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【22】『ふれあう読書』出版記念交流会を終えて/7-13

⚫︎辛口甘口渋い口━━様々なる感想

 選挙戦の最中に拙著『ふれあう読書━━私の縁した百人一冊』上下巻の出版を記念するイベントを『交流会』と銘打って、7月12日に西明石のホテルキャッスルプラザで行いました。炎暑の中、多くの皆さんが集ってくださり、賑やかに楽しく意義ある会合になりました。

 9-11日の三日間予定原稿を上中下で掲載しましたが、中々予定した通りにはいかず、かなり端折った中身になりました。ただ、予定稿には入れていなかったことも喋りましたので、ギリセーフと言うべきでしょう。友人たちも、井戸敏三、宮家邦彦、岡部芳彦、新聞社社長らといった国際政治、国内政治に精通した専門家から、玉岡かおる、高嶋哲夫といった小説家、経済人を初め庶民大衆の代表に至るまで多彩なメンバーが120人ほど。皆さんに興味あることを話そうとすると、どうしても平易で面白いことを話さざるを得ず、自ずと雑な話にならざるをえませんでした。

 皆さんの率直な感想は赤松の人脈がまことに多彩で実に多方面に及ぶこと、「交流会」と謳っていただけあって色んな人たちと名刺交換して、交歓、交流の場が持てたことを喜んでくれる中味が専らでした。一般人の皆さんは、僕の話ぶりが元気に満ち溢れ多くの刺激を得られたとか、僕が挙げていた本を職場の読書会に使いたいとの感想もありました。

 尤も、専門家の感想は、僕の国際政治・外交評は国内政治に比べて物足りない(井戸)とか、もっと小説の書評を読みたい(玉岡)とか、赤松という人は最初は甘かったが、付き合うにつれて、苦く、渋い味がする(石川誠)といった、思い当たる節のする辛口評が目立った。しかし、いちばんきつかったのは、我が家人の「眠たかった」でした。全く言いたいこと言ってくれるよ、というのが僕の率直な思いです。

⚫︎選挙戦だからこそじっくり日本、世界を考える

 冒頭の挨拶で、僕は選挙の最中にこういう会合を開くことについて、福澤諭吉の有名な慶應4年5月15日におけるウエーランド経済学講義の故事を話しました。戊辰戦争の勃発で上野での砲声を遠くに聞きながら塾生に講義を諭吉がしたのは、目先のいくさにとらわれず、学問の研鑽を怠るなという目的からでした。僕は、ちょっぴり格好つけて、この故事に倣って、現代日本の行き詰まった政治の有り様を今こそ考えようと投げかけたつもりでした。

 僕の常日頃の言動を知ってる人が大半ですので「今日は時節柄、選挙は比例区は公明党を、兵庫選挙区は高橋みつお候補をよろしくとは申しませんが」と笑いをとって、約40分間話しました。そこには問題山積だが、よりマシ選択は中道主義の公明党だとの思いを鎮めたものでした。

 僕が衆議院議員を辞めたあとのブログ活動の所産としての『77年の興亡』正続編と『ふれあう読書』上下巻の合計4冊の出版は、20年間の政治家生活から得た独自の視点が底流に横たわっています。前者2冊は、自公政権および野党の体たらくを嘆き、政治がもっとしっかりすべきだと叱咤する内容です。後者2冊は、これまでの僕の人生で袖擦り合わせた他生のご縁ある人々との交流読書録です。上巻ではテーマ別に、下巻では職業別に、それぞれ7章50人ずつの50冊を取り上げました。ありとあらゆる興味深い中味を網羅したつもりです。

⚫︎「77年の興亡」の第三ステージへの楽観、悲観的展望

 事前の講演メモに予定しなかったのに、本番で話したのは、これからの第三の「77年の興亡」がどうなるのかという未来予測でした。もちろんそんなことはわかるわけなく、単なる予測展望です。僕は経済的側面では今話題の投資コンサルタントの齋藤ジンさんによる『世界秩序がかわるとき』が一つの楽観的予測として注目されると言いました。この本の見立ては、米国が中国を意識して、日本を再びパートナーとして持ち上げる時が近くにくるというものです。

 もう一つは、宮家邦彦さんが今年の産経新聞新年号での「正論大賞対談」で、「今世界は戦間期の終焉にさしかかっており、戦争前夜とみられる。これは日本がかつて第一次世界大戦で勝ち組に入っていながら第二次大戦で負け組になってしまったのを、逆転させ今再びの勝ち組に回れるチャンスを掴めることを意味する」と述べたことを紹介しました。要するに、日本外交の展開如何でどうにでもなるという見立てなのです。

 宮家さんご本人の目の前でこう話したことは彼への大サービスでした。僕は中々そういう振る舞いを日本が取れることには悲観的で一つ間違うと奈落の底に落ちかねないと見ますが、厳しい国際情勢を自分の頭で考え抜いて、国民に提起しようとする彼の努力を買って、あえて紹介しました。

 最後は、福澤諭吉の『学問のすすめ』を通して、人間にとって最も大事なことは「交際」であるとの記述に我が意を得た気分になったとの話をして終えるつもりでしたが、時間の不足でいささか尻切れになったかもしれないことは気がかりでした。皆さんとの写真撮影や交歓ののちに4時過ぎに会場を出ました。今夏は蝉の声も未だ全く聞こえず、選挙スピーカーの声も全くなし。SNSの世界での空中戦が激しいのかどうか。不気味なムードが漂う週末でした。(文中敬称略 2025-7-13)

 

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【22】『ふれあう読書』出版記念交流会での僕の講演(予定)要旨(下)/7-11

⚫︎本を読むことの大事さを売りものにした珍しい政治家

 さて、次に今回出版しました『ふれあう読書』上下2巻について語らせていただきます。実は僕が21世紀の冒頭、今から25年ほど前に「書評本」を出すと決めた時に、止めとけと言った友人は「人が本をどう読んだかなんて、だれも興味なんか持たない。だから売れない」といい、弟は「新幹線の中で本を読み、それをまとめた書評を本にするなんて、庶民受けしない、反発される」と批判してくれました。

