「遥かなるルネサンス」展でキリスト教の布教を思う

「遥かなるルネサンス 天正遣欧使節がたどったイタリア」展を神戸市立博物館に観に行きました。これは東京富士美術館の特別企画によるもので、イタリア・ウフィツイ美術館の特別協力のもとに実現しました。勿論、日伊両政府の肝いりによる賜物(日伊国交開始150周年記念事業)ですが、忙中閑あり、なかなか得るところは多かったです。ご存知のように、「天正遣欧少年使節」というのは1582年に長崎からイタリアに向けて旅立った伊東マンショら4人の使節のことで、ローマでは時の教皇グレゴリウス13世に謁見しました。訪問した各地で手厚いもてなしを受けたといいますが、この展覧会では、彼らが訪れた各地を順に追いつつ、それぞれの都市の芸術作品を紹介しようというものです。ブロンズィーノ(ビア・デ・メディチの肖像)やティントレット(伊東マンショの肖像)の絵画作品やら、タピストリー、陶器、ガラスなどの工芸品、書簡資料が展示されていました▼出発から3年経った1585年にヴェネツィアに到着(そこには10日間いました)、その後難行苦行の末に帰国したのは1590年といいますから約8年間程の文字通りの長旅でした。出発した頃の伊東マンショは12歳くらい、イタリアで歓迎を受けた頃は15歳。帰ってきたときは20歳になっていたはず。この展覧会はルネサンス期のイタリアの芸術を鑑賞することが主たる狙いですが、どうしても彼らが派遣された頃の日本の宗教事情に思いが飛びます。時あたかもキリスト教の世界布教盛んなる頃。とりわけ九州の地では大名で洗礼を受け、信者になるものも多くいました。イエズス会士ヴァリニャーノが日本における布教をさらに進めるために、この4人(伊東のほか、原マルチノ、中浦ジュリアン、千々石ミゲル)ーいずれもキリシタン大名有縁の若者だったわけですがーが選ばれました。彼らが行った頃と違い、帰ってきた頃にはキリスト教をめぐる事情は違っており、まさに”行きはよいよい帰りは怖い”でした。その後の彼らの人生は迫害の連続で、殉教の道をたどります▼私は西洋の絵画を観るときは、どうしても寓意を探る癖があります。だからといってなにもかもその角度から観てるわけではありません。ですが、単なる肖像画や風景画では物足りず、絵画の中に何気なくはめ込まれた動物や人間の表情を通して作者が何を意図しようとしたのかを考えさせる絵に興味を持ってしまうのです。この日の作品でも、例えば、「息子アンテロスをユピテルに示すヴィーナスとメルクリウス」という作品の中に描かれたワシに注目しました。これは私が気づいたのではなく、そんなことをあれこれと話しながら会場を歩いてるときに、一緒に行った私の友人が指摘してくれて気づいたものです。尤も、これとて正直どういう意味合いがあるのかはにわかには判じることは出来ぬまま通り過ごしましたが▼その友人は、成川愼吉君といい、ハリマ化成を定年後に学芸員になったり、気象予報士の資格をとってあれこれと研究するという豊かな才能に恵まれた変わり種です。研究対象は神戸の生んだ画家「金山平三」について。彼は気象予報士としての知見をもとに画家が描いた当時の天候と絵との関係を追うというのです。彼は今まで3回もフランスに渡り、観光の傍らパリ時代の金山平三の足跡を追っています。つい先日も4回目の訪問をして、彼の描いたある絵の制作当日の気象状況を調べに行きました。実はそれに関する資料があるのではないかと、パリの日本大使館に聴いてほしいというので、旧知の木寺昌人大使を紹介したものです。同大使も彼の熱心な研究姿勢や博学ぶりに驚いていたようです。こういうマニアックな趣味を持つ友人の解説付きの鑑賞は、何時にもまして贅沢で充実したものになりました。(2917・6・18)

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