【73】改めて「国家悪」と向き合う━━ジャーナリストたちの戦い/2-20

 「国家」というものはその構成員たる「人間」にとって、時に「幸福」をもたらす存在でもであり、また「地獄」に突き落とすものでもある。現代の政治の場で、そうしたことを実感し得るのは社会保障、安全保障といった専門用語で語られるケースが多く、分かりにくい。これを分かりやすくいうと、前者は国家による様々な給付やサービスであり、後者は地震災害から戦争までの危険から個々人を守ってくれる働きであろう。

 つい先日、テレビで放映された『「地方の時代」映像祭2025   伝えることをあきらめない』(NHK 2-15)は、まさに「国家悪」の究極としての戦争がもたらした悲惨な現実を、地方に拠点をもつジャーナリストたち4人の視点で描いたドキュメンタリー作品だった。ここでは、彼らによって「国家の犯罪という悪」を、「あきらめずに伝えた映像」を基に、私が考えさせられたことについて触れてみたい。

⚫︎58年間も獄に繋がれた「冤罪」という「国家悪」

 まず、この映像祭の記念講演に登場したのが、58年間にわたって冤罪で獄に繋がれた実弟のために戦い続けた袴田ひで子さんだった。92歳を超えた今も凛とした佇まいに圧倒された。まさに「国家悪」の究極としての冤罪に立ち向かった彼女の戦いぶりは、壮絶だ。私も様々な報道を通じてそれなりに知ってはいたが、公的な場面でのご本人の発言には胸打たれた。

 自身が預かり知らぬ罪を押し付けられたまま、人間が自由を奪われ続けたらどうなるか。彼女は弟さんが精神に異常をきたす身となったことを淡々とした口調で述べられた。自由の身になってからも、テイッシュペーパー(ちり紙)さえ一枚づつきちっと折りたたんで大事に使う習性が残るのは、刑務所で1日の使用枚数が決められていたからだった。また、うなぎを食べることが生命を長らえさせると信じ込んでいたがゆえ、出獄後1年半というもの2軒のお店のものを交互に毎夕食の際に食べ続けたという話は痛々しい。また、彼女が国際会議で訪れたローマからの土産にぬいぐるみを買って帰ると、彼はそれを布団の中に入れて寝ていたという。これらのエピソードを「幼児に戻ったんです」と伝える彼女の口ぶりには、涙を誘われざるを得なかった。「国家悪」の一端を生々しく語って余りある。

◆正視し得ない戦争被害を受けた人々の姿

 今回の映像に関わる討論に登場したパネラー4人のうち、3人は先の大戦に直接関わるテーマについて語った。つまり過去の歴史上の事実を掘り起こすものだった。もうひとりは現在進行中のガザでの取材に基づく現在ただいまの問題提起である。前者は、①「一億特攻」②「満蒙開拓団」③「沖縄戦」の3つの歴史的経緯をそれぞれの地域での取材によって構成したものであり、後者は、現在も紛争中のガザからの生々しいレポートであった。

 「特攻」は、アジア太平洋戦争末期に危機に瀕した日本軍が航空機を直接米艦船に体当たりで立ち向かった攻撃を指す。今にいう「自爆テロ」の戦争版であろう。ドローンを使っての無人機による攻撃が通常になりつつある現在からすると、何とも痛ましい。軍の命令でその使命を押し付けられた航空兵たち。出発が直ちに「片道飛行」であることを自覚させられた彼らの胸中を慮る時に、その顔を正視し得なかった。

 また、満州、蒙古の地には素晴らしき新天地があり、そこを開拓する使命を担う仕事に従事することはとても誇らしいことだと、生徒に示唆し誘った教師が取材を受けた。結果的に教え子を死に至らしめたのだが、何故か、その教師は終始ニコニコとして語っていた。この顔をもまた私は正視し得なかった。

 更に、沖縄戦の戦没者たちの遺骨を収集するボランティアたちは、子どもたちの数多い遺骨にも出くわした。日本政府はいま、未だ残っているに違いない遺骨混じりの土砂を、辺野古基地の米軍滑走路埋め立て用に使おうとしている。その非を強く抗議する沖縄の人々。この顔もまた私は正視できない。

◆かつて戦争を礼賛し後押ししたメディア

 先の大戦での国家の強制的な圧力が普通の人間(市民、国民)を死地に追いやった。それを批判するべきメディアがむしろ国家に加担し、後押しをした。その反省が戦後80年、取り沙汰されてきたが、まともな意味でそれが一般的に理解されたようには思えないという角度からのシンポジウムだった。ガザの地からの報告をしたカメラマンが、イスラエルのメディアがガザの現場を報道しないという事実を伝えた。それは、彼らが「興味がない」としているからであった。彼は人間というものはいつまで経っても変わらないのだと述べていたのが強く印象に残った。

 この番組で、記念講演した袴田ひで子さんは、日本の再審制が余りにも時間がかかり過ぎることに異を唱え続けており、残された人生をその課題解決にかけると言っていた。また、登場した4人のジャーナリストは、戦争というものの悲惨さをあきらめずに伝え続けると語っていた。それを聞いた私は「正視できない」自分の弱さ、身勝手さを自覚した。あるがままの酷い現実から目を背けたいとする傾向があるからに違いない。せめてもの償いに、「国家悪」という表現ではなく、もっと直裁に「政治悪」「政権悪」というべきかもしれないと思うのだが‥‥。(一部修正 2026-2-22)

 

 

 

 

 

 

 

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2026年2月20日 · 12:08 PM

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