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【100】クマを寄せつけない集落をどう作るか━━「熊森協会」のイベントに参加して/7-5

 街中でクマが人を襲う━━日本最大の自然環境保護実践団体である一般財団法人「日本熊森協会」に関わって25年余りが経つ僕も、昨今の報道で見る異常な風景には驚くばかりです。本来は奥山に生息し主にどんぐりなど植物類を食し、人間を恐れる臆病で優しい野生動物であるとの捉え方が一般であり、僕もそう思い込んでいました。ですが、その習性が変化したと見ざるを得ないクマが東北、関東を中心に日本各地に数多く現れてきているのです。既にクマに襲われた死傷者が続出しており、どうすればこの被害にあわずともすむのかとの安全対策が様々な場所で論じられています。さる4日には兵庫県宍粟市一宮町市民協働センターで「クマを知ればクマと出会わない」とのキャッチコピーのもと、クマを寄せ付けない集落作りについての講演会(熊森協会主催)がありました◆講師は、岡居宏顕氏(写真左)豊岡市の有害鳥獣主任対策員で、通称「クマのおじさん」と呼ばれているとのこと。県下で最も出没数が多い地域で「人身事故ゼロと最小限の捕獲」の両立を果たし、高い信頼を集めるプロフェショナルです。この日は、クマに関する広範囲で有益な情報を提供して頂き、あっという間の4時間でした。実はこの日、僕は午前9時過ぎに姫路で合流した室谷悠子熊森協会会長と共に工藤真那本部職員の運転するレンタカーで会場の一宮市民協働センターに向かいました。1時間半ほどで到着したのちに、以前にクマが出た染河内駐在所周辺に移動しました。ここで後刻に野外実践をするので事前見聞のため(写真右 現実には雨で中止)でした。ここで僕は岡居さんと初対面しました。初印象は「イケメンのクマ探偵さん」でしょうか。熊森協会の仲間たちが取り囲んで早速クマ対策論議が展開されました。田んぼの向こう側に川が流れていてそのあたり一帯の森林傍に草叢が鬱蒼と生い茂っています。クマが降りてきても見つからないから刈ってしまう方がいいかどうかとの質問がでたり、岡居さんから山桜の実を食べたクマが出す糞のタネが発芽するためクマの役割が重要だとの話を聞いたりの楽しいひとときでした◆木材の香り漂う「いちのぴあホール」での講演で、最も僕が関心を持ったのは、クマを集落によせつけない「共生の取り組み」での熊森協会のボランティア活動でした。岡居さんからの要請を受けて豊岡市での対策を講じ始めたのが2020年のこと。以来毎年取り組みを重ねてきました。民家近くでクマの目撃情報を受けたのちに、豊岡市と熊森協会の職員やボランティアで連携して、情報収集し、現地視察を重ねて作業を立案検討して、被害対策が講じられて行ったのです。この3年間の活動は、2023年が12集落を対象に55日間で延べ67人、2024年が3集落、12日間に延べ35人、2025年が11集落で22日間で延べ94人に及んだといいます。作業内容は、柿、栗のもぎ取りから、樹木へのトタン巻き、ネット巻き、剪定、伐採、草刈りなどの多岐にわたったようです。熊森協会としては、クマが大量に出没した2023年に、人身事故ゼロ件、9月以降の有害捕獲数ゼロという結果だったことは、安全な地域づくりに貢献出来たものとして強く自負しています。この辺りを改めてきちっとまとめて報告してくれた竹林裕子フィールド担当職員に感謝したい思いで一杯になりました。指導担当にあたった岡居さんは、行政任せではスピード感からも予算面からも、とてもうまく行かず、熊森協会の敏速果敢なボランティア活動のおかげで上手く運んだと高く評価してくれていました◆この日の会には70人ほどの参加者(写真左)がいましたが、地元一宮町で牧場を営む小池時子さんが日頃からの人脈を生かして活躍していました。僕も宍粟市の福元昌三市長始め、公明党の北條泰嗣元兵庫県議、井上洋文元佐用町議、榧橋美恵子元宍粟市議始め多くの仲間に参加を呼びかけました。参加されたのはこの4人でしたが、皆さん「目からウロコが落ちる思いだった」「熊森協会の凄さを知った」と異口同音に吐露していました。かつて僕が熊森協会顧問になった頃に、クマが奥山から里山を経て人里に降りてくるのは、森の荒廃の予兆であると言って、「森林保護政策」と「クマを奥山に追い返すこと」の両立を叫んだものです。当時は「野生動物のせいで我々の生活圏が脅かされる。クマと人間のどっちが大事だと思うとるんや」と文句を投げかけた仲間たちが殆どでした。僕は「両方とも大事だ」と言い返すと共に、「生きとし生けるものの生命の尊さを説いているのが日蓮仏法ではないのか」と心に刻んだものです◆以来20数年が経った今、政治の力及ばず森林の荒廃は収まるどころか乱開発が進む一方です。僕にはクマが街中に出てくる現状は、「だから言わんこっちゃない」です。しかし、熊森協会を誤解する友人や仲間には、「クマを捕殺しないからこうなった」と真逆の反応をする向きも少くなくありません。クマを知ることの大事さを地道に訴え、捕獲さえすればいいとの考えの誤りを強調し、クマを寄せつけない集落作りを推進するしかないと決意を固めたしだいです。(2026-7-5)

 

 

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【99】ユダヤ人とイスラエル国の「闇」━━「歴史」と「映像」から/6-30

