【50】小説家の原点と奇妙なるエピソード━━江上剛さんの講演会から/11-20

⚫︎神戸マラソンのゴール近くで開かれた「文藝講演会」

 小春日和の昼下がり。16日の日曜日に僕はJR神戸駅を降り立った。お目当ての催しは開場まで少し時間があった。周辺散策を思い立ち南口から地下の商店街に潜ってみた。今夏に逝ってしまった親友のことが突然に思い出された。彼は人に会う時はいつも1時間ほど早く待ち合わせ場所に赴いて、周辺を歩くのを習慣にしていた。ギリギリに駆けつけてしばしば遅れるのが常の僕と正反対だった。地上に上がると、そこは大勢の人だかりで賑わっていた。晩秋の名物となった「神戸マラソン」のゴール近く。最後の力を振り絞って駆け込むランナーと、その姿に声援を送る見知らぬ市民たち。それを眺める僕の胸中に、満足感が湧いてきた。

⚫︎「井伏鱒二」との出会いが遠因で小説家に

 この日の講師・江上剛さんは、早稲田の学生だった頃、作家・井伏鱒二氏に会いたいと電話した。直ぐに「いらっしゃい」と言われた。自宅に向かうと、丁寧に優しく応対してくれた。20歳前だった江上さんと70歳代の井伏先生。恐らく早大同窓という共通点が2人を結びつけたに違いない。表札はなく、代わりに名刺が押しピンで刺されていた。よく盗まれるからだ、と。見知らぬ学生からのいきなりの電話に直ぐ呼応した作家の人となりが目に浮かぶようだ。この出会いがのちに江上さんが小説を書く遠因になった。こんな話から始まって1時間あまり、次々と繰り出されるエピソードはへんちくりんなものばかり。田舎の親に無心する手紙書きが文章力向上の源泉だと聞いて、あれこれと試みたという与太話は極めつきだが、ここで書くのは憚れる。勿論、ものを書く仕事をするのは朝に限るとか、一日に書く分量を決めて取り組むべしなどといった真面目なアドバイスもあった。そして、「古典を読め」との定番じみた忠告も。締めは、世のため人のためでなく、専ら自分のために書いていると偽悪者風のものいいだったが、後味は悪くなく妙に爽やかだった。

⚫︎銀行マンからの「華麗なる」転身

     僕と同世代に「車谷長吉」という姫路出身の作家がいて、かつて姫路文学館で講演を聴いたことがある。「最後の文士」と言われたように、小説を書くために普通の人と全く違う苦労をわざと買い続けたように思われる人物だった。江上さんのような銀行マンとして得た経験や知見を活かして書くタイプとは全く違った。車谷氏と僕は、同郷で同年齢であったし、通った大学まで同じだった。だが、その佇まいは異様さが仄見え近寄りがたかった。江上さんとは、年齢も大きく違うし、兵庫生まれではあっても丹波と播磨で、大学も異なるのだが、妙に親しみを感じさせた。恐らく銀行員出身というところに原因があろう。我が親父と同じ〝支店長経験者〟。「第一勧銀総会屋事件」に遭遇したということも、「山陽特殊製鋼倒産事件」と関わった我が父と近い。兵庫の片田舎で生まれ育って東京に出て大学に行き、銀行マンで活躍したのちに、脱サラして小説家になった人と、政党機関紙記者から政治家になった僕とは似て非なる存在だ。更に似ているのは、若き日に巨大な存在の人物に出会い、影響を受けたことだろう。

⚫︎師弟関係あってこその人生を実感

 「 神戸エルマール文学賞」━━エルマールとはスペイン語で「海」のこと。近畿圏の同人雑誌に掲載された作品の中から優れたものを顕彰するための文学賞だという。友人で作家の高嶋哲夫さんが理事長を務める団体がこの賞を世に出してきた。僕は姫路の同人誌については、諸井学さんやその師たる森本穫先生の活躍を熟知しているが、エルマール文学賞についてはあまり知らずにきた。師弟関係の重要さは言うまでもないことだが、冒頭で触れた亡き友・志村勝之も大学で教えを受けた社会心理学者の南博先生を師と仰いでいた。定年後に目白大大学院で学び直しをした後に、自宅で臨床心理士として開業していたが、恩師への思い止みがたきものがあった。江上さんも大学一年生の時に知己を得た井伏さんに折に触れ報告し励まされていた。僕には人生の師を始め、学問の師、政治家の師といったように分野ごとに3人の師がいた。既にお三方とも異界に旅立たれてしまった。歳をとるということは親を失い、友を失い、師を失うことだが、心の中に命の中に存在し続けている。亡くなった友人は多いが、僕には党広報局長時代に付き合った記者たちが少なくない。今日20日には元北海道新聞の記者だった相原秀起君が、仕事で行った鳥取の帰り道、神戸へやってくる。『1945  占守島の真実』『クナシリ 愛と悲しみの島』など〝北の最果ての群像〟を描き続ける男との「33年ぶりの再会」が待ち遠しい。(2025-11-20)

 

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