋がれた末に釈放され、大統領になった人物の不撓不屈の戦いを描いたものだ。かねて畏敬の念を抱いてきたが、改めてこの映画を観てその足跡の偉大さに感嘆を禁じ得ない。この映画におけるマンデラ氏の行動で最も感じ入ったのは、「復讐の連鎖」に陥らなかったことと、「妥協の誘惑」に屈しなかったことの二つである。前者は、アパルトヘイトに苦しんで、白人支配層を憎む黒人大衆の中に形成された感情が大きな塊となって、突き上げてきたし、後者は、彼と一緒に獄に繋がれた同士たちが懸念したことだった。しかし、双方共にマンデラは負けなかった◆この映画は彼の青春期に比較的大きなスペースを割いている。最初の結婚の失敗を経て、最愛の伴侶との出会いなどにとらわれていくうちに、「獄中の28年」が意外にすんなりと過ぎていったかに見えてしまうのは少々残念な気もする。さらに、自由を得てからの前述の二つの葛藤をどう乗り越えたのかに、もう少し立ち至っていれば、もっとコクのある映画になったやもしれないと思わざるを得ない。尤も、主演のイドリス・エルバの風貌に加えて演技力の巧みさは賞賛に値する。青年期から老年期へと同一人物の振る舞いを見事に演じ分けていて見応え十分である。獄中生活が1人ではなく、5人のANC(アフリカ民族会議)の幹部たちと一緒だったことも、極苦に耐えられたことに大きな役割を持ったように思われる。ただ、ここらあたりの描き方も映画はいささか物足りない。自伝を読む方がいいのかもしれないと思われてならない◆マンデラが死して(2013年12月)、もう11年が経つ。この間、南アフリカの国力は大きく発展したものの、人種差別の実態は相変わらずの側面が強い。人権の平等を求める人類の欲求は、20世紀後半に全地球的規模で高まった。21世紀はまさに劇的なかたちでこの問題に終止符をうつやに思われないでもなかった。しかし、現実はアメリカにおける人種対立の激化に見るようにむしろ逆に遠のきつつある。映画の世界でも、人種差別の非を取り上げたものは数多く、私も関心を持って追ってきた。かつて観た映画で印象深いものの一つに『アラバマ物語』があるが、この映画の原題はマネシつぐみ(モッキンバード)という名の鳥である。この鳥は、ただモノマネをするだけの優しいおとなしい性格を持つ。この鳥を黒人になぞらえて、痛めつけ傷つけたりましてや殺してはいけないとの意味合いを込めた原作であり、映画だとされてきた。しかし、私はこれに疑問を持つ。むしろ、「人種差別」という非人間的行為を「ものまね」をするかのように伝播させてしまうことの誤りを説いたもので、ものまね鳥を「殺すな」とは真逆の「殺せ」だと、理解したのである。つまり作者はそこに寓意性を込めたのに、米国社会はそれを間違って捉えたに違いない、と◆ところで、ネルソン・マンデラ氏と創価学会SGIの池田大作会長との間には生前深い交流があった。1990年と95年の2回にわたって訪日したマンデラ氏と池田先生との出会い及び交流についてはDVD『闘いこそ我が人生』での映像に詳しい。そこでの語らいは、アフリカの地で人権抑圧に身を挺して闘い続けたマンデラ氏と、全世界規模で人権闘争を展開し続けてきた池田先生との、深い信頼と尊敬の念で結びついた両巨人の魂の絆を感じさせるに十分なものだった。中でも、南アフリカからの留学生受け入れを申し出られた池田先生と、それに深い感謝と喜びを示すマンデラ氏らの場面は圧巻だった。この映画『自由への長い道』を観るにつけて、そういう過去からの現在只今に至る継続に関心を持たざるを得ない。南アフリカの指導者たちと創価大学のリーダーが池田先生とマンデラ氏との約束に関心を失っていないことを強く望むばかりである。(2024-12-25)

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【49】暑い9月の夜にこんな映画を観た━━『ハドソン川の奇跡』『小さな巨人』『アラスカ魂』/9-29

