【24】嫌われ者の「地獄の選択」━━『ウインストン・チャーチル/ヒトラーから世界を救った男』を観て/2-20

 先の大戦で、英国は、ヒトラー・ドイツの怒涛の侵略を前に、「平和交渉」という名の降伏か、大いなる犠牲も厭わぬ「徹底抗戦」をするかの「地獄の選択」を迫られた。時の首相には、話し合いによる宥和の道を進もうとしたネヴィル・チェンバレンに代わって、ウインストン・チャーチルがついた。そこから映画は始まる。チャーチルは時に65歳。波瀾万丈の経歴の持ち主で、その人柄は国王でさえ、敬遠するほどのコワモテ。いわば嫌われ者であった。挙国一致内閣を組閣し、チャーチルは自分に反対する有力者をもそばにおいた。究極の危機を前に、国家の行く末を案じるトップたちが膝詰めで議論する場面や、いざという時に人の心を捉えて離さぬ巧みな演説力など、政治に関心を持つものにとって魅惑的な興味深い場面が相次ぐ◆首相のスピーチ原稿などをタイプライターで打つ女性秘書や、糟糠の老妻などの脇役も光るものの、ストーリーはチャーチルの独壇場。時に怒り飛ばし、詰り、我が道を行く。葉巻タバコを片時も離さず、昼夜に違わずアルコールを口にする。時には朝からも。実際のチャーチルはこの通りだったのだろうが、よくぞ身体が持ち、判断に誤りをもたらすことがなかったのかと感心するのみ。要らぬ心配さえしてしまう。映画を観ていて、かつての鉄の女・サッチャー首相を思い起こした。男女の違いはあれ、危機に強い宰相の側面は酷似しており、面白い。そして、〝そっくりさん〟とはいわぬまでも、よく似た風貌の首相役(ゲイリー・オールドマン)を作り上げた特殊メイクを担当したのは日本人の辻一弘氏。数々の賞を取って話題になったが、当の俳優の演技力の巧さだろう◆戦争映画でありながら、一切戦闘場面は出てこず、首相の決断にいたる背景の描写のみ。この映画の圧巻は、国王から市民の本当の意見を聴くべきだと言われて、初めて地下鉄に乗って乗客との即席対話をするシーン。ナチス・ドイツの侵略の脅威を前に降伏してもいいのか、それとも犠牲を厭わず徹底して抗戦するのがいいのかとの率直に問いかけるところは胸に迫る。降伏を拒否する子どもに至るまでの皆の声「ネバー」が相次ぐ場面だ。その後、閣僚たちに、一人ひとりの市民の名を挙げて、世論の現状を伝えるところは、いささか芝居がかっているとは思えるものの、率直な大衆の声を聞く姿勢と見えて好感が持てる◆先の大戦では、日本は独伊と共に枢軸国側に立って侵略国家の側にあった。欧米連合国の柱だった英国とは真逆の立場のため、比較に意味はない。しかし、沖縄戦も敗色が色濃く、本土決戦をするかどうかのあの〝究極の選択〟を前にしての、政権の中枢と天皇の判断の姿が頭をよぎる。英独の間にはドーバー海峡が、日本と大陸との間には東に太平洋、西に東シナ海や日本海などの存在がある点で、共に海洋国の優位さがないわけではなかった。あの大戦の終結から80年足らず、日英の境遇はなんとなく似てきた。英国はかつての覇権国家の地位を米国に譲り、GDP順位も5位に甘んじるようになって久しい。チャーチル、サッチャーに比せられるリーダーとは無縁で、国際舞台では米国の脇役が定番。一方、日本も米に迫る勢いだった中曽根康弘首相時代(1982-87)をピークに、今では昔日の面影なき斜陽ぶりで、4位に沈む。「対米追従」がはまり役である。チャーチルの英姿の背後に、沈む日英両国が垣間見えたというのは、僻みすぎか。(2024-2-20)

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【23】漲るフランスの逆説風反骨精神━マルセル・カルネ監督『天井桟敷の人びと』を観て/2-13

