【53】変わりゆくものと、変わらざるものと━━晩秋の傘寿を東京で(下)/11-30

⚫︎「世界宗教」の研究者との出会いから━━第二日目

 大井町━━この10年余り、東京の朝はここのJR駅前にあるホテルから出発する。25日は朝8時半、京浜東北線に乗り東京駅を経て中央線で信濃町へ。10時から、創学研究所の蔦木栄一研究員に会った。同研究所は、「信仰と理性の統合を目的に掲げ、創価学会の信仰の学を探究する研究機関」として2019年4月に設立された。この6年間で『創学研究』という名の研究書を、第三文明社から3冊出版。Ⅰ「信仰学とは何か」Ⅱ「日蓮大聖人論」に続いて、このたびⅢ「世界宗教論」が出たばかりである。知的面白さが横溢しているこのシリーズを僕は大好きだ。

 蔦木さんは僕より30歳ほど若いが、様々なご縁が重なりとても親しい。キリスト教哲学者で九州大学名誉教授の谷隆一郎氏が僕の高校同期だと知って、大いに喜んでくれた。久方ぶりの出会いで話は様々に飛び交ったが、ユダヤ、イスラムの宗教実態を研究する彼に、その学びの所産を披瀝して頂き、興味深かった。読み終えたばかりの佐藤優氏の「核戦争の危機と東西対話」(創学研究Ⅲ)と併せて「ガザの悲劇」を考える手がかりの厚みが増した。

⚫︎古き良き時代を知るテレビ記者との懇談

 午後は四谷のホテルに移り、元日本テレビ政治部長で今は「安保政策研究会」の仲間である菱山郁朗さんと会った。この人はかつての公明党番記者だが、年次が少し上で直接の面識はなかった。ところが、安保研で一緒のメンバーになり、慶應同期で日テレの記者だった、今は亡き石井修平の友人だと分かった。この日は石井を偲びつつ、昭和から令和への日本政治を振り返る機会となった。この人は、かつて日中関係の基礎を築いた公明党訪中団に同行された。

 僕らは「三角大福中」と呼びならわされた自民党の派閥の領袖たちの時代をほぼ出発点にして、「永田町」で生きてきた。当時と比較して今は何がどう違ってきたのか。僕は先に読んだ浜崎陽介『日本人の作法 高貴さと卑小さ』の政治家篇やら、座談の際の僕のオハコである「日ロ10人のトップ比較ギャグ」を通してその悲惨さを語った。菱山さんも同意された。ともあれ「日本の政治と政治家」の60年を見てきた者同士の話は尽きない。今後の安保研リポート誌上での「競筆」をお互いに誓い合って2時半に別れた。

⚫︎公明党論を戦わせた記者との語らい

 同じホテル内の喫茶店で3時前から4時半まで、今度は社会調査研究センターの平田崇浩さんと会った。彼は僕の現役時代に付き合った記者だが、引退後も交流を重ねる数少ない友人のひとりである。この人との最大のご縁は、毎日新聞紙上での「市川雄一氏を悼む」の執筆を依頼されたり、週刊エコノミスト2022年3-1号のコラム『東奔政走』に、拙著『77年の興亡』をとりあげてくれた。前者は「恩人の逝去」に僕が「思いの丈」を込め、後者は彼から公明党への「嘆きの丈」をぶつけられた。「明治77年と戦後77年 『第2の敗戦」避ける知恵を』と題された論考は、中々手厳しいものだった。

 僕は、公明党の人間でありながら、引退後の10年余り、「苦言」を放ち続けた。その集大成とも言うべき著作への「苦稿」を前に、ほろ苦さは混じったものの、妙な甘美さを味わったことを思い出す。この日に彼と会ったのは、立場の違いを超えて、日本の未来にとって漸く一つの光明が見えるに至ったことを確認したかったからだ。「連立」が「自公から自維へ」と変わったことは、価値観の混交状態を整理し得たことに繋がる。その「偶然性」をめぐっての対話は、中々興味深いものだったといえよう。

 夜は西麻布の霞会館で開かれた姫路出身在京仲間たちの「姫人会」に参加した。僕の上京に合わせて開いて頂く恒例の催しだが、毎回とても刺激を受ける楽しい集いだ。この日の参加者は全部で8人。いつもながらの多士済々の面々たちの談論風発は心地よかった。ただし、ここ数年の兵庫県政の混迷ぶりについては暗さが募った。N党の立花孝志氏の逮捕をシオに収束を期待する向きもあったが、大勢は否定的。悪意と虚報による世論操作で「虚像の知事」を当選させた男と、それを可能にした兵庫県民。この「誤作為と不幸の連鎖」への「嘆きの連続」に、責任ある政治家の一人として聞く身は辛かった。

⚫︎公明新聞の大先輩からの励まし━━第三日目

 翌26日は公明党のOB議員で構成される大光会の県代表者会が南元町の党本部で昼過ぎに開かれた。朝早くにホテルを出て、中野区のカネコ理髪店に足を運んだ。ここに通い始めて43年余。懐かしい店主も寄る年波に勝てず、とうとうこの月末で閉店することになった。最後のカットに涙する思いだった。

 大光会には全国各地から〝往年の名選手〟たちが集ったが、構成年齢層は幅広い。多くの共戦の友としばしの歓談をしたが、姿の見えない仲間が増えてきたのは寂しい。全てが終わって帰神する前に、公明新聞社に立ち寄った。そこでは同社を84歳の今も支え続ける邊見弘さんが待ってくれていた。市川主幹のもとで共に訓練を受けた得難い大先輩である。「数多いる引退議員の中で最も活躍しているね」と褒め過ぎられたのは無上の喜びだった。市川さんの価値を骨の髄まで知る数少ない人の励ましを胸に、貴重な情報交換もそこそこに、18年間の「学び舎」を辞した。(この項おわり 2025-11-30)

 

 

 

 

 

 

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