 遠い昔に読んだ本のタイトルは覚えているが中身は忘れた。そんなことは誰しもいっぱいあるはず。だが、出版当時著者が誰なのか名前だけでは分からないというケースは珍しかった。1970年代初頭にベストセラーになったイザヤ・ベンダサン『日本人とユダヤ人』である。著者はユダヤ人ではなく、日本人の出版書店主で著述家の山本七平氏であることが分かってからも、「ベンダサン」の意味をめぐってもかまびすしかった。昨今の「ガザの悲劇」や「イラン空爆」の報道に接するとき、ユダヤ人そしてイスラエルという国について僕らは何も分かっていないことに気づく。イスラエルという国を形成するユダヤ人は「哀れで可哀想な」という印象と「計算高くしたたかな」イメージとが混在してきた。だが、鶴見太郎『ユダヤ人の歴史』を読むことでこの民族の興亡と離散、ホロコーストからシオニズムへの全体像を掴める。そしてNHKのバタフライエフェクト『ホロコーストの記憶と揺れる世界』(6-22放映)を観て、「闇」が晴れたような気がした◆ホロコーストをもたらしたドイツはこの80年余、徹して「贖罪」の道を歩んできた。イスラエルが建国されて以降は同国に対する罪の償いを国家の基本(国是)として位置付けてきた。ヴィリー・ブラント首相(西ドイツ)が1970年にポーランドのゲットーの跡地を訪れた際に、ひざまづいてまで詫びた姿が印象深い。後々まで「ナチス狩り」から「アウシュビッツ裁判」といったかたちで、広く深く「贖罪意識」はドイツ社会に浸透していった。前述の映像では、草の根を分けてでもナチスの生き残りや少しでもホロコーストに関わった人間は許さないとの意思が社会に漲っていった様子が鮮明に描かれていた。かつて僕がドイツに住む学生時代の友人のところに行ってフランクフルトの街中で、ヒトラー・ナチスの凶悪さを口にした際に、強く嗜められた。どこで誰が聞いているか分からないからそんな話は止めろという注意だった。日本人の僕が日本語で喋ることにすらそんな反応だったことに強い違和感を受けたものだった。若き日からドイツに永く住んできた友人には反射神経的にその手の話題を拒む姿勢が身に染みついていたのに違いない◆他方、アメリカも、ユダヤ人との関係はとても濃い。いや、イスラエルとアメリカに住むユダヤ人はほぼ同じ(イスラエルが700万人、アメリカが600万人=2025年)人口構成の上、経済的、軍事的にアメリカにおけるユダヤ人はイスラエルを支援し続けており、地球上で最も深い間柄といえよう。尤も、無条件、無批判に応援するというより、注文付き側面が強いし、21世紀に入ってイスラエルの右傾化の進展に伴いアメリカ・ユダヤ人は「母国」に距離を置くようになった。その点でドイツがホロコースト加害国としてイスラエルに強い贖罪意識を持つのとは根底的に違う。これまでアメリカは中東でパレスチナとイスラエルの双方とバランスをとる態度をとることが多かったことは否めない◆今回の「バタフライ・エフェクト」の映像で、極めて印象深かったのは冒頭のベルリン国際映画祭(2024)である。イスラエル人とパレスチナ人の監督2人が最優秀ドキュメント賞を共同受賞し挨拶をした場面だった。ドイツはイスラエルへの武器供与をやめて欲しいと語ったことに大きな拍手が巻き起こった。だが、翌日ドイツ政府をはじめ公的機関の関係者は反ユダヤ主義だとして強く抗議をし、今後の関係遮断すら表明したのだった。もちろん、ドイツにあってもイスラエルの昨今の軍事大国風の様相に批判は根強い。いや、ガザをめぐる世界各国の空気は、概ねイスラエルやそれを支援するトランプ政権への反発である。日本でもこれまでの「ひ弱で気の毒な」ユダヤ・イスラエル像が真逆の存在へと大きく傾斜していく傾向は明白といえよう。かつての被害者が今や加害者へと立場が真反対に変わったことへの衝撃は大きい。ベンヤミン・ネタニヤフ首相が「じっとしていたら敵にやられる。その前にやるしかない」との〝先制攻撃正当化〟は反ユダヤ主義を引き出すに十分過ぎる好戦的構えなのである◆国家相互の力がぶつかり合う冷徹な国際政治のなせるわざだと言ってしまえばそれまでかもしれない。また背景にはキリスト教とユダヤ教をめぐる想像を絶する宗教史の積み重ねがあると片付けるのも落ち着かない。ではどう現実を見てこれからどうすればいいのか。この事態を前にして、人類は今こそ「東洋の叡智」としての「法華経の智慧」に学ぶしかないとの「60年来の思い」がいや増して募ってくる。(2026-6-30)

 

 

 

 

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【98】遥かなるモンゴル近景━━新旧2冊の本から日蒙関係と自身を重ね見る/6-25