 それを押し切って出版すると、今度は半藤一利さんから「あなたはくだらない本をいっぱい読む人ですね〜」と言われたり、東京新聞「大波小波」のコラムニストからは、「確かに政治家として本をよく読んでるが、果たしてこの人物が政治の現場にどう活かすのかが問題だ」と書かれました。また、先輩政治家からは、「政治家が書いていいのは辞めてからの回顧録だけ。こんな本は二度と書くな」と言われたものです。僕はこれらを全部無視して初心を貫徹しました。書けない先輩の嫉妬に違いないと(笑)。

 ただ、半藤さんはくだらないと言われたのですが、くだるかくだらないかは人の判断に帰着しますし、古典ということになると、あまたの人がアプローチして書評的なものもいっぱい書いています。僕としては、正直に告白しますと、元々いわゆる読書家ではありません。むしろ本を通して書いた人物に迫りたいとの思いが強かったのです。そういう意味では読書通を装って、「本を読むことを売り」にした政治家なのです。つまり〝戦略的読書人〟が正確な言い振りで、まともじゃあないまやかし的存在です。

 世に政治家は本を読まないと言われています。年柄年中選挙ばっかりやっていて、確かに落ち着いて本なんか読めません。そういう意味では、僕の言った「忙中本あり」は至言なのです。忙しければ忙しいほど選挙区に帰る往復の新幹線時間が増え、ゆとりのある時間ができるというパラドックスに見舞われるからです。姫路はちょうど往復7時間。ひどい時は一往復半で1日10時間乗ってたこともザラでした。

⚫︎福澤の「学問のすすめ」は実は『交際のすすめ」

 『ふれあう読書━━私の縁した百人一冊』は、多くの皆さんからお褒めの言葉をいただきました。実例を一二あげますと、「コラムも含めて4頁という少ないスペースにきちんと収めるのは難しいことと思います。多彩な人脈と豊富な読書の蓄積が生み出した稀有の読書ノートだと改めて感銘を受けました。平易でありながら達意の文章に感じ入りました」というご評価が最も平均的なものでしょうか。「公明党の30年について、御厨貴、芹川洋一の2人が同じ感想=公明党の役割の低さ、を持つのは2人が東大同期で極めて親しいからではないか」とか、「公明党の果たしてきた役割を無視せずに、今後の課題について精緻な分析に基づく評論を展開することが必要だと思う。『77年の興亡』をもう一度読まねばと思った」といったものが一番嬉しかった感想です。これをくれたのはNHKの荒木裕志元報道局長です。

 また、電通大の名誉教授の合田周平さんを上巻に取り上げて、本を送りました。早速に電話をくれました。「いやあ嬉しいなあ、コロナで死にかけてたけど、生きててよかったよ。君にこんな風に書いてもらえるなんて。最近80前に亡くなるバカがいるんだよな」などと捲し立てれらました。この人は天風会の理事長でしたが、台湾で出会って、元天風会の僕と盛り上がったのです。彼の『晩節の励み』って本を評論したのですが、文字通り晩節に彩りを添えられて、とても嬉しい思いに浸れたものでした。

 最後に、実はこの間、福澤諭吉の『学問のすすめ』を再読しまして、感動しました。今までこの本にいくたびか挑戦したものの、あまり面白くなかった。というのは前半が明治維新直後の時代状況を反映した〝お説教タッチ〟だからです。しかし後半は違ってきます。最後の最後は学問ではなく、まるで「交際のすすめ」でした。「交際の範囲を広くするコツは、関心をさまざまに持ち、あれこれをやってひとところに偏らず、多方面で人と接することにある」━━このようなくだりを読んで、まさに我が意を得たりです。福澤先生から直接お前はよくやったと褒められたような気がしています。嬉しい限りです。

 僕の学問上の師匠は中嶋嶺雄先生なんですが、晩年に「君もそろそろ教育をやらないといけないね」と言われたことが気になっています。先生は日本だけでなく、世界中が中国礼賛に走っていた時に、ひとり中国文化革命批判をされた人ですが、最終的に秋田国際教養大学の設立運営に携わられました。私はかねて80歳は、還暦から20年で、真の意味で人間になる時だと思ってきました。尤も、そんなこと言ってると、死ぬまでゴールに辿り着けず、さまよい続けるだけかも知れません。(終わり 2025-7-11)

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【21】『ふれあう読書』出版記念交流会での僕の講演(予定)要旨(中)/7-10

 ⚫︎『77年の興亡』に込めた日本政治への批判

    ではこれから今日の本題に入りますが、まずこの図表をご覧ください。「77年の興亡」なるものの概念図を表したものです。1945年の日本敗戦の年を起点にしまして、遡ること77年前が明治維新の1868年です。一方、敗戦の年から二つ目の77年間が経った時が2022年になります。これまで、様々な学者たちが近代日本の歴史を概観して、「分析的見立て」を論議の俎上に乗せてきましたが、そのうちの代表的なものです。つまり、第一の77年は、1905年を一つのピークにして近代日本が天皇中心(菊の御紋を御旗)に「軍事力増強」路線を走ってきたと位置付けられています。その結果、日清、日露戦争に負けなかったアジアの後発国日本が、先進列強に伍する位置を開国から40年ほどで勝ち取ったといえるのです。

 これはもっと細かくいうと、軍事力拡大だけでなく、ほぼ20年ごとに普遍性路線と土着性路線とを交互に繰り返してきたと見る説(加藤周一氏)もあります。①のいわゆる文明開花、自由民権運動の時代②その反動としての教育勅語の時代③それから大正デモクラシーの時代④またも暗黒の軍部独裁の時代と流れて敗戦に行きつくといった風に、4つに分けられるとの捉え方です。中々味わい深いアプローチです。

