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淡路島出身の松本・関経連新会長の就任を祝う会で

関西経済連合会の新しい会長になられた松本正義・住友電工会長の就任を祝う祝賀会が、先週の土曜日に淡路島・洲本市のホテル・ニュー淡路で行われ、私もお招きを受け出席させていただきました。実は松本さんは淡路島の生まれで洲本高校出身。この数年淡路島の観光振興に取り組む私は、松本さんとは親しくさせて頂いてきたのです。「瀬戸内海島めぐり協会」の専務理事の私が、松本さんに郷土出身の大物経済人としてひと肌脱いでほしいと依頼に行ったことがきっかけです。この人は昭和19年生まれで、私より一つ年上。住友電工のトップだけではなく、一橋大の同窓会・如水会の会長でもあったことから、話題は共通の友人をめぐって盛り上がったものです。後に、私と同年齢で親密な井戸敏三兵庫県知事も交えて、淡路島の振興について大いに語り合いました▼その井戸知事を筆頭に、この日のお祝いの席には、同じく淡路島生まれの山田京都府知事やら淡路市、洲本市、南あわじ市の3市長、商工会議所会頭、観光協会の会長ら島中の著名人ら240人ほどが出席して賑やかな集いになりました。挨拶の中で、松本さんは、就職先に住友電工を選んだのは距離的近さだったが、若い時に海外赴任が多かったお蔭で、違うカルチャアを持つ多くの人々と交流できたと切り出された。13年もの長きにわたり電工の社長をしたのだが、ある時に後継者がいないことに気付いて、目をつけた後輩にその意を伝えたら、翌日から休まれてしまった、とユーモアたっぷりに、聴きごたえある話を展開されました。これは関経連の会長職を受けることに、いかにご自身が悩んだかという話にも連動して大いに笑いを誘っていました。かつて日本経済の20%は関西が占めていたのに、今や凋落の一途をたどっているとの現状を率直に披露。将来的課題として➀万博誘致➁IR(インテグレイテッド・リゾート=総合保養地)としてのカジノ誘致➂リニアモーターカーの大阪誘引➃ワールドマスターズゲーム開催(2021)などに精力的に取り組みたいと、決意を述べていました。「東京一極集中」という云い方を、我々関西はせずに「繁栄の多極化」と呼ぶと共に、リソースがある関西について、全国に「ルックウエスト」と呼びかけたいと結んでいました▼淡路島の観光振興をめぐっては、ちょうど前日の8日に兵庫県の県民局主催で「戦略会議」が開かれたばかり。年初からの課題論議がいよいよ煮詰まり、5年計画の策定に向けてヤマ場にさしかかってきています。私どもはかねて地域振興は官中心ではなく民間の力を積極的に活用すべしとして様々な提案をしてきました。尤も、未だ決定打に値する具体策は形を見せていません。この日も会場での色々な方々との意見交換の中で模索を続けました。淡路島の観光で、唯一希望の光は、(株)ジェノバラインが7月に新たに開設したばかりの「淡路関空ライン」という関西国際空港と洲本港を直接結ぶ航路です。長きにわたって休眠していたこの航路を、当初の赤字は折り込んで復活させた親会社(株)ジェノバの吉村静穂会長の心意気たるや壮大なものがあります。これに応えてインバウンドにしっかりと成果を挙げようとの声はあちこちで上がっていました▼インバウンドは今や日本中にうねりを見せています。関西の観光は長きにわたり「京都一極集中」でしたが、このところようやく大阪が盛り返しており、少し追いつきつつあります。しかし、兵庫は殆どその恩恵に浴していません。辛うじて、姫路城が気を吐いていますし、城崎温泉や丹波篠山も独自の闘いで人気を挙げてきてはいます。だが、残念ながら淡路島は全くといっていいほど伸び悩み、観光コースレースでは後塵を拝しています。というわけで、先日大阪で開かれた、DMOをめぐる官民一体となった講演会に参加し、活路を開くヒントを探してきました。様々なプレゼンテーションを聞く中で、最も面白くて参考になったと思われるのは、青森県弘前市からやってきた、「たびすけ」代表の西谷雷佐さんの吉本はだしのような話でした。東北訛りで「あるもの活かし」の魅力をたっぷりと聞かせてくれました。これを要するに、「どん欲に今そばにあるものを売り出せば必ず受ける」という確信でした。「雪かき」を南国の旅人目当てに商品化したり、自殺率最高位の青森県を逆手にとって、健康に良くないことをあえてさせるツアー(例えば、ラーメンの汁を最後の一滴まで飲み干すこと)など笑ってしまう企画ばかりでした。これを聞いていて、なんだか力が沸いてきたのは不思議でした。別れ際に本人に「あなたの話は最高に面白かったよ」というと、「関西人に笑いで受けるとは、私も大したもんですね」ときたもんだから、なかなかのつわものと見ました。(2017・9・15)