 『ハドソン川の奇跡』は本当に感動した。大谷翔平の「50本塁打50盗塁」達成の時にも個人の力の凄さに呆れ果てる思いだったが、2度目観たこの映画には心底から震えた。空港を飛び立ってほんの少し経ったときに、鳥の衝突が原因で飛行不能の状態にとなった。急遽空港に舞い戻るか、どこかに緊急避難的着陸するしかないという事態に追い込まれ、機長は視界に横たわるハドソン川に不時着することを決断する。僅か35秒の間の判断だった。この奇跡の場面が冒頭に映し出され、全員が無事に救助されたことを喜び、機長は英雄だと讃えられる。だが、その直後に、事故調査委員会が原因究明の調査で、川に不時着する選択よりも、空港に降りる方が、よりマシな選択だったとの仮説の元に、シュミレーション結果を提示してくるのだ。この時に、機長と副機長が人間の瞬時の判断の隙間とでも言うべきものの有り様を主張する。この場面は圧巻だった。人間は機械ではなく、35秒の余分の時間がかかったことを計算に入れないことの盲点を突いた◆実際にあった話を映像で再現され、有事の際の沈着冷静なリーダーとその支え役のコンビの呼吸の重要性を思い知った。乗客たちの中から、突然身に迫った恐怖より起こる不満や不平が一切なかったことに救われる思いがした。川に突入してから、皆、あまた乱れつつも、誘導に当たる機長、副機長、CAたちに従う姿は爽やかだった。機長が川への不時着を選択するとの余計なことをしたために、不利益を被ったとの「事故調」の仮説と、それを打ち破る機長。副機長の反論証明がこの映画のもう一つの肝だった。「相互信頼」という人間関係の持つ基本的美徳が眩しいほど輝くラストシーンに込み上げるものがあった。白い顎髭を豊かに蓄えたトム・ハンクスと常に毅然と主役を守るアーロン・エッカートの2人は、この映画を観た者の記憶に長く残るに違いない◆ダスティン・ホフマンの『小さな巨人』は、米国における先住民族と白人の屈折した関係を、執拗に描いて印象深い。ひとたび囚われて「あちらの世界」の人間になったと思いきや、ドラマチックな運命の悪戯で「こちら側」に戻ってくる、またそこに〝過酷ないくさ〟が悪さをして二転、三転して更にあちらに戻って、また、という風に繰り返される。身長165センチという小柄なホフマンは、30歳の時に『卒業』でデビューし、33歳の時のこの『小さな巨人』でその地位を不動のものにした。その間に『真夜中のカーボーイ』があり、その後に『わらの犬』、『パピヨン』と、若き日に私が観た作品が続く。1976年の『大統領の陰謀』は新聞記者という職業への〝我がこだわり〟を決定的にしたことが懐かしい。31歳だった。私より8歳上のホフマンは、今や87歳とか。この映画でシャボンだらけのバスタブに入ったままで、妖艶な牧師の妻フェイ・ダナウエイに全身くまなく洗われるシーンが妙に記憶に残る◆もう一本。ジョン・ウエイン『アラスカ魂』も。1939年に『駅馬車』でデビューした、西部劇そのものの名優は、日本の時代劇の名スター・三船敏郎とダブル。監督・ジョン・フォードと黒澤明とのコンビとも重なって、明らかに戦後世代の若者の魂を形成する役割を果たした。この米日2組の監督と俳優の関係は、共にほぼ10歳づつ離れている(米チームが歳上)というのも面白い。いわゆる世の中の師弟関係は「10年離れ」を持って基本とする、との漠然たる我が思い込みの一つの傍証でもある。『アラスカ魂』はゴールドラッシュに沸くアラスカを舞台に、一攫千金を狙う男たちとそれに絡む美女を描いた物語だが、北の「アラスカ」が西部劇と結びつかず、この度初めて観た。全編カラッとしたユーモアに溢れていて楽しい。とりわけ「木登り競争」の場面が。不思議だった。昨今の猛烈極まるアクション映画を見慣れた目からすると、ほのぼのとしたシーンは、コッテリした肉料理のあとのお茶漬けみたいで、味わい深かった。(2024-9-29)

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【48】氷塊をも溶かすヒトの愛おしさ━━映画『極北のナヌーク』を観て/9-3

