Monthly Archives: 10月 2019

自公連立20年とこれからー懸念される中道主義の存在感❷

気になる存在感の低下

それよりも公明党の支持者における一般的な懸念は、存在感の低下という問題である。自公政権と言いながら、実際には自民党安倍政権の添え物でしかないように見られるのはなぜか。政権内部で激しく論争が行われたのは、安保法制をめぐる関連法の審議の際だった。あの時以降、両党間での鍔迫り合いがなりを潜めたかに見える。2013年2月に、安倍首相が集団的自衛権行使容認を目的に、私的懇談会「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」を設けたことが号砲一発だった。2014年7月の閣議決定から15年9月の安全保障関連法の成立に至る一年間の議論の推移は極めて特徴的だ。要するに、あれ以降自民党は、集団的自衛権は行使が容認されたといい、公明党ではその集団的自衛権は限定されたものであり、一部では個別的自衛権の延長線上にあるとの捉え方もなされた。つまり、典型的な玉虫色決着となったのである。私は、この議論がなされた当時の議事録の公開をすることこそが両党にとって緊要だと思った。しかし、残念ながら今に至るまで、それは伏せられたままである。お互いが自身に都合のいいように解釈している事態がいつまでも持てばいいが、それが崩れたら、深刻な局面を引き起こすに違いない。ただ、一点言えることは、首相が公明党に譲歩したことだけは間違いない。それが証拠に、自民党内最大の防衛論客である石破茂氏があの直後に首相からの防衛相就任要請を蹴ったことだ。公明党風の条件付き集団的自衛権では一国の防衛の衝に当たれないとの意味を有した彼のセリフが印象に残る。

憲法論議に合意形成の役割を

今、自公両党にあって最大の課題は、憲法9条をめぐる問題の取り扱いである。改憲政党自民党が、9条の3項に自衛隊の明記を加えるという加憲の決断をしたことは、安倍首相の投げた変化球だった。改憲の立場をとる公明党だから、9条においても同調せざるを得ぬはずと読んだものと思われる。1項と2項をそのままにして、3項に自衛隊の存在を付け加えることが、憲法解釈の常道を外れた奇策であることは誰しもが認めよう。そんなやり方をするよりも、2項を全面的に書き換える方が筋が通るとか、あるいはそのまま触らない方がマシだとの考え方が一般的である、しかし、双方共に世の賛同を得ることが難しいなら、妥協点としての3項加憲は意味を持つ。少なくとも、合意を目指して議論の場を設けるべきだというのが私の主張である。議論が足りないとする公明党のスタンスは、結果として護憲のスタンスに舞い戻ったかに見えるのは残念である。

私は憲法審査会におけるこのところの議論の低調ぶりは大いに嘆かわしいと思う。かつて中山太郎氏が衆議院憲法調査会長当時に、懸命に与野党の合意を得る努力を重ねた結果、国民投票法をまとめるに至ったことは大いに賞賛されよう。勿論、憲法そのものをどう取り扱うかはもっと高度なテーマであり、簡単にはいかないことは認める。しかし、この停滞状況を打破するために、私が世に問うている三つの提案の実現化は早急に検討がなされて欲しいものだ。一つは、予備的国民投票の実施である。国民が憲法改正をすべきだと思っているのか、それとも変えずともいいと思っているのか。これを予め問うという国民投票があっていいと私は考える。しかし、そんなことは今更迂遠過ぎるという声があろう。それなら、二つ目には憲法審査会が大枠の方向性を決めた上で、学者、文化人ら民間有識者のプロジェクトチームの手に委ね、原案をまとめ、それを再び審査会が受け止めて、最終的な形に仕上げるというやり方である。残念ながら国会議員に任せていては、十年一日のごとく議論は進まず、うまくいきそうにないからである。それもダメだというなら、三つ目は、国会議員の中で、各党選抜した議員を一定期間、憲法議論だけに集中させ、2年ほどで答えをまとめさせるというやり方である。そうでもしなければ、ほぼ3年ごとにくる選挙のために、腰を落ち着けて憲法の議論をする機会は永遠にきそうにない。その際の進め方は、はじめに改憲ありきでも、護憲ありきでもなく、何を変えて、何を変えずともいいのかという憲法の在り方をつぶさに論じる場面を設けるというやり方である。このようなこともせずに、ただのんべんだらりと審査会をやれ、やらないということを繰り返してはならない。ともあれ、いろはの〝い〟である議論の進め方、憲法の取り扱いをめぐる話合いに早急に国会は取り組む必要がある。(続く)

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自公連立20年とこれからー懸念される中道主義の存在感❶

私が理事を務めます、一般社団法人「安保政策研究会」の「安保研リポート」vol25に「自公連立20年とこれからー懸念される中道主義の存在感」とのタイトルで寄稿しました。以下に転載します。

自民党と公明党が連立を組んだのが1999年。早いもので、この10月5日でちょうど20年になった。平成の30年間の後半の3分の2に当たる期間を、両党は政権を共にしてきたことになる。具体的な政権運営のかたちは、ポスト面からいうと、国土交通相が既に五人も連続して公明党から誕生しており、副大臣、政務官も厚生労働省、農水省、経済産業省、財務省が定番となっている。たとえ、1年間ほどの短さとはいえ、政府の一角を担う人材が着々と増えることの持つ意味は小さくない。庶民大衆の声なき声を吸い上げることに一意専心してきた公明党が今や、権力中枢にしっかりと食い込んでいる。さまざまな政治的課題についての要望が容易に中央に届くことは、大きな実現力として有権者の最先端に跳ね返ってくる。大向こうを唸らせるような論戦における華々しさは、野党時代と違い、いささか遠のいた感がするが、それを補ってあまりあるほどの手応えが公明党の最前線にはあると思われる。