 世界でも屈指の恋愛映画をみたのか。それとも、歴史上類い稀なレジスタンス映画をみていたのか。いずれにせよ、フランス映画『天井桟敷の人びと』(マルセル・カルネ監督)は、とてつもなく魅力に溢れた名作であることは間違いない。若かき日には、主演の女優と男優のインパクトの弱さ(双方共に私の主観ではあまり顔かたちが美形ではない)が気になった。それに比べて脇役の男たち(女たらしの俳優、泥棒詩人、大富豪の伯爵、乞食まがいの変な男)の強烈な個性溢れる存在感が印象に残った。前編(「犯罪大通り」)と後編(「白い男」)の主演女優の大人の女の魅力に紛らわされた(のかもしれない)。一方、年を経て今再びみると(正確にいうと、解説付きで)、がらり雰囲気が変わってきて、一筋縄で捉えられないフランスという国と人びとの凄みが伝わってくる◆そう、この映画の一般的なみかたをここで繰り返してもあまり意味がない。ここではレジスタンス映画(ではないか)との観点からのアプローチをこころみたい。全てのポイントは、この映画が実際に作れらたのが、ナチスドイツにフランスが占領されていた1942-1944年ぐらいのことだったという点であろう。日本も主たる戦争相手(米国)に占領されたが、それは戦争が終わってからのこと(1945-52)だった。フランスは、ヨーロッパ全体が戦争で疲弊し未だ続いていたさなかの占領だった。ただし、映画の時代設定は、1820年頃、19世紀前半。フランス革命からほぼ30年後。日本でいえば、明治維新前50年くらいの江戸時代後期にあたる。ともあれ、注目せねばならないのはナチスの占領下に作られたということだ◆映画のファーストシーンは、芝居小屋で賑わうパリの大通り。エンディングはカーニバル(ここでは謝肉祭)の風景──幕開けと幕が降りる舞台を見上げ、見下ろす観客を捉えきって、映画は終始する。舞台の真下の席や左右の特別観覧席、はるか後方最上階の天井桟敷とを対比させつつ。繰り返すが、公開された時は戦争終結前だった──庶民の活気に満ち溢れたシーンで始まり、お祭りの騒ぎの中で終わる。これは凄い。暗い気分など吹っ飛ばす勢いに感嘆する。「自由・平等・博愛」の気分が横溢していた「革命後」から、ナチスの傀儡ヴィシー政権下のフランスへ。この映画の前編では落ち目だが自由奔放な女芸人のガランスが、後編では富豪の囲い女として、財産はあれども、不自由極まりない女に変わった姿で登場する。この一身の変化はフランス国家の変貌ぶり(表面でなく本質的に)と重なると見られるのかもしれない。恋する男との変わらぬ愛と、そして変わってしまった生活。フランスという国が、そこに住む人びとが、あらゆる意味で個性豊かであり、反骨精神に満ちた逆説を駆使する存在だと知った(そういう見方を提示された)者として、この映画を素直に恋愛映画だとみることはできなくなる◆確かに、洒落た名セリフ「恋するものにパリは狭すぎる」「貧乏人から自由な愛まで奪うの」などや巧みな小技が満載、随所に挿入されていた。極めつけは、主役の女優の名前が「ガランス」だということか(もしれない)。これは「フランス」とほぼ発音が類似している。エンディングで主人公のバチストが「ガランス!ガランス!」と何度も叫ぶにつけて、「フランス!フランス!」と祖国の名を叫んでいるように聞こえる。という、フランス文学者の野崎歓(東大名誉教授)の着眼が鮮やかに光る。熟達の士の「映画解説」を知って、まるで自分は違う映像を見ていたかのように感じてしまう。我が身の鑑識眼の拙さに哀れが募る。いや、「手品師の種明かし」を知ってしまった〝禁断のお得感〟に身が震えてくる。(2024-2-14)

 

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【22】西部劇の真骨頂に痺れる一方で懸念も━━フォード監督『駅馬車』を観て/2-2

