1976年のアメリカ。長かったベトナムでの戦争に漸く終止符が打たれた時から1年後。米社会には帰還した兵員たちの様々なる鬱屈した気分が随所に横溢していた。この映画は、ロバート・デ・ニーロ扮するトラヴィス・ビックルがタクシー会社の運転手として採用される場面から始まる。監督マーティン・スコセッシ、脚本ポール・シュレイダーの名コンビ。この映画で、カンヌ国際映画祭パルム・ドーム賞を受賞した。日本に勝ってから30年。アメリカは初めて戦争に負けた。その当時の社会の空気、時代の気分はどんなものだったか。「流しの運転手」はいち早くそれを吸い込み、感じとる。ビックルが呟く「夜の街は娼婦、ごろつき、ゲイ、麻薬売人で溢れている。吐き気がする。やつらを根こそぎ洗い流す雨はいつ降るんだ?」とのセリフがそこいらを反映していた。孤独なビックルは人との繋がりを求めてもがき喘ぐ。自他の不適合がもたらす結果はマグマとなってやがて爆発する◆この映画は、アメリカンニューシネマの代表作とされる。観客に夢と希望を与えるようなそれまでのハッピーエンドに終わることが定番だったハリウッド映画に対して、真逆の方向に向かう。社会の不条理と面と向かい合う、問題提起に重きをおく作品と言えようか。例えば、1946年、あの第二次世界大戦直後の映画『我等の生涯の最良の年』は、日本との戦争で両腕を失った傷病者を始め帰還兵たちがそれぞれの苦労の末に、幸せを掴み取るといった内容だった。ラストの結婚披露宴の幸せなシーンが全てを物語っていた。片やこの映画では、再生しようとした帰還兵が、大統領選挙の候補者の事務所で働く女性を見初めて近づくものの上手くいかず、冷たくされ、孤独を一層味わう。そして社会そのものへの抵抗、反発から、大統領候補者の狙撃を思いつき、銃を購入して準備をする。だが厳重な警備の突破は出来ず、「表の世界」から「闇の世界」の破壊へと矛先を変えていく◆大統領候補者をターゲットにして仮に成功していたら、と想像するものの、その行く末はあまり羽ばたかず、焦点も定まらない。スコセッシ、シュレイダー組みの映画作りの構想は、娼婦ならぬ娼少女を喰い物にする〝人非人たち〟の抹殺へと傾斜していく。映画撮影当時13歳だったというジョディ・フォスター演じるアイリスの美しくもいたいけな佇まい。炸裂する轟音の中で泣き叫ぶ姿が強烈なインパクトをもたらし、観るものの目と耳に焼き付く。死にゆく敵の反撃でビックルも尋常只ならぬ傷を首に負いながらも助かる。その上、アイリスの両親の感謝の手紙やらそれを報じる新聞紙面の賑わいが妙にそぐわない。この辺りに私の感性は反応する。これはやっぱり、〝擬似ハッピーエンド〟か、と。しかし、それは束の間。再び生き還った彼は、タクシードライバーの日常に戻る。その昔に付き合った女性が車に乗ってきても素気なく別れ、いつもの日々の繰り返しへと続く。この終わり方こそ新時代の米映画ということか、と◆この映画が封切りされた頃から、ほぼ半世紀。アメリカ映画の〝新しさ加減〟はどうなったのだろうか。数多の反戦、厭戦映画はその後数多く続いたけれども、この映画のように、戦争というものを匂わせずに、残酷なまでにその影響を描いたタッチのものは珍しいと思われる。そういえば、日本の映画界における戦争の描き方において思い出されるのは、小津安二郎監督の手法である。彼の『東京物語』を始めとする一連の作品は、戦争を直接に描かずに、その影響の悲しさ、哀れみを、静かに表現したものだとされる。日本の場合は戦後80年近く経ち、「戦争」は勿論、「戦後」を描く映画そのものにもお目にかからなくなってたえて久しい。それがいいことなのか、悪いことなのか。「戦後は遠くなりにけり」の日本の首相と、いつも〝戦争のさなかにあるアメリカ〟の大統領があいまみえた晩餐会の報道を見聞きして、思うことはまことに多い。(2024-4-14)