【205】政党として未熟過ぎる「維新議員の罪」の背景/3-2

 3月1日に日本維新の会が党大会を開いた。そのニュースを見聞きしながら、大阪維新の会が誕生した2010年に、「新鮮さと驚き」を感じたことを思い出した。日本の戦後史の中で、いわゆる社会主義、民主社会主義、共産主義といった左翼イデオロギーを根幹に据えた政党と全く違う出自を持った政党だということに「親しみと脅威」を感じたものだった。確かに大阪という日本第二の都市を基盤とする地方発の政党ではあるが、その狙いは、広範囲な保守層をターゲットにした「脱イデオロギー」の理念を持った存在であると素直に理解した。「次世代のための政党」「道州制を実現する政党」「永田町文化を変える政党」といった三本柱で従来型の古い政治の限界を打破するとの方向性を聞くにつけ、自民党と並ぶもう一つの保守政党として、大きく育つ可能性を感じないわけでもなかった。それは自民党政治の変貌を目指して60年戦ってきた公明党と、似て非なる佇まいを感じ取れたからかもしれない◆しかし、この度の兵庫県議会の岸口実氏ら同党所属3人の議員たちがしでかした〝犯罪的行為〟はいったい何なのか。斎藤元彦知事らの疑惑に関する情報を「NHKから国民を守る党」の立花孝志氏に提供していたとの〝事件〟のことだ。これまで、セクハラを初めとする人間性を疑う破廉恥議員を各地で生み出してきた政党であるとの印象が強かったが、これはまた知性を疑わざるを得ないお粗末議員仲間の誕生である。報道によれば、知事選期間当初にいわゆる百条委員会の非公開録音データを流出させたり、真偽不明の文書を手渡す場に立ち会ったなどという。立花氏らが「世の中への強い発信力を持つ」と思ったことを理由に挙げていた。扇動的動きを主眼にした候補への加担の意味を知らなかった議員がいたとは、もはや絶句するしかない。県議会の維新は、2020年の斎藤知事選擁立をめぐって自民党の一部勢力と共に主導的役割を果たした。4年後の「知事疑惑」に浮き足だった県議会の中で表面の動きとは裏腹に、知事を守りたいとの〝組織としての一念〟が発端だったとしたら、責任は3人に被せて済むものではないともいえよう◆前回のこの欄で取り上げた匿名鼎談の際に、某新聞社のトップが様々な反社会的行為やら、事件を相次いで起こす議員が維新に多いことを挙げて、政党の体をなしていないと、激しく詰ったものだった。その際に、構成メンバー個別に問題議員は多くても、政党全体としては未だ存在価値はあるとして、私は同党を守る発言をしてぶつかった。だが、今回の「事件の発覚」で、組織的要因さえちらつく今となっては、身の不明を恥じざるを得ない。「維新」をめぐっては、同党のシンパも含め内外様々な方々と、議論する機会は多い。その際に、同党は、議員候補を選ぶ上で、なぜもっといわゆる「身体検査」をしないのか、また議員になったら、その座に相応しい人間になるように訓練しないのか、という同党の「ガバナンス」を問う観点が話題になる。この度のことを受け、「ガバナンス委員会」を外部有識者で構成して動き出すというが、遅すぎよう◆この党には、「ジャパニーズドリーム」とでも言えるようなオーラがあると見る向きが否定できない。閉塞感漂う現代日本にあって、この党から議員候補に選ばれると、短時間でその座を射止めることができ、若くして高額の収入を得られることが多いからというのだろう。それならそれなりに、その地位を得るに相応しい努力をしているかというと、あまり感じられず、また元々その地位につくだけの付加価値を持っているかというとそれもない。単に見栄えがいいとか、元気があるといった、ある種の上辺だけの勢いだけで選ばれる人が多い。それでは、事故を起こすのは当然かもしれない。私はかつて民主党(今の立憲民主党の前身)が誕生した頃に、「早く追い立て民主党」と、揶揄った。維新についても、冒頭に述べたような観点から、それに近い成長を半ば期待する気分がなくはなかった。しかし、他党のことにそんな関心を寄せるのは無駄で余計なお世話に違いない。(2025-3-2)

Leave a Comment

Filed under 未分類

Comments are closed.