「分断」選挙での一騎打ちに問われる共闘力

郵便ポストに「しんぶん赤旗」の号外なるチラシが入っていた。自治会長の看板と公明党のイメージポスターを掲げている我が家に堂々とポスティングして頂くとは……。オモテ面では安倍政権批判、ウラ面には希望の党批判などが掲載されているものを見ながら、変わらざるこの党のしたたかさと共に、違った側面にも思いをはせた。これまでの衆議院総選挙と趣きを変え、この党は全ての選挙区に自前の候補者を立てているわけではない(67選挙区で候補者を下ろしている)。野党共闘のために、去年の参議院選挙と同様にわが身を捨てているのだ。今回の総選挙は、いうまでもなく三極がぶつかり合う構図となっている。自公の与党組と、維新、希望という東西の両知事に率いられた新興グループと、立憲民主、共産の新たな左翼勢力の三つである。公明党はこのなかで捨て身の共産党の底力を思い知らされている。最終盤の選挙戦での世論調査では、公明党の小選挙区の当選予測は7議席。2選挙区で大苦戦を知られており、このいづれもが背後に共産党が支援する立憲民主党候補者との一騎打ちなのだ。▶9つの小選挙区では自民党はもとより、希望の党や日本維新の党が公明党との勝負を避けて候補者を立てていないことから、かえって票が分散せずに厳しい状況を生み出している。共産党と立憲民主党それぞれの表裏の役回りがうまくいっているところは、先に挙げた2選挙区だけでなく、きわめて厳しい情勢となっている。こうした闘いにあって我々は、ややもすると、共産党を旧態依然とした視点から攻撃しがちだ。例えば、「実績横取りのハイエナ政党」だとか、「オウムと同じく公安調査庁の調査対象だ」などといった観点である。そうした十年一日のごとき観点で批判していると、間違ってはいなくても、相手にとってはあまり痛みを感じないばかりか、いわゆる無党派層が公明党から引いてしまう可能性がある。立憲民主党に対しても共産党との類似性をあげつらうことはあまり効果的な批判になっていないように思われる▼今月発売の『文藝春秋』11月号で作家の橘玲(たちばな・あきら)氏が、巻頭で面白い論文を発表している。そこでは保守、リベラル、中道といった政治的立場の腑分けが世代的にかなり違うことを論じていて興味深い。それによると、20代、30代の若い年齢層では公明も共産も保守であり、自民がリベラルだというのである。ここでいう保守、リベラルは、恐らくは伝統的な価値観を踏襲するのが保守で、新たな価値を創造しゆくのがリベラルだということであろう。今の若い世代から見ると、宗教的価値やイデオロギー的価値にとらわれている政党は保守と見え、次々と新しいことに挑戦するかに見える自民党はリベラルということなのかもしれない。つまり、これまでの常識があまり通用していないのである。ここではその論考が正しいかどうかということではなく、我々が常識だと思い込んでいることは意外に的外れかもしれないことに気づくべきだろう。ちなみに旧民主党的な立ち位置は中道という位置付けのようだが、公明=中道を揺るがぬ信念として持つ私など、若者からすれば古めかしい人間として要注意の存在に違いない▼今回の選挙では、世界的な「分断」の傾向が日本にも見られるといえなくもない。欧米では移民政策をめぐって国家の在り様が分断され、かつての統合の影は薄い。日本の場合はテーマは安保政策(安保法制への賛否)であり、憲法9条をめぐる立ち位置だ。言い換えれば、自国第一(日米同盟優先)か、国際協調優先かの選択でもあろう。小池氏が意図的か不用意であったかは別にして、旧民主党のメンバーの希望の党への合流に際して、この二つへのスタンスを「踏み絵」に使ったとされるのはその表れだと思われる。選挙が終わってからの混乱を避けるべく事前にこれを行ったために、その勢いが削がれてしまったことを一部メディアは嘆く。しかし、結論はまだ出ていない。我々が立憲民主党が選挙前に急拵えでできた政党だなどと舐めてかかるととんでもないことになりかねない。共産党が裏に回ったときの力は侮れない。一方、公明党が表に出ている場合に、自民党や非立共グループ(希望、維新)の支持者たちがどう動くかが注目されるし、公明党の支持者自身が自民党との一体化をどうとらえているかも微妙な影響をもたらしかねない。すなわち、公明党だけの力ではなく、友好勢力との共闘力が問われていることを明記する必要がある。(2017・10・19)

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