 これが前半77年を集約した見方ですが、一方後半の77年間はどうでしょうか。この時代は、戦前と違って、戦敗国として米国に占領され、いわば星条旗の下での不自由な半独立国家、半民主主義国家としての77年が続くのです。ざっといいますと、こっちは、軍事力を米国に預けた格好にして、経済力至上主義の道を歩みます。占領期の7年を含む40年後の1985年がプラザ合意の年で、その後1990年代初頭のバブル絶頂期を迎えることになります。要するにこの40年は、高度経済成長とその余波の時代だったのです。この頃には日本がGDPでアメリカを脅かすような位置にまで成り上がり、ジャパンパッシングという名のアメリカによるいじめ、懲らしめにあう契機になっていったと見られています。

 表にあらわしましたように、戦後期前半の40年は、大きな政府(つまりケインズ主義)的政策展開で日本は経済的に繁栄を謳歌していくのです。ただ、この辺りからのち後半は一転、世界の経済秩序が変化していきます。「新自由主義」なる名の下に、小さな政府による政策展開が主流となっていきます。政治的には、ソ連の崩壊、9-11の世界同時多発テロによる米一極の時代から米中対決を経て多極化の時代へ。日本は、バブル崩壊と共に、あらゆる意味で収縮期に入ってしまい、少子高齢化のどん底へと落ち込みましたが、現実にはそれに加えてコロナ禍、ウクライナ戦争、ガザ紛争などが続いてきているのです。

⚫︎「朝日」「毎日」のサイト版に12本の寄稿で大論争を提起する

 実は拙著『77年の興亡』は、正確には看板に偽りありで、本の中身は図でいうところの戦後史のうち、公明党誕生以後のこの60年の変遷に力点が置かれており、戦前の77年はおろか、戦後の77年も正確には書かれていません。書いているのは、いわゆる「保守対革新」の一昔前の「自民対社共」といった〝イデオロギー対決〟の政治により庶民大衆が忘れ去られているとの観点で、公明党が結成された背景から説きおこしています。つまり、昭和39年(1964年)からの日本の政治が60年経ったけれども、本格的な政治改革ができていない、いったいどうしたのかという、日本政治の根本的批判を公明党の見地から書いたものです。一言で言えば、こんなことでは公明党の看板である「中道政治」が泣くぞという叱咤激励の内容でした。

 そして続編としての『新たなる77年の興亡』は、2022年の1年かけて、朝日新聞のサイト版『論座』と、毎日新聞の『政治プレミアム』に交互に1本3000字〜4000字づつ6本の合計12本寄稿したものを集めたのです。これは、よくやったぞと自分自身を褒めてやりたいと思っています。両社の幹部を知っていたこともあるのですが、よくぞ掲載してくれました。「書くも書いたり載せるも載せたり」でした。

 何を書いたか。一言で言えば、自公の政権与党はこの国をどうしたいのかとの国家ビジョンを明らかにすべし、国家論なき「選挙互助会的連立政権」ではダメだということに尽きます。両党が、そして国民が、憲法について、国家のありようについて、皆んなで大論争を起こそうという提案をしたのです。しかし、残念ながらほとんど反響はありませんでした。世に問うたという意味では「自己実現」ではありましたが。(つづく 2025-7-10)

 

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【20】『ふれあう読書』出版記念交流会での僕の講演(予定)要旨(上)/7-9

 7月12日に僕のこれまでの出版に関して「記念交流会」を持つことになりました。出版元と、その支援者たちによる熱心な要請を受けたものです。ここでは、宮家邦彦、玉岡かおる、岡部芳彦さんら10人ほどの執筆者の皆さんをお招きしていますが、僕が冒頭に少々お話をさせていただきます。参院選真っ只中の開催になりましたが、特に選挙を意識したものではありません。強いていうなら「戊辰戦争」の最中、慶應4年5月15日に福澤諭吉先生が上野の砲声を耳にしながら、塾生たちにウェーランドの経済学の講義をし続けたという故事に見倣ってというべきかもしれません(笑)。ともあれ以下のような話をするつもりですが、事前に公開いたします。(実際にこう話すかどうかは本人も分かりません)。

⚫︎新聞記者根性抜けずに30年

 今回の出版で2022年より出雲出版から毎年一冊出して、4冊目になります。80歳を前にしての連続出版には3つほどの企みというか狙いがあります。①地域起こし②世代起こし③自分起こしの3起こしです。①は出雲市に関わって来られた勝瀬典雄(関学大大学院非常勤講師)さんとのご縁です。②は定年後世代へのエールです③は自分自身への励ましです。実は僕の出版は今に始まったことではありません。衆議院議員に当選(1993年)した7年後のこと。『忙中本ありー新幹線車中読書録』なる本を東京の論創社から出しました。出版祝いの会を東京と姫路の2ヶ所でやりました。実は政治家で選挙以外の本を出す人は殆どいません。ある意味「7年目の浮気」で、新聞記者根性が頭を出してきたのです。結局本を出すのはそれきりにして20年間代議士を勤めあげました。ですが、ブログという名の出版(読書録と国会リポート)をずっと続けたのです。これが今日の活動の伏線になったといえると思います。

 ここで、政治家生活20年について、ざっと振り返ってみます。僕は1993年に初当選しましたが、大学を出て18年間を新聞記者(政党機関紙)をし、その後衆議院秘書や公明党県本部職員などを5-6年ほどしました。1969年からの25年間ほどのことです。この間の日本の政治はずっと自民党単独政権でした。佐藤栄作氏から宮沢喜一氏の時代(12人)ですが、この後、細川護煕さんからはずっと連立政権になっていきます。途中の民主党政権下の3人を外すと、自民党を軸にした連立政権はざっと石破さんまで13人目です。連立政権時代に突入した頃からの30年間がちょうど僕の政治家時代と重なるのです。この間に何をやったかと言われると恥ずかしいのですが、①憲法②安保③健保(けんぽう、あんぽ、けんぽ)の3つの分野です。主に憲法審査会、安保委員会などに所属しすると共に、厚労副大臣を1年だけやりました。専ら本を読みつつ国会の動きを解説し続けた20年だったと告白します。それでもミニ歴史に残る国会質問もしています。とりわけ印象深いものは①小泉首相に対する「季節外れの大雪現象」質疑②福田康夫首相への「大連立批判」質疑③鈴木宗男氏への「証人喚問」の3つでしょうか。3つ目は上巻に出てきます。