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参加するなら新しい原則が必要ー転機を迎えたPKO⑤

PKOをめぐってオランダが激しい議論をしているとのNHK総合テレビの報道が強く印象に残っている。この国はかつて西アフリカのマリへのPKOに最大700人もの要員を派遣しており、130人も死者を出した。こんなに犠牲を払ってまで派遣を続ける価値があるのかとの意見と、悲惨な状態のままのマリを見捨てていいのか、国際社会におけるオランダの責任をどうするのかとの主張のぶつかり合いだ。当時の世論調査を見ると、賛成派が25%、反対派13% 、どちらでもない46%と、曖昧な結果であった。オランダがPKOについて侃侃諤諤の議論を続けるのには理由がある。ユーゴスラヴィア紛争でのスレブレニッツの虐殺(1995年)における、オランダが担当していた国連部隊の行為である。武力で勝るセルビア人武装勢力に従う形で、軽装備だったオランダ部隊は、およそ8000人にも及ぶ住民を、みすみす引き渡してしまった。多数の死者を横目に、部隊撤収をしてしまったことへの国際社会の非難の眼差しは大変なものであった。事実をドキュメントで公開したりするなど、今もなお議論は続けられているという。我々はこうした報道を対岸の火事として放置していいのだろうか▼冒頭で述べた、南スーダンにおける各国のPKO部隊宿営地を巻き込んでの政府軍と反政府軍の交戦ぶりは、中国のPKO部隊を始めとして少なからぬ犠牲者を出した。日本の自衛隊が無傷だったのはまさに僥倖であった。仮にここで日本の自衛隊員に犠牲者がでていたら、どうなったか。あるいは、多国のPKO要員に多数の犠牲者が出ていたら、その後の推移はどうなっていたか。当然日本はPKO法に則って撤退するという選択が、悲劇の起こった時点でとられようとしたに違いない。しかし、同時になにゆえに犠牲者が出たのか、そうならぬ様にうまく回避することはできなかったのか。いや、相手の攻撃を待つまで自らは何もできなかったのだから、やむをえないとか、多数の民間人の犠牲者をただ見ていただけなのか、などといった議論が百出し、事態は困窮を極めることになったに違いない▼今、北朝鮮のミサイルが日本の上空を飛び越えて太平洋上に落下するという異常極まりない事態が起こっていても、国民世論は不思議なほど静かだ。朝鮮半島情勢に詳しい古田博司筑波大教授は「日本人には嫌なものから目をそらす癖がある。北朝鮮からミサイルが飛んできてもきっと落ちないだろうと目をそらし」、「どうしても無傷を想定してしまう」と見抜く。国家そのものへの白昼堂々たる露骨な挑発にさえ、冷静な日本人。これが遠く離れたアフリカにおけるPKO活動とあってみれば、自ずと関心はゼロに近い。PKO部隊の自衛隊員に犠牲が出るといった緊急事態でもない限り、恐らく真剣な議論は起きないものとみられる。むしろそうなったほうが事態は一気に進むから、と悲劇を密かに待望する向きさえあるかもしれない。しかし、転ばぬさきの杖で、最悪の事態の起きる前に徹底した議論が必要不可欠ではないか▼PKOについては、先進各国が参加に二の足を踏み始めている。どちらかといえば、低開発国が国連による参加費稼ぎもあって熱心だとの見方もある。その是非を改めて問う必要が日本にも起きてきている。25年前頃のように、紛争後のインフラ整備に貢献するのではなく、PKOは紛争そのものに介入し、今そこにある危機の拡大を防ぐ役割を求められてきている。それなら憲法9条の硬直的解釈に留まって、参加を見合わせるのか。それとも憲法前文や9条の柔軟的解釈で、国権の発動としての集団的自衛権の行使と、PKO部隊の活動は自ずと違うとして、今まで通り5原則の範囲で参加を続けるのか。この辺り、やはり憲法9条を含む大議論が避けて通れない。私自身は、憲法9条3項に自衛隊の存在を明記し、国際貢献などの任務を謳うとともに、PKOを含む海外での紛争予防活動への参加に向けて、新たな原則を設けるべきだと思う。そのためには5原則を落とし込んだ現行PKO法の、改正が求められる。曖昧なままで、国連への格好をつけるためだけのPKO参加は、もはや慎まなければいけない。でなければ、あたかも手足の自由を縛られて、危険な地に赴かされる自衛隊員が哀れである。(この項終わり=2017・9・11)

