前国会議員の会合が16日に開かれました。毎回様々な分野の専門家を呼び講演を聴くのですが、今回は今売れっ子のジャーナリストである田崎史郎時事通信社特別解説委員の登場でした。安倍総理や菅官房長官とも近く、その政局分析には定評のある人と言うことで参加しました。聞き終えて期待にたがわぬ面白い話でした。ここではこれからの日本政治を考えるうえで参考になるくだりに限ってご紹介します▼まずは天皇の御退位問題。今回の天皇のご発言を注意深く読めば、明らかに平成30年までは責任を持たれるが、それ以降はないということが暗示されていることが分かるという点でした。現在、皇室典範の改正をして摂政を置くか、特別措置法で今上天皇に限ってご退位の道を開くかが焦点になっているが、自分は後者にすべきだとの意見を表明していました。日本最後の安全装置ともいうべき天皇の存在はやはり軽々しく扱うべきではなく、人生の終末まで在位頂くのが筋だとの考え方です。また、メディアの報道での「生前退位」について、皇后が驚かれた(生前とは亡くなったときに使われる表現のため)というエピソードや、ある識者がテレビで「平成天皇」と発言して、抗議が殺到したとか(今上天皇と呼ぶべき)、次の元号は頭文字がMTSH以外のものになるはずとか、興味を強く引く話ばかりでした▼次に安倍総理が何をしようとしているかについて。経済再生、憲法改正、日露関係の打開の三つだとしたうえで、経済は結局道半ばで終わるとの悲観的見方を断定。ただ、TPPは政権の命運をかけて日本が主導して実現に取り組み、経済の「明治維新」をもたらしたいと考えている、と。憲法については、9条改正は考えていず、国民が納得する緊急事態対応などについてやりたいと考えてると明言。日露では、4島一括返還でなければ、というかねてからの国民世論が大きく今では変化してきていることに言及。今年末の山口での首脳対談では、歯舞、色丹の返還には何らかの合意をもたらし、国後、択捉などは自由往来などに触れ、更なる詰めは2017年7月のウラジオストク東方フォーラムに委ねることになろうと予測していました。両国の友好条約交渉はそこから数年かけて進むはず、とまで▼安倍政権のこれからは大胆にも、2021年9月まであと5年続くと予測。自民党の総裁任期の延長について、大平首相が「40日間闘争」に懲りて、期数制限を試みたことを取り上げ、暗に今は対抗馬がいない(石破氏がいかに人と会わない政治家であるかを披露)との党内情勢を吟味してみせていました。さらに公明党はじめ各党には党首の任期に期数などの制限がないこともその要因である、とも。次の総選挙については、「来年11月解散12月総選挙の公算が大」であると強調していました。来年1月、再来年1月の可能性も2割づつはあるものの、前者は衆議院の選挙制度改革が間に合わないこと、再来年では追い込まれ感が強いことなどを理由にしていました。尤も、最後に、「政治は川の流れのようなもの」との信条で取材してきた身としては、「当たらなかった」と後に言われても、「それは状況が変わったという他ありません」と笑いを誘う「逃げ」を打つことも忘れなかったことが印象的でした。(2016・11・17)
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はったりから妥協へー”トランプ手品”にどう対応するか
米大統領選挙結果に世界中が驚き、ショックを受けています。トランプ氏の「まさかの大勝利」の選挙の結果が出た翌日に、たまたまヨーロッパ議会の女性議員(コリン・ランゲン元ドイツ・ビンゲン市長)を姫路にお迎えしたので、個人的に様々な意見交換をしました。彼女も世界の前途に暗雲が垂れ込めたと、大いに深刻な表情をされていたのが印象に残っています。殆どのメディアが報じているように、確かにトランプ氏が選挙戦中に発言したことをそのまま実行に移すなら、たちどころに世界は大混乱に陥るものと思われます。不透明な国際政治・経済の先行きを予測することは困難ですが、トランプ氏は”大化け”ならずとも変質するとの期待感を持ちたい思いに駆られます。ゲームとしてのトランプに「神経衰弱」なる遊びがありますが、個人も国家社会も本当に衰弱せぬうちに、「トランプ手品」の如く、問題解決といきたいものです。選挙最終盤にあたかも冗談のように喧伝されていたのにまともに降りかかってきた「トランプ・リスク」を、三つの視点から考えたいと思います▼一つは、ここでいう”大化け”とは、彼が急に掌を返して、今まで言ってきたことは撤回するなどということでは勿論ありません。そんなことをすると支持者たちが彼を許さず、さらにいっそう滅茶苦茶な政治状況になってしまいます。ここは、本人に過去二回会ったという寺島実郎日本総合研究所会長の「(トランプ氏の)人生を貫く価値はディール(取引)だけでしょう。思想も哲学もなく、いくらでも妥協する。