Monthly Archives: 7月 2017

夢かうつつか「琉球独立」論のゆくえー「沖縄の今」を考える⑤

数多ある沖縄をめぐる小説の中で、私としては池上永一の『テンペスト』に最も心惹かれた。仲間由紀恵の主演でテレビ映画化もされたゆえ、ご存知の方も少なくないものと思われる。男と女の二役という現実離れした役まわりなど、奇想天外な物語もさることながら、琉球の中国と日本を相手にした見事なまでの外交展開の筋立てに感じ入ったのである。佐藤優氏はこれを「エンタテイメント小説の体裁をとった政治と外交の実用書なのである」(『功利主義者の読書術』)とまで、礼賛している。私も今の現実政治の中に適応させたい誘惑に駆られる。何も小国・日本が大国・中国や米国のはざまで苦労する姿に投影させたいだけではない。文字通り沖縄が中国と日本を両天秤にかけることと二重写しに見える。前回、加藤朗氏や柳澤協二氏らの議論を追った際に、中国支配に東アジアがなびく流れが現実のものになるのでは、という仮説に触れた。この本を読みつつ考えを深めれば、決してあり得ぬとして切って捨てられない重みを持つ▼琉球が日本民族の中で異彩を放つのは、隣県鹿児島よりも台湾に近いという地理的位置だけではない。歴史的にも文化的観点からもあらゆる意味で、大陸中国や台湾の影響が影を落としている。『琉球独立論』は、単に沖縄が日米関係の中で、顧みられないから自立するとの次元からのものだけではない。沖縄が中国と接近するという意図を持つとどうなるか、との問題設定は決して荒唐無稽なものではないのである。世界を見渡せば、少数民族が自立の方向を目指すという流れは東に西に、今や枚挙にいとまがない。沖縄が日本に対して「三下り半」を叩きつけるということはあながち夢物語とは言えないかもしれないのである▼かつて、私は衆議院本会議で、「沖縄を准国家的扱いにせよ」との主張を展開したことがある(平成23年3月31日)。これは何も小説の読み過ぎで、それでなくとも飛びがちの私の思考回路が緩んだせいではない。本気で沖縄の人々の心に向き合わないと、沖縄の日本離反が起こりかねないと思ったから警鐘を鳴らしたつもりである。それは日本政府が対米忖度を強めるばかりで、一向に沖縄の側に寄り添わないないという県民の苛立ちが大きなうねりになるとの危惧を抱いたからでもあった。せめて対米交渉の場に、沖縄県の代表も常に同席させ、日米地位協定の改定に向けて実質的な交渉を進めるなどの諸提案を様々な場で展開したこともあるのだが、遅々として進まぬのはこれまで見てきたとおりである▼日米関係の成り行き、特に軍事的側面は大きく変わりつつあるという。このことを、日米関係の現実の中で自衛隊員の姿を追ってきた杉山隆男氏が最新刊の『兵士に聞け 最終章』で迫っていて興味深い。彼は、読売新聞記者出身のジャーナリストだが、この10年間というもの陸海空の自衛隊を追い続けてきた。いわゆる「兵士シリーズ」はこの7作目で終わるのだが、なぜかといえば、「取材環境が激変した」のでもう書けない、というのがその最大の理由である。ありのままの姿を追ってきた彼に、このところ様々な制約をかけてきた自衛隊当局。自衛隊が明らかに変質しようとしていると彼は睨む。それは今まで通り日本を半独立国家のままに置きたい米国と、それでいいとしてきた日本の関係に根本的な変化が起きようとしているからだろうか。表面上はとてもそんな風には見えない。深層部では何が変わりつつあるのか。「沖縄の独立」を口にする前に、日本の真の独立がなければならないと私はかねて考え主張し続けてきたが、その兆しすらうかがえず、ますます日米の同化は進んでいるというのが正直なところだ。米国に抑え込まれた日本、そしてその下で不遇をかこつ沖縄。この三者のゆがんだ関係を見て見ぬふりをし続けることは最早許されないのだが。(2017・7・27=この項終わり)