 アパッチ族の襲撃を受けて危機一髪という場面で、遠くから聞こえてくる騎兵隊のラッパ。お決まりの西部劇のシーンだが、私もかつて子どもの頃に何度も興奮して胸ときめかしたものだ。映画『駅馬車』(1939年製作)はその典型に違いない。ジョン・フォードが監督で、ジョン・ウエインが登場する。その古典的名作を改めて観た。そこで幾つかの記憶違いというか、我が幼稚さゆえに見落としていたことから、新たな気づきに出会った◆一つは、主演はジョン・ウエインではなく、女優のクレア・トレヴァーであったこと。確かに映画のポスターを見ても、トップに出てくるのはジョン・ウエインではない。当時のふたりは格違いだった。正確には彼はこの映画でスターの座を獲得して、以後ジョン・フォード監督のもとで活躍したというべきなのだろう。この映画でも登場するのは、ぐっとあと。駅馬車に乗り合わす7人の客(ほかに御者と保安官)の最後である。乗客の中心は、出発の場所アリゾナ州トントを追い出され、ニューメキシコ州ローズバーグへ向かう男女2人(1人が主演の娼婦役。もう1人が酔っ払いの医者)。あとは、若い貴婦人、小心者の酒商人、曰く付きの銀行家、賭博師といった怪しげな面々。そこへ途中で乗り込むお尋ね者の銃の使い手であるリンゴ・キッドというのがジョン・ウエインの役回り◆この道中での人間模様が描かれていくのだが、映画の流れは専ら、いつ、ジェロニモが襲って来るのかにあり、それをリンゴが無事に追い払うことができ、到着地にいる3人の悪漢兄弟をうち倒すかにあった。町を追い出された2人の背景に女性の民権運動と禁酒法があるなどということは預かり知らず、映画の冒頭場面でこれらの動きが挿入されていても、子どもの頃には気づかなかった。一方、この映画を観ていて昔は気付かなかったが、時代の流れの中で、気付くのが、先住民への配慮が全くないこと。容赦なく殺されるだけの襲撃場面を観て、いささか哀れを感じざるを得なかった。手に汗握って観終えて、やがて悲しきインディアンというわけなのだが、そこは仕方なかろう。加えて、悪漢たちとの1対3の決闘シーンもあまりにあっけない。もうひと工夫有れば(例えば『第三者が介入した『リバティ・バランスを射った男』のように)と思わないでもない。決闘シーンは銃の音だけというのはいかにも寂しい。などと思うのは、無い物ねだりと言うべきか。この映画のいかにもハリウッド風のハッピーエンドを観て、昔はほっとして、今は物足りなく思うのは、年を重ねたせいかどうか◆ジョン・フォードはアカデミー賞を4つ取っているが(①男の敵②怒りの葡萄③我が谷は緑なりき④静かなる男)、西部劇ではなぜかゼロ。この監督は、かつて、マッカーシズム(赤狩り)が全米を吹き荒れた時に、共産主義的立場を肯定も否定もせず、当時合い争った両者をともに庇ったことで知られる。そして、映画人が集った場において、自身のことを「私はジョン・フォードです。西部劇を撮ります」と単純明快に述べたことでも知られている。政治的立場に固執せず、気取らず素朴に映画を愛し抜いた人だったと言えるのだろう。『市民ケーン』や『第三の男』で有名なオーソン・ウエルズは、『駅馬車』を40回以上も観て映画作りに役立てたことを公言して憚らなかった。それだけ、映画の基本が満載されているということだと思われる。(2024-2-2)

 

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【21】辿り着いた地もまた地獄━━スタインベック原作、フォード監督の『怒りの葡萄』を観て/1-23

1940年上映の『怒りの葡萄』は、ジョン・スタインベックの同名の小説が映画化(ジョン・フォード監督)されたものである。1930年代の経済恐慌が背景に、干ばつも加わり、農家は農地の拡大を目指す大きな資本に飲み込まれる。失業の嵐の中、職を求め、生活再建を目指して、故郷オクラホマから新天地カリフォルニアに向けて家族全員が家具一切を大きなボロ車に乗せて移動する物語である。そして勿論、その流れは一家族だけでなく集団の動きであった。向かった先には素晴らしい新土地は待っていず、結局は搾取されるだけの失望の地でしかなかった。人々の希望は潰されて、怒りが胸中に渦巻く。その地には、生きる糧は全くなかった。聖書の流れを汲むこの映画のタイトルはそれらを象徴したものだ。80年も前の映画ではあるが、この世における社会と人間の関係、自由と拘束、家族の絆と生き方、男と女といった重要なテーマが満載されていて、極めて重要な問題提起をしてくれている。とくに私は性の違いの持つ深い意味に改めて気付かされた。実に味わい深い秀作だ◆「ロードムービー」と言われる一連の作品がある。米大陸を車で横断する過程における様々な物語を描く。それは同時にストーリーの展開の中で、通り過ぎる街々が重要な役割を果たす。『イージーライダー』『俺たちに明日はない』『真夜中のカーボーイ』などを始め、この半世紀以上の映画史の中で枚挙にいとまがないほど。その先駆を行くものがこれだ。この映画の主人公のひとりを演じるヘンリー・フォンダは後に大成するが、この映画では初々しい青年だ。1930年代が描かれた時代と道を親父ヘンリーが、1960年代を描いた舞台とロードを息子ピーター・フォンダが共に駆け抜けたというのも面白い対比ではある。前者は経済恐慌で失業に抗う労働者の姿、後者はコカインの密売に関わる反体制の若者たちという風に、時代背景も担い手も違う。『怒りの葡萄』での旅立ちの場面は、大型トラクターが家を押し潰す衝撃的シーンから始まり、筆舌を尽くせぬ苦労を経て漸く到達したカリフォルニアの風景も内実も、想像していたものとは全く違う◆現在只今の日本にあっては大地が割れ、家屋が押し潰され、集落が孤立するとの能登半島大地震の襲来による悲劇が、この映画と重なる。また戦争で難民と化した人々のウクライナやパレスチナのガザ地区での悲劇を即思わせる。食べるものがなく、寝る場所にも事欠く映像は、全く今の世界と二重写しなのだ。故郷を去るのを嫌がった老父母が旅の始めと終わりに相次ぎ倒れ死に、身籠った妻を見捨てて若い男は姿を消し、やがてお腹の子は流産する運命に。胸詰まらせ心痛ませる場面の連続だが、心優しい人の子どもへの配慮の場面も挿入される。とりわけ、住民自身の自治で固めたキャンプに行き着いたところでは、まさに地獄に仏といった様相だった。が、それも束の間のこと。やがて追い払われる羽目に。途中自警団的動きとトラブって人を殺めたり、週末のダンスという楽しい企画も暗転する危機に遭遇したり、ハラハラどきどきの連続で手に汗握る◆そんな映画はハッピーエンドでは終わらない。ラストシーンの車中での母の強さ漲るセリフが胸を撃つ。一家の長が夫ではないことは映画の展開でも明白であるが、当の本人が「お前が家族を引っ張ってくれ。ワシはもうだめだ」と心情を吐露した後の、母親役のジェーン・ダウエルのセリフが際立って印象深い。彼女はアカデミー助演女優賞にこの映画で輝いたが、その大黒柱そのものの存在感たるや、堂々たる体つきや目つき顔つきだけではない。「女は男より変わり身が上手だ。男はものごとにすぐとらわれる。人の生死、農場の事、何にでもすぐとらわれる。逆に、女は川のように、流れている。滝もあれば、渦もある。けど、流れが止まったりしない。それが女なんだ」──ここは痺れた。私の50年余連れ添った家人も「いちいち身の回りに起こる出来事に一喜一憂しない。起きたことは仕方ない。色々あっても気にしない」と言う風な物言いを決まってする。その都度どうも腹がすわっているのは、俺よりこいつ(男より女)だなあと思ってきた。それを実感させられたラストシーンだった。この場面は小説の終わり方と全く違っている。映画のリアルなインパクトに杯を上げたい。(24-1-23)

