もし今公明党が野党だったらー臨時国会の閉会に思う

12月9日に臨時国会が幕を閉じました。その直前の6日に一般社団法人「安保政策研究会」の定例会が開かれ、久方ぶりに参加しました。そこでは、日韓関係を巡って寺田輝介元韓国大使からの基本的な問題提起がなされた後、座長役の浅野勝人元官房副長官や登誠一郎元OECD大使、星野元男元時事通信台北・北京特派員らを中心に種々意見交換がなされました。私としては大いに触発されましたが、気になったのはその前段での議論です。国会における野党の「桜を見る会」に対する追及の杜撰さが指摘されました。その中で、こんな野党の体たらくでは、好悪を別にして安倍4選もありうるとの杉浦正章元時事通信編集局長の発言が耳に残ったものです。今は与党ですが、かつては野党だった公明党出身の私としては大いに胸騒ぐ場面でした▼世に「大山鳴動鼠一匹」と云いますが、終わってみれば色々と問題が出てきたものの、結果的には安倍自民党はビクともしなかったとの印象があります。野党の存在とは一体何なのかと、虚しさのみが残ります。第一に、菅原一秀、河井克行二人の大臣の辞任。問題が発覚するやいなやさっさと辞めてしまいました。こういう大臣には以後元経産相とか元法相といった呼称を取り去ることが求められます。人の噂も何とやらで、残るのは大臣の肩書き。例え数日とは云え、任命されたという事実は重いのです。それ故に職に固執して恥の上塗りをせず、元大臣の呼称を後生大事に持つために直ちに辞めたのでは、と勘ぐりたくなるのです。「桜を見る会」問題では、首相のやりたい放題を支える与野党の議員たちの屈折した心理が伺えます。大勢の議員たちが参加したとの事実があるゆえ、どんなに首相を攻撃したところで、以後気をつけますで済んでしまうのが関の山なのです。これをターゲットにした立憲民主党以下の野党の戦略の拙さのみが残ります。議論を聞いていて、もし公明党が野党だったら、との詮無き思いがふと浮かんできました▼外側からの自民党政治の改革は困難を伴うから、内側から変えていくのだとの論理を、「自公連立」に当たって、私などは使ったものです。たしかにその後、常に弱者の側に立った公明党の視点を取り入れての自民党政治の展開は、枚挙にいとまがありません。加えて、民主党政権誕生前後5年ほどに日本が経験した政治の不安定さを、公明党が自民党側に加担することで安定化をもたらしてきた、と云えるでしょう。しかし、問題はその「政治の安定」で失われたものはないか、という点です。御厨貴東大客員教授が「平成から令和へーさらに増す公明党の存在感」という論考(『潮』1月号)の中で、「『統治の党』としての性格が強まるにつれて、今後どこかで平和主義や生活主義と矛盾する局面が訪れるかもしれません」と述べる一方、「自民党と決して馴れ合いにならない自覚と緊張感を、公明党はこれからさらに大事にして欲しい」と強調しています。わたし的にはこの御厨氏の言葉が大いに気になります。「統治の党」としての「政治の安定」が謳われるそばで、既に随所で「生活主義」が脅かされている現実があると思うからです。経済格差に喘ぐ庶民大衆に一体どういう手を今の政府・自公両党は差し伸べていると云えるのでしょうか▼今の事態を見ていると、もう与党として自民党を支えるよりも、野党に戻って、新たな政治改革の道を再び模索した方がいいのではないかとの思いすら抱いてしまいます。絵空事と自覚しつつそんな風に思ってしまうのは誠に嘆かわしいことです。時に与党として、またある時は野党として、公明党がひとり二役ならぬ〝一党二役〟ができぬものか。白熱した外交論議の最中に、そんなよしなし事の発言をすることは憚られると、思わず言葉を飲み込んでしまいました。いつにない後味の悪さを引きずって会場のプレスセンターを後にした次第です。(2019-12-9 一部修正)

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