⚫︎『ラドンの奇跡』を生み出した15年の軌跡
赤穂に住む友人が、約15年前に金鉱山の跡地で健康保養施設を作りたいと思うがどうかと相談を持ちかけてきた。彼の息子の仲人をしたり、娘の結婚披露宴にも呼ばれたりする仲だったので、家庭の事情も人柄もよく分かったつもりだった。お金儲けのための山師的なところがあるわけではない。むしろ地域に絶大な信頼もあり、地道に企業経営に取り組む真摯な男だった。その後彼が様々な有為転変を経てついに日本唯一の坑道ラドン浴「富栖の里」を作り上げた。そしてこのたび、その経緯と威力を世に問う映画『ラドンの奇跡』を製作した。姫路での試写会に参加し、僕の友人2人目の「変身」のケースを探ってみた。
その男・亀井義明氏(79)が試写会の開会前挨拶で、ここに至るまでの資金繰りや事業継続に当たってのヒト集めの問題で幾たびも挫折しかけたが、最も厳しかったのは妻の突然の病気だったと語った。車をひとりで運転している最中の強烈な頭痛。運良く息子の嫁に危急の連絡がつき救急搬送され手術を受けて成功はしたものの、その後も間断なく痛みは襲いきたった。そばで苦しむ妻の姿に、幾たびか事業の継続はもう諦めるしかないと思ったという。その頃の苦闘を僕は聞き及んでいただけに、このシーンに直面した時は、あたかもスリリングなドキュメンタリー作品を観るようだった。
その間の状況はそれなりに知ってはいた。強い信仰心に支えられた持ち前の意欲と闘争心は半端じゃない。人のために役に立ちたいとの熱き心が、苦しいときにも負けるもんかとの思いで貫かれたに違いない。尤も、映画好きな僕の好みとは些か違う。坑道ラドン浴の効能を具体的なケースごとに解き明かす体験談特集のような趣きがある。ただし奇跡的に病気が治ったものばかりではない。残念ながら医者の見立て通り亡くなった場合でも、苦痛に負けず希望を持ち続けた明るい生き様の披瀝が凄いのだ。
⚫︎初心貫徹の背後に「具体的に人のために役立つ」ことへの執念
亀井氏から最初に相談を受けた際のことを改めて思い出す。あれこれとその計画の概要を聞いても、直ぐにはとてもオッケーとは言えなかった。辞めといた方がいいと、安全運転に徹するべきだとの穏健な意見を述べたことを覚えている。少量にせよ放射能を人体に浴びることが様々な病巣に効力を発揮するということがよく理解できなかったし、仮にいい結果をもたらすにせよ、人里離れた山奥にそんな施設を作るなど、60歳台半ばの人間のすべき事じゃないと〝常識的な考え〟に左右されたものだった。
しかし、そんな通り一遍の否定的見解に説得される男ではなかった。彼の妻・貴世子さんも猛反対をしたが、結局彼は自らの思い通りに計画に着手した。2009年頃だった。以来、その道の先達の岡山大の山岡聖典教授や中村仁信大阪大名誉教授を始めとする日本中の学者や研究者の賛否両論を聞きながら、オーストリアのバドガシュタインにある類似の施設にも幾度か足を運んで視察、研究を重ね続けた。
その間僕も旧知のがん研究で有名な中川恵一東大准教授(当時)らに紹介して意見を聞くお手伝いをするなど、彼の熱意にほだされて次第に協力的姿勢へと変わっていった。『みんな知らない低線量放射線のパワー』というタイトルで、僕が偉そうに、電子本を発行した(2017年)こともある。反対した時から既に10年近い歳月が流れていた。「変身」は亀井氏だけではない。こっちまで強い影響を受けたのである。
この数年は、ぜひ自分の苦労談を本にしたいと相談を受ける機会が増えた。しかし、その彼が本ではなく、映画を作りたいと言い出したのは2年ほど前のことだった。呆れた。その間、苦悩を乗り越えた多くの利用者からいかに効能があったかを聞く喜びを語り聞かせられたものだ。その語り口調たるや一起業家の姿ではなく、慈愛溢れる有能な〝ホルミシスの伝道師〟そのものだった。多くの坑道利用者の喜びの声に支えられて、コロナ禍の不幸な巡り合わせにもめげなかった。これからはクラウドファンディングの全国展開で、「富栖の里」が一段と有名を馳せることが注目されよう。僕は精いっぱい応援をして、我が見通しの甘さを更に証明したい、との自虐的な思いさえ抱くに至っている。(2025-6-15)