 なぜ今モンゴルなのか。実は僕の関わっている一般社団法人(未来を創る新教育推進会)が8月1日に「出版記念講演会」を大阪で開く(写真左)ことになっており、その対象になっている本が『モンゴル抑留』というタイトルなのである。講演する著者は井手裕彦。元大阪読売新聞の論説委員で今はフリーのジャーナリスト。この人はモンゴルに抑留された人々のうち死亡者をこの10年ほどの歳月をかけて徹底的に掘り起こし続けて、遺族にその記録を届けるという極めて得難く重い仕事(シベリア抑留に比べて殆どこれは未開の分野)に取り組んでいる。この本は現時点までの経緯をまとめたもので、この6月半ばに著者から頂いた。と同時に僕は急に司馬遼太郎の「街道を行く」シリーズの『モンゴル紀行』を半世紀ぶりに読み返したくなった。ということで、立て続けに新旧2冊の「モンゴル本」を読んだことになったしだいである。講演会当日、この本に私も触れた上で挨拶をさせて頂く予定だが、ここでは、当日の予行演習をしてみたい◆モンゴルと聞くと大抵の人は大相撲の力士を思うに違いない。日本人と見紛うばかりの顔立ちと流暢な日本語に異民族であることすら忘れてしまう(因みに僕は鶴竜=現音羽山親方の姫路後援会に所属し毎春のように会っていた)ほどだ。だが、敗戦直後に生まれ育ち日蓮仏法に巡り合った僕のような人間はやはり一にも二にも「蒙古襲来」を連想する。史上初の二度に及ぶ侵略攻撃を受けながら兎にも角にもそれを防いだ歴史の記憶である。以来800年ほどが経った日蒙間の「原風景」を、大学でモンゴル語を学んだ人間として、無類の優しい筆遣いで描いてみせたのが作家の司馬遼太郎だった。1970年代半ばの司馬遼風モンゴル像はとことんこの国と人に寄り添い、読む者の「蒙を啓くタッチ」である。『坂の上の雲』で近代日本がしゃにむに軍事力を磨き上げた末、世界に追いつく姿に迫った司馬は、明治国家は描けても昭和国家の敗戦までの20年は書けない趣旨の発言を残した。とりわけ「ノモンハン事件」(モンゴル側は「ハルハ河戦争」と呼ぶ)を言語に絶する暴挙の象徴と位置付け、理由とした◆井手は、日本国政府は戦時賠償を回避する代わりに、抑留者への調査をする請求権さえ放棄してしまったと指弾している。この本は、シベリア抑留の影で忘れ去られてきた14000人のモンゴル抑留者のうち1700人の死者の「命の記録」を遺族に届けたいとする著者の誓いの言葉で締めくくられているが、日蒙「和解の歴史」への挑発的側面も併せ持つといえそうだ。司馬の本には大正期のシベリア出兵の時と昭和14年のノモンハン事件の時の捕虜のことに併せて触れたくだりが1箇所ある。一方、日本人の捕虜についてもあたかも「捕虜はお互い様」とでもいうかのように1箇所だけ触れられている。ただ、この関係を「逆縁」として「13世紀と20世紀のある期間をのぞいては、長い日蒙の歴史の上で交渉は全くなかった」としているのが印象深い。だが、井手は司馬のいう「逆縁」を歴史上の過去のものとして「見捨てることが出来ない」うえ、許されざるものとしてこだわり続ける◆全9章300頁を越えるこの本から学ぶことは実に数多い。僕は最初に①「はじめに」と、1章、2章を読み、②次に8章、最終章と「おわりに」に飛び、③最後に3章から7章へと戻った。一読者として、①ではそもそもなぜ抑留が起こったかの経緯を、2つの戦争(ノモンハン事件と第二次大戦末期のモンゴル対日参戦)から理解し②では外交的側面から日蒙の「抑留」実態を知るに及び③を通じて著者が己が人生を懸けてこの問題に取り組んできた感性に共感するに至った。読み方は人様々だろうが、僕はこんなアプローチを試みて手応えを感じたものである。これまで数多の「戦争」にまつわる本を読むと共に、歴史上の疑問を解く作業を見聞してきたが、井手の「作法」ほど「理」に叶い「感」を満たすものはないと痛感する◆僕は厚生労働省の副大臣を1年(公明党からは23年間に17人が担当)、衆院外務、安全保障委員会には1993年からほぼ20年間関わってきた。井手はこの厚労(旧厚生)、外務両省の「非情さ」を時に熱く、しばし冷静に取り上げている。僕は自らが関係した官庁の姿勢を殊更弁明する気はない。だが、新聞記者を経て政治家のはしくれに名を連ねた人間として「鈍感」が恥ずかしい。議員を務めた期間以外は井手と僕は似通った境遇にあったはずである。だが、真実を追求し抜こうとする生き様と、ひたすらに自身が知り得た所産を遺族に渡そうと「死亡記録配達人」として徹する彼の鋭敏な姿には到底敵わない。ただただ敬服するのみである。(敬称略/一部修正 2026-6-27)