 標題の映画を観たのは、放送大学の「231オーディトリアム」(BSテレビの231ch)で放映されたものによる。映画の前後に講師による解説がつけられて、見どころ、抑えどころが語られる。タイトルは「〜米仏映画黄金期への招待〜」。米映画は放送大学教授の宮本陽一郎氏、仏映画は同・野崎歓氏が担当。私は既に20本ほど観てきており、様々な意味で勉強になり、今や我が映画鑑賞の上での欠かせぬ手ほどきの映像となっている。このことをこのコーナーで紹介するのは初めてだが、興味を持たれた向きはぜひこの番組をご覧になることをおすすめしたい◆さて、今回の1922年に作られた映画『極北のナヌーク』(「ほんとうの極北の生活と愛の物語」)はいわゆるドキュメンタリー映画(これはサイレント映画)というジャンルに仕分けされた史上最初のもの。フィクションではなく、現実に極北の地━━カナダの再北部の零下30度といった極寒の地で生活するイヌイットと言われる民族の生活ぶりを、克明に描いたものとして極めて得難く、見応えのある映像となっている。この映像をこの世に送り出した監督のロバート・フラハティ氏は、ひとたびは映像フィルムを焼失する事故に合いながら再度挑戦したというが、現地で生活を共にしたというだけあって、出来栄えは見事というほかない。約百年前の作品で、文化人類学的見地からも高く評価されている。今回放送大学の講義では、極北人類学が専門の大村敬一教授が宮本講師の対談者として登場、ご自身も1989年に同地域を30日間訪れて、映画で紹介されているものと、ほぼ似た体験をしたことが語られていて実に興味深かった◆この映画のタイトルを日本人は『極北の怪異』とつけたようだが、いささか率直に過ぎよう。登場する主人公の本名は夫がアラカリアラック(妻はアンヌ)だが「ナヌーク」と別称されている。子どもたち3人を含め、いわゆる地域住民が一体となった生活の様子が事実と虚構がないまぜになって作られている。それは、いわゆる〝やらせ〟ではなく、当事者と観察者=撮影者とが一体となって、意志を通いあわせながら、より後代の視聴者に分かりやすいように作られている。フィクションではなく、限度ギリギリの「ナチュラル・フィクション」とでもいえようか。放送大学の講義&対談でも、そのあたりについて後年に批判の対象になったようなことに触れられていたが、私自身は見ていて全く違和感はなく、人類史上で最も今現在に近い歴史上の特異な民族の生態を極めて素直に興味深く観ることが出来て、大いに充足感を抱いている◆哺乳類で氷塊下に生息するセイウチが息をするために自ら開けているごく小さな穴を見つけて、ナヌークがそこに銛を突っ込む瞬間と、その後の格闘(引き揚げようとする力と、苦しみながらあらがう力の壮絶な氷海面と氷海下の力比べ)は圧巻である。そして獲得した獲物をその場で腑分けしつつ、肉片を食べる口もとや表情はまさに「怪異」というべきかもしれない。2人の学者はそれを「野蛮」と表現していたが、私はむしろ「素朴」と言いたい。一見変哲もないカヌーの中(底部)から岸に着いて4-5人の大人や子どもが次々と現れる場面、氷で住まいを丹念にかつ念入りに造る場面(1時間ほど)や、交易所で物々交換している場所で、〝音の缶詰〟としての蓄音機を眺め回してレコード版を齧ってみせるくだりなど印象的なシーンがふんだんに出てくる。そして、毛皮をまとった母親の背中から素っ裸の幼児が転がるように出てきて、抱き上げられるところでは思わず感歎の声を上げるほどの温かさを感じた。この氷に囲まれた中の空間で男と女の裸の交流の姿を思わず想像してしまうが、それはさすがにないだろう。サブタイトルに、ライフ(生活)とラブ(愛)の2文字が入っているが、ヒトという存在の温かさと愛おしさとを心底から感じた。(2024-9-3)

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【47】この夏、私はこんな映画を観ました━━『アゲイン』『舞妓はレディ』『素晴らしき哉、人生!』/8-20