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【20】「あんたたちはどう死ぬのか」の問いかけ━━黒澤明監督『生きる』を観て/1-15

 映画の持つ底力を思い知った。もうすぐ死ぬと自覚した時に、人はどう振る舞うか。ここでは、自暴自棄となって享楽に身を任せ、家族との距離を感じ、若者の生命力との触れ合いを求める。そして、若者の一言から人のために役立とうと、〝人が変わったように生きて死んだ〟ケースである。子供たちのための公園の建設をなし終えた後、ブランコに乗りながら、🎵生命短し、恋せよ乙女〜と、「ゴンドラの唄」を口ずさむ場面が印象深い。昭和27年封切。真正面から人生の意味を問うたものとして、日本映画の最高峰のひとつと位置付けられてきた。後期高齢者として後があまりない私は「どう生きるか」より「どう死ぬか」に関心を持つ◆この映画が世に出た頃は、米占領下。当時は胃癌は確実に死に至る病とされ、告知は普通されなかった。担当医の告知を避けた微妙な言い回しが面白い。役人の世界を見事に揶揄(出色は主人公のミイラ、なまこ、定食などのあだ名)しつつ、世の人間関係のパターンをあぶり出し、笑いを誘う。なぜ、かの課長はあれほどまでに執念を持って公園建設に動いたかの説明は、最後の通夜の場面でのやりとりまで、なされない。その間の謎解き、心理描写が際立つ。そして、「親の心子知らず」を地でいく息子と嫁に、霊前でも和解の場面はない。この映画を作った黒澤明、橋本忍、小國英雄らの脚本、演出の巧みさは、中心と外縁の対比の妙から小道具に至るまで心憎い限りである。「生まれ変わろう」と、主人公が決意する場面で、後ろに映し出される若者たちの誕生祝い。ハッピバースデーツーユーの歌声がこだまする。新しい帽子(当時の男は中折れ帽を被った)が、かくほどまでにものを言わせる映画も珍しい◆主婦たち市民が市当局にいくら要望を出しても、たらい回しにあう姿は、行政の執行者と被執行者の市民との関係の象徴として今に続く。就職して役人になって30年。同じことの繰り返し。いったい自分は何をしてきたのか。妻に先立たれた主人公は、ひたすら息子のためだった、と自身に言い聞かせる。しかし、その息子と嫁は父親の遺産をあてにしているだけ。その本心を偶々知ってしまった。飲めない酒を居酒屋でひとり口にしている時に偶々出会った小説家との一夜の豪遊。以後、人生初の無断欠勤。数日経って、職場の若い女性が決済ハンコを貰いにやってくる。いらい、その女性と幾たびか会うことになる。いわゆる女遊びの類いでは到底ない。その女性にも気持ち悪いと嫌われながら、「君に会うとあったかくなる」「若い活気が羨ましい」とのセリフ。男と女、老若という生き物の原初的形態を思わせて、身につまされる。一連の動きは風の噂として拡散する。そして、役所を辞めて玩具工場で物作りをするようなったその女性の「課長さんも何か作ってみたら」との言葉が引き金になって、一念発起する◆人生の意味をどこに見出すか。職場での出世。カネの使い方。遊びの種類と程度。男と女といったところから、病気と死、ホワイトカラーとブルーカラーの違いに至るまで、万般の人生模様を気づかせ、考えさせてくれる。主人公が残された人生を公園建設にむけて主婦たちと共に、かつて邪険に扱ったことを反省して、他の課の課長や助役にまで幾度も説得に向かう。このシーンを観ていて、政治の現場に身を置いたものとして、実に考えさせられた。偶々つい先日読み終えた『実験の民主主義』(読書録No.110)は、立法権に比べて議論の対象にならない行政権(執行権)の改革について深い考察が展開されていた。前者は「選挙」(有権者)がカギを握るが、後者は「ファン」(支援者)がキイーだと、読んだ。「市民相談」を通じて、大衆が悩む政治課題の解決に取り組んできた公明党の存在。政治におけるアマチュアの役割を世に宣揚し続けてきた政党。その新旧の有り様にまで考えを及ぼさせてくれた。いやはや、実に奥深い映画を観た。(2024-1-15)