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【97】様々なる「老いの輝き録」を追って/6-20

 山中直樹ソロリサイタル━━さる6月14日の午後、神戸・御影芸術堂でのこと。イタリア古典歌曲から6曲、歌劇のアリア2曲、カンツォーネ4曲など12曲が次々と披露されるなか、百人近い方々と僕ら夫婦は見事な声量にただ圧倒され聴き入っていました。山中さんは元々「船舶工学博士」。船を設計する仕事をしながらひたすら歌ってこられました(写真左=山中夫妻と左端はピアノ演奏の片桐えみさん)。「職場人混成合唱団指揮者を経て、神戸男声合唱団に所属。神戸浪漫コンサート、神戸文化ホール音楽祭等に出演」されると共に、「アンサンブル・フェスティバル2010で実行委員会賞受賞。第14回大阪国際音楽コンクールでアマチュア部門シルバーコース第一位受賞」などといったプロフィールを見ると、歌の合間に仕事をされてきたのかもと瞬時疑ってしまいました◆僕とのご縁はご夫人の鏡子さんと大学の同窓仲間の会でお会いしてきたことです。このご夫妻はまた無類の船好きで、自前のヨット(フリースピリット号)を操って余暇を楽しんでいます。奥方を「提督」、旦那様は「艇長」と呼び合われるとのこと。文字通りの〝おしどり夫婦〟なのです。昨秋には揃ってイギリスに3週間ほど旅をされたようです。その旅先で鏡子さんが描かれた風景画を仲間内のグループ展に出されました。その展示会に顔を出した折に今回の催しのお誘いを頂いたのです。このようなセレブ風とまではいかずとも、友人たちには色んな趣味で老後を楽しむ仲間は少なくありません。高校同期の石井道信君(写真右)は、かねて年の差10〜12前後の先輩2人とバンドを組んで楽しく演奏会をやっています。年を重ねて遂に4年前にめでたく「卒寿、米寿、傘寿」の三寿トリオの巡り合わせになりました。94、92、81歳の並びになった今も未だ元気に年に数回は多数の観客の前でギターを爪弾いているようですから驚きです。いつまでも続けて欲しいものと思っていますが、こればかりは、さて◆高校同期と言えば、ユニークなのは成川慎吉君です。かねて取得した学芸員や天気予報士の資格を活用して、県立美術館などで展示作品の説明を担ってきました。先年はある著名な画家の作品が描かれた当時の天候を知りたいと言って、わざわざフランスの日本大使館まで行って調査してきたほどですから、入れ込み様は尋常ではありません。また小学校同期の豊田秀昌君は複数の合唱団に所属して歌う一方、今年10回目となる「異文化交流の集い」(写真左)を主宰したり、毎年恒例の播磨国総社のお祭りのプロデュースをこなしています。さらに変わり種は、大学同期の尾上晴久君でしょう。75歳まで現役第一線で働いていましたから、その後の5年間というものは堰を切ったかのごとくあれこれ取り組んでいます。子供たちと一緒のお絵描きから始まって、古文書研究、英国とスペインの両文学講義、最近は能楽のお稽古まで奥方と一緒に謡や仕舞いを始めた(写真右)というのです◆そんな友人たちに比べると、僕などは趣味関連はゼロ。やっているのは議員時代の延長で種々の団体のサポートだけ。議員辞職後の68歳からの10年余りに取り組んできたのは、一般財団法人日本熊森協会の顧問と公益財団法人奥山保全トラストの理事。一社)オール小売連合(AKR共栄会)の顧問と食品衛生に関わるHACCPの委員長。そして専ら原稿を書くだけの一社)安保政策研究会の理事といったところでしょうか。コロナ禍前には一社)瀬戸内海島巡り協会の専務理事として奔走しましたが今や雲散霧消の憂き目に会ってしまいました。これからは、「新しい教育を創る会」やら、ホルミシスの活用による統合医療のお手伝いなどが待っていますが、どうなることやら未知数です。ともあれ、友人たちに比べて「生涯学習」という観点からは何もしていないに等しいわけで、焦ります。尤も、これは未だ「準現役」なのだと思って、80代からの10年にかけることにしています。(一部修正 2026-6-30)

 

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2026年6月19日 · 1:22 AM

【96】今のアメリカを読み解く2冊の本を併せ読む/6-15

 アメリカはどこかおかしい。漠然とした疑問が2冊のアメリカ発の本を併せ読んで解けた。一つは、政治制度の腐敗化と取り巻く人間の堕落。もう一つはエリートたちの国家意識の希薄化。2つは一つ。僕の「読後感」を紹介したい。

⚫︎外国の独裁、腐敗政権を顧客に宣伝を請け負い儲けまくる

 1冊目はケイシー・ミシェル『ロビイストに蝕まれるアメリカ』(小金輝彦訳)。著者は、長くアメリカ政治の「泥棒化」を追うジャーナリスト。ロビイストとは、政府や議員ら政策決定者に対して意見や要望を伝えることを職業とする人のことで、米国では建国以来大いなる影響力を行使してきた。この本では、外国代理人登録法(FARA)という法律があるのに、登録制が無視され、世界各国の独裁政権や腐敗政権を顧客にして、カネを儲けることを主眼にやりたい放題の状態が続いていることを徹底的に告発している。

 トランプの大統領初当選以後、その選挙活動にロシアが関わっていた、つまりロシアの応援を得て当選したというニュースは耳にしてきた。しかし、よもやそれはなかろうという生真面目な思いが祟ってほぼ無視してきた。だが、この本の第15章「お前は終わりだ」から、次章「共和制が危険にさらされている」までの記述を読むに至って驚愕する他ない。加えてトランプのみでなく、バイデン以前の多くの大統領たちも無縁ではないと知った。「外国の独裁、腐敗政権の代理人」と化したロビイストたちの、カネ、かね、金の攻勢の前にアメリカ政治の制度も人間も正常さを失ってきたと見ざるを得ないのである。

⚫︎シリコンバレーで広がる企業家とエンジニアたちの意識の落差

 2冊目は、アレクサンダー・C・カープ&ニコラス・W・ザミスカ、村井章子訳『テクノロジカル・リパブリック━━国家、軍事力、テクノロジーの未来』である。著者たちは、アメリカの防衛、情報機関の基盤をAIで構築する今をときめく企業家。これを読むに至ったのは前号で紹介したように思想家の先崎氏のTV番組での勧めによる。300頁を超す(ちなみに前掲書は400頁超え)本だが、めちゃ読み易い。読み終えて「アメリカの今」がすっきりと分かった気になる。同時に題名は「シリコンバレーの落日」にでもすれば良かったのに、と思った。このネーミングには著者たちの狙いと反することを僕が期待していることを意味する。

