敬老の日を前に、大学同期の友の死を悼む

大学時代の同期にして、読売新聞政治部記者で鳴らした友が亡くなった。神田俊甫である。肝臓癌だったという。一昨年ぐらいだったか、あるテレビを見ていて、田中角栄元首相を囲む番記者団と思しき一陣の中に、満面の笑顔の彼を発見した。元総理の回想番組だった。今をときめく時事通信社の田崎史郎(現・政治評論家)も隣に写っていた。直ちに電話をした。「うん、ウン。そうか、そうか、懐かしいなあ」と彼独特の口調が返ってきた。すでにきつい癌と闘ってるとは聞いていたが、いつもの明るさで、「うん、うん上京してきたら、教えろ。また飲もうや」という返事だった。かつて、後輩たちを従えて赤坂界隈を夜な夜なぶいぶい言わせて闊歩していた頃を思い起こす。豪放磊落でかつ細かな神経を持ついい男だった。晩年は福島の地に赴任し、福島民友新聞社社長として君臨したが、やはり彼は最前線での取材をしていた頃が華だったかもしれない。11日の通夜、12日の葬儀と東京青山葬儀場で多くの関係者の方々に見送られたと聞くが、行けない私はご子息の鉄平君(外務省勤務)に弔文を送るにとどめた。ただただ淋しい限りだ■70歳を出ると、時にこうした友の悲しい報に接する。生老病死という鉄則パターンは容赦なく襲いかかってくる。まだまだ若い、エンジンは快調だと思って来ていた私も、昨今はめっきり部品の痛みが気になってきた。我が父親が晩年に不具合をあれこれ訴えていた際に、聞き捨てにしていたことが、俄然気になりだした。親父の嘆いていたある症状に自分も瓜二つだからである。愕然とすることしばし。永遠の生命を覚知すべく若き日より鋭意邁進してきた身として、いよいよこれからが真骨頂が問われるときだ。日暮れて道遠し。少年老いやすく学なり難しーつい昨日には、未だ未だ先のこと、と思ってた格言がとなりに鎮座していて、不敵な面構えで睨む■そんな折、地元自治会の公民館で毎週水曜日に行う「100歳体操」に参加する機会を得た。これはもう3年になる試みだが、最初からきちっと参加したことはない。今回は初めて最初から文字通りフルコースで挑戦した。テレビに映るDVDの作法に則って、おばあさんたちとイッチィ二ー、サンシー、ニイ二イサンシーとやるのは、最初はいささか照れ臭かったが、だんだんバカにできぬと悟る。繰り返しは結構エネルギーがいるのだ。最後は口腔体操。くちびるや舌まで動員して行うのは、飲み込みや食べこぼしを防ぐためとか。。微に入り細にわたる運動は、終えてみるとなかなかの爽快感が漂う。自治会幹部が「敬老の日」を記念して、花束ならぬ植木鉢を参加者にプレゼント。思わぬこころ優しいサービスに皆感激を新たにしていたのも嬉しかった■この日の最後の企画に、姫路市の地域包括センターの女性職員による「認知症になっても安心出来る地域へ」というタイトルでのミニ講演会があった。パワーポイントを駆使しての内容は実にためになった。85歳を過ぎると、50%の人が、95歳になると80%の人が認知症になるという。普段から十分意識して生活していないと、明日は我が身だ、と思い知った。団塊の世代が前期高齢者から、後期のそれへと移行することで、日本の高齢化は世界で先陣を切る。少子高齢社会、人口減社会へまっしぐらに進む中で、公私ともに準備を急がねば、と覚悟を固めるに至った。(2018-9-16=文中、敬称略)

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