元防衛官僚の反旗はなにゆえかを探る

先週の日曜日は神戸で二つの印象的な出会いがありました。一つは年来の友人である元防衛官僚の柳澤協二氏との対談であり、今一つは経済評論家の内橋克人氏の講演を聴いたことです。この二人は後で分かったことですが、前日に柳澤氏の講演を内橋氏が聞くという形で出会っておられ、三人が相互にいびつながらリンクした関係を構成していたことになります。共に、筋金入りの安倍政権批判を展開中のひとであるだけに、私としてはそれなりに緊張を強いられ、襟を正しつつ聴く羽目となってしまいました▼内橋克人氏の講演については次回にし、ここでは柳澤氏の主張のポイントと公明党についての彼の思いと、それへの私の印象だけを簡単に触れておきます。彼は防衛省の局長や防衛研修所長を経て、元内閣副官房長官補(安全保障・危機管理担当)をこなしてきた人で、私とは理論誌「公明」誌上で対談をしたこともあります。彼は今「政府の側で仕事をしてきた人間が、政府の政策批判をするのはおかしい」との論法で陰口をたたかれています。しかし、本人は安倍首相が政府の従来の姿勢を逸脱しているのだから、それを従来の見地から批判するのは当然だと全く意に介していません。抑止力についての安倍首相らの捉え方に根本的な疑念を抱いており、米国自体がかつての米中関係とは違って経済を軸にしっかりと相互補完の関係にあると認識しています。ですから、今まで通りの考え方でいると、日本の方向を誤るというわけです。それに米国は日本の政府が思うほど集団的自衛権の行使を望んでいず、むしろそれでは迷惑だというのが本音だともいうのです。結局は、抑止力よりも危機管理力が問われているというのが彼の主張です▼公明党に対しては、「自民党の行き方に追随しているだけで、なんら歯止めになっていない」とまことに手厳しい見方に立っています。私は、昨年の閣議決定時点までの公明党の対応は精一杯歯止めを果たしたと思っていますが、安全保障法制への法案化に関してはいささか不満があります。この数か月の間に自公両党の間で何がどう議論されてきたかを明らかにすべきだと思っているのです。それだけに、柳澤氏の公明党批判は気になります。先に衆議院の議員会館で佐藤優氏をも交えて安全保障法制をめぐっての討論会がありました。そこでは安倍政権批判で二人は同調したけれども、公明党の役割認識では大いに食い違った(佐藤氏は公明党を高く評価)とされています。このあたりも気になったので直接確かめてみたかったのです▼今や、集団的自衛権の限定的容認は、9条下で許される武力行使であり、ギリギリの憲法の枠内で捉えられる「専守防衛」だとのスタンスは、国民一般に理解されがたいとの印象が強くあります。いくら説明がなされても詭弁ととらえられかねません。ここは慎重な見極めが必要です。ただ、私は彼の主張が”伝統的左翼”と同じものだと見られるのは不本意ではないか、と注文をつけました。かつての自民、社会両党による”不毛の対決”は歴史の彼方に流れ去りました。現在は、安全保障をめぐって一定の共通の土俵が出来たのだから、実のある落ち着いた議論がなされねばならないと思います。これこそ柳澤氏にとっても私たちにとっても念願のことであったはずです。真正の中道の立場に立つ公明党としてもこの議論は願うところであり、決して右のスタンスだけにこだわるものではありません。その意味で、抑止力に代わりうる概念を構築すべきだとの彼の主張は傾聴に値します。来週から国会での論議も本格化します。これを注目しながら、曇りなき目で真実に迫っていきたいと考えます。(2015・5・23)

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