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【19】史上最大のエンタメ誕生とその裏側━━『ローマの休日』と『トランボ』を観て/1-5

 映画『ローマの休日』は、過去に観た映画の中で、最もわくわくしたものだ、と思う人は多いだろう。王女が束の間自由の身になってローマの町中を〝冒険する〟設定が何より魅力的である。1953年公開。恐らく既に観た多くの人にとっては、ここでの記述にあまり興味はわかないはず。そういう人たちには、この映画誕生の裏舞台を描いた一本『トランボ ハリウッドに最も嫌われた男』(以下『トランボ』と略)をお勧めしたい。これはこれでまた非常に考えさせられるいい作品だから。そして、未だ『ローマの休日』を観ぬ人たちには、早く観るようにお勧めしたい◆ヨーロッパ最古の王室のアン王女(オードリー・ヘプバーン)が、親善旅行の流れで、イタリア・ローマにやってくる。日常の物足りなさからひとり街中に飛び出す。未知の経験あれこれの後に、疲れてベンチに寝てしまう。そこへ偶然でくわした新聞記者ジョー(グレゴリー・ペック)が自分の住まいに連れ帰るのだが、その身分を知り密かに大スクープを、と目論む。その流れで起こるさまざまなエピソードが描かれる。ここで、この映画を観たひとたちが話題にする好みのシーンを語り合うと、どうなるか。私の場合は、一番面白かったのは、後半での大乱闘の場面。はちゃめちゃの連続。映画でこんなに笑ったものはない。第二に、ドキッとしたのはライオン像の口に新聞記者が手を入れるシーン。食いちぎられたと、ウソとわかっていてもたじろぐ。あの場面はアドリブだったという。彼女は知らされてなく、自然な形だった◆全てが終わって、王女が会見の際に記者たちに囲まれた場面がいいという向きもあろう。王女と記者が何も言わずに見つめ合う場面。ここは見事な相互の想いが行き交う、忘れ難い名場面だ。もちろん人によって受け止め方は違う。市内を2人がスクーターで乗り回す場面がいいとか、王女が髪の毛をカットするところとか、隠しカメラ付きライターの登場が面白かったといったように。それを挙げあって、楽しむのも面白いと思われる。また、昨今「4Kレストア版」といった新しい映像による再放送がなされているが、その際に細部の場面で時計の針の動きをよく見ると、瞬時に針が回る。カメラの使い方を追うというのも一興かもしれない◆さて、もう一本の方は、この映画の原案を書いた人物が、戦後アメリカに吹き荒れた「赤狩り」の犠牲者だったことだ。共産主義者を告発し、映画の世界から追い出そうとした〝思想的排除の嵐〟を描いた『トランボ』は、時代の怖さを思い知らされる。と同時にその恐怖の中で、断固として初志を貫き通し、転向することのなかった脚本家の強さに心底感動する。その背後に家族の逞しさ、とりわけ最後の場面は忘れえぬ感動である。ダルトン・トランボが脚本をお風呂に入ってタバコを吸いながら描く場面とか、留置場に入るに際して、素っ裸で検査される場面は、わかっていながらそこまでやるか、と妙に感心した。この映画と並んで年末のテレビで観たドキュメンタリー『映像の世紀 バタフライエフェクト』も興味深いものだった。「夢と狂気渦巻く百年のハリウッド」で、その実像が描かれていたが、この「トランボ」についてももちろん取り上げていた。私的にはその昔興奮して観たカーク・ダグラスの『スパルタカス』も脚本は同じ人物だったことを知って驚いたしだいである。(2024-1-5)

 

 

 

 

 

 

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【18】たまらなく懐かしい「昭和」がここに━━小津安二郎監督 映画『お早よう』を観て/12-28

