相互に影響を及ぼしあう関係ー総選挙結果から連立政権のこれからに迫る➂

自民党と公明党の連立が実現してほぼ20年。この二つの党はそれなりに影響し合ってきた。それはお互いをどう変えたか。自民党はかつて55年体制下にあって、野党第一党であった日本社会党と付き合う中で相手方の繰り出す政策をパクるかのように先取りしてきたとされる。本質的には富裕層の側に立ちながら、時に応じテーマに応じて、結果的に社会的弱者救済の道を、微々たるものであったにせよ、取り入れてきたと言えなくもなかった。日本社会党がその歴史的役割を終えて後方に退いた時に、代わって表舞台に躍り出たのが公明党であった。最初は”自公民三党”と呼ばれた野党の要役として、その後には与党の一翼を担って。世間の見方はどうあれ、この立ち位置の変化は、あくまで自民党政治を変革するための手段であった。外から変えるのが無理なら、内側から変えるしかないとの論理で。その戦いの具体的手だては、社会的弱者の側に手を差し伸べることに尽きた。かつて日本社会党からの政策提案を巧みに取り入れた自民党は一転、今度は政権与党のパートナーとしての公明党の主張に耳を傾けることに切り替えていったのである▼一方、公明党も永年の政権与党生活にあって、自民党的政策を種々取り入れてきた。二年前の「安保法制」をめぐっての政策合意はその最たるものであろう。それは、同盟国に対する攻撃がきっかけであったとしても、それが日本に対する攻撃と同様に日本の国民に深刻で重大な被害をもたらすようなものであれば、日本は武力行使をしてこれに反撃することまで憲法9条は禁じていないという解釈である。これは公明党からすれば、個別的自衛権の延長線上にあるとの認識に立つもので、集団的自衛権の行使を全面的に容認するものではないとの立場を主張した。この点における両党の捉え方は、玉虫色的側面があると認めざるをえないものの、集団的自衛権のフル展開を認めさせなかったという点で、公明党はより安倍首相側に譲歩をさせた結果といえる。これについては、当時の自民党内におけるさや当てが思い起こされる。石破茂氏があの事案の直後に防衛相就任を断ったことだ。彼は首相とのスタンスの違い(安保法制と公明党との関係)をその理由にしたことは我々の記憶に新しい。また、いわゆる「共謀罪法案」の成立過程にあっても、当初は膨大な数にのぼった犯罪要件をかなりの数絞ったことは注目される。これとて一般世論の反発を十分に抑えるには至っていないとはいうものの、この分野の特殊性に鑑みて、もっと評価されていいものと思われる▼こうした経緯を踏まえたうえで、自民党と公明党両党のイメージの変遷は興味深い。例えば、19歳から28歳までの若者にとって、最も「保守」に位置付けられるのが公明党で、自民党は「中道」だという調査結果(読売新聞社と早稲田大学現代政治経済研究所の共同調査)には驚いた。かつての「保守対革新」という枠組みに色濃く反瑛していた左右両翼の存立基盤であったイデオロギーは、今の若者には無縁である。「保革論争」の最中に、公明党は中道主義の旗を掲げて、イデオロギー抜きの国民生活優先の政治を生み出す新時代の担い手として登場した。しかし、それが気が付いたら、いつの間にか「保守」のレッテルを張られているとは感慨深い。何をもって「保守」といい、「リベラル」「中道」とするかはいささか見方が分かれるところだが、ここは公明党に政権担当能力があることが十分世間に認められたものとして、「保守」の名に甘んじておこう。だが、新たな風を送り込む気運に満ちているとは言い難いとの、古いイメージで公明党が捉えられているとするなら、要注意である▶今回の総選挙結果を受けて、これからしばらくまた安倍自民党権が続くことになるが、「一強」をどこの誰がが封じ、どう日本政治を進展させるかに、世の関心が集中している。小選挙区比例代表並立制のもとでは、かつてのような自民党内の反主流派の台頭は望むべくもないとの見方がもっぱらである。だとするならば、連立のパートナーであり、選挙協力という生殺与奪のカギを握る公明党の出番であろう。連立政権内野党として、自民党を揺さぶり、時にブレーキ役を果たし、またある時には覚醒させることが公明党の存在価値を高めることになるに違いない。(2017・11・10)

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