Blog Archives

【117】去り逝く身近な友と、遠くより来る懐かしき人と━━我が往来の記9-15〜21

《9月もはや下旬に。訃報が相次ぎ、気分もつい滅入りがち。15日からの1週間を点描します。特別版です》

★9-15(火)今日は「結婚記念日」。54年前のあの日は台風と史上最大の国鉄ストに見舞われ新婚旅行も行けなかった。前途多難を思わせるトラブルはその後の人生を暗示させた。元兵庫県議だった羽田野求君死す。享年78歳。数日前に電話すると肝臓がんが肺にも転移したと聞き、ハイパーサーミアについて話し励ましたばかり。好漢の死はとても悔しい。県議時代の仲間によると環境問題に熱心で、モンゴルがCo2排出規制に先駆的だと聞き単身同国に調査に飛び懸命に動いたことが語り草だという。『モンゴル抑留』で意見交換したかった。夜は近くのホテルのレストランで過ごす。

★9-16(水)顧問を務めるAKR(小売り市場を大資本スーパーなどから守るための団体)が取組むHACCP会議が大阪・堂島にある本部で行われた。つい先頃も京都で食中毒が発生したばかりだけに細心の注意が必要であることを確認しあった。この団体に関わるようになってもう30年近い。慶應同級の元毎日新聞大阪本社の幹部だった成相幸良君から、河田正興専務理事を紹介されたことがAKRと付き合うきっかけだった。「共同仕入れ、共同配送、共同保険加入」の仕組みは弱小市場を守る妙手だったが、昨今は厳しい経済情勢の前に苦戦を強いられている。コロナ禍で河田氏が早々に犠牲になったことは痛恨事だった。もっと生きていて欲しかった。AKRのような団体が消えたら世も末だ。

★9-17(木)映画『オデュッセイア』を明石イオンへ観に行く。ホメロスのギリシャ古典。トロイの木馬、一眼の巨人など有名な挿話の展開は興味深々だったが、暗い映像の連続は見辛く〝もっと光を〟の気分に。偶々「毎日」「公明」の映画欄に相次ぎ紹介された。「毎日」夕刊の毎週金曜日の欄のトップを飾る映画は「当たり!」が多い。時々参考にして鑑賞する。少し前に観た『黒牢城』は実に面白かった。米澤穂信の原作にはまり「荒木村重」にまつわる諸作品を読み続けている。司馬遼太郎の戯曲『鬼灯』よりも、黒部亨『命惜しゅうて候』の方が印象深かった。

★9-18(金)20日付けブログを麻生太郎自民党副総裁のことでまとめようと資料探しに図書館へ。ここは駅のそばで便利だ。若き日よりせっせと本を買い込んできたが、13年前に議員を引退した時から一転、蔵書の処分を始めている。なるべく本は新たには買わずに図書館で借りている。また最近はAIを専ら相談相手にしている。今日も先崎彰容氏が『知性の復権』の中で麻生太郎氏を突然のように持ち上げている狙いについて議論した。彼の『自由と繁栄の弧』に見る思想と、安倍晋三元首相の「インド太平洋戦略構想」の比較をしたのだが、イマイチ腑に落ちない。

★9-19(土)北海道旭川市からかつての職場の大先輩・橋本立明さんが「旅友の女性」と一緒にやってきた。この人は公明新聞に僕が入社し政治部に配属された時の上司。5歳年上で記者生活の手ほどきをして貰った。政治部長、編集総局長を経て2001年に定年退職。後に次男の住む旭川へ千葉から移転。第三の人生へ。以来約20年、今は「健康・生きがい開発財団」に所属する健康生きがいづくりのアドバイザー。「人生百歳時代━━老いを生き活き楽しく!」っていう講話をされている。話の合間に算数マジックを入れ、お江戸名物大道芸「南京玉すだれ」を演じているよといかにも楽しそうに。かつての先輩の姿はそこにはなくまるで別人がいるかのようだった。認知症を患った愛妻と数年前に死別。渾身の思いを込めた介護の末だった。今回の旅は気品溢れる2歳下の女性と。遠来の懐かしき先輩の思い出作りにと、妻と共に繰り出す。行き先は垂水のアウトレットから須磨水族館(須磨スイ)へ。夜は明石「魚の棚」で楽しい時を過ごした。