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とっくに消えている「安全神話」ー転機を迎えたPKO④

我が国のPKO法のもとでは戦闘行為に自衛隊を参加させるのではなく、当該地の後方でのインフラ整備に従事するのが主な仕事だ。万が一紛争に巻き込まれるような事態が起きたら直ちに撤退する。ーこういうことを、誰しもが信じてきた。とりわけ”生みの親としての公明党”は、5原則の中にしっかりと書き込まれているのだから大丈夫だ、と内外に喧伝してきたものである。しかし、歳月が経つにつれてPKOを取り巻く環境は大きく変わってきた。いや、実際のところは、スタートしてあまり時間の経たない時点で、国連そのものが変化を余儀なくされてきていた。1999年にコフィー・アナン国連事務総長が「これからのPKOは、国際人道法を遵守せよ」と明言し、住民を保護するために、PKO自身が交戦主体になることを想定すべきだとの方向性を打ち出したのである。にもかかわらず、日本ではそういう変化に対してみて見ぬふりをしてきた傾向が強かったかのように思われる。何を隠そう、実は私自身も危ないところには行かなければいい、行く場所を選べば大丈夫だとの「PKO安全神話」ともいうべきものにしがみついていたことを告白する▼確かに、行く場所によってはさして危険が伴わないと思われるところもあった。例えば中米のハイチなどは主たる目的が地震後の復興支援でもあり、比較的安全だといえた。また、仮に危ないところでも、あくまでPKOは後方からの復興人道支援であるとの原理的思考に支配されており、大丈夫であるとの安全幻想が浸透しやすい背景があった。しかし、頑なな安全神話に日本がもたれかかってるうちに、現実には危険なPKO現場というものが次第に日常的なものになっていった。そうした状況下で、世界各国にも変化が起きてきたのである。欧米先進各国ではPKOに積極的な参加を見直す傾向が顕著になってきており、発展途上国の参加でようやくPKOは持っているという姿が浮かび上がってきているのだ。加えて2001年の「9・11」以後の対テロ戦争の激化は、自ずとPKOの在り方に変化を求めざざるを得なくなってきた。私が現役時代にも既にPKO法の5原則見直し問題は出ては消え、消えては出るという状況だったが、結局は「事なかれ主義」に支配され、決断は先送りされたというのが恥ずかしながら実情だったのである▼南スーダンへのPKO部隊の派遣の危険性についても、当初から懸念されていないわけではなかった。民主党政権の時に出された決定だったこともあり、国際貢献の拡大という一点で、現政権の側も目を瞑ったという側面があったようにも思われる。そんな折も折、PKO派遣を決める側の政治もさることながら、それをウオッチしている自衛隊関係者でさえ、あまり分かっていないのではないかと思われる興味深い記述を発見した。柳澤協二氏の『自衛隊の転機』(2015年発刊)の中でである。ここでの「鼎談・前線からの問題提起」における、伊勢崎賢治東京外大教授(元国連PKO幹部、アフガニスタン武装解除日本特別代表)と冨澤暉元陸幕長とのやり取りだ。伊勢崎氏が言う。「これから国連PKOのスタンダードになるのは住民保護ミッションが頻発するアフリカなのです。現在、国連のPKOだけで八つか九つあるでしょう。その最前線の一つが南スーダンなんですね。繰り返しますが、住民保護のために当事者である国家を差し置いて交戦主体になる今日のPKO では、先進国が部隊を送ることは期待されていないのです。そこに、自衛隊が行かされているわけです」と。これに対して、冨澤氏は、こう正直に応えている。「伊勢崎さんの話を聞いて、PKOもこの二十年間でずいぶん変わったのだと思いました。いまの政府や内局がそういうことをわかってるのでしょうか。私は伊勢崎さんの話を聞くまで知りませんでした」と▶このあと、柳澤さんが「いや、本当に政府はわかってるんでしょうかね」と意味深長な助け舟を出している。私は政府も内局も、中心のところは勿論危険であることをわかっていると思う。わかっていながら、引くに引けない流れにはまり込んでいるのではないか、と思われてならない。今回この連載の冒頭に述べたような、南スーダンのジュバの宿営地では、砲弾が乱れ飛び、現実に日本の自衛隊のすぐ隣にいた中国の部隊員からは犠牲者が出ている。本来は、5原則に則って、直ぐに撤収する場面だったが、現実にはそう簡単に帰りますとは言えない。ということで、任務終了まで少々の時間がかかった。しかも背景にそうした危ない事態があったことについて、「日報」の存在すらうやむやになるといった恐るべき体たらくを防衛省は示した。これが何を意味するか。国民の前に、PKOの現実は赤裸々なまでにその姿を露わにしたのである。幸いなことに、こうした危険が現実のかたちに見える犠牲者は出なかった。この僥倖に、日本はいつまで甘えているのだろうか。(2017・9・3)

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