はったりから落としどころに持ち込む手法です」(朝日新聞11・12付け)との言葉が気になります。寺島氏は、就任後にトランプ氏の内外における”大いなる妥協”が始まるとの見立てを持っているのではないかと思われます。トランプ氏のはったりに期待をした支持者たちが「落としどころに持ち込む妥協の手法」に満足してくれることに期待するしかないといえましょう▼次に、アメリカという国の政治にあえて内政干渉してしまえば、「二大政党制」と「大統領選挙の在り方」という問題、つまりはアメリカ民主主義が孕む課題です。共和党と民主党という巨大政党が、政権交代を賭けて4年に一度大勝負をするということは、その都度本来は今までも国家を二分する政争が行われてきたわけです。中国やロシアのような共産主義、もしくは疑似資本主義国家と違って、国家社会が常に分断されかねない危険性を持ってるのです。今までは民主主義国家における自由な競争、同じ価値観を持ったもの同士の内輪もめ程度で済んでいたのですが、トランプ氏はそれを根底からひっくりかえすかのごとき発言を一貫して繰り返してきました。民主主義のモデル国家であるかの如く見られてきたアメリカがこれから大統領自らがしでかす「民主主義への挑戦」ともいうべき難題解決に、どう取り組むか。固唾を吞んで見守る絶好の機会です▼随分と脳天気な、対岸の火事みたいなことを言ってきましたが、異常事態ゆえご容赦を。次に、日本はどう対応すべきか、という課題が三つ目です。安全保障の分野でトランプ氏は日本が応分の負担をしないなら、米軍は撤退するとか、北朝鮮が核を持つのなら日本も持つべきだといったような、事実誤認や国際政治の常識を弁えない論法を弄んでいます。これに対応する答えはただ一つ。日本が自立する気構えを持つことだといえます。今まで自らを「半独立国家」だとか、「対米従属国家」だとかいう風に規定してきていながら、日米同盟関係に漫然と安住してきた感がなしとしない日本が本気で米国と対峙する時だといえましょう。勿論、それは直ちに「安保条約破棄」だとか「核保持」などということではありません。自らは自らで守るという気概を持たぬ限り、二国間関係は本当の関係ではないのです。トランプ氏の「対日はったり」に、どう日本が真面目に”かます”か、大いに腕と知恵の発揮しどころだといえましょう。(2016・11・13)
しかし、天邪鬼な私は正直に言ってあまりショックを受けていません。むしろこれを契機に新たな世界が開けていくことへの期待感があります。もはや現役ではないので、直接様々な課題に直面することからくる責任がありませんから、脳天気に構えているのかもしれませんが……。ここでは彼が最悪の行動に出ることは思いとどまる(つまり、勝利後の演説に見るような融和路線を歩むとして)という前提の下で、楽観的でかつ異質の受け止め方を示してみたいと思います▼そもそも米国のような二大政党制のもとでは、政権交代が前提とされていますので、大なり小なり国論世論が二分されがちです。中国やロシアのように強権的な共産主義国家、疑似資本主義国家ではないところでは、民主主義のもと自由な政治言論が保障されていますから、ある意味当然でしょう。しかし、事態はかなり変化の様相を示してきました。これまでは資本主義がまっとうに発動し、民主主義が伸長する基盤が強固だと見られていたのに、米国ではかの2008年のリーマンショック以来急速な形で貧富の差が拡大してきました。貧困層と富裕層の二分化こそ今回のトランプ大統領誕生の根本的原因だと見られています。
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秋祭りに地域発展のカギをみる―駆け出し自治会長の素直な実感
今年も我が姫路市では秋祭りが一部を除いてほぼ終わりました。私の自治会でも既に10月半ばに終わっており、肩の荷を下ろした気分です。自治会の役員の皆さんに助けられて、自治会長としては特に何をするということもないのですが、一年の行事の中で最大のイベントであるだけに、達成感はそれなりにあるといえましょう。私は地方議員はおろか、自治会役員も何も経験したことがありません。いわゆる隣保長なども順番が回ってきても妻任せ。勿論、自慢じゃありませんが、溝の掃除、粗大ゴミ捨てすらしたことがなかったのです。そんな人間が、衆議院議員を20年やったあと、引退していきなり自治会長をやってるのですから。なにもかも初体験ばかりでもうすぐ2年が経ちます▼かつて私は、町内会組織というものは自民党の集票マシンだと決めつけ、蔑視しないまでも無視していました。無知もいいところ。今となっては恥ずかしい限りです。自治会と政治家との関係はそんな簡単なものではありません。政治家にとって信頼を得るには、いかにお世話をするかが大事です。私の町内には若手のホープともいうべき市議(元民主党所属)が相談役として存在しているので、地域住民の方々からの相談ごとは出来るだけ彼に振っています。