⚫︎引退後に一社、財団法人活動などから電子本を出版

 2013年暮れに引退して、約10年間は電子本の発刊に挑戦しました。最たるものが、小中高大の友人たちとの「とことん対談」シリーズです。住友電工から住友ゴム社長になった小学校同期の友人と「運は天からの授かりもの」をだしました。中学校同期の臨床心理士の親友とは「この世は全て心理戦」。高校同期の医者2人とは「笑いが命を洗います」と題して。そして大学同期の朝鮮半島問題専門家の小此木政夫とは「隣の芝生はなぜ青く見えないのか」といったようなものを出したのです。これらを全部まとめて『現代古希ン若衆』(「新古今和歌集」のもじり)という本にしようと企画したものの、一人の女性から猛反対を受けて敢えなく沙汰闇になりました。「万が一ベストセラーになったりすると、私の歳がバレるからヤダ」っていうのです。まったく、「たまるか!」です。涙を呑み諦めたのが70歳の時でした。

 その後も、ここに映像にあるような「10問10答」シリーズと称して、「日本熊森協会」や「カイロプラクターズ協会」やAKR、坑道ラドン浴など一般社団法人、財団社団法人や公益財団法人など僕が関わってきた活動の電子本をせっせと出したり、「安保政策研究会」のリポート寄稿なんかをずっと続けてきたのです。そんな状況の中で、常々考えてきたのが「日本社会の転換」や「時代のサイクル」ということでした。一番ひっかかったのが半藤一利さんの「40年日本社会転換説」でした。それらから1945年を軸にすると、「前後77年の2サイクル」ということに気づいたのです。そこで、安保研リポートにずっと書いてきた政治評論を国際、国内編に改めてまとめ直して分類することにしました。以下この著作に表した『77年の興亡』について述べてみます。(つづく 2025-7-9)

 

 

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【19】僕の新刊本『ふれあう読書』の読みどころ━━官僚編/7-6

⚫︎官僚における師弟関係と先輩・後輩関係

  次に第6章、官僚編です。上巻では外務省の岡崎久彦さんと宮家邦彦さんを取り上げました。両者ともに僕の筆致は冴えていたと自己満足していますが、さて実際はどうでしょう。宮家さんが今年の産経新聞新年元旦号で、第40回「正論大賞」を受賞されたことを記念してBSフジの報道番組「プライムニュース」のキャスター反町理さんと対談をしていました。この中身に関しては既に一部取り上げた(7月2日付け)のですが、今回は宮家さんと岡崎さんの師弟関係の発端といえるくだりについて触れてみます。

 それは、第11回の同大賞を岡崎久彦さんが受賞されていたことに関連して、宮家さんが岡崎さんのことを深く尊敬されている様子が明らかにされます。米国に留学していた宮家さんが当時、戦略国際問題研究所(CSIS)で客員フェローを務めていた岡崎さんから、安全保障をやるのなら歴史の勉強をせよと言われたことが出てきます。当初宮家さんは、その意味がすとんと落ちなかったようですが、外務省を辞めてから初めてわかったことを披瀝しています。「岡崎さんのアドバイス(外交には歴史観が必要)がなければ、今の私はありません。最初の恩師です」とまで。二人の歳の差はほぼ20年。頷ける思いがします。

 僕のかつての仕事上のボス・市川雄一さんも岡崎さんを深く尊敬されていました。年齢は5歳違いでしたが、政治家と外務官僚の域を超え畏敬の念を抱かれていたように思えました。僕には『陸奥宗光とその時代』『小村寿太郎とその時代』『幣原喜重郎とその時代』『重光・東郷とその時代』『吉田茂とその時代』や『百年の遺産 日本近代外交史73話』を読めと〝強請〟されました。懐かしい思い出です。

 もうひとり、官僚編で取り上げた元厚労省事務次官の辻哲夫さんに触れてみます。僕が厚労省に一年だけお世話になった頃の事務方トップが辻さんでした。厚労行政のイロハも知らない僕でしたが、実に親しく付き合って頂きました。忘れえぬ恩義を感じています。その背景には、この人が公明党の大先輩である坂口力元厚労大臣を深く尊敬されていたことがあります。つまり「大先輩の七光り」という余波を僕は受けて、ひたすら大事にして頂いたのです。力もない存在に勿体無いことだったと今は思います。

 つい先日のこと、僕が副大臣だったころに秘書官として支えてくれた宮崎淳文総括審議官が次期官房長に昇格することが判明しました。最高に嬉しいニュースだったので、その喜びを分かち合って貰おうと東大特任教授の辻さんに知らせました。すると、「宮崎さんという大変優れた方が着任され、赤松さんと共に私も心から嬉しく存じます。少子化対策を含む社会保障政策は、超高齢人口減少社会における不可欠の地域再分配を含んだ公共事業ともいえます」と書かれていました。僕が厚労省を離れて既に20年。今も当時の関係を大事にしています。それを辻さんは喜んでくれ、こちらもまた嬉しいのです。

⚫︎人の見方さまざま、官僚の生き方もさまざま

 元英国(アイルランドも)大使だった林景一さんは、帽子の良く似合う英国風紳士です。いつも穏やかで理路整然と外交を、国際政治を、国際法を語ってくれました。僕が下巻に取り上げた『アイルランドを知れば日本がわかる』についても、うまくまとめていただきありがとうございますとの連絡を頂きました。その林さんが過去の対話の折に、色をなして反論されたことがあります。外務省出身の著名な外交評論家のことを僕が肯定的に述べた時です。世間での評価は分かれるものの能力は凄い、と思うって。

 彼は記憶力には目を見張るけれど、国際情勢分析においておよそ公平さを欠いているといった趣旨のことを述べられ、落ち着いた議論にはならなかったのです。外務省の正統派からすると、どこまでもその評論家は異端にみえる存在なんだと、妙に感心したことを覚えています。僕の国会における発言が発端になり、世間での評価も高まった人(という側面なきにしもあらず)だけに、複雑な心境になります。

