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【33】なぜ日本は凋落したか━━福澤諭吉の「教育・発育」論議を/8-25

 23日に開かれた「姫路慶応倶楽部・夏季例会」でのこと。「独立自尊とイノベーション」という演題で三木則尚・慶應義塾大学理工学部教授の講演を聴いた。冒頭、同大理工学部の国際交流委員長や体育会スケート部部長として活躍される姿が映像で紹介され、参加者との一体感が一気に高まった。講演前半では「失われた30年」と言われる日本を取り巻く厳しい「時代の変化」が世界各国との比較を通じて赤裸々に認識させられた。後半はこれからどうするかについて、福澤諭吉の知恵としての「独立自尊」の精神で乗り越えていこうとの興味深い展開だった。以下、この講演を受けての所感を述べてみたい。

⚫︎福澤諭吉の「教育でなく発育を」の論議はなぜ無視されたか

 三木教授の講演は「我が意を得たり」そのものの内容で、爽快さを覚えた。とりわけ、明治維新から77年後の1945年の「敗戦」と、更にその後77年経った2022年の「敗北」という2つの77年間を対比させての現状認識の披瀝については、拙著『77年の興亡』を著した者として大いなる共感を抱いた。ただ、今日の事態を招いた背景として「教育」に因ありとの指摘については、かねてからの僕の疑問に触れられなかったことがいささか気になった。それは、福澤諭吉自身が『文明教育論』(明治22年)の中で「教育の文字甚だ穏当ならず、宜しく之を発育と称すべきなり」と述べていることに関わる。「教育」との呼称が〝上から目線〟であるのに比して、「発育」は〝内からの発想〟で斬新だと思われる。明治の「文明開花」期における最大の着眼点と言ってもいいのに、殆ど無視されてきたことは不思議に思う。

 講演後、この辺りについて同教授のお話を直接伺った。「福澤の教育論がなぜ受け入れられずにきたのでしょうか。今日のお話でもその点に触れられなかったのは画竜点睛を欠くと言わざるを得ません」と率直に問いかけたのである。三木教授は、「いやあおっしゃる通りです。実は大学でも自分はそのことをいうのですが、皆さん何故か殆ど同意頂けないのです。これからは貴方の言われることをも加味して講演でも使っていきます」と、全面的に同意を戴いた。積年の疑問を解くと共に「教育改革」への強力な同志を得た思いでとても嬉しかった。

 福澤諭吉は「教育」ではなく「発育」という言い方をすべきだと言ったものの、その後の明治日本では受け入れられず、むしろ「教育勅語」の定着化に代表されるように、真反対の方向に流れた。「教育」は、軍国主義日本としての「画一的に教え育む」用語として縦横無尽に一人歩きしたことは周知の通りの歴史的事実なのだ。

⚫︎「戦後民主主義教育」でも続いた封印はどうしてか

    何故にこんなことになったのかという問題意識をこのところ僕は持ち続けている。福澤が論考で発信した当初は、「西洋事情通」らしい発想の所産として注目されたのだが、直ぐに明治日本の土壌には受け入れられないとの空気が支配的になった。統治の有り様として一定方向に教えることが肝心で、個性を育む多様化は、近代国家作りには馴染まないということになったのだろう。この流れに対して、福澤がどういう反応を示したかについては、あまり世に知られていない。ただ、自論を撤回したのではなく、世の風潮に同意せざるを得なかったのだろうと僕は見ている。いかに福澤とはいえ、文字通り「衆寡敵せず」の状態を突破するのは難しかったに違いない。

 むしろ僕が疑問に思うのは、戦後日本の再出発にあたって、米国の教育制度の導入という事態においてこそ「発育」が受容されるべきチャンスだったのに、やはりそれが受け入れられず、封印されたということである。占領期の前後に「教育か発育か」との論争があったかどうかは定かではない。明治以来の「教育勅語」に代わって「戦後民主主義教育」という呼称で世に流れ出でたものの実態は、個を尊重するというよりも全体を平等に一歩前進させるものとして定着していった感が強い。

 高度経済成長期を通じての「詰め込み教育」か、それに対抗する「ゆとり教育」かとの論争はあったが、福澤が提起したような、「外からのお仕着せでなく、内在的なものを引きだすのか」との論議はなされてこなかったように思われる。ようやく個性豊かな多様化の時代が叫ばれている折にあって、日本の「教育」の有り様が改めて問われだしている。今こそ福澤の「発育」論に陽の目を当てていきたいものである。(2025-8-25)

 

 

 

 

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【32】客観的情勢は「解党」気運?━━架空鼎談『公明党のこれから』/8-20

 猛烈に暑い夏が続いています。7月の参議院選の自民党との〝連れ立ち大敗〟の結果、日本の政治は多党化と少数与党の厳しさが一段と鮮明になりました。選挙後1ヶ月が経ち、夏休みも終わりかけていますが、公明党にとってのこれからをどう考えるか。ここでは80代の爺さん、50代のお母さん、20代の孫息子の3世代による架空鼎談を試みました。

⚫︎新しい党を作るぐらいの気構えが必要

孫)暑い熱いって言ってるうちに、参院選からもう1ヶ月が経ってしまった。公明党の選挙戦総括もそれなりに進んでるみたい(斉藤代表の発言)だけど、僕らの感覚からすると、遅すぎるし、ピンとこないなあ。これだけ負けたら、人心一新というか、解党的出直しが当たり前だと思うけど。

母)あらぁ、いきなりきついことを。確かに世間的には大敗の責任は、党執行部にありというのが通り相場だけど、ことはそう簡単じゃあない。自公で組んで20年余。利害得失よく考えんとあかんのじゃあ?

