Category Archives: 読書録

【22】『ふれあう読書』出版記念交流会での僕の講演(予定)趣旨(下)/7-11

⚫︎本を読むことの大事さを売りものにした珍しい政治家

 さて、次に今回出版しました『ふれあう読書』上下2巻について語らせていただきます。実は僕が21世紀の冒頭、今から25年ほど前に「書評本」を出すと決めた時に、止めとけと言った友人は「人が本をどう読んだかなんて、だれも興味なんか持たない。だから売れない」といい、弟は「新幹線の中で本を読み、それをまとめた書評を本にするなんて、庶民受けしない、反発される」と批判してくれました。

 それを押し切って出版すると、今度は半藤一利さんから「あなたはくだらない本をいっぱい読む人ですね〜」と言われたり、東京新聞のコラムニストからは、「確かに政治家として本をよく読んでるが、果たしてこの人物が政治の現場にどう活かすのかが問題だ」と書かれました。また、先輩政治家からは、「政治家が書いていいのは辞めてからの回顧録だけ。こんな本は二度と書くな」と言われたものです。僕はこうした声も全部無視して初心を貫徹しました。これは書けない先輩の嫉妬に違いないと(笑)。

 ただ、半藤さんはくだらないと言われたのですが、くだるかくだらないかは人の判断に帰着しますし、古典ということになると、あまたの人がアプローチして書評的なものもいっぱい書いています。僕としては、正直に告白しますと、元々いわゆる読書家ではありません。むしろ本を通して書いた人物に迫りたいとの思いが強かったのです。そういう意味では読書通を装って、「本を読むことを売り」にした政治家なのです。つまり〝戦略的読書人〟が正確な言い振りで、まともじゃあないまやかし的存在です。

 世に政治家は本を読まないと言われています。年柄年中選挙ばっかりやっていて、確かに落ち着いて本なんか読めません。そういう意味では、僕の言った「忙中本あり」は至言なのです。忙しければ忙しいほど選挙区に帰る往復の新幹線時間が増え、ゆとりのある時間ができるというパラドックスに見舞われるからです。姫路はちょうど往復7時間。ひどい時は一往復半で1日10時間乗ってたこともザラでした。

⚫︎福澤の「学問のすすめ」は実は『交際のすすめ」

 『ふれあう読書━━私の縁した百人一冊』は、多くの皆さんからお褒めの言葉をいただきました。実例を一二あげますと、「コラムも含めて4頁という少ないスペースにきちんと収めるのは難しいことと思います。多彩な人脈と豊富な読書の蓄積が生み出した稀有の読書ノートだと改めて感銘を受けました。平易でありながら達意の文章に感じ入りました」というご評価が最も平均的なものでしょうか。「公明党の30年について、御厨貴、芹川洋一の2人が同じ感想=公明党の役割の低さ、を持つのは2人が東大同期で極めて親しいからではないか」とか、「公明党の果たしてきた役割を無視せずに、今後の課題について精緻な分析に基づく評論を展開することが必要だと思う。『77年の興亡』をもう一度読まねばと思った」といったものが一番嬉しかった感想です。これをくれたのはNHKの荒木裕志元報道局長です。

 また、電通大の名誉教授の合田周平さんを上巻に取り上げて、本を送りました。早速に電話をくれました。「いやあ嬉しいなあ、コロナで死にかけてたけど、生きててよかったよ。君にこんな風に書いてもらえるなんて。最近80前に亡くなるバカがいるんだよな」などと捲し立てれらました。この人は天風会の理事長でしたが、台湾で出会って、元天風会の僕と盛り上がったのです。彼の『晩節の励み』って本を評論したのですが、文字通り晩節に彩りを添えられて、とても嬉しい思いに浸れたものでした。

 最後に、実はこの間、福澤諭吉の『学問のすすめ』を再読しまして、感動しました。今までこの本にいくたびか挑戦したものの、あまり面白くなかった。というのは前半が明治維新直後の時代状況を反映した〝お説教タッチ〟だからです。しかし後半は違ってきます。最後の最後は学問ではなく、まるで「交際のすすめ」でした。「交際の範囲を広くするコツは、関心をさまざまに持ち、あれこれをやってひとところに偏らず、多方面で人と接することにある」━━このようなくだりを読んで、まさに我が意を得たりです。福澤先生から直接お前はよくやったと褒められたような気がしています。嬉しい限りです。

 僕の学問上の師匠は中嶋嶺雄先生なんですが、晩年に「君もそろそろ教育をやらないといけないね」と言われたことが気になっています。先生は日本だけでなく、世界中が中国礼賛に走っていた時に、ひとり中国文化革命批判をされた人ですが、最終的に秋田国際教養大学の設立運営に携わられました。私はかねて80歳は、還暦から20年で、真の意味で人間になる時だと思ってきました。尤も、そんなこと言ってると、死ぬまでゴールに辿り着けず、さまよい続けるだけかも知れません。(終わり 2025-7-11)