 夏の高校野球も大詰め。今年は甲子園球場が出来て百年ということもあり、106回めの高校野球が大いに盛り上がった。実は私は小学校高学年の頃から春夏の高校野球の観戦にスコアブック持参でほぼ毎年観に行ったものだ。父親が仕事先の関係から全日程の入場券を毎年貰ってきていたので、夏休みに基本的にはひとりで幾たびも観に行った。あの早稲田実業の王貞治も、新宮高校の前岡勤也(旧姓でその後、井崎姓)も、浪商の坂崎一彦もみんな甲子園で、目の前で観た。氷水の入った「かち割り」をストローでチュウちゅうと吸いながら。あの単純素朴な水の美味かったことがいまでも忘れられない。全国の高校球児が甲子園を目指して涙ぐましい闘いを繰り返していることはよく知られているが、その3年間に様々のドラマが生まれていることは殆ど知らない。作家の重松清が描いた原作を映画化した『アゲイン━━28年目の甲子園』を観て、単純に涙を流し、感動した。このケースは、不祥事が元で大会に出られなくなった球児たちの無念の思いが今再び曝け出された後に、誤解が劇的に溶けてハッピーエンドになるというもの。初老になったかつての青年たちの「家族の破綻」に、観ている後期高齢者の胸が疼く。野球に「アゲイン」はあっても、帰らざる人生に「アゲイン」のないことが切ない◆京都、大阪、神戸の京阪神「三都物語」は、それぞれのお国自慢が絡み合って面白い。「歴史と文化」の観点からすると、「京」に〝艶やかさ〟の点で、「阪・神」は後れを取らざるを得ない。今、NHK 大河ドラマで毎週放映される『光る君へ』は30回を超えて、いよいよ『源氏物語』の誕生背景があらわになってきた。宮中奥深くの女御たちの美しい着物姿に、毎週目が釘付けになっている皆さんは少なくないと思われる。映画『舞妓はレディ』は、周防正行監督の手になるミュージカルだが、京における舞妓さんの「誕生と日常」が分かってとても楽しい映画である。とりわけ京言葉の習得過程や踊りの稽古風景など興味深い。実は私は議員在職中は、京都・祇園とは無縁で、仕事や観光で彼の地に行くことがあっても、せいぜい「哲学の道」を散策するぐらいであった。それが引退してよりこの方、東京と神戸に住む2人の後輩の圧倒的な〝祇園好き〟に連れられて、幾たびか祇園に足を運ぶことなった。先般も、元公明党番記者で今は京都のある大学の教授になっている友人共々、京都の〝祇園の夜〟を学んだ。京都の「歴史と文化と伝統」を目の当たりにしたのだが、この映画はその「手引き書」ともなる◆私は1945年昭和20年生まれだが、その年はいうまでもなく先の大戦が終了した年。今年で79年が経った。戦争直後に日本が戦って敗れた国・アメリカがこんな映画を作っていたのか、と深い思いに浸ったのが米映画『素晴らしき哉、人生!』(1946年公開)である。実はこのシネマブログの第一回目には、同じ年に作られた『我が人生最良の年』を取り上げたものだ。これは文字通り、戦争が終わって復員してきた〝米兵たちの戦後〟を描いたものだった。一方、前者の方は、戦争に行かなかった(耳の障害が原因で)銃後の青年の、まさに夢の物語。アメリカンドリームの原型ともいえる。両映画に共通しているのは長かった戦争が勝利に終わった、高揚感とでもいうべきものが漂っていることであろう。国破れて山河ありで、焼け野が原のなか、必至に生活再建に取り組んでいた、日本人との天地雲泥とも言うべき違いが分かって感慨無量である。冒頭の、天上世界の天使と天使見習いとの設定が面白い。地上の不幸な人のもとに降り立って、その人を幸せにする試みを請け負って、成功すれば「翼」が貰えるという仕掛けから始まる。最終的に見事なオチがついての大団円。降りしきる雪のもとでのクリスマスイブのお話とあって、今ではアメリカ社会の年末定番のホームコメディともなっているとのこと。こんな映画が私の一歳くらいに出来ていたとは!未だ観ていない人にはお勧めだ。(2024-8-20)

 

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【46】滴り落ちる汗に共感━━松本清張原作/野村芳太郎監督『張込み』を観て/8-7