爺)私の世代、特に男性は自民党と離れるべしとの意見が強い。こないだ大阪自民党の前代表が公明党との関係見直し論をぶってたよね。あれには反発感じるなあ。「三下り半」はこっちが突きつけたいよ。

孫)自公共に古い政党だっていう印象が専らだね。SNS、YouTubeを見たり、使ったりしてる僕らからすると、このところの選挙結果の傾向は当然だよ。公明党は自民党の言うがままの弱い党と見られてる。

母)そうかしら。もし公明党なかりせば、自民党はもっと酷くなってる。公明党はそれなりに自民党を制御しているって見方もある。今が正念場で、ここまで来たんだから、政治改革に更に取り組まないと。

爺)優しくも厳しいこと言うなあ(笑)。公明党60年の歴史を振り返ると、前半と後半がほぼ30年で二分される。ここらで、解党して、新しい党を作るぐらいの抜本的な対応をするいい機会かもしれんと思う。

孫)そうだよ。僕らの世代にとって、公明党って色でいうとライトブルー。爽やかで清々しいイメージがあるけど、インパクトが弱いよ。今の時代を変えていく馬力をもっと感じさせて欲しいって気がする。

爺)俺たちからすると、自民党政治を変えるという目標のもとに出来た公明党だから、ボロボロになった自民党を見てると、打倒自民の目標は達成した(笑)とみていいかもしれん。発想の転換をするとね。

⚫︎党のイメージ一新には「代表選挙」の実施こそ

母)自民党っておかしな党ね〜。選挙で負けた責任を石破首相にだけ押し付ける動きは納得いかないわ。「政治とカネ」問題で罪作りだった連中が大きな顔するなって。選挙の結果受けて心底反省しなきゃ。

孫)公明党には斉藤さん辞めろって声ないよね。ちょっと物足りないけど(笑)。これまでの党のイメージを一新するには、もっと若い人が全面に出て、ガンガン議論して日本を変えるために頑張って欲しい。

爺)どう変わればいいって思う?俺なんかはもう自民党との連立には区切りをつけて、党独自のスタンスで公明党らしさを出す方がいいと思うよ。中道主義の政党として「平和」への舵取りを大胆にやって。

母)そうね〜。自民党に気を使い過ぎてる感じが強いわね。「核廃絶」問題でも唯一の被爆国としての「らしさ」がみられない。昔の「素人」からすっかり「プロ」になって物分かりが良すぎる感じね。

孫)イメチェンには「代表選挙」をすることが一番だよ。例えば今なら自民党との連立の是非を巡って丁々発止の議論すればいい。安全保障でも年金制度などについても。それやれば世の中注目するよ。

爺)小さな政党が代表選挙やると、二分されて自壊するっていうけどどうかなぁ?中が見えないっていうのが一番いけないんじゃあ?公明党は「自己開示力」が弱いっていわれてるから、鼻明かしたいよ!

母)参院選で悔しかったのは、選挙区で3人落としたことや比例区で500万票台になってしまったことだった。ポッと出た政党が700万票も獲るって、もう呆れたね〜。こんな党は次の機会はドーンと減るかな?

孫)選挙戦略の根本的な違いや、時代の空気が関係していると思えるから、単なる風じゃあないよね。公明党の縁故に起因する人海戦術的地上戦とは次元が違う。天空から舞来る空中支援って来ないかなあ?

爺)そんなの当てにしても仕方ない。とはいうものの、〝されど我らが戦法〟だよなぁ。候補者の辻説法と握手、支援者の戸別訪問への熱意がベースだけど、それを上回る飛び道具としてのSNSってことか(笑)

母)加えて常日頃からの政治学習も大事ね。それにしても、石破さんが辞めるとなると、また衆院解散、総選挙なの?年がら年中選挙だよ〜。議員さんも大変だろうけど応援する側も、もういい加減にして欲しいって気分になるよね〜。選挙制度の有り様を抜本的に変えるってこと誰か考えて! (2025-8-20)

 

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【31】80年目の「8-15」に「戦間期の終わり」を考える/8-15

 毎年8月になると、6日、9日、15日を中心に昭和20年からの歳月を数えて、新聞やテレビなどのメディアが「アジア太平洋戦争」にまつわる「敗戦・終戦」の特集記事や特別番組を報じる。今年は80年の節目とあって、一段と力がこもっていたように思われる。僕は敗戦直後の年の11月に生まれた。NHKを中心に幾つもの「特番」を観て、改めて「戦争の悲惨さ」を身に沁みて感じた。ここでは昭和20年に生まれ、後に政治家となった者として、敗戦後80年の今が「戦間期」の終わり、つまり〝新たな戦争〟の始まりにならぬようにするために、まず何が必要かの課題を考えたい。

⚫︎近づく「戦間期」の終わり

   「戦間期」という言い方は普段あまり聞かない。戊辰戦争を期に明治維新以降、国内戦争は西南戦争をもって終わる。以後、日本は大陸を舞台に日清戦争、日露戦争で清(中国の前身)、旧ロシアと戦って一応の勝利を収めた後、第一次世界大戦でも戦勝国になった。その後20年足らずの僅かな「戦間期」を経て、昭和6年9月の満州事変を期に、日中戦争に突入し、いわゆる「アジア太平洋15年戦争」の当事者になり、米国を始めとする連合国と地獄の戦闘を繰り返した。沖縄で歴史上初の地上戦を米軍と展開した後、本土決戦も辞さぬ構えを見せた挙句に。2発の原爆を広島、長崎に投下されて命脈を絶たれた末に、一国が滅亡し米国の占領支配の下におかれる。以来、戦争を経験しない「戦間期」が80年もの長きにわたって続いている。