 この本の主たる意図は第1章「さまようシリコンバレー」に尽きている。僕風に要約すると、GAFAMと略称されるような米国のテック産業は国境を無意味なものにさえするがごとき躍進を遂げたが、今になってその推進役を担ってきたエンジニアたちは、国家への忠誠心を忘れてしまい、市場における消費のみに関心を寄せるように心変わりしてしまった。彼らを呼び覚まさせ、国家、軍事力への貢献あってこその科学技術力だということを再認識させないと、中国やロシアなど敵対国に負けてしまいかねないという危機意識の発露が窺えるのだ。それを打ち消し得てこそシリコンバレーに陽はまた昇ると言っている。こういう実態は初めて知った。

 著者たちは第二次大戦以後大きな戦争はなかったという認識を披瀝する。確かに冷戦からポスト冷戦、新冷戦などと呼ばれるこの80年間の国際政治は「大国間の戦争」を回避してきたと言えるかもしれない。だが、「平和な時代」だったといえるか。朝鮮戦争からベトナム、イラク、ウクライナ、イラン戦争に至るまで地域の名の下に括られる〝悲劇の連続〟〝不幸の連鎖〟だったのだ。「核の時代の終わり」から〝AIの時代の始まり〟へと、呼び名が変わっただけなのだ。

⚫︎〝カネの亡者〟で壊れる権力と〝平和の代償〟で揺らぐアメリカ

 1冊目を読むことでアメリカという国の中枢がカネによって自壊作用を起こしていることを知り、2冊目を読むことによって、かの国を成り立たせてきた科学技術の最前線を構成する人間の意識が〝かりそめの平和〟のもとで、希薄化しつつあることを知った。つまり、円に例えると、中心部と外縁部の双方が同時進行で腐り、弱ってきていることが分かったのである。

 前者の著者は外国の誘惑の手を招き入れるロビイストによってアメリカが壊れていく現状を描き出し、後者では、このままいくと敵対国家群との軍事力競争に負けてしまうと警鐘を乱打しているといえよう。こういった事態を前にして日本はどうするか。よその国のことゆえ我関せずでいいのか。1冊目を読めと勧めてくれた元衆議院議員の先輩は、こんな国と同盟関係をいつまでも続けていくことでいいのかと問いかけてきた。2冊目の推薦者は、日本の自立への決断を暗示させる言葉で前著を締め括っている。

 「黒船来航」で否応なく「近代化」へと目覚めさせられた日本は、「敗戦占領」の80年でどうなったのか。「2つの77年」を超えて三たび目の大きな岐路に日本は立っているのだが、高市首相はその大事この上ない転機に首相の座についた巡り合わせをどう自覚しているのか。心許なきこともまたこの上ないように見える。(2026-6-15)

 

 

 

 

 

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【95】今問われるべきは「真の保守」か?━━先崎彰容『知性の復権』を読んで/6-10

 先崎彰容(せんざきあきなか)━━1975年生まれ、未だ50歳を過ぎたばかりだが、現在の日本を代表する思想家のひとりである。これまでこの人を僕が注目してきたのは著作というよりテレビ出演━━フジのプライムニュース━━が主で、読んだものは『本居宣長』ぐらい。あとは公明党の理論誌『公明』に時たま登場するインタビュー仕立ての時評めいたものだった。そんな僕がつい先頃テレビで彼が薦める『テクノロジカル・リパブリック』を読んでたまげた。最近読んだ読んだ本の中で最も刺激を受けた。ただしそれに触れるのは次回以降に回して、ここでは先崎氏の最近作『知性の復権』を取り上げたい。これはまた滅法惹きつけられた。僕の着眼点はサブタイトルの「真の保守を問う」にある。昨今どこかに消えたように見える「リベラル」や政党の名前に急浮上したもののイマイチ判然と世に捉えられていない「中道」を問うことのほうが緊急を要するように思われるのだが、なぜ保守なのかと◆とはいえ、彼がこの本の最末尾に昨秋の「政治の混乱を眺めながら」書いたことを明かしているように、自民党の圧倒的大勝利に終わった現象を「政治の混乱」と表現しているところに僕は彼の危機意識の在りどころを感じる。この本を読み進めていく上で興味を強く惹いたのは各章の書き出し。現代人の政治意識にまつわるエピソードが面白い。先崎氏の問題意識がどこにあるか、何に関心を持ち思想家として時代の病相を診たてようとしているかがよく分かる。中でも、第5章の政治家から「時代を俯瞰するために必要な勉強」をと、講演を頼まれた時のことは興味深い。「当然のことにやっと気がついたか」の言い回しは、今の〝政治家の出来の悪さ〟を強調するTVでの発言と併せて、彼の自意識の強さを思い知らされる◆彼は今の時代の有り様について、「だれもがどこかに孤独と孤立感を抱えていて」、「わたしの最大の関心事が、わたし自身になっている。高度成長や社会変革といった夢、すなわち大きな物語のない時代が現代なのです」との認識を示している。確かに1960年〜70年代の若者だった僕らの世代などとは全く違う。彼は「資本主義の行き詰まりが行き場のない者たちを生み出し、議会制民主主義の腐敗が政治家への怒りを生み出している」と強調した上で最後に、「世界が流動化し、羅針盤を失い、即応性が求められる時代だからこそ、今、日本人は決断力をもつことによって、精神の自由を取り戻さねばならない」と結論づけている。これが何を意味するか。裏返せば、「現代日本は決断力を持たずに精神の自由を失っている」ということに他ならない。読み手によって受け止め方は異なるだろうが、僕は日本の自立を強調していると読む。それこそが「真の保守」の進む道ではないのかと◆これはひとつの大きな選択肢の提示だと思う。だが、同時に他の選択肢にも目を配りたい。僕が注目するものは2つ。一つは、リベラルに位置する斎藤幸平氏による「新しい社会主義のすすめ」とも呼ぶべき一連の社会変革の呼びかけである。この人は『人新世の資本論』で一世風靡した39歳の気鋭の経済学者だが、まったく新たなコミューン作りの方法などその主張は大いに注目される。NHK が意図的に力を入れている(と見做される)番組には惹きつけられる。もう一つは、宗教的中道の立場を誇る創価学会インターナショナル(SGI)による「世界広宣流布」の動きである。既に全世界192ヵ国に支部組織を持つこの団体の平和への着実な活動こそ現代世界における「大きな物語」に違いない。と、こう書き進めてきて、彼の狙いの延長線上にあるものとして、冒頭で紹介した「国家、軍事力、テクノロジーの未来」というサブタイトルのついた本が浮かび上がってきた。以下次号につづく。(2026-6-10)

