1日の出版記念講演会での僕の持ち時間は20分。話せなかったこと、喋っても上下2回に挿入できなかったことなどが少々あります。これらを「こぼれ話」としてまとめる一方、最後に井手裕彦さんがモンゴル抑留による「死亡記録配達人」として僕の住む西明石の隣町をほぼ一日かけて遺族関係者宅を探し歩かれた部分を、番外版として報告します。
⚫︎源義経伝説と大相撲の話題
モンゴルといえば、僕らの世代で関心が高いのはなんと言っても、「蒙古襲来」です。とりわけ日蓮仏法を信奉してきた僕にとって、文永、弘安と2度にわたる蒙古の攻撃に対応された日蓮大聖人のことは忘れられません。ですが、個人的には、「ジンギスカン(成吉思汗)は義経なり」との伝説です。井手さんの本の60頁に出てきます。
「余談だが、シーボルトが唱えて以来、日本では隠れた人気がある「源義経=チンギス・ハーン説のことを話題にすると、モンゴルの人たちはこう言って顔をしかめた。『日本人はそんな荒唐無稽なことを信じているのですか』」というものです。僕なんかは作家の高木彬光さんの『成吉思汗の秘密』っていう本に取り憑かれました。義経が兄頼朝に追われて陸奥から北海道を経て大陸に渡って云々という伝説らしき話の果てにチンギスハーン(成吉思汗)になって活躍したなどという物語は、血湧き肉躍るものとして今も厳然と我が胸に宿っているのです。
さらに、モンゴル人で僕が最も付き合った人がひとりだけいます。大相撲で横綱になった鶴竜関です。彼とは僕の地元・姫路の建設会社の社長とのご縁で、毎年春場所で大阪にやって来るたびに、後援会員の皆さんと一緒にひと夜姫路での懇親会に招かれました。同じテーブルを囲んだ仲であれこれ話かけましたが、殆ど話は続かない寡黙なひとでしたが、クレバーな男の印象はありました。今は大関霧島の所属する音羽山部屋の親方として活躍中です。
⚫︎『77年の興亡』と石破茂前首相
僕は明治維新以来の日本の160年ほどの歴史を顧みる時に「77年の興亡」との視点が重要であると思い、同名の著作にも書いてきました。今回の講演会を主催した一般社団法人『未来を創る新教育推進会』は、個人的にはリカレント教育、社会全体的には歴史の学び直しを目指すものと位置付けられます。井手さんは、日本の歴史におけるモンゴルという国との関係見直しと教科書の書き直しを政府に求めていますが、そういう重要なものを取り上げさせていただくことはとても誇らしいことです。
明治維新の年(1868年)から日本の敗戦(1945年)までの77年間が第1期。1945年から「デジタル敗戦」ともいえる2022年頃までの77年間を第2期として、只今現在は2099年までの第3期に入っているとの歴史の捉え方ができます。今日の井手さんの指摘はこれからの第3期で取り組まれるべき重要なテーマです。問題は第1期のゴールである敗戦に伴う「戦後処理」が未完だという点です。第2期はそれを置き去りにしたまま経済成長一本で奔走してきたものの、後半は「失われた時代」の烙印が押されざるを得ません。第1期の決着さえつけられない中、今再びの敗戦に見舞われているということです。それをどうするか。井手さんの問題提起を突破口に事態を打開するしかないと申し上げて、今日のご挨拶とさせていただきます。
なお、蛇足ですが、私はこの団体のトップに長年の友人である石破茂前首相を招きたいと考えました。リカレント教育という歴史と個人の学び直しに相応しい人物だと思ったからです。ところが僕の依頼に「ん?僕はまだ現役なんだよ」とおっしゃって、あっさり断られました。近い将来の「首相再登板」を狙っておられるのでしょう。なら、尚更学び直しが重要なはずですが、残念でした。
🔳番外編━━西明石に「死亡記録配達人」として登場
大阪でのイベントの翌2日井手さんは岡山へ、モンゴル抑留で亡くなった人のお墓参りに行ったあと、3日には、私の住む西明石の隣り町である大久保町や小久保町にやってきました。明石に死亡記録を配達しに行く予定であることを漏れ聞いた僕はぜひ同行させて欲しいと申し出ました。
しかし、それは訪問先の相手を萎縮させることに繋がる恐れもあるので、辞退しますとのこと。より詳しく聞くと、今回の配達にはぜひ報道させて欲しいとの某TV局の取材依頼があり、その記者が同行する予定なので、赤松が行くと3人になるため、避けたいということでした。このため僕は彼が訪問先の地図をコピーするべく立ち寄る市立明石図書館に行き、手伝いを申し出る(写真上 後ろ姿はコピーする井手さんと記者さん)ことにしました。
最終的に同日夕刻、目的の遺族の方の大姪に当たる人に会えたとの嬉しい報告を聴き、拙宅にて休まれることを提案。午前11時過ぎから午後4時過ぎ頃まで5時間に及ぶ炎天下の労作業についての懇談はまことに尊いものではありました。(この項終わり 2026-8-5)