 2022年のウクライナへのロシアの侵略以降、明らかに世界は第三次世界大戦の「助走期」に入ったと見られる。今のところ、アジア全域や太平洋沿岸地域では直接の戦禍はなりを潜めているかに見えるものの、一触即発の危機のタネは随所に伺えよう。「戦間期」の終わりを警告する発言は私が知る限り、外務省出身で今はキヤノングローバル戦略研究所の宮家邦彦氏が最も目立っているようだ。僕自身が最初に彼の発言を目にしたのは今年の産経新聞新年号の正論大賞受賞記念対談だった。彼はそこで、戦間期の終わりが近いことを予測した上で、第一次世界大戦の際のように、「勝ち組」に回れるような日本の振る舞いが大事だと強調した。この、現状認識は、同氏らしいユニークなもので注目されよう。

⚫︎戦争回避の話し合いと軍事力の行使

 戦間期が終わるという意味は軍事的な衝突が現実に起こるということを意味する。宮家氏は「軍事力で自国を守るのは、世界の常識です」と強調すると共に、「力で現状変更しようとしている(相手国がある)のだから、力でしか止める方法はない。話し合いで効果があるなら、中東などで戦争は起きませんよ」と断定。その後、「例えば、専守防衛を厳格に解釈し、『反撃能力は相手の攻撃がなければできない』とする公明党は危ういんじゃないですか。また、ともに連合の支援を受ける国民民主党や立憲民主党にしてもどうか」と発言している。

 彼がここで言いたいのは、国際的に厳しい状況の中で、現政権が少数与党である上に、与党の一翼を担う公明党も野党の中心勢力も、いざという場面で頼りにならない、結局は保守勢力がしっかりせねばならないということであろう。それを「今の日本は、健全な保守勢力が、20世紀型の保守政党から21世紀型の保守政党に脱皮しないといけない」と表現していた。

 僕は宮家氏の発言を読んで、世間に誤解を与えるものだと思った。公明党は紛争や戦争が日本周辺で発生する危険に対しては、予防外交に徹した上で、ギリギリまで「話し合い」による解決を先行させるスタンスであることは間違いない。戦端が開かれたら「力」がものをいうが、開かれるまでは、とことん「話し合い」である。それを「危うい」と表現されると、極めて無責任な存在だと勘違いされる。それなら、話し合いを早々に放棄して、力づくに持ち込む方が真逆な意味で「危うい」といえよう。

 そういう意味合いも含めて、僕は「公明党の中道主義の21世紀型の展開が必須だと(宮家さんの主張を)読み替えました」と、やんわり抗議した。これに対し、「大変失礼しました。軍事力の適切な使用にアレルギーのない中道保守の存在がカギになると思います」との返信が届いた。これはまたこれで掘り下げた議論と相互理解が必要なのだが、公明党がカギを握っているとの認識の表現で、よしとしたい。

⚫︎多党化の中で「戦争と平和」をめぐる本格的論議を

 あれから7ヶ月、参院選の結果を見ると、事態は微妙にかつ着実に変化した。軍事力をどう使うかをめぐる政党の立ち位置の分布図はどうなったか。建て前と本音入り混じる状況を見定めないとならない。

 このあたりについて、徹底した議論を与野党を越えて積み重ねる必要が早急にある。いわゆる「安保法制」を制定してから既に10年が経ち、その具体化としての「安保3文書」の実行も緒に着いた。「集団的自衛権」の議論も自公だけの、しかも担当者だけの秘密討議で国民一般に公開されていない。

 だからこそ、僕は自公間で引き続きの議論が必要だと主張してきた。今日の多党化の状況では、自公だけでは収まらない。政権を担う可能性のある政党と早急に議論を開始する必要がある。(2025-8-15)

 

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【30】小説『国宝』における伏線の置き方をめぐって/8-10

 前号(No.29)で僕が小説『国宝』は中々面白い本ではあるけど、重要な部分で読者として腑に落ちないところがあると書いた。冒頭で、主人公の喜久雄の父親を辻村という舎弟が殺したことを著者は明らかにしていながら、その後の展開の中で、全くそれに触れないまま、最終章で辻村が息を引き取る直前に駆けつけた喜久雄が赦してしまうという筋書きは解せないというものだった。ミステリー仕立てを期待した普通の読者の興味を裏切る拍子抜けそのものだと言いたかった。何らかの伏線を用意するのが小説を書く側の作法ではないのかという思いを込めたものである。早速これを『国宝』を勧めてくれた小説家の玉岡かおるさんに届けた。直ぐに返事がきた◆その中身たるや僕の見解とは真反対。「これこそ国宝に至るために必要な仕掛けだと腑に落ちた」と仰るのだ。続けて「辻村が父親を殺さなければ、喜久雄がこの道に進むことはなかった。この赦しがなければ彼はただの芸人どまりです。国宝とは父の無念の死さえ踏み台にする狂人の域の達人をさすからです」とあった。僕は「国宝」の国宝たる所以がそういった通常の常識を超える行動に結びつくであろうことは、理解できた。だからこそ、読書録にもそう匂わせる表現も付け加えていた。だが、僕が問題にしたいのは、「伏線がない」と、著者の「仕掛け」は作者の独りよがりだということなのである。それなりのものが用意されていないと読者と作者の溝は広がる一方ではないのか◆この伏線の有無について、玉岡さんは、二代目半二郎が死に至る床での喜久雄との会話で、「おまえに一つだけ言うときたいのはな、どんなことがあっても、おまえは芸で勝負するんや。ええか?どんな悔しい思いをしても芸で勝負や。ほんまもんの芸は刀や鉄砲より強いねん。おまえはおまえの芸で、いつか仇とったるんや」と述べていることを挙げておられる。これが伏線だと言われると、ただ唸るしかない。芸に生きる弟子への単なる激励と見てしまった僕の残念ながら「見損こない」だったというほかないのか◆ものの見事に外れた「感想文」を書いてしまった僕に対して、玉岡さんは、ビシッとご自分の読み方を提示された上で、笑い転げ続けている絵文字スタンプをつけてこられた。僕は自分の浅い読み方を笑われたように感じた。「半二郎の発言を見逃していなかったら、このような笑いを受けずとも済んだのに。もう笑い(続ける漫画)を止めてくれませんか」とメッセンジャーに書いた。直ちに「笑ってなどおりません。プロの書評家ではないのだから、自由に読むことに意義があるのです。読み方に正解などありません。多様な読み方をされてこそ作品の価値もあがるのです」━━読書録を書き続けて25年余り。なんともはや有り難くも手厳しい指南を頂いたものだ。メッセンジャー上のスタンプは今も笑いこけている。(2025-8-10)