 

 

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【94】切り倒される樹木の叫び━━姫路城内の原生林の悲運/6-5

 僕は十数年前に姫路市新在家で切り倒される樹木からの悲鳴を確かに聴いた覚えがあります。耳に届いたというより魂に響いたのでしょう。草木成仏、生きとし生けるものの共生を願う仏教徒だからなのかもしれません。世界文化遺産・姫路城の敷地内に存在する姫山原生林が市当局によって切り倒されていく悲しい現実を以下報告します。

⚫︎姫山の原生林が切り倒される惨事に怒るひとたち

 つい先日、小説家で電器商という二足のわらじを履く諸井学さんから同人誌・『文芸日女道(ぶんげいひめじ)』の最新号(697)が届けられた。読み始めて声を上げるほど驚いた。発行人である森本穫先生(元賢明女子学院短大教授で作家)の手になる人気エッセーの最後に、姫山原生林が切り倒されている無惨な姿が写真と共に書き表されていたからである。同先生の住まいは現場に程近い。原生林はお城の北敷地内にある土塁の上に位置する。森本さんは、かねてここいらのお濠脇に並ぶ桜並木道を散歩され、辺り一体の独特の雰囲気を楽しまれてきたという。しかし、2年ぶりに花見に行かれたこの4月3日に衝撃の惨状が待っていた。同誌には「透明な空ががらんと見えるけれど、鬱蒼として深い趣きをたたえていた一帯が、空虚な、変に明るい、ただの空間に変じてしまっている」だけで、そこは今「墓標のような棒杭が累々と屍をさらしている‥‥」といった嘆きの迸りが続く。僕は写真を見て絶句せざるを得なかった。

 コロナ禍前まで僕が住んでいた姫路での生活には密やかな楽しみがあった。東京では早朝に皇居周辺5キロを走ることを習慣にしていたが、週末は姫路城周辺の約3キロほどを走っていたのだ。とっておきの楽しみはその後にお濠の上の土塁数百メートルほどの原生林の中をひとり歩くことだった。およそ21世紀のいまに、中世を思わせるような鬱蒼とした樹林の中を行くことは殆ど奇跡に思えた。姫路城誕生の往時をも彷彿させるような風情。行き交う人と出会うことも滅多にないぐらいの秘められた場所だった。その場所が「市民にとって危険」だからとの理由だけで市当局が伐採をするという話は恥ずかしながら全く知らなかった。

⚫︎赤穂の大避神社前の海に横たわる原生林の島・生島との類似性

   自然環境の保存と地域の利便性云々といった二律背反的課題は日本全国に数多あり、とくに珍しくはない。だが姫路城敷地内にある原生林が地域住民の生活や観光客に危害を及ぼすといった想定はおよそ思いつかなかった。地元の人も、インバウンドでやってくる外国人たちもお城に上るのに精一杯で、原生林に足を伸ばすことは稀有のことであるに違いない。それをよしとして原生林散歩を密かに楽しんできた森本さんや僕などのような特異な人間だけが怒るだけと市当局は睨んだのかもしれない。つまり、無用の長物なのだから伐採しても影響はないはずと。そこには、この原生林は自然が生み出したかけがえのないもので、切り倒すと消滅してしまうとの視点が決定的に欠落している。世界文化遺産は人間の造った城郭建築だけでなく、自然が育んできた原生林も含むものではないのか。

 実はこの姫山原生林の貴重さに気づき研究を続けていた人がお城のすぐそばの坊主町に住んでいた。旧制姫路中学(現姫路西高)の教師であり、兵庫県博物学会のメンバーだった阿部良平氏(『冬の宿』で著名な作家・阿部知二の父)である。森本さんは名著『阿部知二 原郷への旅』の中で一章を割いてこの原生林にまつわる事情をも事細かに書いている。かつて同書を頂いた僕はその中にある「姫山原始林と生島」と題する阿部良平氏の報告書を改めて読み直して驚いた。姫山原生林と赤穂市の坂越にある生島の原生林がほぼ同じ価値を持つものとしての記述を発見したからである。

 「余は過ぐる大正7年ここに生育し繁茂せる樹木━━草木は除く━━の種類を調査し約四十八種」とした後、内訳を列挙、「その種類の多いのに驚いた」うえで25の科目別に分類したものを書き並べている。そして「これを赤穂郡坂越湾にありて去大正13年に指定(天然記念林)せられた生島の林相に比べて何等遜色を見ないのである」と続けているのだ。

 実はこの春、僕は赤穂の大避神社に横浜からやってきた親友に連れられて訪れ、海を挟んで目の前に横たわる生島を初めてじっくりと見た。その際に神官から生島の原生林の貴重さを様々な角度から聴いたものだった。(当ブログNo.77に掲載)

