【20】『ふれあう読書』出版記念交流会での僕の講演要旨(上)/7-9

 7月12日に僕のこれまでの出版に関して「記念交流会」がもたれることになりました。出版元と、その支援者たちによる熱心な要請を受けたものです。僕が冒頭に少々お話をさせていただきます。参院選真っ只中の開催になりましたが、特に意味はありません。強いていうなら戊辰戦争の最中、慶應4年5月15日に福澤諭吉が上野の砲声を耳にしながら、経済学の講義をし続けたという故事に見倣ってというべきかもしれません(笑)。ともあれこんな話をするはずです。僕のメモ用として、事前にお目にいれます。

⚫︎新聞記者根性抜けずに30年

 今回の出版は2022年より出雲出版から毎年一冊出して、4冊目になります。80歳を前にしての連続出版には3つほど企みがあります。①地域起こし②世代起こし③自分起こしの3つです。①は出雲市に関わって来られた勝瀬典雄(関学大大学院非常勤講師)さんとのご縁です。②は定年後世代へのエールです③は自分自身への励ましです。実は僕の出版は今に始まったことではありません。衆議院議員に当選(1993年)した7年後のこと。『忙中本ありー新幹線車中読書録』なる本を東京の論創社から出しました。出版祝いの会を東京と姫路の2ヶ所でやりました。実は政治家で選挙以外の本を出す人は殆どいません。ある意味「7年目の浮気」で、新聞記者根性が頭を出してきたのです。結局本を出すのはそれきりにして20年間代議士を勤めあげました。ですが、ブログという名の出版(読書録と国会リポート)をずっと続けたのです。これが今日の活動の伏線になったといえましょう。

 ここで、政治家生活20年について、ざっと振り返ってみます。僕は1993年に初当選しましたが、大学を出て18年間を新聞記者(政党機関紙)をし、その後衆議院秘書や公明党権本部職員などを5-6年ほどしました。1969年からの25年ほどです。この間の日本の政治はずっと自民党単独政権でした。佐藤栄作氏から宮沢喜一氏の時代(12人)ですが、この後、細川護煕さんからはずっと連立政権になっていきます。途中の民主党政権下の3人を外すと、自民党を軸にした連立政権はざっと石破さんで13人目です。その連立政権時代に突入した頃からの30年間がちょうど僕の政治家時代と重なるのです。この間に何をやったかと言われると恥ずかしいのですが、①憲法②安保③健保(けんぽう、あんぽ、けんぽ)の3つの分野です。主に憲法審査会、安保委員会などに所属し、厚労副大臣を1年だけやりました。専ら本を読み、国会の動きを解説し続けた20年だったと告白します。とりわけ印象深い国会質問は、①小泉季節外れの大雪質疑②福田康夫首相への大連立批判質疑③鈴木宗男証人喚問の3つでしょうか。

⚫︎引退後に一社、財団法人活動などpから電子本出版

 2013年暮れに引退して、約10年間は画像にあるように、電子本に挑戦しました。最たるものが、小中高大の友人たちとの「とことん対談」シリーズです。住友電工から住友ゴム社長になった小学校同期の友人と「運は天からの授かりもの」。中学校同期の臨床心理士の親友と「この世は全て心理戦」。高校同期の医者2人と「笑いが命を洗います」。そして大学同期の朝鮮半島問題専門家の小此木政夫とは「隣の芝生はなぜあかく見えないのか」といったような。これをまとめて『現代古希ン若衆』という本にしようと企画したものの、一人の女性から猛反対を受けて敢えなく沙汰闇になりました。「ベストセラーになると、私の歳がバレるからヤダ」っていうのです。たまるか!です。涙を呑み諦めたのが70の時です。

 その後も、ここに映像にあるような10問10答シリーズと称して、日本熊森協会やカイロプラクターズ協会やAKR、坑道ラドン浴など一般、財団社団法人や公益財団法人など僕が関わってきた活動の電子本をせっせと出したり、安保政策研究会のリポート寄稿を続けてきたのです。そんな状況の中で、常々考えてきたのが日本社会の転換や時代のサイクルということでした。一番ひっかかったのが半藤一利さんの40年転換説。それらから1945年を軸にすると、前後77年の2サイクルということに気づいたのです。そこで、安保研リポートにずっと書いてきた政治評論を国際、国内編に改めてまとめて分類することにしました。以下この著作に表した『77年の興亡』について述べてみます。(つづく 2025-7-9)

 

 

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