 国交省最高幹部だった大石久和さんからは、「小生の著作もご丁寧にご紹介頂き感謝に堪えません」とのお礼状を頂きました。その後に「(大石は)国民の貧困化に危機感のないオールドメディアの批判を続け、講演活動、執筆活動も懸命に行っています」とあり、B5用紙2枚に、3000字ほどの小論考「亡国の『改革』に専心した日本」(多言数級245)が同封されていたのです。政権批判の色が濃い文章でした。

 今日ここにまで庶民生活を貧苦の底に追い込んだ「政治の流れ」とでもいうべきものに、大石さんは怒っています。2001年の省庁再編に端を発した「大蔵省解体」の動きと「財政健全化」という方向の定着がもたらした、今に続く自公政権の負の元凶が綴られています。この論調、今の選挙戦の底流に淀んでいます。政権の屋台骨を揺るがせているようにも思われ、深刻に受け止めざるを得ません。(2025-7-6)

※これでこの連載は終わります。第7章政治家編は省略します。

 

 

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【18】僕の新刊本『ふれあう読書』の読みどころ━━ジャーナリスト編/7-5

⚫︎日本の各地で貴重な仕事に取り組む人々を描き出す営み

 この本の出版直後に、当の出版元の存在する出雲市から、「知ってる人が出ている」との報がありました。驚きでした。総合雑誌『潮』の編集記者を経て月刊誌「理念と経営」の編集長をされた背戸逸夫さんのことでした。取材を受けたことがあるという会社の関係者からの知らせでした。日本中の企業経営者の人物像を描き出す仕事を、ジャーナリストとしての人生の総仕上げにした背戸さん。新聞記者を振り出しに、政治と社会を見続けてきた僕にとって、同じ業界のうるさい先輩でした。「本出した?俺のこと書いた?大丈夫かよ」と、冷やかされたかのような錯覚を抱いたものです。

 僕の人生と新聞の関係は、少年時代に「新聞の題字」を切り抜き集めていたことがきっかけかもしれません。昭和20年代後半から30年代初めの神戸市垂水区塩屋町界隈で流行っていたのです。そんなの幾ら集めてもタカが知れてるのにと、今では思うのですが‥‥。やがて、「新聞配達少年」になり、「記者」に憧れて、配る側から書く側に回り、初めてそれが記事になった日の甘酸っぱい感動。まるで自分の娘の幼稚園に初参観して、お遊戯の輪の中に見い出した時のような、複雑な感覚でした。

 元毎日新聞記者の大森実さん(母校長田高の先輩)の講演(ベトナム戦記)を聞いたことが、僕の人生を決める発端、誘因になったことは、この本の上巻に書き留めた通りです。実は、「匠の世界」を描き切った元神戸新聞の内橋克人さんも永く憧れた郷土出身のジャーナリストでした。上巻の第4章(経済と生活)の頭に彼を置き、第5章(社会と人間)のトップに大森さんを配置したことは、僕の職業選択と後の伴走役へのお礼の意味合いを込めたつもりだったのです。

⚫︎広がる本を愛する読者仲間の輪

 下巻ではジャーナリスト編として、冒頭に述べた背戸さんを先頭に7人の面子を並べています。以下、残る人たちのうちから4人を紹介します。

 議員を引退後、東京に行く機会がほぼなくなり、めっきり交流する場面も減りました。そんな中で唯一、安保政策研究会のみが大事な繋がりです。理事長の浅野勝人(元内閣官房副長官)さんは元NHKの解説委員でした。その豊富な人脈を活かして集まったメンバーによる『安保研リポート』も50号を超えて活気を呈しています。浅野さんは『ふれあう読書』下巻を、ご自身の『宿命ある人々』から目を通したのちに「こんなに的確に解読してくれた人はおりません。こんなに深い評論をしていただいて嬉しい。家内が読んで感動しました。著者同士の長い、いい付き合いが絆の深い友情で繋がっているから、こんな好意ある公平な評論になったに違いない」とのメールを届けてくれました。

 50人の著者たちから感謝していただく声が相次いでいますが、奥方からの声は浅野夫人のみです。最後に総括して50人の書評のトップをあげたら、迷うことなく、とご自身の著作を挙げておられたのは微笑ましい限りでした。

 公明党の議員になる前から機関紙記者をし、市川雄一元書記長の秘書をしていた僕だけに新聞記者との付き合いも数多くあります。その中で縁が深かったのが、「朝日」の西村陽一さんでしょう。本の中でもふれましたが、彼の処女作『プロメテウスの墓場』は実に読ませました。先日も本好きの慶應の後輩に拙著を贈呈したところ、まず西村さんの本から購入して読んでいるという返信を貰ったのには〝同好の士〟を得たようで、とても嬉しかったものです。

 西村さんと並ぶ俊英ぶりの印象が濃い記者は共同通信の太田昌克さんです。最近はテレビのコメンテイターとしての登場が多いようですが、雑学に流されないで、本業である「外交・安全保障」分野での発信を忘れぬように願いたいと思うのは老爺心が過ぎるでしょうか。この分野でもリベラルの潮流が劣勢で、リアル優先のために、保守の基調が強まり過ぎている傾向があるように見えてなりません。その意味でも『偽装の被爆国』はとても大事な本だと思えました。

 最後に神戸新聞の武田良彦さんについて。僕が書評集下巻をものするにあたって、紛れもなく楽しみながら読み続け、指先によりをこめて書き上げたのは骨董品をめぐる彼のエッセイ集『骨董病は治りません』でした。出来栄えも悪くないはずです。武田氏本人も「今年の芋煮会にはぜひ」と僕が喜ぶセリフを忘れていません。ところが僕の大学同期で骨董品に入れ込んできたO君が、この書評にほとんど関心を示さない。謎です。一番喜んでくれるはずと思い込んでたのに。なぜかくも骨董品を愛好してやまない記者の経験談に冷たいのか。深まる疑惑を解明しようと近く直談判を決めています。(2025-7-6)