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【29】腑に落ちぬ場面あれど溢れる醍醐味━吉田修一『国宝』上下を読む/8-5

 「政治家は小説をもっと読んで欲しい」との声は今に始まったことではないが、先日の僕の「出版記念交流会」に来賓挨拶に立ってくれた小説家の玉岡かおるさんも同様の趣旨の話をされた。終わって、おすすめの小説は?と聞いたところ「『国宝』です。映画もよく作られています。ぜひ」とのこと。直ちに、映画を見たのち、小説も読んだ。劇場には猛烈な暑さにも関わらず、駆けつけた熱心な映画ファンでいっぱい。3時間という長丁場に、緊張感漲るシーンの連続。見応えがあった。一方、2冊分の小説を読むのに5日ほどかかったが、よく作られていたと思う。未読の人にはおすすめしたい。尤も、歌舞伎の好ききらいで、受け止め方はいささか違うだろうが、それでもなお大いに刺激的な小説である◆様々な読み方があろうが、僕は歌舞伎役者が芸を極めることは命懸けであるというストーリーを通じて、あらためて「人間の一生の何たるか」を考える機会になった。「我いかに生きるか」を考えぬいた挙げ句、「狂って自殺するか、何らかの宗教を選ぶか」との選択になるとの特異な見立てに、僕も惹かれた時期がある。多くの人はそこまで思い詰めず、適当に楽しい生き方に埋没するうちに歳を経るものだと気付くのにそう時間は掛からなかった。だが、改めてこの小説の主人公・喜久雄の狂ったと見紛うほどの境地に到達したラストシーンにでくわすと、懐かしさと共にどこか忘れかけていた羨ましさが蘇ってくるのだから不思議だ◆この小説では、歌舞伎の世界における師弟関係の中での2人の弟子の壮絶な戦いが根幹をなす。やくざの息子と世襲の血を引く息子という2人の弟子の戦いの過程の上で、師の交通事故、糖尿病による失明、襲名口上での吐血といった事件・事故が続く。その中で、「嫉妬」の嵐からの世襲の弟子の出奔、復帰後の両足の壊死などという悲劇が息もつかせずに展開する。人間の「生老病死」という「一生劇」の中でいかに「病」が重要な障害足りうるかを思い知った。とともに、仏教において「地獄界」から「仏界」までの十の境涯の範疇に位置付けられていない「嫉妬」という生命状態をコントロールすることの難しさをも改めて自覚するに至った◆とても熱中させられる面白い小説なのだが、幾つかの疑問点も指摘せざるを得ないところがある。その最大のものは、冒頭に出てくる主人公の父親が暴力団相互の抗争の中で、舎弟ともいうべき身内の男から射殺されることである。なぜそうなったのかが明かされないまま、小説はズンズン進む。いや、父親を殺した憎むべき下手人がその後の主人公の人生においてむしろ「恩人」という位置付けへと転換(全く説明のないまま)する。この奇妙なストーリー展開に、読者は最後まで伏せられた楽しみとして惹き込まれるのは間違いない。実は僕もいつどんな形で種明かしがなされるのか期待した。ところが、最終章では?50年もの間秘されてきた真実が死に至る病の床にある父の「仇にして恩人」の口から吐露されるのだが、「小父さん、もうよかよ。親父ば殺したんは、この俺かもしれん」と、逆に長い間世話になったとの「礼」で終わる。これをどう読むか。「国宝」になろうかという人物はさすが違うということなのか?俗っぽい小説の読み方しか出来ない我が身からすると、作者のこの態度には「拍子抜け」「裏切り」と写ってしまう。それならそれで下手人の心理描写や仇への恨みの思いが伏線に描かれないと。この部分が大きく災いして素直に巻をおけなかったことは告白しておきたい。さてすでに読まれたあなたはどう思われるか?これから読まれるあなたは?ぜひ聞いてみたいものだ。(2025-8-5)

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【28】どこへ行った?石破氏のあの「正義感」/8-3

 参院選が自公政権の「連れだち惨敗」や、立憲、維新など既成政党の停滞傾向の中で、国民民主党、参政党の大躍進に終わり、国内政治は多党化が顕著になった。その状況下で、自民党内の「石破おろし」の動きと、永田町以外の場での「石破擁護論」が奇妙な拮抗を見せている。この背景を追う。