 東京発鹿児島行き夜行列車に横浜駅から2人の刑事が飛び乗るシーンから、この映画は始まる。時は真夏。この2人の九州・佐賀駅までの車中の様子が凄い。満席で途中まで通路の床に座ったまま。1958年公開のものだから、エアコンなどなし。天井の扇風機も効き目なく、せいぜい窓からの風が頼り。盛夏の今、見てるこっちもただひたすら暑い。この後、2人は東京での殺人事件の犯人の立ち寄り先として、目星をつけた元愛人宅のそばの旅館の2階に張り込む。冒頭からエンディングまでひたすら汗をかきかき、隣の家の庭先から居間を覗き見し続けること約一週間。お目当ての女性(後妻に入って3児の母)に、郵便物が来るか、人伝てでも犯人からの誘い出しが来ないかどうか、朝から晩までじっと見張り続ける。日々の買い物は勿論、出かける風を感じると、直ちに尾行をするといった具合。かのヒチコックの映画『裏窓』を連想するものの、あちらはアパートの窓から見える複数の部屋の光景を双眼鏡で覗くのに比し、こっちは一軒の変化を追うだけ◆周知のようにこの映画は松本清張の同名のタイトルの短編小説が原作である。小説の方は、文庫本でわずか27頁に過ぎない。佐賀での張込みに従事するのは若い刑事だけ。先輩格の刑事は犯人の本籍の方に回るため、単独行動である。映画の方が圧倒的に獲物を狙う警察力の執念を感じさせて迫力がある。様々な小説や映画で張込みの場面が挿入されているが、このそのものズバリのタイトルで登場する映画での張込みは、当然ながらリアル感が漂っている。よくあるパターンは、目的の人物が出てくる住まいの前で、車の中から監視し続けるというものが大半だが、ここでは真ん前の旅館から隣家を見守り、外出のたびに尾行する。小説では全くない臨場感が、映画ではきっちりと描かれる◆その人妻を演じるのが高峰秀子。犯人役が田村高広。この2人のイメージはどう見ても「静」そのもの。田村はおよそ殺人を犯した人物のイメージとはほど遠い。結核を病んでるというのはさもありなんと思うのだが。高峰の方は、ここでは犯罪そのものとは無縁の役柄なのだが、清張の原作で描かれた犯人の元恋人で今は3人の子持ちの人妻に後妻で入っている雰囲気はよく出ているといえよう。映画では、汗まみれになって、張込み、尾行し続ける若い刑事が次第に、彼女の生活(吝嗇な夫にひたすら支える姿)ぶりに、しだいに同情の念をいだくという感情移入がなされるくだりが出てくるが、観客でさえもそんな思いになっていく。このあたり高峰の演技力が傑出しているかに思われる◆ただ最後の、山あいの温泉宿にたどり着くまでの、2人の逢引きの場面はいかにもとってつけたかのような感が否めない。聞こえない距離の2人の会話は、いかにも不自然におもわれる。一方、小説では、池のそばの堤の上に座っていた2人を発見した大木扮する柚木刑事についての短い描写が、想像力を掻き立てる。柚木の視線の先にある2人を、清張はこう描く。「男の膝の上に、女は身を投げていた。男は女の上に何度も顔をかぶせた。女の笑う声が聞こえた。女が男のくびを両手で抱え込んだ。柚木はさだ子に火がついたことを知った。あの疲れたような、情熱を感じさせなかった女が燃えているのだった」━━後に清張は、この映画を観て、原作よりもよく出来ていると賞賛したというが、私もそう思う。小説はあまりにも素っ気ないし、短かすぎる。この映画の脚本はかの橋本忍、監督はあの『砂の器』の野村芳太郎だが、なるほど、と思わせられた。(2024-8-7)

 

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【45】遙かなる山にこだまする〝あの少年〟の声━━『シェーン』を観て/7-27