★9-20(日)姫路の古くからの友・野村邦弘(野村工芸)社長と昼前に会う。舞子駅前のビル最上階にあるレストランで。ここは「眺めよし味よし」のお気に入りの店。遠来の友と食事をする場合にはうってつけ。久方ぶりの出会いだがいつも若々しいナイスガイの彼とはとても気が合う。昨今の国際情勢から日本が直面する課題についてあれこれと意見交換。特に僕が今一段と関心を深めている「77年の興亡」について持論を展開したら、熱心に耳を傾け意見を挟んでくれた。真の意味での対話が出来た。戦後第一世代の我々が今こそもう一度立ち上がらねばいけないねとの合意をした。11月に姫路南西エリアの太陽会の担当を仰せつかった。創価学会の中高年層の仲間たちの集いだが、久しぶりの懐かしい出会いが待ちどおしい。

★9-21(月)長田高校同期の畏友・飯村六十四が亡くなった。享年80歳。名古屋市医大卒の内科医。高齢者の医療施設を経営する傍らアンチエイジングの研究をするなど生涯現役の医師だった。今年初めに心臓病で手術。直後に肺疾患で再入院。8月下旬初めて見舞った。衰弱はしていたが毅然としておりあれこれ話せた。彼とは10年前に、『笑いが命を洗います』とのタイトルで、同期で笑医塾塾長の高柳和江と共に鼎談・電子本を出版した。彼が「食事」、僕が「運動」の大事さを、彼女が「笑い」を強調する中身だ。「60過ぎたら薬はいらない」という逆説めいたフレーズが彼の口癖だった。様々な機会に健康のアドバイスをしてくれた。さきに逝くなんて。もっと長生きして〝仲間たちの相談医役〟を続けて欲しかった。熱血医の退場は無念にも程がある。嗚呼。(2026-9-22)

 

 

Leave a Comment

2026年9月22日 · 7:16 AM

【73】改めて「国家悪」と向き合う━━ジャーナリストたちの戦い/2-20

 「国家」というものはその構成員たる「人間」にとって、時に「幸福」をもたらす存在でもであり、また「地獄」に突き落とすものでもある。現代の政治の場で、そうしたことを実感し得るのは社会保障、安全保障といった専門用語で語られるケースが多く、分かりにくい。これを分かりやすくいうと、前者は国家による様々な給付やサービスであり、後者は地震災害から戦争までの危険から個々人を守ってくれる働きであろう。

 つい先日、テレビで放映された『「地方の時代」映像祭2025   伝えることをあきらめない』(NHK 2-15)は、まさに「国家悪」の究極としての戦争がもたらした悲惨な現実を、地方に拠点をもつジャーナリストたち4人の視点で描いたドキュメンタリー作品だった。ここでは、彼らによって「国家の犯罪という悪」を、「あきらめずに伝えた映像」を基に、私が考えさせられたことについて触れてみたい。

⚫︎58年間も獄に繋がれた「冤罪」という「国家悪」

 まず、この映像祭の記念講演に登場したのが、58年間にわたって冤罪で獄に繋がれた実弟のために戦い続けた袴田ひで子さんだった。92歳を超えた今も凛とした佇まいに圧倒された。まさに「国家悪」の究極としての冤罪に立ち向かった彼女の戦いぶりは、壮絶だ。私も様々な報道を通じてそれなりに知ってはいたが、公的な場面でのご本人の発言には胸打たれた。

 自身が預かり知らぬ罪を押し付けられたまま、人間が自由を奪われ続けたらどうなるか。彼女は弟さんが精神に異常をきたす身となったことを淡々とした口調で述べられた。自由の身になってからも、テイッシュペーパー(ちり紙)さえ一枚づつきちっと折りたたんで大事に使う習性が残るのは、刑務所で1日の使用枚数が決められていたからだった。また、うなぎを食べることが生命を長らえさせると信じ込んでいたがゆえ、出獄後1年半というもの2軒のお店のものを交互に毎夕食の際に食べ続けたという話は痛々しい。また、彼女が国際会議で訪れたローマからの土産にぬいぐるみを買って帰ると、彼はそれを布団の中に入れて寝ていたという。これらのエピソードを「幼児に戻ったんです」と伝える彼女の口ぶりには、涙を誘われざるを得なかった。「国家悪」の一端を生々しく語って余りある。

◆正視し得ない戦争被害を受けた人々の姿

 今回の映像に関わる討論に登場したパネラー4人のうち、3人は先の大戦に直接関わるテーマについて語った。つまり過去の歴史上の事実を掘り起こすものだった。もうひとりは現在進行中のガザでの取材に基づく現在ただいまの問題提起である。前者は、①「一億特攻」②「満蒙開拓団」③「沖縄戦」の3つの歴史的経緯をそれぞれの地域での取材によって構成したものであり、後者は、現在も紛争中のガザからの生々しいレポートであった。