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「尖閣」が招く日米中衝突論争ー「沖縄の今」を考える④

国会議員時代に、尖閣諸島にも一度だけだが自衛隊機に乗って上空から見たことがある。その時抱いた感情は、はるけくもきたなあとのとの思いが一つ、もう一つはこの地域を海と空から常時警戒し監視を続けている自衛隊の皆さんへの感謝の一念であった。また、これまで幾たびか船に乗ってこの島々の傍まで行き、上陸しようとした日本人もいる。民主党政権時代にこの諸島の国有化を政府が宣言していらい、大っぴらに中国や台湾の漁船などが示威行動的に出没しだしていることは周知のとおりである。ある意味で一触即発の危機を常にはらむ海域であり、警戒を怠ってはならないことは言うまでもない。ただ、この海域の実態を思うにつけ、日本と中国との対応の異常なまでの差が気になる。つまり、日本の漁船は殆どと言っていいほど尖閣諸島海域に近寄らない。中国側は魚釣島は自分たちのものだと主張し、「日本の不法占有」だとの不当そのもののいいがかりをつけながら、その海域に姿を常日頃から見せていることと大きな違いがある▼私はこうした彼我の差において、日本の漁船の存在感がいたって弱いことにかねて不満を抱いていた。もっと尖閣諸島の傍まで漁に出なければ、我が国固有の領土だといいがたいのではないかとの思いが募って来るからだ。尖閣諸島に対する日本の領有権を主張するからには、もっともっと漁船の姿があっていいのではないかとの素朴な疑問だった。そのためには、尖閣諸島にはせめて漁船が立ち寄れるような船着き場があってもいい、と。このため、要望にこられた沖縄県の漁業者にそのあたりをぶつけてみたことがある。漁業者たちは、島周辺に行くには5時間以上かかるのだから、当然港が欲しい。だが、島に近づくのは海上保安庁が危険視して、一定のところからは進めない、何とかしてほしいとの要望を受けた。このため平成22年の外務委員会で、鈴木久泰海上保安庁長官(当時)に日本の実効支配の具体的手立てを講じるべきだと主張したものである(10・17)。その時の答弁は実態として日本の漁船の操業が少ないと認める一方、むしろ漁業者の側から安全操業のためにきちっと警備をしてほしいとの要望があるとの答弁がなされた。この辺りの実情は恐らく7年経った今も変わっていないと思われるのは残念というほかない▶尖閣諸島をめぐっては、仮にここに中国の海警局やら漁民を装った関係者の侵入や不法上陸を契機にして武力衝突が起こったらどう対応するかという課題が取り沙汰される。