 

 

 

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【17】僕の新刊本『ふれあう読書』の読みどころ━━自然科学者編/7-4

 前回は本の中身というよりも「他生のご縁」の拡大版のようになってしまいました。上巻を出版してから1年余。それなりに人気を集めているのは、著者と僕とのエピソードのようですから、仕方ないかも。あまり気にせず、今回も続けます。

 自然科学者編は、8人が登場していますが、大雑把に分けて、前半の4人が泰然自若としたおおらかな性格の研究者タイプ。後半4人がどちらかといえば、自身の原理原則に相手を合わせようとする厳格な指揮官タイプ。勝手な僕の見立てを許していただくと、そうなります。まずは伏見康治さんから。

⚫︎泰然自若としたおおらかな研究者タイプの4人

 伏見さんについては本文にも書きましたように、日本学術会議議長をつとめられた原子核物理学者。今考えると、よくぞこういう巨大な自然科学分野の大物を公明党は政治の世界に引っ張り出したものと思います。結局一期6年(1983-89)で参議院議員を辞められ、今日後継の流れの痕跡すらないことは、学者の政治家への登用が成功しなかったケースなのかも知れません。

 伏見さんが引退された4年後に政治家になった僕としては、先輩たちの先見性を推奨するくらいがせいぜいですが、国家的見地からは惜しまれます。伏見さんと短い時間だけどお付き合いをした僕が、議員を勇退された後の伏見さんと付き合っていればなどと、後悔しても遅きに失するというものでしょう。

 帯津良一さんについては一度講演を聞いただけですっかりファンになりました。作家・五木寛之氏との一連の健康対談を始め、その著作の殆どを僕は読んでいます。生き死にのあり方から、リアルな健康指南ぶりの卓越性はつとに知られていますが、法華経へのご理解は希薄なように見受けられます。一度お会いして〝お手合わせ〟していないと、また後悔する羽目になりそうな予感がするのですが、さて。

 網本義弘、福岡秀興のお二人は、この本での登場をとっても喜んでくれました。網本さんは大病を患われ、このところ入院状態が続いています。そんな中で、先日も母校への図書贈呈の労をとってくれました。僕としては校長始めルートは幾らでもあるのですが、先輩のご好意に甘えたしだいです。福岡さんからは、胎児期の栄養と疾患の関係をめぐって国際学会の招聘に成功したとの嬉しいニュースが入ってきました。さてどうなるか。僕としては彼の研究が更に前進を示されるよう強く望んでいるものです。

⚫︎原理原則で挑む厳しい指揮官タイプの4人

 さて、ノーベル賞受賞者の大隅良典さんからの4人はいずれも厳格な雰囲気を湛えたリーダーに見えます。ただし、大隅さんは一度講演を聞いただけ。しかも小中高校生ら子どもを中心にした会合。で、なぜ泰然自若のグループに入れなかったのでしょう。その理由はただ一つ。「いま議論の虚しさを感じさせる場面は国会かもしれない。議論が破綻していることは誰の目にも明らかだ。日本の政治の劣化は著しい」というくだりを本の中に発見したからです。これ一つで僕には十分な彼の厳しさが伺えるのです。

 あとの森山まり子、荻巣樹徳、中川恵一のお三方はいずれ劣らぬ骨太な精神の持ち主。勿論お人柄は皆さん優しく、僕の〝仕分け〟に異論を唱えられるかもしれません。しかし、ご自身の信念を貫かれる姿勢において微塵も妥協しない場面を幾たびか見聞きしてきた僕の確信は、断じて揺るがないのです。

 森山さんについては先日もある著名な政治家が「森山さんは本当に妥協ということを知らない、まるで宗教団体の指導者みたいだ」と語っていました。聞いてた僕は吹き出しそうになりました。この政治家、宗教団体云々は決して僕の周辺の人を指しているのではありませんし、例え方は適切とは思えません。ですが、彼女と幾たびか熊と森の関係を語り合って、断じてブレない姿勢には、つくづく呆れてしまった経験があるのです。もう少し、引くことをしないと、合意形成は難しいのにとしばしば思います。それでいて、その頑固さにはなんとも言えぬ純粋な精神が張り付いていて清々しさをも感じるのです。

 その純朴そのものの優しさと厳しさは、荻巣樹徳さんにも共通しています。荻巣さんとは長い付き合いがあり、幾度か議論もさせていただきました。紛れもない植物学における天才であり、その存在は「日本の宝」だと思います。過去の種々の議論の中で、昨今の世間の俗物的風潮の蔓延に異議を唱えられる時の厳しさたるや、怖いほどの迫力を感じます。

 それは中川さんも同じだと思われます。ただ、世間一般が天才的感覚を持った科学者や医学者の厳格な姿勢を分からぬことが多いのかもしれません。近寄りがたい怖さを感じる旨の発言を散聞することがあります。そういう人だとわかっているつもりの僕が、今回取り上げた『がん練習帳』の面白さにはたまげるほどでした。読まれた人にはどういう意味かお分かりでしょう。実に見事な両面性ぶり発揮とは僕の誤解でしょうか。(2025-7-4)

 

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【16】僕の新刊本『ふれあう読書』の読みどころ━━社会科学者編②/7-3

⚫︎80歳半ばでも全く衰えない創作意欲の持ち主

 前回は「公明党論」について考えさせられる本を3冊、章横断的に取り上げてみました。今回は、第3章の中に登場する10人のうち、僕が日常的に親しくお付き合いをしてきた4人についてふれてみます。川成洋、佐竹隆幸、岡部芳彦、相島淑美の皆さんです。

 川成さんとは公明新聞記者時代からのお付き合いですから、かれこれ50年になろうかというほど古い間柄です。文化欄を担当していた頃にスペインについて書いて貰うべく交渉したことがきっかけだったと記憶します。今回取り上げた『スペイン内戦と人間群像』を読むと分かるように、スペインについて圧倒的に深い知見を持っておられます。新聞記者を経て政治家になった僕が長い空白の時を経て再会した時に、赤坂のとある食事処での語らいが印象に残っています。

