【125】小よく大を制した「連立論議」━━福田康夫元首相を悼む(下)/11-3

 福田康夫首相時代の私の最大の思い出は、あの「大連立構想」が出回った時に委員会の場で直接ご本人にその本意を質したことである。時は2007年11月7日、ところは衆院テロ特別委員会。この日は海上自衛隊のインド洋再派遣を議論をする場だったのだが、本題に入る前に政局上最大の関心事だった「大連立」騒ぎに触れざるを得なかった。当時、衆参両院はねじれ状態。福田首相は困り果てていた。民主党の小沢一郎氏や読売新聞の渡邉恒雄氏が騒ぎの陰の立役者として名指しされていた。自公関係がやっと定着しかけてきた時なのに、民主党との連立では小政党は吹っ飛びかねない。私は質疑の中でボクシングに例えた。与野党のトップが連立をめぐって会談をするとは、試合開始のゴングと共にリング上でいきなり抱き合うようなものではないか、と。福田さんは「国会がねじれていては何も進まない。だからと言ってただ連立すればいいと言うのではなく、政策協議などしっかり詰める」と理解を求める率直な言い振りだった。私はともあれ今の「小連立の強化」の方が大事で、大きな政党との連立に向かうべきでないことを強調した◆実はこのテレビ中継でのやりとりを創価学会SGI会長の池田大作先生が関西文化会館で観ておられた。質疑が終わった直後に総関西長の西口良三さんから「今池田先生と一緒に君の質問を観てていたんだけど、『中々いい質問だった。赤松もやるじゃないか』って言われてたよ」との電話があったのだ。後にも先にも初めて褒めて頂いた。嬉しかった。この「大連立構想」は案の定というべきか、民主党内で猛反発にあい小沢氏は孤立。あっという間に沙汰止みになった。福田氏には官房長官の時も、また首相の時も私は繰り返し「自公の関係強化」を求め続けたものだが、福田さんはそのつど「公明党には学ぶべきものが多い」と温かい発言をしてくれた。この人の誠実さは贔屓目だけでなく、心底人格から滲みでたものに思えた◆福田さんが中国通であることはつとに有名だが、引退後に、淡路島でのある講演会にゲストスピーカーで来られた。当然私もかけつけた。その際に、今の中国という国家の佇まいについて、日本にはとかく批判の声が多いことに触れ、「かつての日本も同様だった。発展途上国はあれこれと言われがちのもの。だが、直ぐに先進国に追いつくから」と述べられたことが印象的だった。加えて習近平主席を慕う中国人民の多さと、その統治能力の卓越さを強調されたことも耳朶に残った。対中関係については、私は学問上の師だった中嶋嶺雄先生(元東外大学長及び元秋田国際教養大理事長)の影響を強く受けていた。その上、同先生が主宰された勉強会に関わっていたので、福田さんをお誘いしたことがあった。安倍晋三氏ら大物政治家数人と、中国、ロシア、米国始め国際政治の錚々たる専門家が集まる会だったので、当然入って欲しいと声をかけたものだが、即座に「ン?古い人ばっかりの会だね〜。僕はそんなとこ行かないよ」とばっさり。独自の見識を持つ人だけに「君とは違う」と誤解を招いたあの言い回しを想起させられた◆実は福田さんを首相にしたいという思いは、官房長官時代に強まっていき、現実のものになった時は本当に嬉しかったものだ。色んな場面で様々な意見を歯に衣着せず言ったものだが、そのつど耳を傾けて頂いた。防衛論議で、つい現実重視の発言をすると「公明党の人らしからぬそんな態度でいいの?」と嗜められたものである。今思い起こすにつけて、赤顔の至りなのは、倉重記者と3人で首相を降りられたあとのご苦労様会をやった時のこと。つい私が「首相を退かれると議員も辞めるべきではないですかね〜」と「老害」が俎上に上る人を念頭に、生意気にも一般的持論を口にした。その際に瞬時厳しい声音で「総理を辞めてからもやることはあるのです」と、バシッと言われた。今にしてなお〝痛恨の軽口〟だったと反省している。対中関係が深刻な今こそ、福田さんの役割が一段と脚光を浴びる場面である。公明党も役割分担を申し出て野党外交の出番を果たし、「公福共演」の汗をかくべき時だったのにと、悔やまれてならない。(2026-11-3)

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