いきなり軍隊が出て来るということは想定しづらいので、通常は不法入国、犯罪取り締まりという形で警察権で対応することになろう。海上保安庁や警察で対応しきれないとなると、自衛隊が治安出動や海上警備行動で出る形となり、実力部隊同士の小競り合いから、やがては中国軍と米国軍がぶつかる可能性すらでてくるものと思われる。いわゆる抑止力が効かずに、米中戦争が始まるわけである。日本の国内における米軍基地を狙ってのミサイル攻撃から、際限のない報復攻撃が繰り返される恐れも想定される。そもそも米軍が尖閣諸島をめぐっての日中衝突に本格的にかかわってくるかどうかについても諸説入り乱れている。米国がトランプ大統領の登場で、従来とは一転して独自路線を歩みかねない姿勢が見え隠れする。日本の自前の防衛体制の構築が、日米同盟の強化と相俟って強調されるゆえんでもある▶こうした軍事的対応は揺るがせにできないものの、一方で平和的環境醸成も当然ながら待ち望まれる。この辺りについては、最近発売された『新・日米安保論』(柳澤協二・伊勢崎賢治・加藤朗)が大胆な分析を披露していて興味深い。日米同盟の論理矛盾を衝く議論から始まって、「ナショナリズムと平和主義」の問題提起など、三者三様あるいは三者二様といった議論が喧しい。まさに「三人寄れば安保の知恵」とでもいうような思考実験が続く。尤も、経済的には中国依存の現実があるがゆえに、政治的にも中国主導を周辺が容認すれば、東アジアの平和的安定がもたらされるとの加藤氏の主張には首をかしげざるを得ない。「中国を敵とした集団防衛体制と中国を取り込んだ集団安全保障体制の双方でどちらが作りやすいか」といえば、後者に現実性があるとする柳澤氏は「その時また一番ネックになるのが、大国を夢見る日本のパーセプションということになる」と厳しい。結論的に、加藤氏は「中国とアメリカがつくる体制の中に日本が入るかどうかというだけの話」だとし、柳澤氏はそういう動きになれば本当に歴史を変えることになる、と応じているのだが、現実性に欠けよう。平和を優先させるのか、中国に負けたくないということを第一にするのかとの議論は、果たして二者択一的課題なのかどうか。平和第一主義の党であり、中国との友好関係をどこの党よりもいち早く培ってきた公明党こそ、この議論を積極的にリードする役割があると確信する。このあたりの発信を強めなければと思う事しきりである。    (2017・7・23)