⚫︎「言葉がまともに通じる政治家」との評価に自信持て

 毎週日曜日の毎日新聞12面に掲載される『松尾貴史のちょっと違和感』を僕はいつも面白がって読んでいる。放送タレントの松尾貴史氏が時々の政治・社会課題について徹底的に批判を加えていて、同調する気分になることが多い。概ね右も左も真ん中も既成勢力はぶった斬られているのだが、今日3日付けの「どこへ行った?あの危機感」は、いささか趣を異にしていて、このコラムそのものに「ちょっと違和感」を感じたほどだ。要するに、「石破氏退陣を求める自民党内の動き」が、逆に有権者に「辞任する必要はない」との機運を高めているフシがあると言うのだ。それは、「次の総裁、『党の顔』として挙がっている面々を見て不安を覚えている有権者が多いから」であり、石破首相は彼らに比べて、「さまざまな変節があったにせよ、言葉がまともに通じる政治家であり、意見が対立している相手でも議論がかみ合う部分が多い」というのだ。

 こうした「石破首相論」は中々真っ当だ。自民党に対して厳しい眼差しを持ち続けてきている僕にとって、石破氏は頼りなげに見えるが「よりマシ」首相であり、今回の選挙の惨敗の責任を取らせて辞任に追い込み、新たな総裁を選ぶことは、「どうしようもない選択」だと思う。衆参両院の選挙に負けたらトップが責任を取るという過去の経緯と同一には論じられない背景があるからだ。「金と政治」の不始末における自民党政治の積年の責任が問われている場面が続く中での選挙結果は誰が首相であっても同じのはずだ。貧乏くじを首相に引かせた連中がそれみた事かとイキリ立つのは筋違いだといえよう。

 ⚫︎気になる党内保守派とメディアとの結託への意識過剰

 このコラムを読んだ僕は直ちに首相に対して「これを全自民党議員は読むべきですね」と、メールを送った。そうすると数時間後に、松尾氏の連載は自分も愛読していると述べた上で「自民党『保守派』議員はそもそも読もうとしないでしょう。毎日新聞の記者こそこれを読むべきだと思います」との返事が返ってきた。昨今のメディアが自民党内保守派を煽り立てているかどうかは定かではない。だが、一部新聞メディアが保守派の台頭を待望するかの如き論調を提起しているとの認識は僕にもある。

 偶々、今僕が読んでいる『対決日本史!6 アジア・太平洋戦争篇』(安部龍太郎、佐藤優)の中で、戦時下における関東軍によるメディア・コントロールがあり、全新聞社がそれに取り込まれたとのくだりがある。と同時に、大手新聞社が陸、海両軍との関係を表す旗色を鮮明にして張り合ったかの如き印象を受ける部分も印象深い。

 石破首相が先の大戦下でのメディアと軍部の関係を知らぬはずはない。自分の辞任を迫る勢力が党内保守派であり、それに檄を飛ばすかの如きメディアと結託しているとの被害者意識があるのだろう。先の僕への返信メールには露骨に懸念する表現があった(私的やりとりなのであえて伏せておく)。僕は首相には一貫して、自分らしさを出すべきだと注文している。現在までのところ、首相は自民党内論理の大勢に劣勢であり、イマイチ意気地がないかのように見える。「どこへいった?あの正義感」と言いたい。ここまで来たら、かつて党内野党の最右翼だった頃の「らしさ」を取り戻せと言う他ない。(2025-8-3)

 

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【27】「おもてなし」と「見立て」に見る日本人の特性━━感性工学会のシンポから/7-31

 感性工学会・価値創造研究部会という聞き慣れない会のシンポジウムに参加してきました。ここでは難しい由来は棚上げして、まずは29日午後に大阪南港のATCビルで開かれた同会のイベントに、僕が友人と共に参加した内容の概略について紹介し、若干の感想を述べます。

⚫︎三部構成で日本の伝統的文化の海外紹介の道を探る

 現在開かれている関西国際万博の会場を文字通り横目にして到着したところが目的地でした。この学会の部会長を長く務めて来たのが勝瀬典雄さん(関西学院大学専門職大学院兼任講師)で、つい先ごろ相島淑美さん(神戸学院大教授)が受け継ぎました。ご両人とも僕のここ数年来の親しい友人です。ご両人の企画、運営の元に開かれたこの日の催しは、まことに豪華なもので、意義深くためになる内容でした。

 第一部・基調講演は「おもてなしと『見立て』」〜日本文化における価値共創〜(相島淑美氏)。第二部・事例発表は「日本庭園美術と伝統文化を海外に届ける」(竹田和彦 (株)タケダ造園代表)。第三部・パネルディスカッションはテーマが「日本の伝統文化を海外に届ける」で、勝瀬、相島、竹田の3氏のほかに、徳持拓也(華道家元池坊正教授)、森一彦(京都先端科学大学院国際学術研究院教授)、竹延幸雄( 株)竹延オーナー、山川拓也(流通科学大人間社会学部観光学科准教授)の合計7人が参加されたものでした。

 いずれも聞き応えのある中身で、開始から3時間余り(5分の休憩含む)は、あっという間に過ぎました。ここでは、1〜3部のエッセンスだけをかいつまんで紹介します。基調講演は、日本独自の表現方法であり、日本の文化や感性に深く根付いている「見立て」について、いかに「おもてなし」に関わっているかを見事に解き明かす糸口ともいえる講演でした。相島さんは、昨年に『おもてなし研究の新次元 日本型マーケティングの源流』なる著作を出版されたばかり。そこでは、「万葉人の宴から連歌会席、茶の湯、と時代を追って見立ての変遷をたどりながら、おもてなしの場の関係性構築において重要な役割を果たしていたこと」を明らかにしています。

