初日の出を拝み、各紙読み比べ(上)

平成最後の年が明けました。おめでとうございます。私は元旦の朝7時前に家を出て、姫路城のすぐ西にある男山の山頂に行きました。初日の出を拝むと共に、写真撮影をするためです(写真集に掲載)。ここには千姫天満宮があります。千姫は徳川秀忠の娘で、信長、秀吉、家康の三英傑と姻戚関係にあるという日本史最強の血筋の女性ともいえます。その千姫ゆかりの神社です。この山頂に登るにはいくつかのルートがありますが、私は108段ほどの石段を登って行きました。到着時には数百人の人々が鈴なりで今や遅しと日の出を待っていました。よろつきながらの私を追い抜いた青年が「自転車で30キロほど走ってきた」と言いますので、どこからって聞くと、「小野からです」と。「オーノー(Oh!No!)」(笑)と思わず叫んでしまいました。そこまでして来るひとがいるのですから大した場所です■初日の出をカメラに収めたあと、姫路城周辺をジョギングして私の新年は幕開けしました。帰りにコンビニで新聞を買って帰り、早速私が毎年習慣にしている各紙元旦号読み比べをしました。以下、その感想です。新聞社として新年号作りは総力戦ですが、一番力が入ってると思われるのは日経。「ニュース羅針盤」と銘打って6頁ほどにわたって、経済、社会、政治など各テーマごとに深掘りしていました。1面トップのニュース性で目を引いたのは讀賣。中国によるサイバー攻撃からインフラ機密を守るために、14分野の電子データの国内厳守を、政府が関連企業に要請する方針を固めたというものです。企画ものばかりの他社に比べて、唯一ニュース性が伺える中身でした■最も興味深く読んだのは朝日の昭和天皇の直筆原稿252首(晩年の歌など)が発見されたというトップ記事。特にその関連で、作家の半藤一利さんの社会面の解説には惹きつけられました。「國民の祝ひをうけてうれしきもふりかえりみればはずかしきかな」と「その上にきみのいひたることばこそおもひふかけれのこしてきえしは」の2首には特に考えさせられました。前者には天皇の尽きせぬ悲しみを感じた半藤さんですが、後者には、岸信介元首相の死に寄せられたこの歌に、評価を感じて複雑な感情と驚きを表明しているからです。いかにもリベラリストらしい半藤さんならではの書き方です。毎日では大阪府知事、市長の出直し選挙をめぐる記事に強い関心を持ちました。とりわけ公明党の今後の動向について「14年衆院選挙の際、公認候補がいる小選挙区に維新が対抗馬擁立をちらつかせたため住民投票容認に転じた過去があり、方針転換の可能性は残る」としている点です。ここは、維新の党利党略に引っ掻き回されぬよう公明党大阪府本部の頑張りに注目したいものです■毎日の小松浩主筆の「未来へつなぐ責任」と、産経の乾正人論説委員長の「年のはじめに」は、ご両人とも旧知の記者だけに大いに関心を持って読みました。前者の「平成の30年は戦争のない平和な時代だった」との記述には少し違和感を持ちます。戦争は確かになかったのですが、巨大災害の時代であったことに触れて欲しかった、と。戦争はなくとも安全・安心・安定が脅かされた非平和な時代だったからです。一方、後者の「この国自らが厳しい選択をその都度迫られる新しき時代こそ、日本人は戦後の呪縛から解き放たれる、と信じたい」とのくだりは、少し安易な結論に思われました。日米安保に依存しきってきたのが戦後の呪縛だというのでしょうが、支配のあり方が「菊から星条旗」(白井聡)へと移行した日本はそう簡単に「永続敗戦」状態からは抜け出せないからです。(続く=2019-1-1)

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