「核廃絶」への遠すぎる道③-切れ目なき 「愚行の葬列」

全体主義国家による分割統治での未来社会の恐怖を描いたジョージ・オーウェルの小説『1984年』が書かれたのは1948年のこと。それからほぼ70年が経つ。小説のゴールとされた1984年に刊行され、その当時アメリカでベストセラーになったバーバラ・タックマンの『愚行の葬列』なる本の存在を知ったのは、永井陽之助の名著『現代と戦略』による。『平和の代償』を書いて、政治意識論や政治行動論の研究から国際政治学の世界に転じた永井先生。私は大学時代に講師として来られていた同氏の謦咳に接した。映画の名場面や小説の名表現などをしばしば引用し、巧みな比喩を織り交ぜた講義に、若き日の私は大いに魅了されたものだ。タックマン女史はその著作の中で、「トロイの木馬」から「ベトナム」にいたるまで、人類の歴史は、まさしく「愚行の葬列」だと言い切る。30年余が更に経って、延々と続くその列の長さたるや霞がかかって前も後ろも全く見えない。永井氏は、核兵器を水晶玉(クリスタル・ボール)に譬え、アメリカがベトナムからの遅すぎた撤兵を決断し、フルシチョフのソ連がキューバ危機でミサイル撤去という屈辱の道を選ばざるを得なかったのは、水晶玉に写った「核戦争の地獄図」を見たからだという。現代世界の指導者たちの目が曇っていないかどうか。心もとなさが募ることはいかんともし難い■「核抑止論」ーこれこそ第二次大戦後の世界を貫く「平和」への迂回の道とされてきた。相手国が核戦争の脅威を感じ、戦いに手を染めることを思いとどまるだけの脅威を与える力を持たねば、戦争を回避できない。結局は抑止するに足る力を持つために際限なき競争に陥る。かつての米ソ間のほぼ同等と見えた核開発競争から一転、非対称的な関係における核の脅威が今や最大の問題となってきている。北朝鮮は金体制の存亡の危機を賭けて、アメリカの一都市を標的にしようとしているのだ。文字通りの「弱者の恐喝」を前に、「強者の傲慢」は色褪せて見えかねない。「外交とは、文化を異にする相手国の発する『予兆的警告』のサインを正しく読みとるわざ」(永井陽之助)だというものの、「新冷戦後」の”テロ戦争の時代”におけるその「わざ」はしばしば後方に追いやられかねない。「わざ」を駆使するよりも力で一気に圧し潰す誘惑に駆られがちである。元防衛省の高官であり内閣官房副長官補であった柳澤協二氏は、野に下ってほぼ10年近く、手を変え品を換え『抑止力を問う』作業を続ける。その彼が『安保研リポートVOL12』の「北朝鮮の核開発とどう向き合うか?」という論考で「北朝鮮が核を持ったという不愉快な現実を前にして」、我々に問われているのは「戦争に勝つように備えるのか、それとも様々な問題を解決しようと行動するのか、という選択だ」と結論付けているのは今更ながら興味深い■安倍政権は、「安保法制」を成立、施行させてより、戦争に備えようとする側面ばかりが強調されてきている。「勝負をするのなら、勝たねばならない」は世の常識だが、万が一に備えることがいつの日か主客転倒し、戦争に勝つことが前面に押し出されてきかねない。どこまでも相手の「予兆的警告」に全神経を研ぎ澄ませ、外交の手練手管を駆使することが先決だろう。安倍政権は公明党が連立を組んでいることを忘れてはならない。集団的自衛権をめぐっての定義、解釈において微妙な食い違いを見せ、同床異夢の結果としての「安保法制」だけに、不断の応用展開の場面で、公明党は”らしさ”を見せねば、「平和の党」の看板が泣く。ここは、「様々な問題を解決しようと行動する」ように動かねばならないときだ■今年の憲法記念日当日、安倍首相は読売新聞のインタビューに答える形で、憲法改正の期限を「2020年施行」と区切り、9条改正に取り組むべきだとの考えを示した。その改正の在り様として、9条1項、2項をそのままにして3項を付け加え、自衛隊の存在を明記してはどうかと呼びかけた。これは率直に言って驚く。前号の『安保研リポート』で、私はかねてからの9条3項に自衛隊の存在を明記するとの”自前の加憲論”に触れたうえで、今後の改正へのスケジュールを予測していたからだ。安倍首相は、高等教育の無償化問題は別にして、ほぼ私と同じことを提起してきたのだ。この辺り、首相が加憲を主張する公明党や改正を目指す維新の党を見据えたうえでの”意匠を凝らした投球”に違いない。前号に書いたように、公明党内には私の意見に賛同するひとはかつては殆どいなかった。今はどうか正確には分からないが、恐らくはごく少数意見に留まろう。勿論私とて、2項をそのままにして3項に自衛隊の存在を明記することが、世にそのまま通用するとは思っていない。そのことを提起することこそ重要な「改正への導火線」になるはずとの見立てであった。この「改正」についても安倍首相の周辺には、公明党のスタンスと正反対の面々がいることには要注意である。日本の未来に向けてかつての「保守対革新」の対立軸から、今は「保守対進歩」と呼称されるようである。左右の二極対立の呼び名がどう変わろうとも、中道の旗印にはいささかの変化はなく、日本の進むべき道を誤らせないバランサーの役割を果たすことが強く期待される。(2017・5・20)

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