中国に帰る少壮のジャーナリスト(学者)との刺激的な語らい(上)

香港衛星テレビ東京支局長の李海さん(37歳)を私が知ったのは、現役を引退(2012年12月)して、大分経った頃だった。浅野勝人さん(元内閣官房副長官・外務副大臣=元NHK解説委員)からお誘いを頂き、同氏が理事長を務める「一般社団法人   安保政策研究会」に理事として加わった最初の会合で、初めてお会いしたと記憶する。その際に、故中嶋嶺雄先生の著作選集(全8巻)をまとめるお手伝いをしていると、打ち明けられた。私が慶大在学中に、東京外語大からの講師だった同先生の教えを戴いてより半世紀。急逝された先生とのご縁を持つ中国人ジャーナリストと知って、一も二もなく親しみを感じた▼それ以来、中嶋嶺雄先生の追悼の意も込められた著作選集出版会を始めとして、折に触れて会う機会を持った。私が尊敬してやまない荻巣樹徳氏(植物学者・ナチュラリスト)を東京で彼に取材して貰う機会も作ったことがある。今も中国の奥地(タイやヴェトナム、ミャンマーとの国境沿い)でフィールド調査をし続け、多くの中国人の知己を持つ同氏。その時の李海氏について「中国人の中ではかなり柔軟な思考の持ち主ですね」と印象を述べたものだ。また、李海氏は創価学会本部を初めて訪ねた時に「女性が凛としていることが印象的でしたね」と述べたことも忘れ難い。そんな彼と、創価学会の池田大作先生と作家・王蒙氏との対談集『未来に贈る人生哲学』の読後感を語り合ったことがある。この本には心底から感銘を受けたのだが、彼も両先生の学識の深さに感動したという。ただ私はひとつ気になったことがあり、それを彼に訊いてみた▼王蒙氏は、中国文化大革命で新疆にひとたびは飛ばされ、また復活して文化相になるといった毀誉褒貶があることについてである。こうした変遷が日常的に起こり得ることなのかどうか訊いてみた。彼は、「中国の政治は指導者が変わるとやり方も変わるから、それを予め察知して避難したりしていると思います。大臣にもなり、天安門事件の前に辞めるなど政治的に巧みです。今でも次々にヒット作を出していることを見ても、共産党と文学活動にうまくバランスをとる極めて聡明な人物です」との答えが返ってきた。さらに、私はこういう王蒙氏のような立ち居振る舞いが出来る人は珍しいのか、そうでないのかを訊いてみた。それには、「文学の社会性を保ちながら、中国共産党とうまく付き合う文人は少なくないです。中国で生き抜くには知恵が必要であり、巨大権力との戦いには様々な戦術が必要ですが、王蒙氏の例は決して特別ではありません」との反応だった。曇り空から太陽が一気に光を放った時のように、大いなる刺激を受けたものである▼こうした彼との対話は主にラインを通じて行ってきた。一度食事を共にしたが、東京、姫路と遠く離れているだけに、たまに「安保研」で会うぐらいだった。そんな彼から、つい先日、「8月25日に中国に帰ることになりました。貴州民族大学外国語学院で勤務します」という連絡があった。慌てて私は上京の機会を作って、久しぶりに会う段取りをつけることにした。というわけで、李海氏と私の二人だけの「送別の宴」ならぬ、〝送別の茶会〟は8月1日の朝、東京駅ステーションホテルの喫茶室で行われた。次回はその模様を伝えたい。(2019-8-4一部修正)

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