本当は公明党の我が地域を担当する市議に頼めばいいのですが、彼はいささか離れた地域に住んでいますし、地元のことは地元に住む議員にお世話してもらうのが筋だろう、と党派にこだわらずに、我慢しているところです▼それにつけても”祭りの花”といえば、屋台巡行であり、他町内会との屋台の練り合わせです。大変に重い屋台を40数人で必死に担ぐ姿。それを皆で煽り立て、しで棒を振り、声援を送る光景。これは慣れ親しんだ人にとっては、いつもながらのことでしょうが、私のような”新参者”にとってはなかなかのものです。熱いものさえこみ上げてきます。文字通り、祭りならではの爽快感を味わえます。地域の団結を形成するのには良い機会ですが、残念ながら未だまだ参加者は少なく、課題は山積しています▼先ごろ私が感動した『人生の約束』という映画があります。竹野内豊が主演で江口洋介、西田敏行、小池栄子、ビートたけしらが脇を固めた渋い映画でした。石橋冠監督で、筋立ては色々とあるのですが、わたし的には祭りを通じて地域住民が郷土愛、地域愛に目覚めるというところに関心が向き、惹きつけられました。自治会長で苦労してるからでしょう。映画を見る自らの視点が変わってきてるということを実感するのも面白いものです。こういう映画を自治会の皆で観る機会があればいいなあと思うことしきりでした。(2016・11・10)
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的を射た公明党の「日共批判」-「改憲と加憲のあいだ」➂
日本共産党と公明党の間でのいわゆる「公共憲法論争」から40数年が経った。当時私は、公明新聞記者をしていた。編集の最高責任者だった市川雄一編集主幹(当時。元党書記長)のもと、先輩たちが懸命に「公開質問状」に対応していた姿を思い出す。ことの発端は、1973年(昭和48年)12月17日に、日本共産党中央委員会が公明党中央委員会に宛て、25項目の質問を含む「公開質問状」を送り付けてきたことだ。これに対して公明党は、翌74年2月8日に、全ての質問に答えた回答状を共産党に返した。これをきっかけに、公明党は逆に74年6月18日、7月4日の二回に分けて、「憲法3原理をめぐる日本共産党への公開質問状」を提起した。全文22万字に及ぶ、70項目200余問の質問を含むものだった▼入社4年目の30歳前の新米記者だった私など、当時は到底預かり知らないやりとりだった。およそ半年余りの期間に、高揚する社内の気分だけは今なお鮮明に覚えている。以来、共産党からいつ返事が届くのか、心待ちにし続けた。しかし、呼べど叫べど回答はこない。まさになしのつぶてとはこのこと、今となっては、論争から逃げてしまった共産党という政党には呆れるばかりという他ない▼では、この「質問状」で公明党は何を問題としたか。一つは、共産党が平和・人権・民主を柱とする現行憲法を破棄するとの方針を堅持していること。二つは、複数政党制や三権分立など現行政治制度の全面的改廃を狙っていること。三つは、共産党の路線、マルクス・レーニン主義(科学的社会主義)には、自由・民主主義などの市民的社会の持つ諸価値と対立する重大な要素が含まれてること。四つは、共産党の統一戦線論は、政権交代なき共産党一党独裁政権を目指す革命路線(武力革命を含む)であることなどを明らかにした。いずれも今なおなんら解決されていない古くて新しい課題ばかりである▼これらに対して、共産党は例によって「反共」呼ばわりをしつつ、回答不能状態を続けるだけ。その一方で極めて欺瞞的な態度をとるという怪しげな態度に終始している。それは、一般社会では信じがたいことだが、憲法論争における公明党の主張を表面的、皮相的にせよそっくり取り入れて、いつのまにやら自説として押し出すという姑息きわまりない手法である。具体的な例を挙げよう。マルクス・レーニン主義を官許哲学、国定イデオロギーとして国民に押し付けないということや、信教の自由をいかなる体制のもとでも無条件に擁護するといった「新見解」を打ち出したことなどがそれである。また、「プロレタリアート独裁」を「執権」に変えたうえ、「労働者階級の権力」へと用語を入れ替えたり、「マルクス・レーニン主義」という呼称を「科学的社会主義」へと言い換えことなどがそれにあたる。ともあれ、「自由と民主主義の宣言(76年7月)などともっともらしく打ち出してみせざるをえなくなったのは、『公明党の日共批判』がまさしく的を射ていたことを証明しており」、「公共論争における日共の事実上の敗北宣言にほかならない」(佐藤昇元岐阜経済大学教授)。結局、共産党は正面切って回答できないものだから、指摘を受けた方向で見かけだけでも何食わぬ顔で、修正を施すというやり方をとったのである。(2016・11・6)
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