 米国の西部劇を子どもの頃にいっぱい観て育った日本人は、年老いて北海道を舞台にしたドラマを好むように思われる。倉本聡の『北の国から』などその最たるものだが、今回取り上げる『シェーン』は、ご存知、高倉健主演の『遙かなる山の呼び声』をそのリメイク版とする。西部劇に対して「北部劇」と呼んでみたくなる。西部劇を成り立たせる要素は、場所としての、雄大な風景、牧場、酒場、留置場。衣装としてのテンガロン・ハット、スカーフ、ガンベルト。小道具としての拳銃やライフル、投げ縄。登場人物としてのカウボーイ、ガンマン、保安官、酒場の女。そして物語の形式としての、放浪、追跡、捜索、決闘、恋愛といったものが欠かせない。これはある英文学者の見立てだが、北部劇はどうだろうか。西に対して、北とは、私の拙い思いつきだから、素っ頓狂に聞こえるかもしれない。しかし、これからそれなりに流行するのではないか、と私は睨む◆さて、『シェーン』である。この映画は、ひとりのガンマン(シェーン)が、農夫のジョー・スターレットとマリアンの夫婦2人に7〜8歳の少年という3人家族の前にぶらり現れるところから始まる。理不尽な荒くれ牧童たち(ライカー一家)と、真面目で律儀な農夫たち(スターレットが中核)の土地をめぐる争いにシェーンが巻き込まれることになる。おもての見どころは、リアルで壮絶な殴り合い。酒場に居合わせた男たちとシェーンの多勢に無勢の喧嘩のシーン。次いで、シェーンとジョーの1対1による、どっちが悪漢たちに立ち向かうのかをめぐる、奇妙なぶつかり合い(ジョーが打ち負かされる)。そして最後のシェーンと2丁拳銃の殺し屋を軸にした1対数人の室内での銃による撃ち合いである。いずれもその迫力に息を呑む。最後の拳銃による殺し合いの場面は少年ジョーイが愛犬と共に一部始終を目撃している。敵の動きを察知して声を上げてシェーンに知らせ、危機一髪で救う名場面は忘れ難い◆一方、内面的な見どころは、家庭内における「幸福」をめぐる夫婦の価値観の違いという側面であろうか。ライカーたちから話し合おうとの名目で誘き出され、罠に嵌められようとした際に、命懸けで立ち向かおうとするジョー。ぎりぎりの選択が迫られる中での夫婦の会話が胸を打つ。家庭の安寧を求めてこの場所を去ってでも「生きよう、命を大事にせねば」というマリアン。それに対して、ここで逃げては夫して父としての面子が立たないと、死をも覚悟して挑もうとする夫。しかも、万が一の場合はシェーンに後は託すとの言葉まで発するのだ。この究極の選択が絡んだ場面は切なく愛おしい。公開後ほぼ70年が経った今なお、この映画が人々のこころをとらえて離さないのは、なんと言っても最後の最後にジョーイ少年が「シェーン!カムバック」と叫ぶシーンに違いない。よく耳をこらすと、父さんも母さんも戻ってくれて一緒に暮らすことをのぞんでいるってセリフがついている◆ジョーイ少年は、父と母の、とりわけ父の思い詰めた決断の底部を知らずに、「帰ってきて〜!」と叫んだ。英雄に憧れる少年のひたすら純粋なこころの表れだ。だが、仮に戻ってきたら、どうなったか。外なる敵は始末できて地域社会的には平和になっても、家庭内には恐らく三角関係が行き着くところ、破綻しかない。内なる敵の出現で地獄になること請け合いだ。野暮なる想像をしてしまったが、そういう邪推とは大きく離れて、映画をジョーイ少年と同じ目線、立ち位置で観てきた映画鑑賞者は、純粋に少年に同化してしまう思いは抑え難い。両目の座り加減が面白く印象的な子役で、役柄にピッタリだった。この少年役を演じたブランドン・デ・ワイルドがその後どうなっていったのか。実生活で子役から大人の俳優になっていく経緯を追ってみたくなるのは人情に違いない。しかし、残念なことに、彼はそれなりの活躍はしたものの、若くして交通事故で死んだという。(2024-7-27)

 

 

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【44】父から子へ流れる悠久の歴史━━中国映画『山の郵便配達』を観て/7-21

