【98】遥かなるモンゴル近景━━新旧2冊の本から日蒙関係と自身を重ね見る/6-25

 なぜ今モンゴルなのか。実は僕の関わっている一般社団法人(未来を創る新教育推進会)が8月1日に「出版記念講演会」を大阪で開く(写真左)ことになっており、その対象になっている本が『モンゴル抑留』というタイトルなのである。講演する著者は井手裕彦。元大阪読売新聞の論説委員で今はフリーのジャーナリスト。この人はモンゴルに抑留された人々のうち死亡者をこの10年ほどの歳月をかけて徹底的に掘り起こし続けて、遺族にその記録を届けるという極めて得難く重い仕事(シベリア抑留に比べて殆どこれは未開の分野)に取り組んでいる。この本は現時点までの経緯をまとめたもので、この6月半ばに著者から頂いた。と同時に僕は急に司馬遼太郎の「街道を行く」シリーズの『モンゴル紀行』を半世紀ぶりに読み返したくなった。ということで、立て続けに新旧2冊の「モンゴル本」を読んだことになったしだいである。講演会当日、この本に私も触れた上で挨拶をさせて頂く予定だが、ここでは、当日の予行演習をしてみたい◆モンゴルと聞くと大抵の人は大相撲の力士を思うに違いない。同国人と見紛うばかりの顔立ちと流暢な日本語に異民族であることすら忘れてしまう(因みに僕は鶴竜=現音羽山親方の姫路後援会に所属し毎春のように会っていた)ほどだ。だが、敗戦直後に生まれ育ち日蓮仏法に巡り合った僕のような人間はやはり一にも二にも「蒙古襲来」を連想する。史上初の二度に及ぶ侵略攻撃を受けながら兎にも角にもそれを防いだ歴史の記憶である。以来800年ほどが経った日蒙間の「原風景」を、大学でモンゴル語を学んだ人間として、無類の優しい筆遣いで描いてみせたのが作家の司馬遼太郎だった。1970年代半ばの司馬遼風モンゴル像はとことんこの国と人に寄り添い、読む者の「蒙を啓くタッチ」である。『坂の上の雲』で近代日本がしゃにむに軍事力を磨き上げた末、世界に追いつく姿に迫った司馬は、明治国家は描けても昭和国家の敗戦までの20年は書けないとの発言を残した。とりわけ「ノモンハン事件」(モンゴル側は「ハルハ河戦争」と呼ぶ)を言語に絶する暴挙の象徴と位置付け、理由とした◆井手は、日本国政府は戦時賠償を回避する代わりに、抑留者への調査をする請求権さえ放棄してしまったと指弾している。この本は、シベリア抑留の影で忘れ去られてきた14000人のモンゴル抑留者のうち1700人の死者の「命の記録」を遺族に届けたいとする著者の誓いの言葉で締めくくられているが、日蒙「和解の歴史」への挑発的側面も併せ持つといえそうだ。司馬の本には大正期のシベリア出兵の時と昭和14年のノモンハン事件の時の捕虜のことに併せて触れたくだりが1箇所ある。一方、日本人の捕虜についてもあたかも「捕虜はお互い様」とでもいうかのように1箇所だけ触れられている。ただ、この関係を「逆縁」として「13世紀と20世紀のある期間をのぞいては、長い日蒙の歴史の上で交渉は全くなかった」としているのが印象深い。だが、井手は司馬のいう「逆縁」を歴史上の過去のものとして「見捨てることが出来ない」うえ、許されざるものとしてこだわり続ける◆全9章300頁を越えるこの本から学ぶことは実に数多い。僕は最初に①「はじめに」と、1章、2章を読み、②次に8章、最終章と「おわりに」に飛び、③最後に3章から7章へと戻った。一読者として、①ではそもそもなぜ抑留が起こったかの経緯を、2つの戦争(ノモンハン事件と第二次大戦末期のモンゴル対日参戦)から理解し②では外交的側面から日蒙の「抑留」実態を知るに及び③を通じて著者が己が人生を懸けてこの問題に取り組んできた感性に共感するに至った。読み方は人様々だろうが、僕はこんなアプローチを試みて手応えを感じたものである。これまで数多の「戦争」にまつわる本を読むと共に、歴史上の疑問を解く作業を見聞してきたが、井手の「作法」ほど「理」に叶い「感」を満たすものはないと痛感する◆僕は厚生労働省の副大臣を1年だけ、衆院外務、安全保障委員会には1993年からほぼ20年間関わってきた。井手はこの厚労(旧厚生)、外務両省の「非情さ」を時に熱く、しばし冷静に取り上げている。僕は自らが関係した官庁の姿勢を殊更弁明する気はない。新聞記者を経て政治家のはしくれに名を連ねた人間として恥ずかしい思いがするだけだ。議員を務めた期間以外は井手と僕は似通った境遇にあったはずである。だが、真実を追求し抜こうとする生き様と、ひたすらに自身が知り得た所産を遺族に渡そうと「死亡記録配達人」として徹する彼の姿には到底敵わない。ただただ敬服するのみである。(敬称略 2026-6-25)

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