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【21】『ふれあう読書』出版記念交流会での僕の講演(予定)要旨(中)/7-10

 ⚫︎『77年の興亡』に込めた日本政治への批判

    ではこれから今日の本題に入りますが、まずこの図表をご覧ください。「77年の興亡」なるものの概念図を表したものです。1945年の日本敗戦の年を起点にしまして、遡ること77年前が明治維新の1868年です。一方、敗戦の年から二つ目の77年間が経った時が2022年になります。これまで、様々な学者たちが近代日本の歴史を概観して、「分析的見立て」を論議の俎上に乗せてきましたが、そのうちの代表的なものです。つまり、第一の77年は、1905年を一つのピークにして近代日本が天皇中心(菊の御紋を御旗)に「軍事力増強」路線を走ってきたと位置付けられています。その結果、日清、日露戦争に負けなかったアジアの後発国日本が、先進列強に伍する位置を開国から40年ほどで勝ち取ったといえるのです。

 これはもっと細かくいうと、軍事力拡大だけでなく、ほぼ20年ごとに普遍性路線と土着性路線とを交互に繰り返してきたと見る説(加藤周一氏)もあります。①のいわゆる文明開花、自由民権運動の時代②その反動としての教育勅語の時代③それから大正デモクラシーの時代④またも暗黒の軍部独裁の時代と流れて敗戦に行きつくといった風に、4つに分けられるとの捉え方です。中々味わい深いアプローチです。

 これが前半77年を集約した見方ですが、一方後半の77年間はどうでしょうか。この時代は、戦前と違って、戦敗国として米国に占領され、いわば星条旗の下での不自由な半独立国家、半民主主義国家としての77年が続くのです。ざっといいますと、こっちは、軍事力を米国に預けた格好にして、経済力至上主義の道を歩みます。占領期の7年を含む40年後の1985年がプラザ合意の年で、その後1990年代初頭のバブル絶頂期を迎えることになります。要するにこの40年は、高度経済成長とその余波の時代だったのです。この頃には日本がGDPでアメリカを脅かすような位置にまで成り上がり、ジャパンパッシングという名のアメリカによるいじめ、懲らしめにあう契機になっていったと見られています。

 表にあらわしましたように、戦後期前半の40年は、大きな政府(つまりケインズ主義)的政策展開で日本は経済的に繁栄を謳歌していくのです。ただ、この辺りからのち後半は一転、世界の経済秩序が変化していきます。「新自由主義」なる名の下に、小さな政府による政策展開が主流となっていきます。政治的には、ソ連の崩壊、9-11の世界同時多発テロによる米一極の時代から米中対決を経て多極化の時代へ。日本は、バブル崩壊と共に、あらゆる意味で収縮期に入ってしまい、少子高齢化のどん底へと落ち込みましたが、現実にはそれに加えてコロナ禍、ウクライナ戦争、ガザ紛争などが続いてきているのです。

⚫︎「朝日」「毎日」のサイト版に12本の寄稿で大論争を提起する

 実は拙著『77年の興亡』は、正確には看板に偽りありで、本の中身は図でいうところの戦後史のうち、公明党誕生以後のこの60年の変遷に力点が置かれており、戦前の77年はおろか、戦後の77年も正確には書かれていません。書いているのは、いわゆる「保守対革新」の一昔前の「自民対社共」といった〝イデオロギー対決〟の政治により庶民大衆が忘れ去られているとの観点で、公明党が結成された背景から説きおこしています。つまり、昭和39年(1964年)からの日本の政治が60年経ったけれども、本格的な政治改革ができていない、いったいどうしたのかという、日本政治の根本的批判を公明党の見地から書いたものです。一言で言えば、こんなことでは公明党の看板である「中道政治」が泣くぞという叱咤激励の内容でした。

 そして続編としての『新たなる77年の興亡』は、2022年の1年かけて、朝日新聞のサイト版『論座』と、毎日新聞の『政治プレミアム』に交互に1本3000字〜4000字づつ6本の合計12本寄稿したものを集めたのです。これは、よくやったぞと自分自身を褒めてやりたいと思っています。両社の幹部を知っていたこともあるのですが、よくぞ掲載してくれました。「書くも書いたり載せるも載せたり」でした。

 何を書いたか。一言で言えば、自公の政権与党はこの国をどうしたいのかとの国家ビジョンを明らかにすべし、国家論なき「選挙互助会的連立政権」ではダメだということに尽きます。両党が、そして国民が、憲法について、国家のありようについて、皆んなで大論争を起こそうという提案をしたのです。しかし、残念ながらほとんど反響はありませんでした。世に問うたという意味では「自己実現」ではありましたが。(つづく 2025-7-10)

 

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【20】『ふれあう読書』出版記念交流会での僕の講演(予定)要旨(上)/7-9