 1980年代初めの中国・湖南省西部の山岳地帯がこの映画の舞台である。冒頭の10分足らずに物語の全体像が凝縮されている。郵便配達業務に生きてきた父親(この当時41歳)が足の痛みもあり、息子へのバトンタッチを願う。息子は普通の仕事とは違う公務員になることに誇りを持ち、地元での仕事に就いてくれればとの母親の思いを振り切って、意を結する。父から子へと受け継がれる郵便配達の仕事は、往復223キロの距離を2泊3日で歩く。山あり谷あり、野を越え川を渡っての苦難の業務である。車も自転車のお世話にもならない。ひたすら歩く。これまで父は「次男坊」という愛称を持つ愛犬と一緒に回り続けた。郵便物をリュックに詰めて、息子のデビューの出発の時間がきても、犬は父親のそばを離れようとしない。長年の習性から抜けきれない。父がいくら行けと言っても動かない。痺れを切らした息子は一人で発つ。仕方なく父も一緒に行くことにし、2人と一匹の最初で最後の〝集配行〟が始まった。繋がり薄く、父を「父さん」と呼べない息子に、2人の間の微妙な距離感が陰を落とす◆美しい山の稜線はどこまでも青々生き生きと続く。カメラは遠くから2人の姿に近づき、また近くから遠くへと離れつつ、そのアングルはゆっくりとやさしげに追いゆく。映し出される映像は日本の山岳地帯の農村風景とスケールの違いはあれど大差はない。そしてそこを歩き行く父と子の心象風景も、同じ人間の枠組みから大きく逸脱するものではない。不思議なくらいに。行く先々で新米配達員の息子の感動を誘う場面と出くわす。勿論一緒に動く我々の眼にとっても同じだ。驚く場面は2つ。一つ目は、最初の村で。配達すべき郵便の受け渡しを終えて次に行こうと役場を出たところ、集まってくれた数十人の村人たちと出くわす。みんなこぼれんばかりの笑顔。初めての出会い。郵便物を介在する関係がどんなに深いものかを一瞬にして悟る。「うちの息子です。これからは彼が来ます。何かあれば頼んでください」━━若者を覗き込むように見る子供たち、爺さん婆さんら村人たちに父が誇らしげに紹介する。もう一つは、目が不自由なお婆さんのところに立ち寄った際のこと。この老婆は、遠く離れた孫からの手紙をいつも待っている。ひたすらに。待ってるだけが生きがいと言ってもいい。この時も封筒を開けると手紙とともに十圓紙幣が一枚入ってた。配達員と息子が型通りの短い手紙を読んで聞かせる。時にはお婆さんの代わりに手紙も書く。これだけのことだが、深い感動を呼ばずにおかない。別れる時の寂しそうな表情にこちらまで泣きたくなる◆川を渡る場面。息子が父をおぶって渡る。その昔、息子が幼児の頃、肩車したことを思い起こす。あれから20年ほど。逆に息子の背に乗せてもらう父は涙ぐむ。ゆっくりと流れるこんな時間の中で、2つほど胸騒ぐシーンがあった。一つは、親子が疲れて涼を取ろうと休もうとする場面。つい郵便袋を明けた際に、一陣の風が吹いて郵便物の数枚が風に飛ばされてしまう。あわや飛び去ってしまうかという危機一髪の際に「次男坊」が空中で飛びつき、郵便物を口に咥える。ここは最高に緊張した。犬も人間も一体なることを感じさせた。一方、高い崖をよじのぼらねばならず、近くに住む青年が上から綱を投げてくれ、それを頼りに下から父と息子が上がっていく。崖上で合流した際の何げない会話。青年が学校を出たら「新聞記者になりたい」と夢を語った。瞬時、私の胸が騒いだ。新時代に世の時流に乗ろうとする者と、伝統的な仕事に残る者との対比。ここは、突然に我が家の過去を思い起こさせた。銀行員だった父は私に地元に残って同じ仕事をさせたかった。一方私は、東京での「新聞記者」に憧れた◆親子の仕事をめぐる価値観の違い。地方と中央。伝統的な親子、時代、地域の差異が重なりあって、中国の映画どころか、我が身のことのように思えた。先に疲れて寝る息子を見やりながら、道中で「お父さん」と初めて息子から呼ばれた感激も手伝って、やがて添い寝する父親。私の場合、初めて帰郷した際に、母親が泣いて抱きついてきた。寒かろうと枕元に衝立風のものを立ててくれた。また、上京する際に、両親が揃って仕立て屋に足を運び、父の古いオーバーコートを仕立て直してくれたことも忘れられない。〝田舎の新聞記者志望の青年〟というだけで、こんなことが重なり浮かんで、ゆっくり映画も楽しめない。もう終末に近い年齢のくせに、親にして貰った子の立場のことしか思い出せない。改めて時空を超えた日中(漢)両民族の類似性に思いを馳せざるを得ないのではあるが。(2024-7-21)