「公明党の自民党化」への懸念

一方、各級選挙においても両党の協力ぶりは年々歳々親密の度を増してきている。衆議院選挙において、公明党は9の小選挙区で自前の候補を立て、自民党の支援を受ける代わりに、それ以外のあらゆる選挙区で、自民党候補を押し上げる役割を果たしている。参議院選挙では、公明党は7つの選挙区で自民党候補と共同推薦の形を受けており、自公入り乱れての複雑な選挙戦を戦ってきている。この夏の参議院選挙では、私の地元・兵庫選挙区が全国一の激戦区ということで、激しく自民党支持者層に食い込む戦いを展開した。各種団体の推薦を始め、自民党衆議院議員をも巻き込んでの闘いぶりは「公明党の自民党化」(神戸新聞)現象を内外に印象付けたものである。

かつて、鴻池祥肇氏(故人)が参議院兵庫選挙区における、三宮駅前などの繁華街での自らの演説で、「おーい、こん中で公明党の人おるか?あんたらわしを応援せんでもええで。よその党の応援なんか貰わんでもわしは勝ったる」と、声高に叫んだ場面が忘れがたい。同氏独特のパフォーマンスで固有の支持者を沢山有していただけに、公明党の支援を求めるなど片腹痛いということだったに違いない。自公選挙協力の滑り出しの頃には、こうした鴻池氏のような候補者は散見されたもののようだが、今ではほとんど姿を消したかに見える。一方、公明党の方でも、自民党候補の名前を書くことへの抵抗感は少しずつ後退してきているものと思われる。

ただ、表面的にはおさまっているようでいて、その実、反発が強いのが衆議院の公明党の9選挙区における自民党支部である。自前の候補を出せぬことからする組織力の低下がもたらす不満が高まっている。参議院の選挙区選挙のように、一つの選挙区で自公が共に戦って、議席を争奪する形にして欲しいとの要望は出ては消え、消えては浮かんできていると聞く。公明党の方は、小選挙区の数が圧倒的に少なく、比例区オンリーで戦う選挙区が大半のため、表面的には不満は高まらないよう見える。(続く)

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遅すぎる国会再開に、攻めの議論を期待

公明党が政権与党になって早いもので、明日でちょうど20年になります。自民党・小渕恵三総理からの要請を受けて、自民党と自由党と公明党の間で自自公政権を組んだのが事の始まりでした。以来様々の組み合わせを経て、民主党政権下で野党に舞い戻ったりした末に、今の自公政権に落ち着いています。私のように野党時代の公明党を知っている身からしますと、与党に落ち着いてしまった党には、実現力の凄さと共に、何だか物足りなさをも感じてしまいます。国土交通相を連続して五人も出し続け、厚生労働副大臣や経産副大臣などにも次々と公明党の人間が入れ替わって座る事態は、自民党との一体化が目立ちます。自民党の公明党化をもっとアピールして欲しいと思うのはおかしいでしょうか▼公明党はそれでいいのか、それとも違うのか。簡単なようでいて、結構難しい問題です。元をただすと、公明党って自民党政治を変えるために誕生したはずです。イデオロギー偏重の、庶民大衆を忘れた自社対決の不毛な政治から、政治を取り戻すためというのが立党の精神の一大看板でした。保守と革新の狭間にあって、人間そのものの寄ってたつ基盤に立脚する中道主義の政治がその理念の中核です。言い換えると、自民党政治を改革していくことこそ公明党のお家芸だと言えます。私風にそれを要約すると、かつては外から自民党を変えようとしたがうまく行かぬため、一転今度は内側から自民党政治を変えることにしたというものでした▼したがって、公明党の目指す指標は、「政治の安定」にとどまるものではなく、「政治の改革」をどこまでも追求するというのが基本スタンスだと思われます。勿論、安定あってこその政治です。いたずらに不安定な事態を引き起こすことは本意ではありません。ただ、だからといって、事なかれ主義では良いわけがありません。時に自民党を揺さぶり、震旦を寒からしめる動きがあってこその中道主義・公明党の真骨頂のはずなのです。与党の座にあるからこそ、たとえ小さな声であってもすくい上げ、それを実現化出来ます。与野党合意のための努力をすることは貴重な行為です。とはいうものの、一緒に運命共同体になってる自民党にあからさまに非を唱えたり、ここを変えたぞなどと言えるでしょうか。言えないからこそ、難しい。もはや私の主張など無い物ねだりなのでしょう▼今日から、国会が開かれます。参議院選挙が終わってからでも二ヶ月半が経っています。あまりにも長い議論の不在だったと言わざるを得ません。なぜもっと早く国会を開かなかったのか。夏休みというには学生ではあるまいし、いささか長過ぎます。先の台風で、千葉県を中心に、長期停電をもたらす悲惨な被害実態があったことは生々しい記憶です。組閣は延期をとの声が公明党にはあったはず。それがメディアを通じて聞こえなかったのは、残念なことです。これから始まる国会論戦で、せめて公明党ここにあり、と言わせるような質問を期待したいものです。あくまで攻める質問、国民大衆の側に立った質問を。

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