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「変わらざる夏」に高まらない本土での関心ー「沖縄の今」を考える③

都議選が終わって二週間。一週間前の9日には沖縄県の那覇市議選が行われた。開票結果は翁長雄志県知事を推す与党会派の過半数割れという事態を招いた。これ、沖縄県政にとって重要なことだが、本土ではあまり注目されていない。この数年を振り返ると、民主党政権時代が最も沖縄に関心が集まったと思われる。その機縁として、第一には、鳩山由紀夫(今は友紀夫)氏が首相時に、普天間基地の移転について、県外移転を口にしながら何ともできずに、日本中の失望と失笑を買って終わったこと。第二には、野田佳彦氏がやはり首相時に、尖閣諸島の国有化を宣言したことから、寝たふりをしていた中国を目覚めさせたことの二つが挙げられる。今から振り返ると、それ以前の自民党単独政権や自公連立政権時代には、慎重の上にも慎重を期して取り扱ってきたものを、政権運営に慣れない民主党が弄んだ結果だといえなくもない。すべてオバマ民主党と反対の態度を取って見せたいとのトランプ米大統領の姿勢と似たような心理が働いたに違いない。元の政権に戻って5年以上が経つものの、民主党の蒔いた種は未だに重い後遺症を残している▼鳩山元首相の「最低でも県外」との言い回しには、それなりの真実味があった。同じ日本国民として、全体の約75%にも及ぶ広範囲の米軍基地を一方的に沖縄県に押し付けていいと、真面目に思う神経の持ち主はそうざらにはいないからだ。わかっちゃいるけど、そうせざるを得ないというのが沖縄を除く46都道府県の心理である。普天間基地の度を越した使われ方は当の米軍関係者や米国の国防長官でさえ認めて、辺野古移転でことを収めようとした。あの時には、嘉手納基地への部分移転案から始まって佐世保基地や岩国基地への分散移転から、はては大阪湾での受け入れの可能性を口にしたひとまで、まさに百家争鳴の様相を呈したのである。しかし、どこも引き受け手はいない。今は元の木阿弥というか、それ以下のもっと酷い荒廃した気分が蔓延しているといえよう▼この事態を打開するには、前回述べたような日米地位協定の改定が必須だ。この作業を並行してやらずして、ただ単に右のものを左へという風に、今あるところからどこかほかのところへと移すというのではならない。辺野古移転を認めさせるためにこそ日米地位協定の運用改善でお茶を濁すのではなく、ドイツ並みに改定することが求められる。その交渉を実らせてこそ当面の基地島内移転も認めざるを得ない、となると見るのが現実的である。最近、柳澤協二氏と鳩山友紀夫氏が『最低でも国外』というギャグっぽいタイトルの対談本を出されたようだが、広告文を見ただけで読まぬうちに首を捻ってしまった。先日テレビを観ていると、戦後政治史の中で画期的だったのは、「沖縄返還の実現」であり、それを現実のものにした佐藤栄作首相の功績は偉大との発言場面に出くわした。ノーベル平和賞受賞もむべなるかなといった、コメントも寄せられていた。あれがなければ、未だに沖縄は米国の統治下にあるはずというのだ。それを聞いていて、沖縄は形の上では確かに日本に戻ったが、それゆえにこそ実質的には今も米国のものであり続けているという風に思われてならない。あの時に沖縄は日本に還らずに米国のもののままだったら。こう思うにつけ、北方領土との比較をせざるを得ない。あの北の4島は今なお「終わらざる夏」(浅田次郎)の元にあるが、南の沖縄は四季豊かな日本でありながら、70数年前からずっと「変わらざる夏」のままに推移している、と▼この度の九州地域を襲った大雨は甚大な被害をもたらしたが、日本では梅雨は未だ本格的には明けない。沖縄だけが梅雨明けを宣言して久しい。夏の観光旅行時期を前に、いち早く真夏の太陽のもとにある沖縄に心ときめかせている「沖縄好き」は多いに違いない。この人たちが、沖縄の空と海と陸に強い関心を持つ幾分かでも、「基地の島・沖縄の脱却」に目を向けたならば、と思う。井上章一(国際日本文化研究センター教授)さんが『京都嫌い』を出版して間もなく、ラジオで語っていた話が印象に残っている。京都の本屋の店頭に、平積みされたその本の横に「ほんまは好きなくせして」との小さなタテ看板があったというのだ。彼は思わず苦笑せざるを得なかった、と。この伝でいうと、世に「沖縄好き」は数多いが、その実、京都風に言うと「ほんまは関心ないくせして」というところかもしれない。(2017・7・15)