 問わず語りに彼の口をついて出てきたのは、若き日に事故を起こして片目の視力を失われたということでした。確かにお顔を見ると隻眼ぶりが分かります。しかし、合気道、居合道、杖道の3つ合わせて13段の武道家で、両目の見える人間には何事でも負けたくないという凄まじいまでの気迫に圧倒されました。先年も横浜と埼玉に住む友人ふたりと一緒に、鶴川の武相荘を訪れた際に最寄駅でお会いしましたが、年齢的に若い我々が到底太刀打ち出来ない気力(年に数冊出版する)を見せつけられたものです。

 本業とは別に書評に手を初められており、昨年ご自分が編纂されている本への寄稿を僕に求められました。僕も書評は好きなもので、2つ返事で承諾しました。『アラバマ物語』について書いたのですが、川成さんからそれなりに認められたことはとても嬉しい気分だったことを告白しておきます。

⚫︎関学大を舞台に走り抜ける学者たち

  関学大の教授だった佐竹隆幸さんは60歳直前にこの世を去ってしまわれました。本にも書きましたように、彼とは晩年あれこれと、よく付き合ったものです。県知事選に出たいという〝下心〟があったからでしょう、読売テレビの人気番組『そこまで言って委員会』に出るにはどうすればいいかと相談を持ちかけられたものです。学問としての経済学を極めて、日常的な企業の経営に口を挟み、目をむけるうちにそれだけでは飽き足らなくなって、政治の道に進みたかったものと見えます。彼とは真逆に政治家を経て学問に興味を持って大学の門を叩きたくなった僕ですが、皮肉なことに2人とも挫折してしまいました。

 ウクライナ戦争ももう3年を優に越えてしまいました。〝戦争慣れ〟とは言いたくないものの、すっかり常態化してしまった日常に、改めて居住まいを正したくなります。関学大を出て今神戸学院大教授の岡部芳彦さんはこの3年、すっかりお茶の間のウクライナ専門家として有名人になってしまいました。公明党の後輩・衆議院議員であった遠山清彦君から紹介されて初めて会った頃から、この人は変わらぬ熱情を湛えてウクライナのことを語り続けてくれています。

 取り上げた本は「日本とウクライナの交流史」なのですが、戦争が起きてなかったら、僕は読んでたかどうか。遠山君はコロナ禍の最中に不用意な行動を起こし議員辞職の憂き目に遭ってしまいました。一方、岡部さんは戦争と共に、過去に積み重ねた研鑽の成果を発揮しまくっています。人生万事塞翁が馬と言います。遠山君も政治の世界ではなく、持ち前の学識の深さと語学力で、そろそろ異世界で浮上してもいいのにと思うしだいです。罪は十分償われました。彼の能力が発揮されない現状は勿体無いです。

 最後に、相島淑美さん。この人の経歴ほど凄まじきものはないとつくづく感心します。上智大学を出て日経の記者になり、その稼業が自分に合わないと見るや、慶應の大学院でアメリカ文化を研究し、某女子大で講師をする一方、翻訳家として活躍。やがて今度は関西学院大学のMBAとしてマーケティング習得に精を出して博士号を取得し、今では神戸学院大教授になって、おもてなしと茶道の関係解明に取り組むといったしだい。しかもこの間に2度結婚し2度離婚しているというから、まことに慌ただしい。

 ひとつの仕事だけの会社人間で、ひとりの相手とずっと暮らしてきたなどという平凡な人生道を歩んできた人にとっては、なんとも言い難い破天荒ぶり。ただただご苦労さんというのが精一杯だろう。この人、妙に僕と気が合う。60歳を過ぎて益々意気盛んで、3度目の挑戦も厭わない風が眩しいだけに、ついお相手を探してあげたくなってしまいそうになる。よせばいいのに、僕の世話好きも尋常じゃないかもしれない。(2025-7-3)

 

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【15】僕の新刊本『ふれあう読書』の読みどころ━━『社会科学者編』/7-2

⚫︎公明党が自民党を支え続けるプラスマイナスと罪と罰

  第3章社会科学者編には10人が登場します。ここでは過去2回とは趣向を変えて、第2節の米・コロンビア大名誉教授のジェラルド・カーティスさんの『政治と秋刀魚』から「公明党論」を取り上げ考えてみたいと存じます。

 実は、この本の65頁に出てくる発言こそ、現時点で公明党の幹部がぜひ読むべき重要なものです。「(三党の連立政権が実現した1999年)そのとき、公明党が小渕総理の呼びかけを断って、与党でもなく野党でもない『中間党』という立場を取ったなら、日本政治で初めて国会という立法府が政策立案の重要な場になったはずだとそのとき私は思い、今もそう思っている」というくだりです。その時から10年近く経った2008年時点で「左右両勢力のどちらにも与しない生き方を、公明党もとっていればよかったのに、(中略) 今や自由に動きが取れなくなった」とカーティスさんは嘆いてくれているのです。

 これはドイツの自由民主党との比較で語っているのですが、いらい20年近く延々と公明党は日本における与党であり続ける選択肢をとってきました。勿論、公明党の与党化によって、日本の政治は何はともあれ安定したといえます。自民党という「上から目線」の強い政党を、「庶民大衆目線」で補う選択は大いなる幅を持ち、曲がりなりにも経済格差の是正に役立ってきたといえなくはないからです。ただし、それももはや限界に達しています。

 公明党が与党を離れて、立憲民主党や維新、国民民主党など野党と共同戦線を組んでいたら、日本の政治はもっと違ってたのに、と思います。取りうる選択肢を自ら狭めてしまったことは返す返すも惜しまれます。著名な評論家が公明党の与党化の効能を説いてやまないのですが、与党=自民党ではありません。自公政権が半永久的に続き、政権交代が可能にならないと、民主主義は凍てついてしまうと言わざるを得ないのです。何も自民党とくっつくだけが与党化ではないのです。その辺りをカーティスさんの本は考えさせてくれるといえましょう。