⚫︎日本の伝統文化をインバウンド客にどう触れさせるか

 事例発表をした竹田造園社長は、出雲流造園の伝統を現代の暮らしに合わせて再解釈し、「楽庭」というコンパクトなスタイル(組み立て式庭園=写真)を作り出したことを紹介しました。つい先ほど、ヨーロッパ市場を調査してきたばかりとあって、極めてホットな実情をも披露してくれました。この「楽庭」は、場所を問わず、人が集う場所に自由に楽に設置が可能なものとして、インテリアとして空間を彩る和洋を超えた日本庭園を目指したといいます。

 果たしてこの意欲的な挑戦が現代世界に効力を発揮するかどうか。ウクライナ、ガザを始めとする戦火たなびく現状にあって、それどころじゃないと疑問視する向きがあろうかと思います。私的には、まず4000万人にも及ぶインバウンド層に向けて、この「楽庭」を始めとする日本文化にふれあう仕組み化が大事だと思いました。

 最後のディスカッションは、日本の伝統文化をどう未来に繋ぎ、世界と共有するかについて華道、学術、建築、観光の専門家がそれぞれの立場から意欲的な方向性を示唆する大事な議論が聞けました。とくに、僕の興味を惹いたのは、観光学の見地からの山川さんの報告でした。海外からやって来た外国人が訪日に期待したことが東西で違うという点です。日本食や自然美への興味は東西双方に共通していましたが、日本の歴史文化伝統への関心が高いのが西側(米、英、仏、独、豪)だったということです。(ちなみに東側は、中国、台湾、香港、韓国、タイ)

 この点について、山川さんと終了後に意見交換をしたのですが、日本の観光行政が国土交通省の元にある観光庁が所管していることへの懸念を表明されたことは虚を突かれた思いでした。文化庁あたりに任せる方がいいとの視点です。確かにこれから益々増大するに違いないインバウンドに対して、一つのあるべき道筋を示すものかもしれないと思ったしだいです。

 終了後に場所を移して、パネラーの皆さんと更なる熟議を重ねたのですが、実に知的興味を満たされる素晴らしいひとときだったとだけ、お伝えします。(2025-7-31)

 

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【26】公明党の「自己開示力」の弱さへの懸念━━参院選の結果から(下)/7-23

 「比例票 自公激減」「自民 党勢衰え顕著」━━新聞の見出し、報道の流れを見て時代の転機を否が応でも感じる。と同時に、自民党と公明党が連れ立って下降線を辿っていることに複雑な思いを禁じ得ない。単独政権から連立政治が常態になって30年。一転、多党政治の時代に突入したかに見える。今、その時に公明党に求められるものは何か。

⚫︎公明党の比例区票の激減と党のイメージ

     今回の選挙の比例区における公明党の得票数は521万票強。3年前の前回の参議院選から100万票ほど減らし、改選7議席から4議席へと後退した。自民党は1281万票足らず。前回の1825万票から545万票ほど減票した。まるで公明党分の政党がまるごと消えてなくなったほどの激減である。しかも、自民党と公明党の間に位置する三つの政党の得票数が、762万(国民民主)、742万(参政党)、739万(立憲民主)と踵を接して並んでいる。そこから200万票ほど離れて下に位置するのが公明党だ(維新、共産はもっと下)。結党60年の区切り直後に起きたこの現実は、天の啓示と受け止めたい。

   比例区選挙制度は、参院選には1983年から、衆院選は1994年から導入された。この仕組みは、選挙区選挙と違って、より一層「政党そのもの」が問われる。中選挙区で公明党候補として初当選(1993年)していた僕が2度目の選挙(1996年)では新進党から、そして3度目は再び公明党から出た。以来4度当選したが、襷(タスキ)はいつも個人名ではなく、政党名だった。「候補者としての政党」を代表する個人候補者の自分が「素の個性」を出し辛いことのジレンマを幾たびも感じたものだ。

 比例区候補者として出て落選した多くの同志も、悔しさと惨めさの混交した複雑な感情を抱いて散ったに違いない。比例区の選挙戦略の有り様としては、名簿搭載者の個人的能力の総和としての「候補者公明党」をどう訴えるかの工夫が足りなかった。公明党の実績は見えても、個人候補者の個性との具体的な絡み合いが分からない。比例区公明党チームの構成員の「顔」をもっと前面に出すべきだろう。

⚫︎政党の「自己開示」の究極としての党代表選挙の実施

 今回の歴史的大敗を受けて内外から様々な総括が出されている。内側からのものとしては、伊佐進一前衆議院議員のサブチャンネルの「なぜ公明党は負けたのか 6つの提言」と松田明氏のWeb第三文明の「公明党再建への展望━━抜本的な変革を大胆に」の2つが注目される。伊佐氏のものを肯定的に踏まえた上で、松田氏が①公明党は顔が見えない②「支持拡大」は党が主体的にすべきなどと重要な問題提起をしていて興味深い。

 僕もお二人の主張に全面的に賛同した上で、若干違った角度で「自論」を述べたい。一つは、公明党は「自己開示力」をもっと持とう、ということであり、その手段としての党代表選挙の実施である。個人的人間関係でも秘めごとがある相手とは付き合いづらい。政党も自身を大きく開いて見せる度量を持たねば世間は安心しない。どこで決まった分からない経緯を経たトップの選考よりも、白昼堂々と互いの意見をぶつけ合う公明党代表選挙を見たいものだ。

 数年前のこと、僕の友人のある大学の教授が「日本の政党で最もよく分からない、暗いイメージを与えるのが公明党だ」と、ゼミ学生の意見が一致したと、きついことを伝えてくれた。今は違うと思いたいが、あまり自信はない。すでに伊佐氏の努力で公明党の「自己開示力」はそれなりに立証できた。あとひと息だ。彼が現役の時に今のようにやっていたら落ちなかったのにと思うのは早とちりだろうか。