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【43】銃と愛しのクレメンタインと「雪山讃歌」━━『荒野の決闘』を観て/7-14

 トランプ前米大統領が演説中に狙撃され、それこそ間一髪で死を免れた事件は世界中を驚かせた。多くのことを考えさせられたが、私は米映画『タクシードライバー』で、大統領候補を狙おうとした主人公(ロバート・デ・ニーロ)が警備に阻まれて断念した場面を思い出した。今回は警察が直前に気がつきながら、逆に威嚇されて引き下がっていたとか。真相は未だ詳らかでないが、警備に抜け穴があったことに気づく。この国はリンカーン、ケネディ、レーガンらを始め数多くの大統領暗殺の歴史を持つ。それもこれも市民社会の中で銃を持つことが自由であることがベースにあることが大きいものと思われる。西部劇を観ていて、つくづく銃をぶっ放すことが日常茶飯事であるこの国の伝統に思いを致さざるをえないのである◆最近改めて観る機会があった『荒野の決闘』も酒場で拳銃を抜き、弾丸が飛び交う場面が多いことに呆れるくらいだった。西部劇といえば、砂塵吹き荒れる荒野の中の町の酒場が主たる舞台で、賭け事に興じる荒くれ男とそれにまつわる妖艶な女といったところが、登場人物の通り相場と決まっているが、この映画はやや趣を異にする。まずこの映画は西部地域で有名な伝説がベースにある。保安官のワイアット・アープと賭博師にして医者のドク・ホリデイという実在の人物2人が基軸をなし、それにチワワという酒場の歌い手の看板娘とクレメンタインという名の美女2人が絡む。ホリデイは自分を慕って東部の町から来たクレメンタインを追い返そうとする。一方、アープはクレメンタインに一目惚れする。こういった男女4人の恋愛感情をもつれさせながら、アープ4兄弟とクラントン親子4人との因縁沙汰によるOK牧場での決闘へと話は進む◆この映画はジョン・フォード監督が1946年に作ったもので、ヘンリーフォンダとの組み合わせでは前作『怒りの葡萄』に並ぶ名作とされる。さらに、ジョン・ウエインと組んだ西部劇の古典的名作『駅馬車』に匹敵する高い位置を得ている。また、邦題『荒野の決闘』は、場所がOK CORRAL(牧場)であったことから、米国では、「OK牧場の決闘」と呼ばれ、映画そのものの原題は『MY DARLING CLEMENTINE.  いとしのクレメンタイン』と呼ばれる。実はこのタイトルは、もとを正せば、19世紀後半の米国におけるフォークバラード。この映画の主題歌として一躍世界中に知れ渡ったとされる。日本では雪山ソング『雪山讃歌』の原曲(替え歌の原曲)として知られている。私のような戦後第一世代は、原曲も耳にして歌い、替え歌の方もあの山、この川を前に歌ってきたものである。その意味では、「青春讃歌」そのものだった◆という、特別な付加価値を持った映画だが、根幹部分はいささか〝伝説先行〟のあまり表現不足が目立つ。例えば、ドク・ホリデイとクレメンタインの関係がもう一つ分かりづらいし、彼の病的咳込み(肺結核)が説明不十分のままに終わっていることなど、未消化は否めない気がする。映画製作者が完成した作品に不満で30分ほどカットして追加撮影されたことなどのエピソードが伝わっているのも、確かに、と思わせる。むしろこの映画は一般に言われているメロドラマ的要素よりも喜劇的ムードの方が強いと私は思う。例えば、ワイアット・アープ役のフォンダが、最初にこの町トゥームストーンにやってきた時に入った理髪店での椅子の具合の悪さ(ひっくり返る)や、髭剃り途中で顔にフォームを塗ったままの連続シーン(暴漢への対応)など、笑いを誘う。のちに、保安官になってからも理髪店でのやりとりは、専ら恋の相手を意識させる。小道具としての男性用香水が粋な役割を果たす。そして極め付けは、クレメンタインとのダンスの場面でのアープの足の揚げ方が妙に面白い。そういう意味では、酒場で銃を撃つばかりのイケメン・ホリデイが洒落男・アープの方を引き立てているかのようにも思える。『荒野の決闘』から「トランプとバイデンの対決」まで、「銃社会・アメリカ」の原風景は延々と続く。(2024-7-17)

 

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