 あと僅かで終わる今年・2023年は、映画監督小津安二郎が亡くなって60年、生誕120年でした。このことを記念して幾つかの媒体で特集が組まれたり、その作品が放映されたりしたので、改めてご覧になった方も少なくないと思われます。『東京物語』や『秋刀魚の味』といった代表作はさることながら、『お早よう』って作品は全く知りませんでしたが、NHKのBSをビデオで観て、色んな意味で感じるところが数多くありました。とりわけテレビが一般家庭に普及し始めた頃に小学生だった私の世代にとって、まるで60数年ほど前にタイムスリップしたかのように思える懐かしい映画でした◆昭和34年(1959年)に制作されたもので、小津の50作目になる記念碑的作品だといいます。東京の多摩川沿いの住宅地といっても、向こう三軒両隣りがひしめきあった庶民そのものの生活ぶりが描かれており、とても興味深いものです。テレビがない家庭での子どもと親とのトラブルを縦軸に、近所付き合いの中での噂話による揉め事を横軸にしたコメディタッチの映画。佐田啓ニ、久我美子、笠智衆、沢村貞子ら当時の有名俳優が続々と出てきますが、設楽幸嗣(したらこうじ)が子どもの主役で登場するのには、私と同世代の人だけに、まるで昔の同級生に突然出会ったような思いがしました。子ども同士がおでこをつつくと、おならがぷっと出るという遊びが題材に使われています。ついでに便が出てパンツを汚してしまうという設定には驚きました◆小津監督は「なんでもないことは流行に従う 重大なことは道徳に従う 芸術のことは自分に従う」という言葉を残しているように、自分の好みを貫き通す人だったようです。「愛情が持てないものはあまり取り上げたくない」とも述べていますから、彼の表現したシーンには愛情がこもっていたはず。あの当時の大相撲は若乃花(初代)の全盛期(栃若時代の異名あり)だったのですが、この映画の中のテレビの実況中継場面に「北葉山」が登場(相手は冨樫=後の柏戸)したのにはファンだった私は泣けました。なにしろ、闘志剥き出しの関取で、負けた時に土俵を拳で叩く様を未だに覚えているぐらいですから◆小津は戦争に従軍した数少ない映画人だったことはよく知られています。一方、生涯独身で母親と同居していたことはあまり知られていません。かつて與那覇潤は『帝国の残影──兵士・小津安二郎の昭和史』の中で、戦争を体験をしていながら直接的に戦争を想起させることは描かず、一方、家庭を持ったことがないのに、ひたすら家族を表現し続けたことを対比して評論していました。この本については、作者が『中国化する日本』で颯爽とデビューした後の作品だったことから覚えていますが、その謎探しについては記憶に定かではないのが残念です。思想家の趣きさえ漂う小津は、「ストウリイそのものよりもっと深い『輪廻』というか『無常』というかそういうものを描きたいと思った」と述べています。作家の平山周吉氏(『東京物語』の主人公の名に因んだペンネーム)は今年、大部の評伝『小津安二郎』を書いたことをETV特集『小津安二郎は生きている』で知りました。読んでみたいものです。(2023-12-28)     ※文中の小津の発言はETV特集から引用。

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【17】「宗教と自立」「国家と自由」など夢想広がる━━『ショコラ』を観て/12-13