 二つ目は、自民党と連立政権を組むのなら、相互の間で政策、ビジョン論争を本格的にすべきだということである。出自も育ちも違う政党が与党として一緒にやるのに、どういう国にして行こうとするのかが見えないのでは有権者も困る。いざとなったら戦争をしない方向に舵を切る政党だから、「公明党は危ない」と保守層からは見られている。一方、公明党の伝統的支持者は、そのケースで真逆の選択をする政党として「自民党は危ない」と見ている。これでは、呼吸の合うはずがない。もっと率直に、もっと丁寧に議論をして、合意を目指し、これも公開すべきだ。10年前の安保法制論議も肝心の自公論争が闇の中では、危ない。

⚫︎歴史の分岐点で問われる「若い世代」の選択

 最後に、「公明党の60年」を知っている者として、付言しておきたい。公明党の歴史はざっくりと前半30年と後半30年に分かれており、この2つの道は異なる政党のように違うということだ。若い世代は前半つまり20世紀の公明党をご存知ないだろうが、僕を含めて旧世代は21世紀も4分の1が過ぎた今もなお草創の思いが消えない。その思いの最たるものは、公明党は「自民党政治」つまり大衆から遊離した政治を終わらせるために出現した党だということである。

 前半30年では外側からつまり野党の立場で、自民党政治を変えようとした。それがうまく行かず、後半30年では内側から与党としてそれをやろうとした。それが失敗した。違う道に進む時だ。いや未だ継続中だ。これからも自民党を内側から変革する戦いをやる。この究極の選択の結論を出す時が今めぐってきている。僕を含む古い世代は前者を取るものが多い。若き世代よ。さあ、どうするか。答えを出せ。(2025-7-23)

 

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【25】公明党の選挙広報戦略の硬直性への懸念━━参院選の結果から(中)/7-22

 大激戦の末に兵庫は勝った。いや勝たせて貰った。一方で埼玉、神奈川、愛知の三選挙区が涙を呑んだからだ。全選挙区が勝って喜び合いたかったとの思いが日々募る。以下、兵庫選挙区の喜びを抑えて、全国的観点からあえて異形の私的感想を述べてみたい。

 ⚫︎選挙区の厳しさへの変化に臨機応変さが必要

 公明党的に今回の選挙で最大の激戦区とされたのは、高橋光男の兵庫選挙区であった。機関紙上で連日、異常と言わざるを得ないほど危機が叫ばれた。機関紙の宿命として全候補平等とはいかず、自ずから差をつけなくてはならない。7人の候補のうち、一頭抜いて兵庫に力が入っていたと見えた。その理由はひとえに定数が兵庫が3(他に福岡選挙区も)で、他は4(他に大阪も)であることが挙げられよう。しかし、ここに選挙戦略的に見て無視し得ないミスが潜む。

 選挙報道の枠組みの強弱が「定数の差」という一点に縛られることの危うさである。兵庫は泉房穂が無所属で出馬すると決めた段階から超有力視され、選挙戦に入るとダントツに票を集めるに違いないと見られてきた。過去3回にわたって自公維三党が独占してきた経緯が兵庫にはあるものの、「泉参戦」でその構図が崩れ、現職が弾き飛ばされることは必至と見られてきた。だが同時に、「泉暴風」は投票ラインの低下を招く。低い得票数でも当選可能との「異形予想図」が浮上してきていたのである。

 それを想定して臨機応変に対応する必要が党中央にはあった。選挙区の事情変化に支援の強弱を振り分けずして、何のための選対本部か。一旦決めたら、方針は変えてはならぬのか。戦略の有り様を云々する資格は当方にはない。だが、選挙期間中の報道如何は支援者の心理を大きく揺り動かす。難事中の難事に口挟む非礼を知りながら、敢えて苦情を提起したくなる。

 先の都議選でも超激戦区よりも、その周辺区が憂き目を見た。今回も同様に見える。公明党の選挙報道の陥穽ではないのか。パターン化しているなどとは言わない。だが、かえすがえすも惜しまれる。

⚫︎候補者の実績、存在感を取り巻く広報のバランス

  兵庫選挙区は蓋を開けると、案の定というべきか、泉が80万票を越える票を掻っ攫い、2位の高橋以下とは50万票もの差がついた。高橋の票は恐るべきことに20万票ほども前回までより激減した。そんな折に、多くの友人から「兵庫は凄いですね、おめでとうございます」と言われても、素直に喜べない。泉の大量票獲得のおかげで、当選ラインが大幅に下がったゆえの当選なのだ。

 高橋の幸運さはそれだけではない。「令和の米騒動」も、県知事選に絡む「維新の失態」も、大いに味方した。前農水政務官としての立場を如何なく発揮した。備蓄米を放出するお膳立てを党をあげてやって貰った。石破首相や小泉農水相に対し、わざわざ高橋光男「必勝シフト」を敷いて貰う発言を他幹部が迫ったほどだった。これは何も高橋の僥倖を羨んでいるのではない。激戦区候補であるが故の手立てが度を越していたのではないのか。つまり他地域の候補とのバランスを欠くほどのものだったとの気がするということなのだ。

 選挙戦は候補者の実績を軸にした存在感というものがとても大事である。かねて高橋に僕らは、ひとりででも50万票を得るぞとの心意気で挑むことの大切さを問いかけた。組織支援に甘えるなと、訴え続けた。彼はそれらをしっかりと踏まえ、「百万人たりとも我行かん」との心意気で、呼応してくれた。

