植村直己は高所恐怖症だったという謎

台風18号の足音が響き近づく中で、かねて予定していた山と海への旅を強行した。山とは、蓬莱山。大学時代の親しい友二人と、1174mの山頂から眺める琵琶湖の眺望は素晴らしかった。尤も、JR湖西線志賀駅から蓬莱山の隣に位置する打見山までは日本最速のケーブルカーで一気に登れる。だから歩いたり登ったのは二つの山の稜線をちょっぴりだけ。しかしそれでも、蓬莱山の山頂から小女郎峠までは山登りに慣れぬ者にとっては厳しかった。何よりも、台風の余波を受けてか、かなり風速が強く、一瞬でも油断すると谷底に落ちてしまうのではないかと恐れる場面もあった。過去10年ほどの間に同じ仲間で、奈良や和歌山、京都の山々を一シーズンに一回ほど登ってきたが、一度ならず遭難しかけたこともあり、毎回が命がけといっても過言ではない▼海の方は、山陰・浜坂海岸から船で行くジオパーク見学。私が今相談役として関わる企業が企画したモニターツアーに同行した。この旅は二回目。およそ珍しい岩肌や奇岩や洞窟などをたくさん見ることができるので何回も行きたいと思い、再度挑戦してみた。この日は残念ながら台風の余波でかなり海は時化ており、船上見学は30分間がやっとだった。フル行程は90分間なので、ほんのさわりだけ。というよりも入り口だけで引き返したというのが相応しい。船は大きな揺れに襲われ、船酔いをする人が出る寸前だった。陸上ではいかにも屈強で元気に見えても、海上での波にはからきし意気地がない人も散見でき、改めて海の怖さを知る思いだった▼そんな経験をした後、向かったのが植村直己冒険館。日本を代表する世界的冒険家・植村直己さんは、兵庫県日高町に生まれ、豊岡高校を出るまで、兵庫北部の但馬地域で暮らした。明大山岳部を出てから20年間で数々の冒険を敢行したが、43歳で世界初のマッキンリー冬期単独登頂に成功したのちに消息を絶った。この冒険館には、彼が使った数多くの装備品や世界各地で集めた品々が展示されている。また冒険行の記録映像なども見られるなど、感動を新たにした。会場では彼が担いだリュックサックが置いてあり、どうぞあなたもおぶってくださいと書いてあったので、背負ってみた。25キロだったが、思わずよろけてしまい、とても長時間は歩けない重さだった▼「僕は高所恐怖症です。今でも高いところは怖いし、高い山に登ると足が震える」ーこれは植村さんの言葉だが、とても信じられない。高所恐怖症といえば、選挙で支援要請のために高層マンションに行くのが嫌だった私のような人間に相応しい。モンブラン、キリマンジャロ、アコンカグア、マッキンリー、エベレストと世界初の5大陸最高峰登頂者には使ってほしくない。なぜこういったのか謎めいて聞こえる。南極,北極へ犬ぞりで単独行をしばしば敢行するなど、この人はおよそ冒険家とか探検家などという言葉では表現しきれない、壮絶な人格の持ち主だと感心する。山と海とでほんのささやかな怖さを,私自身が実感した後だっただけに余計に植村さんの凄さが感動を持って迫ったきた。冒険館で彼の書いた『青春を山に賭けて』を購入したが、いま早速読んでいる。このタイトルは、青春ではなく、生涯ではないのかと思う。10年間だけで死に別れることになった奥さんの公子さん(現在77歳で東京に在住とか)のことなど、知りたいことがいっぱいある。これらを親友だったという豊田一義さん(株式会社ジェノバ副社長)に訊いてみたいと思っている。(2014・10・8)

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