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都民ファースト圧勝から、明日の日本をどう見るか

今を時めく小池百合子東京都知事と最初に言葉を交わしたのは、「住専問題」の頃(90年代半ば)。衆議院予算委員室の前に座り込みをしていたときのことです。公的資金を使って銀行救済をしようとしたあの問題に抗議するために、数日間行動を共に(問題の本質についてはここでは触れません)していました。彼女は当時は未だ誰もあまり持っていなかった携帯端末を常に傍に置き、「もうすぐこれに電話機能が付くのよ」と目を輝かせていたのが印象的でした。スマホが全盛期を迎える前夜のことです。為替変動のチエックが欠かせぬあさイチの行動だなどといったつぶやきを聴いて、世の流れに敏なるひとだと妙に感心をしました。後に公明党の兵庫県代表をするようになった私は、自民党の兵庫6区の小選挙区候補としての彼女を応援演説をする羽目に。開口一番「この人は男にしたいいい女です」と、セクハラまがいの紹介で笑いをとったものです▼その彼女が後に防衛相になり、自民党総裁選挙に名乗りを上げるようになりました。選挙区を東京に鞍替えされたこともあって、当然ながら疎遠になりました。都知事に転進して一年足らず、今回の都議選では「都民ファースト」を率いて見事に55議席を獲得。自民党を惨敗に追い込み圧勝したことは、昔の仲間として中々に感慨深い。尤も、もう感傷めいたことを披露するのはよします。それより都議会公明党の「全員当選」のことです。選挙の厳しさの質が今回は全く違いました。「小池知事登場で乗り換えるのか」「自民党と袂を別つのか」といった批判のまなざしです。石原慎太郎、猪瀬直樹、舛添要一と続いた都政の流れに「是々非々」ではあったものの、どっぷりとつかってきていたはずとの責任を問う声もありました。小池氏出馬に支援をせず他候補を推した経緯も暗い影を落としました。ともあれ、都政改革の大仕事には小池氏の登場を待たねばならず、自ら風を起こすに至らなかった不明は恥じねばなりません▼問題は国政への影響です。都議選において自公の関係に亀裂が入ったとして、しこりが残る云々とメディアでは専らです。20年近く続く関係は一朝一夕に崩れるものではないとの見方はあるものの、長すぎるがゆえの悪弊も意識せねばならないと思われます。「”安倍政治”は許さない」との批判の声はここ数年続いています。発信する側は同じ意味合いからでしょうが、受ける側には違って聞こえます。政策展開における安倍政治批判から、政治姿勢への傲慢さ批判への変化です。前者には公明党も与党として責任があります。「安保法制」をはじめとして、程度の差はあれ”二人三脚”的側面は否定できないからです。しかし、後者には直接の責任はない。「森友」「加計」問題などにみる一連の首相の政治姿勢への疑惑。自民党関係者の不祥事や不用意な発言。これらの背景には信じがたいほどの脇の甘さと”安倍一強”政治の傲慢さがあると思われます。先日、古い友人である「自民党の一匹オオカミ」村上誠一郎氏が電話をかけてきて、もっと公明党が安倍政治にブレーキをかけてくれねば、と嘆いていました。彼のベースには、小選挙区制度批判があり、「安保法制」や「憲法改正」などへの不満があります。このところ二週連続で日曜日のテレビ番組『時事放談』に登場し、気を吐いています。全面的な賛同はともかく、”万人たりとも我行かん”の政治姿勢には共鳴します。自民党も公明党ももっと安倍首相に対して物言うところは彼に学ばねばならないかもしれません▼ところで、共産、民進両党が都議選結果から、国政での安倍批判に野党共闘の勢いをつけようとしていますが、はなはだ疑問を抱かざるをえない動きです。2議席を伸ばした共産党はともかく、真逆の2議席減で僅か5議席しかとっていない民進党は、まずは足元への見直しから始めるべきではないか。他党のことに口出しすべきではないでしょうが、そういわざるをえないのです。都議選を前にして民進党から相次ぐ離党者が出たことの意味は、必ずしも選挙目当てだけではありません。共産党との共闘路線への反発があることは否定できないのです。そこを充分に意識しない限り、この党に明日はない。巨大与党に対抗する大きな野党が育たないとなると、日本の明日もまた暗くなってしまう。都民ファーストの国政への進出が注目されるゆえんとも関係してきます。小池氏はれっきとした保守主義者で、安全保障政策においても憲法においても、その方向は安倍首相と大きな違いはありません。ある意味で大阪を基盤とした日本維新の党との類似性を感じます。そこで、やはり大事なのは中道主義の党・公明党の立ち位置、振る舞いです。東京都議会で小池都民ファーストと共闘し、国会で安倍自民党と共闘しながら、見据えるおおもとは「大衆のための政治」だという点を片ときも忘れてはならない。いよいよ日本の政治が面白くなってきました。   
                                              (2017・7・4)

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日米地位協定で無為を続けるだけの外務省や国会ー「沖縄の今」を考える➁