 「ショコラ」(チョコレート)には思い出がある人は多いだろう。私の場合は、英語、フランス語、中国語など各国語による「チョコレートはいかがですか?」という言い回しを書いたコピーを見たことだった。お菓子の小ちゃな箱に入った宣伝戦略の一環だった。英語やそれをそのまんま転用する日本語はともかくとして、フランス語を粋だと感じ、「巧克力」と書いて「チョウクゥリ」と発音する(ように聞こえる)中国語って面白いなぁって感心したものだ。というこの出だしは余談。この映画は20年ほど前に制作されたもので、「ラブコメディ」というジャンルに仕分けされている。だが、私には「宗教と自由」「国家と自立」という重大な問題を提起する、結構お堅く、考えさせられる映画にチョッピリ思われた◆ストーリーをザックリ私風に気ままに紹介したい。ある美しい女性が娘と共にとある村に吹雪のなかやってくる。この村はキリスト教の教会を中心に動いており、熱心な信者の村長と神父の支配下にある。彼女はそこでショコラを製造・販売するお店を開く。この女性は自立心旺盛で勝手気まま。宗教的因習、村の習わしには従おうとしない。このため当初は徹底して〝排除の嵐〟に遭う。だが、夫婦や親子の葛藤を始め、人それぞれに様々な悩みを持つ。そんな村びとたちがひとりまた一人と、この店にやってきて女店主に悩みを打ち明けるようになる。これまでの村の秩序が破壊されて嬉しくない村長は、次々と彼女に嫌がらせをしかけてくる。そこに流れ者のナイスガイが現れ、絡んできて‥‥といったお話しが繰り広げられる。表面的にはわかりやすい◆ショコラは、当然ながら「自由」のシンボル。教会は「束縛」の元凶として描かれる。前者は美しく若い女性が、後者は頑固で権威的な古い男性がその役割を演じる。男中心の社会の中で、虐げられる女たち。宗教的束縛から脱して生きようとする新しい人間と、これまで通りのパターン化した日常に安住する古いタイプの人間と。キリスト教という人類数千年の歴史を先駆けた(と見られる)宗教の負の側面が思いっきり強調される。21世紀の劈頭に作られたこの映画は、既に常識と化した日常的しきたりに改めて挑みかかるかのよう。欧米社会では「神」の存在を軸に全てが動く。欧州では政党の名前にキリスト教が冠せられ、米大統領は聖書に手を置いて誠実性を誓う。甘いショコラが〝禁断の味〟として挑発するように私の眼には映って、内実的には意外に難しい◆こうしたテーマが中国で、そして日本で描かれたらどうなるか。共に、宗教の有り様が「ショコラ」の風土とは違うなかで、私の夢想は広がる。明治維新の前夜、欧州の先進国家の餌食になった隣国を見て、我が先達たちは明日の我が身かと恐れた。それから150年余。共産主義的専制国家が繰り出す〝統治の罠〟と、それに抗する〝人民の乱〟は未だ、時おり聞こえてくる〝遠い砲声〟でしかない。かつての従属国家から「自立」へと脱皮し大きく飛躍した中国。だが、民衆が失ったものは余りに大きい(ように見える)。「自由」を渇望する民衆はなぜ蜂起しないのか。一方、「無宗教者天国」の日本は、お上から下々まで、自己抑制を知らぬ勝手気ままな〝無法者の楽園〟と化した(かのように思われる)。国家そのものが漂流している(かに見える)日本。そこにあって、真の「自立」を求める大衆の自由な動きはなぜか未だ起きてこない。巧克力とチョコレートは何処にあるのか。(2023-12-13)

 

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【16】サッカーと国家間競争の起源━━『コッホ先生と僕らの革命』を観て/11-25

 阪神とオリックスの優勝を祝うパレードで沸きかえった大阪・御堂筋と兵庫・神戸市役所前通り。このニュースをテレビで見て思うことが幾つかある。セリーグとパリーグの違いから始まって、本拠地と野球ファンの関係、大阪と兵庫の風土の差に至るまで、尽きぬ思いが湧き出でる。そんな折に、今年のサッカーJリーグでヴィッセル神戸優勝の報が伝わってきた。30年前に私が国会議員になった頃に、Jリーグが生まれ、サッカーブームが起こった。その頃、野球とサッカーの比較を政治の動向に例えて、旧55年体制は野球であり、サッカーは政治改革の時代だと見立てたものだ。端的にいうと、野球は攻めと守りが立て分けられて進むが、サッカーは目まぐるしく攻守が入れ替わるということに着眼したものだ◆そんな思いに浸っていた時に、サッカーというスポーツの由来を考えさせてくれるいい映画に出くわした。タイトルは『コッホ先生と僕らの革命』(2011年独映画)。時は1874年、ドイツのブラウンシュヴァイクのギムナジウム(日本の中学校)に元卒業生がドイツ初の英語教師として英国から母校に帰ってきた。英国で始まったサッカーを身につけてきたコッホ先生である。彼が、その存在すら知らなかった子どもたちや大人たちに、サッカーの面白さを分からせるまでの悪戦苦闘ぶりが描かれる。ついこないだ観た米映画『今を生きる』のキーティング先生を思い出させるような見事な授業風景だが、違うのは時代とドイツというお国柄。上意下達ぶりは尋常じゃなく、英国由来のものは徹頭徹尾反発される◆最初はコッホ先生を敬う気持ちのなかった子どもたち。彼らがサッカーの面白さに気づき、やがて学校当局や後援会組織の弾圧を跳ね除けるまでに立ち上がる様子が続く。学校の授業や体育館でサッカーを禁じられると、近くの森の中の広場で手製のゴールを作って、密かに興じる。それがバレてしまうも、また違う手をあみだす。そこに資産家(PTA会長)の父親と息子の葛藤、貧しい工場労働者の息子と母親の軋轢が対比されるように盛り込まれ、退学騒ぎへと発展するも、それも解決といった風に進み、最終的にコッホ先生の英国の友人の先生が子どもたちを連れて来ての英独子ども対抗サッカー戦。親たち始め地域住民が手に汗握る場面で思わずこちらも興奮してしまうという具合である◆幾世紀をも跨ぐ英独の歴史的敵対関係に思いをはせつつ、日本のスポーツの運命を考えた。明治の初めに米国から伝わった野球をめぐっては、先の大戦時の障壁を乗り越えて、今では大リーガーとして最高位の立場に大谷翔平選手がつくまでの存在になった。ヨーロッパでの人気は野球よりも専らサッカーだが、米国はその逆である。ところが日本では、後発ながら野球もサッカーも、そしてラグビーもバスケットボールも、といった風におよそ世界中のスポーツをとりいれて、そこそこに戦っている。前述したように、私はかつて自民党一党支配の55年体制下の政治を野球に例え、それが崩れた政治改革の時代はサッカーのようなものだと見立てた。それが30年経って、「55年体制復活」と言われるような事態が、野球人気の高まりとともに起きてきた。さてさてこれからの推移やいかに。(2023-11-26 一部修正)