 7月12日に僕のこれまでの出版に関して「記念交流会」を持つことになりました。出版元と、その支援者たちによる熱心な要請を受けたものです。ここでは、宮家邦彦、玉岡かおる、岡部芳彦さんら10人ほどの執筆者の皆さんをお招きしていますが、僕が冒頭に少々お話をさせていただきます。参院選真っ只中の開催になりましたが、特に選挙を意識したものではありません。強いていうなら「戊辰戦争」の最中、慶應4年5月15日に福澤諭吉先生が上野の砲声を耳にしながら、塾生たちにウェーランドの経済学の講義をし続けたという故事に見倣ってというべきかもしれません(笑)。ともあれ以下のような話をするつもりですが、事前に公開いたします。(実際にこう話すかどうかは本人も分かりません)。

⚫︎新聞記者根性抜けずに30年

 今回の出版で2022年より出雲出版から毎年一冊出して、4冊目になります。80歳を前にしての連続出版には3つほどの企みというか狙いがあります。①地域起こし②世代起こし③自分起こしの3起こしです。①は出雲市に関わって来られた勝瀬典雄(関学大大学院非常勤講師)さんとのご縁です。②は定年後世代へのエールです③は自分自身への励ましです。実は僕の出版は今に始まったことではありません。衆議院議員に当選(1993年)した7年後のこと。『忙中本ありー新幹線車中読書録』なる本を東京の論創社から出しました。出版祝いの会を東京と姫路の2ヶ所でやりました。実は政治家で選挙以外の本を出す人は殆どいません。ある意味「7年目の浮気」で、新聞記者根性が頭を出してきたのです。結局本を出すのはそれきりにして20年間代議士を勤めあげました。ですが、ブログという名の出版(読書録と国会リポート)をずっと続けたのです。これが今日の活動の伏線になったといえると思います。

 ここで、政治家生活20年について、ざっと振り返ってみます。僕は1993年に初当選しましたが、大学を出て18年間を新聞記者(政党機関紙)をし、その後衆議院秘書や公明党県本部職員などを5-6年ほどしました。1969年からの25年間ほどのことです。この間の日本の政治はずっと自民党単独政権でした。佐藤栄作氏から宮沢喜一氏の時代(12人)ですが、この後、細川護煕さんからはずっと連立政権になっていきます。途中の民主党政権下の3人を外すと、自民党を軸にした連立政権はざっと石破さんまで13人目です。連立政権時代に突入した頃からの30年間がちょうど僕の政治家時代と重なるのです。この間に何をやったかと言われると恥ずかしいのですが、①憲法②安保③健保(けんぽう、あんぽ、けんぽ)の3つの分野です。主に憲法審査会、安保委員会などに所属しすると共に、厚労副大臣を1年だけやりました。専ら本を読みつつ国会の動きを解説し続けた20年だったと告白します。それでもミニ歴史に残る国会質問もしています。とりわけ印象深いものは①小泉首相に対する「季節外れの大雪現象」質疑②福田康夫首相への「大連立批判」質疑③鈴木宗男氏への「証人喚問」の3つでしょうか。3つ目は上巻に出てきます。

⚫︎引退後に一社、財団法人活動などから電子本を出版

 2013年暮れに引退して、約10年間は電子本の発刊に挑戦しました。最たるものが、小中高大の友人たちとの「とことん対談」シリーズです。住友電工から住友ゴム社長になった小学校同期の友人と「運は天からの授かりもの」をだしました。中学校同期の臨床心理士の親友とは「この世は全て心理戦」。高校同期の医者2人とは「笑いが命を洗います」と題して。そして大学同期の朝鮮半島問題専門家の小此木政夫とは「隣の芝生はなぜ青く見えないのか」といったようなものを出したのです。これらを全部まとめて『現代古希ン若衆』(「古今和歌集」のもじり)という本にしようと企画したものの、一人の女性から猛反対を受けて敢えなく沙汰闇になりました。「万が一ベストセラーになったりすると、私の歳がバレるからヤダ」っていうのです。まったく、「たまるか!」です。涙を呑み諦めたのが70歳の時でした。

 その後も、ここに映像にあるような「10問10答」シリーズと称して、「日本熊森協会」や「カイロプラクターズ協会」やAKR、坑道ラドン浴など一般社団法人、財団社団法人や公益財団法人など僕が関わってきた活動の電子本をせっせと出したり、「安保政策研究会」のリポート寄稿なんかをずっと続けてきたのです。そんな状況の中で、常々考えてきたのが「日本社会の転換」や「時代のサイクル」ということでした。一番ひっかかったのが半藤一利さんの「40年日本社会転換説」でした。それらから1945年を軸にすると、「前後77年の2サイクル」ということに気づいたのです。そこで、安保研リポートにずっと書いてきた政治評論を国際、国内編に改めてまとめ直して分類することにしました。以下この著作に表した『77年の興亡』について述べてみます。(つづく 2025-7-9)

 

 

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