【15】僕の新刊本『ふれあう読書』の読みどころ━━『社会科学者編』/7-2

⚫︎公明党が自民党を支え続けるプラスマイナスと罪と罰

  第3章社会科学者編には10人が登場します。ここでは過去2回とは趣向を変えて、第2節の米・コロンビア大名誉教授のジェラルド・カーティスさんの『政治と秋刀魚』から「公明党論」を取り上げ考えてみたいと存じます。

 実は、この本の65頁に出てくる発言こそ、現時点で公明党の幹部がぜひ読むべき重要なものです。「(三党の連立政権が実現した1999年)そのとき、公明党が小渕総理の呼びかけを断って、与党でもなく野党でもない『中間党』という立場を取ったなら、日本政治で初めて国会という立法府が政策立案の重要な場になったはずだとそのとき私は思い、今もそう思っている」というくだりです。その時から10年近く経った2008年時点で「左右両勢力のどちらにも与しない生き方を、公明党もとっていればよかったのに、(中略) 今や自由に動きが取れなくなった」とカーティスさんは嘆いてくれているのです。

 これはドイツの自由民主党との比較で語っているのですが、いらい20年近く延々と公明党は日本における与党であり続ける選択肢をとってきました。勿論、公明党の与党化によって、日本の政治は何はともあれ安定したといえます。自民党という「上から目線」の強い政党を、「庶民大衆目線」で補う選択は大いなる幅を持ち、曲がりなりにも経済格差の是正に役立ってきたといえなくはないからです。ただし、それももはや限界に達しています。

 公明党が与党を離れて、立憲民主党や維新、国民民主党など野党と共同戦線を組んでいたら、日本の政治はもっと違ってたのに、と思います。取りうる選択肢を自ら狭めてしまったことは返す返すも惜しまれます。著名な評論家が公明党の与党化の効能を説いてやまないのですが、与党=自民党ではありません。自公政権が半永久的に続き、政権交代が可能にならないと、民主主義は凍てついてしまうと言わざるを得ないのです。何も自民党とくっつくだけが与党化ではないのです。その辺りをカーティスさんの本は考えさせてくれるといえましょう。

⚫︎公明党につきまとう平和主義の「危うさ」という誤認識

 公明党について考える上で、第6節の御厨貴さんや、第5章のジャーナリスト編第3節で登場する芹川洋一さんの『平成政権史』は極めて大事です。お二人とも日本政治が30年を経て、公明党が野党から与党に変化したのに、基本的には政治の風景は変わっていないとの認識です。それは自民党を公明党が下支えすることで、結果的に自民党単独政権時代と変わっていないとの見方なのです。この2人とカーティスさんのものと合わせて3本一緒に読むと分かりやすいと思われます。

 御厨、芹川ご両人とも悪意はないのでしょうが、自民党を中心に見る癖がつき過ぎている分だけ、公明党を付録のように見ていると言わざるを得ません。それもそのはず、「小さな声を聞く公明党」という自前のキャッチコピーが示しているように、国の根幹は自民党政治で、そのオマケ部分を公明党が担っているかのような表現が横行しているのです。これは誤解を生むもとだと思います。

 意図的なのか偶々なのか判然としないのですが、公明党の国家戦略は見えません。自民党とどこまで同じなのか。どこが違うのか。あえて漠然とさせている風があるようにも思えます。御厨さんが81頁で後藤田正晴元官房長官の「公明党はちょっと危ない」「この国への忠誠心がない政党」だとの発言を取り上げていますが、なかなか意味深長だともいえそうです。

 これはジョークのように聞こえますが、実は日本の保守勢力の重大な基礎認識を示しています。要するにいざというときに公明党は頼りにならない、つまり武器を持って立ち上がらない政党だと言っているのです。しかしこれは、日蓮仏法を信奉する創価学会が持つ絶対平和主義の理念と、公明党の平和主義をわざと曲解したものだと言えましょう。

 そういえば、キヤノングローバル戦略研究所の宮家邦彦さんが、「公明党は危うい」という表現で、戦争にどこまでも反対する政党と位置付けて(2025年産経新聞元旦号での対論)いました。なんだか後藤田氏と共通する響きを感じますが、これは僕は誤認識だと思います。平時においてどこまでも対話を重んじ平和外交を貫くことと、国家への忠誠ということは両立することだと思うからです。ただし、現代日本ではこの辺りの論議が曖昧なままになってることは否めず、不安が付き纏うのです。(2025-7-2)

 

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