 「特攻」は、アジア太平洋戦争末期に危機に瀕した日本軍が航空機を直接米艦船に体当たりで立ち向かった攻撃を指す。今にいう「自爆テロ」の戦争版であろう。ドローンを使っての無人機による攻撃が通常になりつつある現在からすると、何とも痛ましい。軍の命令でその使命を押し付けられた航空兵たち。出発が直ちに「片道飛行」であることを自覚させられた彼らの胸中を慮る時に、その顔を正視し得なかった。

 また、満州、蒙古の地には素晴らしき新天地があり、そこを開拓する使命を担う仕事に従事することはとても誇らしいことだと、生徒に示唆し誘った教師が取材を受けた。結果的に教え子を死に至らしめたのだが、何故か、その教師は終始ニコニコとして語っていた。この顔をもまた私は正視し得なかった。

 更に、沖縄戦の戦没者たちの遺骨を収集するボランティアたちは、子どもたちの数多い遺骨にも出くわした。日本政府はいま、未だ残っているに違いない遺骨混じりの土砂を、辺野古基地の米軍滑走路埋め立て用に使おうとしている。その非を強く抗議する沖縄の人々。この顔もまた私は正視できない。

◆かつて戦争を礼賛し後押ししたメディア

 先の大戦での国家の強制的な圧力が普通の人間(市民、国民)を死地に追いやった。それを批判するべきメディアがむしろ国家に加担し、後押しをした。その反省が戦後80年、取り沙汰されてきたが、まともな意味でそれが一般的に理解されたようには思えないという角度からのシンポジウムだった。ガザの地からの報告をしたカメラマンが、イスラエルのメディアがガザの現場を報道しないという事実を伝えた。それは、彼らが「興味がない」としているからであった。彼は人間というものはいつまで経っても変わらないのだと述べていたのが強く印象に残った。

 この番組で、記念講演した袴田ひで子さんは、日本の再審制が余りにも時間がかかり過ぎることに異を唱え続けており、残された人生をその課題解決にかけると言っていた。また、登場した4人のジャーナリストは、戦争というものの悲惨さをあきらめずに伝え続けると語っていた。それを聞いた私は「正視できない」自分の弱さ、身勝手さを自覚した。あるがままの酷い現実から目を背けたいとする傾向があるからに違いない。せめてもの償いに、「国家悪」という表現ではなく、もっと直裁に「政治悪」「政権悪」というべきかもしれないと思うのだが‥‥。(一部修正 2026-2-22)

 

 

 

 

 

 

 

Leave a Comment

2026年2月20日 · 12:08 PM

自己防衛を武力で行うことについて

集団的自衛権行使容認によって、これから先は疑似戦争的状態が国内で起こりかねないー私の講演を聞き終えて、舞台そでに入ってこられた壮年が抱かれていた疑問は、要約するとこうなる。海外での戦闘には日本は参加出来ぬように歯止めを公明党がかけたとしても、仮に海外勢力によるテロが国内で起こったら、それに対抗することで日本各地は戦乱の巷と化す、ではないか、と。想定しがたい事態ではあるが、テロはいつ何時起こっても不思議ではないともいえるから、と▼講演の説明の中で、私が自国防衛のためには武力行使はやむを得ないものと述べたことに対して、この人はこうした事例を思いつかれたようだ。そんな恐ろしい状況が起こるなどとは、今講演を聞いた方たちは信じていないはず、とも言われた。要するに、一切の戦争(武力行使)は放棄するというのが憲法の精神であり、70年近くそれで日本はやってきたし、公明党こそその精神の体現者ではないのかと言われる。何かがおかしい、何かが変化しようとしている、と▼今回の集団的自衛権問題で、こうしたピュア(純粋な)な議論を持ち出されるケースはしばしばある。創価学会の会員、公明党の党員の皆さんの中にはとりわけこうした絶対的平和主義に立つ方々が少なくないように思われる。20年ほど前のPKO (国連平和維持活動)に日本が参加すると決めた際にも大騒ぎとなったが、あの時は戦闘活動が終わって、再発を防止することが主目的だと言って理解を求め、そして納得を得た。今回は、抑止力を持つために、自国領域内にせよ武力行使をも辞せずとの選択に驚きを抱く向きも少なくないようだ▼いわゆるテロであれ、海外からの侵略的行為対応であれ、いかなる事態にも武力を用いない、なされるがままにしているーこうしたことが夢の世界でなく、現実のこの世において可能だろうか。聞きながらそういう疑問をこちらが抱かざるを得なくなった。長い間の平和の持続によって、およそ暴力的行為を認めないとする姿勢が深く広く浸透している。それ自体はまっとうなことであろうが、ではそれを打ち破る行為にまで、ただなされるがままで、座して死を待つということでいいのか、との素朴な疑問が頭をもたげてきた。(2014・9・3)

 

Leave a Comment

2014年9月3日 · 9:50 AM