⚫︎公明党につきまとう平和主義の「危うさ」という誤認識

 公明党について考える上で、第6節の御厨貴さんや、第5章のジャーナリスト編第3節で登場する芹川洋一さんの『平成政権史』は極めて大事です。お二人とも日本政治が30年を経て、公明党が野党から与党に変化したのに、基本的には政治の風景は変わっていないとの認識です。それは自民党を公明党が下支えすることで、結果的に自民党単独政権時代と変わっていないとの見方なのです。この2人とカーティスさんのものと合わせて3本一緒に読むと分かりやすいと思われます。

 御厨、芹川ご両人とも悪意はないのでしょうが、自民党を中心に見る癖がつき過ぎている分だけ、公明党を付録のように見ていると言わざるを得ません。それもそのはず、「小さな声を聞く公明党」という自前のキャッチコピーが示しているように、国の根幹は自民党政治で、そのオマケ部分を公明党が担っているかのような表現が横行しているのです。これは誤解を生むもとだと思います。

 意図的なのか偶々なのか判然としないのですが、公明党の国家戦略は見えません。自民党とどこまで同じなのか。どこが違うのか。あえて漠然とさせている風があるようにも思えます。御厨さんが81頁で後藤田正晴元官房長官の「公明党はちょっと危ない」「この国への忠誠心がない政党」だとの発言を取り上げていますが、なかなか意味深長だともいえそうです。

 これはジョークのように聞こえますが、実は日本の保守勢力の重大な基礎認識を示しています。要するにいざというときに公明党は頼りにならない、つまり武器を持って立ち上がらない政党だと言っているのです。しかしこれは、日蓮仏法を信奉する創価学会が持つ絶対平和主義の理念と、公明党の平和主義をわざと曲解したものだと言えましょう。

 そういえば、キヤノングローバル戦略研究所の宮家邦彦さんが、「公明党は危うい」という表現で、戦争にどこまでも反対する政党と位置付けて(2025年産経新聞元旦号での対論)いました。なんだか後藤田氏と共通する響きを感じますが、これは僕は誤認識だと思います。平時においてどこまでも対話を重んじ平和外交を貫くことと、国家への忠誠ということは両立することだと思うからです。ただし、現代日本ではこの辺りの論議が曖昧なままになってることは否めず、不安が付き纏うのです。(2025-7-2)

 

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【14】僕の新刊本『ふれあう読書』の読みどころ━━作家編/7-1

⚫︎男の自立と自律、ユーモアめぐる忘れえぬやりとり

 第2章は、作家編です。まず、ドナルド・キーンさん。この人とは偶然新幹線で隣り合わせになりました。元衆議院議員の大先輩の塩爺こと塩川正十郎氏から『明治天皇』上下巻を貰って読んでいらいファンになったという妙な関係です。『日本文学史』全18巻もせっせと読みました。ここで紹介した本はそのダイジェスト版です。谷崎潤一郎や芥川龍之介に比べて「夏目漱石が世界の古典にはなかなかなれない」との評価は妙に印象深いものがあります。

 次に曽野綾子さん。ついこの間亡くなってしまわれました。衆議院憲法調査会に来ていただいてご意見を聞き、質問したことがご縁のきっかけです。短い時間でしたが、心が通い合う質疑ができました。キリスト者らしい人間への深い洞察力に満ちた『晩年の美学を求めて』は、読み応えのある本ですが、「自立と自律」をめぐる現代人への忠告など、僕の耳にはとても痛い中身でした。要するに家事の一切を妻任せで、サポート出来ない男は、自立はしていても自律できてないといわれるのです。深く印象に残っています。

 河合隼雄氏は、ご自身1人で書かれたものより対談集が面白いと、この『あなたが子どもだったころ』を選びました。7人の才人たちとのまことに楽しい会話に、心の底から笑い、ほっこりした気分になれました。ユーモア溢れる本には目がない僕ですが、つくづく面白いと思うのは福澤諭吉の『福翁自伝』です。つい最近読み直したのですが、最高に笑ったのは、細い道を屈強そうなサムライが歩いてきて、すれ違いざま怖くて走り過ぎたと言うのですが、同時に相手も同じように走って逃げたと言う話です。

 その昔、河合氏にユーモア力の磨き方を教えて貰える本を訊きました。挙げていただいた本を読んだのですが、残念ながら全く面白くなかった。そういうと、「そうですか、やっぱり」との答え。これには笑った。今の僕なら『福翁自伝』を挙げるはずです。河合氏ともっと語り合いたかったと思います。

⚫︎維新や戦争めぐる親子、友人との深い溝

 次に安部龍太郎氏の『維新の肖像』。ここでは維新をめぐる朝河正澄と朝河貫一の親子二代の生き様を描いたものですが、今、公明新聞に安部氏は『ふたりの祖国』と題して、朝河寛一と徳富蘇峰の物語を書いているのは周知の通りです。佳境に入ってきたところですが、どのように決着をつけるのでしょうか、大いに興味が募るところです。実は新聞小説が始まった時に安部さんに書いた手紙には返事を頂いたので、とても嬉しかったものです。しかし、つい先日書いた手紙にはなしのつぶて。さすがに、連日の新聞小説には気が休まる時がないのかもしれず、柳の下に二匹目のどじょうはいなかったようです。

 最後に、玉岡かおるさん。デビューされて間もない頃に友人の建設会社の社長と一緒にご自宅に伺ったのは懐かしい思い出です。お互い駆け出しだったのですが、あれから30年。今や彼女は押しも押されぬ大女流作家。こっちは議員を辞めてもう12年ほど。来し方を比較するべくもないのですが、彼女の本格的小説はあまり読んでいません。ところが先日かつて事務所を手伝ってくれた女性事務員(西宮市在住)と話していると、玉岡さんの『帆神』を激賞したのです。これには驚いた。北前船をめぐる物語で絶対読むべしと勧められました。その昔にはとんと小説談義などしなかったのにと、その成長ぶりにすっかり感じ入ったものです。そのことを玉岡さんに伝えると、当然ながら、大いに喜ばれました。(2025-7-1)

 

 

 

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