⚫︎お城本体にだけしか目を向けない姫路市長たち

 前述した同人誌に森本さんは「姫路市当局は、戦後、お城本体だけは大切に保存してきたけれど、お城のまわりに残っていた景観や街並みは、再開発という美名のもと、片っ端から破壊してきた」と書いている。川端康成研究の第一人者であるこの人は同時に「阿部知二」にも打ち込んでこられた。森本さんの我が身を切られたような痛みと悔しさが伝わってくる文章だ。

 慌てて僕は遅ればせながら姫路市関係者、報道機関に聴いてみた。姫山原生林の現状については良いも悪いも殆ど知られていない。直接的には一部樹木が自然倒壊したことぐらいである。地元紙も数年前から「もめごと」としてそれなりに取り扱ってきたようだが、残念ながら既に関心を失いつつあるように窺えた。

 姫路市長はこれまで二代にわたって大学教授経験者が続く。個人的にも親しくお付き合いしてきた前市長は今もなお僕は尊敬している。現市長は医師でもあり、学識的知見で人後に落ちるはずがない。姫路城が持つ重要な構成環境としての原生林についても熟知されているに違いない。それをさしたる緊急を要する事態が起きているわけでもないのになぜ破壊するのか。市民の安全との両立ならいくらでも手立てはあるはず。無謀さにその知性と感性を疑う。改めて「姫路で見るべきものはお城だけ」という聞き慣れた「戯言風フレーズ」がリアルに甦ってきた。(2026-6-5)

 

 

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【93】〝消えゆく運命〟に抗う小売市場━━AKR総会から/5-30

 AKR(全小売市場連合)共栄会の顧問に僕がなってから四半世紀を超える。大型スーパーの進出を前に町の小売市場が苦戦を強いられている状況をなんとかせねばと、前世紀末に当時の専務理事の河田正興さん(故人)が、仕入れと配送と保険を三位一体のものにして組み上げたのはグッドアイデアだった。大衆の側に立つ政治の担い手として政治家になった直後に、毎日新聞大阪本社の幹部だった大学同級の友人から紹介されて彼と会ったのが始まりだった。歳月が流れ、一段と小売市場を取り巻く状況は厳しい。とりわけコロナ禍の奔流に河田さんが早々に飲み込まれて逝ってしまったのが悔やまれる◆今はHaccp(ハサップ=衛生管理)委員会に関わる程度でAKR本体の運営には関わっていない僕だが、毎年の定例総会には来賓として参加して、京都、大阪、兵庫、滋賀の会員(小売店主)や、メーカー、ベンダーの皆さんを前にご挨拶をする。今年は5月26日に開かれた。今回は12星座のうち射手座(11月22日から12月21日生まれ)に関する話題と、堺屋太一氏の遺作『団塊の後━━三度目の日本』を踏まえての今の時代の捉え方を絡めて語るべく準備をした。一言でいえば、「人生は楽観的に強気でいけば道は開かれる」との趣旨だった◆この話の背景には、昭和20年11月26日生まれという僕の出生に関わる逸話が外せない。産声を上げたのは戦後だが、母がその胎内に僕を宿したのは恐らくお正月だったろう。つまり、空襲警報発令の最中に僕の誕生の原因的行為がなされたかもしれない。僕は過去に幾度となく、戦時中に身籠った母と父の楽観的生き様に感心したものだった。しかも僕の星座は、縛られるのが大嫌いな天下御免の自由人である(と言われる)射手座。おまけに血液型は世にいう自己中心的なB型とくる。こういう星のもとに生まれた僕は、戦後の占領期から高度経済成長期を楽観的に強気で生きてきた。という風な話をして、何事もクヨクヨせず悠々と生きることが大事ですよって、勇気づけたつもりである◆更に、話は堺屋さんが前述の著作において近代日本が一度目は明治維新、二度目はアジア太平洋戦争で苦悩の底に沈んだが、三度目はIT競争でまたまた厳しいという見立てに触れた上で、それを回避するために「楽しい日本」の構築を謳っていると運ぶ。この流れは拙著『77年の興亡』とほぼ同じだけに僕の得意球だ。堺屋さんが「流通の無言(=沈黙のレジ)」が平成の時代を通じて日本政府が進めてきた政策の本質だと述べながら警鐘を鳴らしていることを紹介。巨大スーパーと違って、小売市場は「賑やかなレジ」のはずだから、先行きは大丈夫だとの結論にしたつもりだ◆尤もこの日の僕の気分は動揺していた。実は神戸の小売市場の親しい経営者が「近く店を閉めざるを得ない(倒産する)」という話を会場に着くなり打ち明けたのだ。しかも「これから用があるので」と途中で帰ってしまった。予定した話の中身と直前に受けたショックとの落差が我がこころを苛んだ。小売市場への烈風は止まず、抗いは続く。(2026-5-30)

 

