見損なわれがちな「平和主義」ー公明党の二枚看板の検証❶

「平和」の擁護と「大衆福祉」の実現

公明党は「平和」の擁護と「大衆福祉」の実現を二枚看板として、この55年の間、前半は野党として、自民党政治を変えるべく闘ってきた。後半の20年は民主党政権下の3年ほどを除いて、自民党と政権を組む与党として、同党の政治の足らざるを補いながら、その軌道を修正しつつ基本的には支えてきた。ある意味で〝離れ業〟としかいいようがなく、その評価は立場によって分かれよう。その歴史のウオッチャーとし、またある時はプレイヤーとして生きてきた私は、当然ながら肯定的に評価したい。この劇的な公明党的手法はあくまで「中道主義」の本義から滲み出るものであって、決してその根本的スタンスを捨て去り、自民党政治に迎合するものではなかったと確信する。

21世紀も5分の1の時が流れ、中盤に差し掛かろうとする今、改めて日本の政治・経済の置かれた状況を吟味する必要があると考える。時あたかも、国際政治にあっては、米国のトランプ大統領の「アメリカ・ファースト」なる言動に代表されるごとく自国本位主義が世界を覆いつつある。そして、経済におけるグローバリズムは国境の垣根を超え、奔放な動きを一段と強めている。他方、国内政治・経済は、富めるものは益々富み、貧しきものは一段と貧しい、「分断社会」の様相を明瞭にさせている。私のような先の大戦直後生まれが見てきた、米ソ対決から米国一極といった国際社会の見慣れた風景はもはや遠影に退いた。世界第2位を誇った日本の経済力も遠い昔の語り草になり、そのあとを建国70年余の中国が襲っているのだ。

こうした内外の激しい変化にも関わらず、私たちが旧態依然とした視座しか持たず、古い固定観念に捉えられていたとしたら、どうなるのだろうか。ここでは、連立与党のパートナー公明党の「平和」主義と「大衆福祉」主義の立ち位置を検証する中で、その方向に過ちがないのかどうか、思わぬ陥穽にはまっていないかどうかを見ていきたい。

幾重にも歯止めかけた「中東への海自派遣」

2019年末に安全保障分野で久方ぶりに話題になったのは、中東地域への海上自衛隊の派遣問題である。与党の中でも賛否両論がぶつかった。有志連合には参加せず、日本独自の取り組みとして、防衛省設置法に基づく調査・研究を目的に護衛艦1隻とp3c哨戒機1機、約270人規模の隊員をとりあえず1年派遣する。延長は1年ごとに更新するが、公明党との折衝の末に、最終的に「閣議決定」とし、国会に報告することで合意をみた。報道によると公明党の主張に配慮して、自民党が当初の方向性から譲歩したとされる。こうした経緯を知るにつけて、かつての歩んだ道を思い起こす。防衛費のなし崩し的膨張に歯止めをかけ、自衛隊の海外派遣には幾重にも条件をつけ、兵器に直結するものは輸出の対象としないーカネ、ヒト、モノにわたる軍事との距離の設定ーいずれも公明党の取り組みだったのである。

それでいて、いわゆる左翼的な軍事拒否姿勢とは一線を画してきた。「55年体制下」では、左右勢力による合意形成は殆ど見られず、ただただ「不毛の対決」のみが繰り返され、国際社会での異端児とされてきた。それではならじと、「憲法9条の枠の中」との自制を課しつつ、現実的対応に苦慮して匍匐前進してきたのが公明党の防衛政策だった。市川雄一、冬柴鐵三の両先輩の後を継いで安保部会長の任につき、神崎武法、太田昭宏、山口那津男と続く党代表の下で、仕事をしてきた者として、誇らしく思う。

その辺りのことについては、この20年余りの歳月における防衛政策をめぐる推移、変遷を論評した元海将の伊藤俊幸・金沢工業大虎ノ門大学院教授の発言(2019年5月14日付け産経新聞『正論』)が本質を突いている。彼は、「安全保障法制に見る政策の変遷」と題する論考の結末部分で、「鳥瞰するならば、平成とは冷戦が終わり、脅威が顕在化しているにもかかわらず根強い反対勢力が存在する中、安全保障政策を一歩ずつ前進させてきた時代だった」と規定しているのだ。「一歩ずつ前進」との表現に、公明党と自民党の防衛関係者による辛抱強い交渉の現れを見ることが出来よう。(一部修正=次回に続く)

 

 

 

 

 

 

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