 また政府自民党の積年のコメ行政の悪弊に囚われることへの危惧を周囲は感じた。与党であるがゆえの「お側用人化」を恐れたのだ。もっと厳しく政府をチェックせよとの辛口アドバイスも複数の議員OB仲間と共にやった。これらに彼は敢然と応えた。謙虚さと執念を持って乗り切ってくれたのだ。

 これらを通じて、惜敗を喫した議員たちの存在感の薄さが気になる。これは遠く離れた地域の議員への勝手な見立てだ。だが、3地域の落選候補者の訴え、アピールは、高橋の浴びた脚光よりも弱かったように思える。他方、福岡選挙区の下野六太の教育問題における強烈な存在感も印象深い。こういった観点からも激戦区対応にバランスを欠いていたことを指摘せざるをえない。以上あえて偏見を承知で、思いにままに心情を吐露した。(敬称略 つづく 2025-7-22)

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【24】公明党の来し方行く末への懸念━━2025参院選の結果から(上)7-21

 暑い夏の熱い熱い闘いだった。20日の投票を終えて公明党は目標の14議席に遠く及ばず、選挙区4、比例区4の8議席に終わった。比例区票は512万票強。現時点では正確な選挙の総括をするだけの材料が十分ではないが、これまでの僕の見立てを中心に内外の様々な意見を踏まえ、率直な思いを述べてみたい。

 ⚫︎自公連立政治の欠落部分を突いた国民、参政党の急伸

   21世紀の幕開けと共に本格化した自公政権。結党から61年が経つ公明党にとって20世紀後半は野党であり、21世紀前半は与党として闘ってきた。もはや野党時代の公明党を知る人間が少なくなってきたが、僕のような旧世代(1945年生まれ)は、どうしても過去との比較、「本来あるべき論」に惹かれてしまう。今回の選挙を前にして、僕が主張してきたことは、2022年に出版した拙著『77年の興亡』と、翌年の続編と基本的に変わらない。それを一言で要約すると、自公政権は、どういう国を作りたいのかという国家ビジョンを明確にすべきであるということに尽きる。それを曖昧にして当面する政治課題の処理にだけ取り組んで、選挙のたびにお互いをサポートするのでは、幅広い国民各層の支持を受けられないというものだった。

 今回、国民民主党と参政党の二つの政党が大きく議席増を果たした(前者17、後者14議席)のだが、僕にはこの結果に極めて象徴的な意味合いを感じてしまう。それは自公両党が本来のそれぞれの党の「らしさ」を失ってきていることの裏返しに思われることだ。国民民主党は旧同盟系労働組合の影響下にある党として働くもののスタンスに依拠してきた。公明党が自民党と連立を組んできてほぼ25年。どうしても政治姿勢が自民党寄りにならざるを得ず、その分、政策の立地点から公明党らしさが失われてきた。その辺り、国民民主党のフットワークにお株を奪われたと言わざるを得ないのは僕だけだろうか。

 一方、参政党の急伸の背景には、自民党の保守色が公明党のリベラル性によって薄められてきたことがあると思われる。「日本人ファースト」のキャッチコピーに込められた「外国人排除」の政策タッチには、欧米における移民排除的空気を微妙に反映していよう。世界的な傾向である「自国第一主義」を持ち込み、日本「分断」の空気醸成に大きな役割を果たした。そこには、自民党の保守色が公明党との連立で色褪せてきたことと無縁ではあるまい。20世紀後半の保守と中道の老舗党2つが共に連携をする中で「らしさ」を失っていったケースと見られる。

⚫︎公明党の来し方に痛烈な疑問投げかける論考

僕はかねて中長期の視点から、この国の方向性を自公間で議論することの重要性を説いてきたが、残念ながら受け入れられてこなかった。確かに与党となることで、野党時代には見られなかった支持層を広げることができた。ライトウイング(右翼)に公明党は羽を大きく広げることが出来た。だが、それと同時に、本来持っているはずの大衆性を損なう面があったと言わざるを得ない。選挙戦の本格化と同時に世に出た党理論誌『公明』8月号の論考(写真左)がその辺りの課題を見事なまでに突いている。

 先崎彰容『苦難の道を進む米国、打ち出のこづちを追う日本』というタイトルのものだ。実は看板は中身と違って、「『大衆とともに』と大衆との乖離」と、「公明は心の荒廃を戒めよ」という2つの「中見出し」がずしりと刺さってくる。この人は、かねて「公明党よ、行く道を間違えるな」と厳しくも涼しい忠告を投げかけてきてくれている思想家(社会構想大学院大学研究科長・教授)である。

   この論考では、公明党がかつての党と違った道をすすんでいることをリアルに「公明党はだったのではないか」という言い回しを使って明らかにしている。全部で4カ所でてくるが、それを箇条書きにしてみる。①陰の部分に敏感に反応し、「大衆とともに」あることを自負してきたのが、公明党だったのではないか②公明党の政治観とは、本来、民主党系の米国左派とは大いに異なる方法で、社会の陰に寄り添い、言葉にし、政治の世界に届けることだったはず③偽善的とは全く異なる政治手法と言葉を駆使することができる政党、それが公明党だったはず④公明党は政治の世界において、人々の心が荒んでいくことを戒める政党、寛大と余裕を持った政党であるべきだ。公明党の「平和主義」も、ともすれば自尊心をくすぐる類いの、根拠なきナショナリズムを諌めることにあったはず。いずれも耳が痛い。

 「戦後80年」を振り返り、これからを考える4つの論考の中に、これが登場する。政党が自らの軌跡を機関誌に自省的に取り上げることは珍しい。僕は公明党の理論誌が敢えて厳しい論評を掲載するところに、政党の言論人の良心を感じる。(つづく 2025-7-21)

 

 

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