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【92】卓球をするパーキンソン病患者/5-25

 パーキンソン病を患った昔の仲間が見事に復活した。それをFMラジオで2週(16、23日)にわたり聴いた直後の24日に、今度はNHK綜合テレビで歌手の美川憲一さんの闘病中の姿を観た。関心が重なった。そういえばあの人も、それからこの人も、と。周りに患者さんは少なくない。日本では30万人近くもいるとのことだが、実際はその3倍くらいだとも。僕の議員時代の後輩・山田哲郎さんは、4期にわたって神戸市議を務めたが、50歳代後半から原因がよくわからぬまま身体の不調を感じるようになった。あらゆる医療機関に行っても分からない状態が続いたという。数年間の苦闘の末に、ようやくパーキンソン病と判明、見えなかった敵が姿を現した。死闘が始まった◆この病は、人間の脳からの指示系統に支障をきたす難病とされ、今は確実に治す方途がないとのこと。症状的には手指が震えたり足がうまく動かないなど、動作や歩行困難をきたすことが一般的な兆候とされる。人によって様々な障害を伴うが、進行を抑えることは十分可能だ。前述の山田さんは闘病生活15年ほどの中で、運動が効果的だと自覚した。ボクシングやら卓球をやってきたというからなんともはや凄い。発症していない頃の彼を知る身からすると、パワフルな生き方が目立っただけにやり過ぎを心配する◆闘病生活の中での思いを聞いたのは、FMkiss神戸の「ひまわりラジオ」による。聞き手は参議院議員の伊藤孝江さん。かねてこの番組を注目していたが聴くのは初めて。卓球は効果的だろうとは素人考えでもわかる気がするが、ボクシングは何かの間違いではと思った。その上、これからアメフトに挑戦するというのだから。ともあれ、何事も過ぎたるは及ばざるがごとしと、常識的に考えてしまう僕なんかは邪推する。だが、彼は病になって後ろ向きどころか一段と挑戦姿勢が強くなったようだ。病の実態を知ってもらい、国の様々な支援を引き出そうと国会陳情にも余念がない。市議当時のパイプを十二分に生かして縦横無尽の活躍は頼もしい限りである◆一方、パーキンソン病の宣告を受けて、何事をするにも差し障りを感じて、身体を動かすのに億劫になりがちの人もいる。テレビでのインタビューを受けていた美川さんは僕と同じ80歳。子供の時からの母親の助言「しぶとく生きる」を座右の銘に日々ストレッチに励む。放映では同病の人たちに諦めずに闘病に取り組むようメッセージを伝えていた。また山田さんの周囲の人の思いやりが大事との発信も印象深かった。高齢社会に生きる我々には容赦なく様々な不都合が押し寄せてくる。かくいう僕も先日身体の不都合部分を書き出したところ、十指に余った。我ながら呆れる。心臓、脳というエンジン部分は大丈夫だとの身勝手な自信はあるものの、手足から皮膚、眼歯など細部は心許ない。日蓮大聖人の「南無妙法蓮華経は獅子吼のごとし、いかなる病障りをなすべきや」(経王殿御返事)との御書の一節を身口意に刻み、強気でいくしかないと心に誓っている。(2026-5-25)

 

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【91】3ヶ月経った新党「中道」という「政治的実験」/5-20

 立憲民主党の東京都連会長を選ぶ選挙で参議院議員の蓮舫氏が川名雄児・武蔵野市議に負けた。これまで気にしたこともない他党の組織の内部事情が気がかりになってきた。中道の塊を作ろうとの掛け声の中で、兎にも角にも「この指止まれ」に呼応した唯一の集団と言ってもいい存在が立憲民主党だから無理もない。特に蓮舫氏はあの衆院選の際に僕が参加した明石での政談演説会に応援弁士として来た人物である。僕は彼女の生の演説を初めて聞いたのだった◆新党『中道』が誕生して約3ヶ月。県下の議員OBたちの代表が集まる場に、兵庫県公明党の中核だった中野洋昌氏を呼んで最近事情を聴くことにした。彼は現在「中道」の幹事長代行。落選した立憲民主党の前衆院議員たちのヒアリングも担当しているという。細部は分からぬものの苦労ぶりはしのばれた。こちらが事前に投げた聞きたい要点は①大惨敗の戦後処理②旧公明、立憲民主両党間の政策調整③合流問題の進捗状況などだった◆僕の最大の疑問は総選挙で比例区のみに絞った公明党が解散時の24議席から28議席へと4増したことだった。立憲民主党が小選挙区で167議席から49議席への大惨敗と比較すると大いなる違和感が込み上げてきたからだ。これは既に各種報道で判明しているように、両党幹部の間でそれぞれの「棲み分け戦略」上の合意済みのことだったことが改めて確認された。つまり、両党は共に小選挙区と比例区のそれぞれで「勝てる」と皮算用をしていたに過ぎないと言うのが結論だ◆この4分の1世紀というもの主に政権与党として戦って来た公明党と、ほぼ野党として生きて来た立憲民主党とでは、政党の立ち位置が真反対で、「思考の出発点」が違うという。片や政府自民党の批判・追及一辺倒、もう一方は「責任を持って政策を実現する」ことに専念してきたのだから、と。ここいらはついこの間まで国交大臣をしてきた中野氏が最も感ずるところだろう。だが、それは小選挙区制度のもとでは当たり前のことであり、約3年とはいえ立憲民主党は政府を経験し、公明党は野党で苦労したはず。早急に今の立ち位置に慣れ親しむしかない。例えば長妻昭元厚労相の舌鋒鋭い追及ぶりは健在なのだから公明党若手が見倣うべきところは多いはず◆参院、地方議会との合流問題も前途多難はよく分かるが、ここはじっくりお互いを分かりあう努力が大事だと思われる。公明党の議員はそれぞれ創価学会の座談会で日蓮仏法を学び、庶民大衆の暮らしぶりを肌で知ってきた。立憲民主党の議員も経験をして貰うといい。また逆の場合も同様だろう。公明党出身の議員も組合活動の一端やリベラルのものの考え方を培う現場にも足を運んでいくといい。ともあれ、大いなる「政治的実験」を両党は選択した。色々あっても前進するしかないというのが僕の今の結論である。(2026-5-20)

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