「被害者としての沖縄」という課題に焦点を合わせるときに、誰しも思うのはこれまで幾たびも繰り返されてきた、米兵の乱暴狼藉であり、理不尽な日米地位協定の規定と、その運用のずさんさであろう。いたいけな少女が乱暴された上に殺されたという事件は枚挙に暇がない。その都度はらわたが煮えかえる思いがしてきた。その悔しくも辛い感情を抱かぬ日本人はいないはずなのだが、沖縄県以外の各県の人々は健忘症に罹ってるとしか言いようがないのも事実だ。私は現役の頃に、訪米の際に米国防省で、沖縄の米軍基地では米海兵隊幹部に、そして衆議院本会議場での発言の際に、言い続けてきたことがある。それは、「日本がホストネーション・サポートをしているのに対して、アメリカはゲストネーション・マナーがなさすぎる」という一点である。米軍に基地を貸与する側、受入国・日本のホストネーション・サポートとは「思いやり予算」に代表される対米便宜供与の数々である。一方、接受国のアメリカはそれに対してあまりにも礼儀知らずではないか、というのが私の考え出した”とっておきの言い回し”だ。米国に久間章生元防衛相らと訪問した際に国防省の幹部に直接伝えたし、沖縄では海兵隊幹部のR・D・エルドリッジ氏にも言ったが、ポカンとしていたり、筋違いの言い訳をしていただけ。国会でも私の発言に注目するひとや、メディアはなかった▶これについては後日談がある。エルドリッジ氏と実に10年近くぶりについ先日再会したのである。ところは神戸。私が友人と共催する「異業種交流会」の場に彼が夫人を伴って参加されたのだ。彼はその後、大学で教えたり、テレビにコメンテーターとして登場したりと、一段と著名度を挙げている。特に最近では「3・11」における米軍の獅子奮迅の支援ぶりを著した『トモダチ作戦ー気仙沼大島と米軍海兵隊の奇跡の”絆”』の著者として。彼との再会で私は満を持して、あの時の”伝わらなかった思いの悔しさ”を訴えた。しかし、だ。結局は彼は理解を示そうとしなかった(これは建前で、本心は別と、睨んでいるのだが)。沖縄における米兵の特殊な乱暴行為がいかに沖縄人を傷つけ、日本人をスポイルしているか。これに共感を抱き、恥ずかしい思いを持てないアメリカ人はいないはずで、マナーを持てという私の思いがなぜわからないのだろう。これでは、どんなに「3・11のトモダチ作戦」を強調されたところで、胸に響かない。エルドリッジ氏が優秀極まりなく、また聡明で美しい日本人の奥様を持っておられるだけにまことに惜しい思いがした▶さて、衆議院議員の頃の闘いの一つとして、日米地位協定改定について幾たびか迫ったものだが、これを否定する外務省の壁は実に硬いものであった。いつでも結論は「運用の改善で」の一点張り。米国当局が言う前に同じ日本人の抵抗に会うのは度し難い。この点に関して最近読んだ『新・日米安保論』は実に明快そのものだ。これは柳澤協二、伊勢崎賢治、加藤朗の3氏による鼎談だが、伊勢崎氏が外務省の恣意的姿勢を克明に描いていて驚嘆に値する。日米地位協定とNATO軍地位協定との根本的違いを明らかにしなかったり、一次資料をわざとしか思えないやり方でミスリードしたりする姿勢は極めて問題である。ドイツは、補足協定という形で実質的に地位協定を変更することに成功しており、日本以外の米軍受入国はそれぞれ工夫してなんらかの改定を実現している。地位協定改定は米軍を全面的に追い出すことに繋がらないのに、結局は地道な改定作業に汗を流させようとせずに、一足飛びに米軍出ていけとする沖縄の現状。この本で伊勢崎氏や柳澤氏らが日本の反基地闘争の在り方に疑問を投げかけていることも興味深い▼このように日米地位協定について、約20年もの間、外務省に一矢を報いることもできなかった私はただただ恥ずかしい限りだ。沖縄の現状を思うにつけ、運用改善などという寝言のような戯言を十年一日のごとく口にするだけの外務省に一泡吹かせたかった。今更何を言っても「後の祭り」だが、是非優秀な後輩たちにこの思いを託したい。思えば、我々の先祖は外交といえば、明治維新いらい不平等条約の改定に全てをかけてきたはずである。『明治維新という過ち』や『官賊と幕臣たち』など作家・原田伊織氏の著作に影響を受けて「反薩長史観」『反司馬遼太郎史観」に与しがちな私でさえ、明治期の外務官僚の不平等条約改定に向けての労苦は高く評価する。今の外務省や国会議員たちは対米従属に慣れ親しみ、沖縄に対する不平等性、歪みを糺すことをしないというのはまことに大きな問題としか言いようがない。いや、そういう現状を放置して、本土の人間たちが差別視したままであり続けることは、やがて全く「新たな決断」へと、沖縄を誘いかねない予感がする。(2017・7・1)

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