 

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【15】政敵より手ごわかった「認知症」━━『マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙』を観て/11-16

 英国史上初の女性首相だったマーガレット・サッチャー(1925-2013)は「鉄の女」と呼ばれたことはよく知られている。その命名の由来は、鉄のような強靭な意志を持つ反共産主義者ということで、ソ連の軍事ジャーナリストによるものだとされる。しかし、引退後の晩年は「認知症」に苦しんだことは日本ではあまり知られていない。少なくとも、大西洋を超えた最も近い同盟国のドナルド・レーガン米国大統領が、アルツハイマー型認知症に苦しんだ事実ほどには。ジョン・キャンベルによる伝記の映画化で、ほぼ事実に忠実に描かれているとのこと。イギリスという国柄を学び、英国議会の猛烈でリアルな論戦の実際を見る上でも大いなる刺激を受けたが、とりわけ人間サッチャーの生き方に強い感動を覚えた。〝ひ弱な日本の政治家〟にこの映画を観ることを勧めたいが、普通の市民にはむしろ「認知症」の何たるかを知るための格好の教材だという点が重要かもしれない◆彼女は食料雑貨店の娘からオックスフォード大経済学部を出て24歳での初出馬は落選したものの、その後弁護士を経て9年後に当選、政治家になった。首相に昇りつめるまでも困難をきわめたはずだが、映画はさらっと流す。むしろ、なってからの約10年間(1979-1990)の奮闘ぶりが見どころだ。IRA(アイルランド共和国軍)のテロ活動に手を焼き、低迷する経済を立て直す上での労働党との熾烈な戦いを続けながらも、サッチャリズムと呼称された新自由主義の旗を振り続けた。そんな首相像のなかで、とくに印象的なのはフォークランド紛争(対アルゼンチン)との取り組み。遠く離れた島(英連邦所属)での戦争に反対する米国国務相らに対して、彼女は米国が日本の真珠湾攻撃を受けた時と同じではないか、と愛国心をかきたてていた。この戦争に非難の火の手は世界中に沸き立ったものだが、毅然として、敢然と乗り切った彼女の姿勢は、文字通り〝鉄の女〟にふさわしい豪胆ぶりに映った。ただし、戦争で生命を失った兵士の遺族に対して、涙をうかべつつ国家への貢献を讃えるべく手紙を書くシーンは、さすがに胸を揺さぶった◆しかし、この映画最大の見どころは、引退後の認知症との闘いであろう。健常な時と異常をきたした時が映像上で入り乱れて次々と展開するのは観る方も混乱してしまう。私自身にも、誇大妄想狂に悩む家族(90代半ばの義母)がいるので、身につまされた。死んでそばにはいない夫や遠くにいる息子と勝手に話す場面や、会議に出かけて首相当時の発言を繰り返すところ(頭の中と現実との混濁)など、切ない。どんな人間でも陥る可能性があるとはいうものの、「鉄の女」と呼ばれたほど強固な意思を持っていた元首相の老後の惨めな姿は見るに忍びない◆サッチャーそっくりに(多分見える)メリル・ストリープの老若使い分けた力は見事だ。政治家人生の〝よき伴走役〟だった夫との日常的なふれあい、すれ違いを巧みに演じ、妻としての優しい心遣いを、認知症最中に遅れて垣間見せるのはいじらしいほど。彼女自身より10年早く亡くなった夫との〝幻影の交流〟は、いとしささえ。男女、立場の違いなど比較するべくもないが、20年の政治家を経験した私にも、去りゆきし過去における〝妻の献身〟がだぶってよみがえり、胸うずく思いになる。そんな中、この映画に挿入された一瞬の場面が忘れ難い。ケン・フォレットのスパイ小説『針の眼』をサッチャーが手にしていたのだ。彼女の首相就任(1979年)直後にブレイクした本だった。ページをめくる彼女に夫・デニスが「最後は女が男を殺す」とネタバレを。監督も芸が細かい。若き日に読んだ私が今なお最も興奮させられた本として第一に挙げたいものだけに、突然映像に出てきたのには、驚いた。あたかも亡くなった旧友が突然目の前に出てきたように懐かしかった。「サッチャー観」には賛否両論あるものの、ともあれ、いい映画だった。(2023-11-16)

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