日本が世界唯一の被爆国になって81年。「戦争と平和」がいまあらためて問われている。先日、NHKテレビ『昭和の選択』(8月19日)で、「湯川秀樹」(自画像 写真下)を取り上げた番組を観た。日本人として初のノーベル賞を受賞(1949年)した湯川の研究対象は「核力の中間子論」であり、戦時中に日本の原爆研究にも参加していたことで知られる。その彼の行動の足跡は日本の「戦争と平和」にとって極めて示唆に富む。湯川逝きて45年。その主張を再考する。(敬称略)
⚫︎50年代から60年代への「核廃絶」の胎動
この日は、ホスト役の磯田道史(歴史家)と、山崎正勝(物理学者)、いとうせいこう(マルチクリエイター)の3人による鼎談。最後に磯田が、1960年代に世界に影響力を持ったのが「知の世界」で湯川秀樹やアインシュタインだとしたら、「情の世界」ではビートルズだったとまとめた。妙に印象に残った。1966年に英国からハッピ姿で4人が羽田に降り立ったとき、僕は大学2年・21歳だった。当時「物理学」とも「愛」にも無縁だった。「法華経」を受容するのに懸命で、奇妙な青春の只中にいた。だが「世界はひとつ」という命題だけは体内にしっかり根を下ろそうとしていた。
広島と長崎に原爆が投下され、漸く目が醒めたかのように日本は戦争終結に踏み切った。以来、原爆を作り出した側の当事者としての物理学者たちは懸命に核廃絶に向けて音頭を取ろうとした。一つの象徴的出来事が、1955年の「ラッセル・アインシュタイン宣言」だった。前年に太平洋上のビキニ環礁で行われた米国の水爆実験によって、第五福竜丸の乗組員らが被爆死したことがきっかけだった。
これは著名な科学者ら11人が核の脅威に警鐘を鳴らしたものだが、湯川もそこに名を連ねていた。創価学会の戸田城聖・第二代会長が1957年9月8日に「原水爆禁止宣言」をし、一大民衆運動としての「核廃絶」の闘いを本格化させていったことも忘れられてはならない。明年で70年が経つ。世界192カ国で「世界はひとつ」を目指すSGIの試みが続いている。一見無関係のように見えるが「1945年の悲劇」を断固再発させないとの決意において共通する。
⚫︎静かなる湯川の激昂
19日の番組での「選択」は、政府機関の原子力委員会への委員就任を受諾するか、拒否するかだった。要請してきたのは衆院議員で読売新聞社主の同委委員長・正力松太郎。司会からの問いかけに、お飾りに使われるだけだからと、拒否を選んだ磯田以外の2人は共に、委員になって政治と闘うとの選択をした。僕も同じだった。現実は科学者の立場からのコントロールを湯川は選んだのだった。彼は恐らく相当に悩んだ末の決断だったはずである。
しかし、正力は初会合(1956-1-4)のその日に記者団に、第一号の原発を早急に導入に着手する旨の談話を発表してしまい、翌日の新聞に掲載された。①情報の公開②自主的研究③民主的運営の「原子力3原則」を無視し外国からの購入優先を露骨に狙った既定路線である。流石の湯川も激昂したが、後の祭り。結局、翌年3月に胃腸障害を理由に辞任する。歴史的事実を後でわざわざ問い直して、選択させるこの番組だが、もうひと工夫する必要ありと思う。
原発だけでなく、科学者と政治家の確執がその後どう展開してきたか。学術会議のメンバーをめぐって熾烈な駆け引き、せめぎ合いが今も続いていることは周知の通り。
⚫︎「世界政府」への希望
1975年(昭和50年)9月に京都で開かれたバグウオッシュ・シンポジウムで湯川は核抑止論に基づく政策を取れば、結局は超大国の核武装が無限に続く危険性を訴えた。番組では京都大学に保存された湯川のこの時の草稿に、World Government(世界政府)と鉛筆で書き込んだものが写された。この構想こそ世界の国々が互いに独立を保ちながら同時に地球規模の問題を取り扱う、アインシュタインが唱え、湯川が引き継いだ「理想」だった。僕も共鳴する。
この場面で映像に登場したのは小沼通ニ慶應大名誉教授である。湯川記念館の資料室員を務める彼が資料を探しながら「あらゆる意見は少数意見から始まる。誰かの発想が共有され機会があるとそれが多数意見に変わっていく」との湯川が生涯持っていた信念を明かす一方「なんでこんな簡単なことがみんなわからないんだろう。必ず核兵器もなくせるし、戦争も無くさなきゃならない」との湯川の言葉を述べていた。強く印象に残った。
小沼通ニの『湯川秀樹の戦争と平和 ノーベル賞科学者が遺した希望』(岩波ブックレットNo.1029)は僅か86頁の小冊子だが、人間・湯川秀樹を余すことなく伝えていて面白い。中でも、中折れ帽を被ってコートを着たままバットを振っている写真(左下)に目が止まる。「たまたま通りかかったのだろうか。ヒットを打って一塁まで走ったのは良かったが、なんとアキレス腱が切れてしまったという落ちがつく」とある。卓球(写真左上)も水泳もやるスポーツマンだったとのくだりや、よく似た自画像には笑ってしまった。さらには映画「シェーン」の主題歌「遥かなる山の呼び声」を歌うのが好きだったと知った。
テレビの中で、湯川スミ夫人が突然出てくる。「アインシュタインが自分が研究したことが原爆になって、罪なき日本人を殺すことになり申し訳ないと、2人の手を握って、ボロボロと涙流して泣かはった」と、明るい関西弁で喋る場面だが、チグハグな感じがしたものの、この人ありて湯川秀樹あり、と腑に落ちた。(2026-8-25)