※昨4日、自民党の新総裁に高市早苗氏が決まりました。少数与党の現実から、就任直後の記者会見で、同氏は政権運営は、自公連立が「基本中の基本」とした上で、連立相手の拡大に向けて野党との協議に意欲を燃やしています。一方、公明党の斉藤鉄夫代表は、週明けからの自公両党の政策協議を進める中で、想定される高市氏の政治スタンスへの懸念が払拭されるかどうかを睨んでいます。この辺りについては次回以降に回し、ここでは夏の終わりに観た映画『雪風』について触れてみたいと思います。

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 1945年生まれの僕のような戦後第一世代といっても、戦争というと小説や映画、ドキュメンタリーから、あるいは親の世代から伝えられ、聴くだけだった。小学校に上がる前の頃。僕は近くに住んでいた叔父の働く姿を見て、戦争の悲劇を思い知った。その叔父は、16歳で陸軍少年航空兵を志願して従軍し、フィリピンの戦場で片腕を失って帰ってきた人だった。若くして傷痍軍人になった彼は先端が鉤形の義手を肩からつけて、鉄屑などを集める鉄鋼問屋のような仕事をしていた。朝鮮特需が功を奏してそれなりに財をなした。いつも精力的で快活そのものだった叔父。直接彼から「戦争」についての体験談めいたものを聞かぬままに歳月が経った。大学を出て僕が新聞記者になって、日本の「外交や防衛」を論じるようになった頃に、人伝てに「フィリピンの大空を登り沈む巨大な太陽を見たことがないような者に、戦争は勿論、安全保障が分かるわけがない」と言っていたと聞いた。妙に納得し、いつまでも記憶に残っている◆1ヶ月前の8月最後の日曜日。姫路のシネマコンプレックスで、戦争映画『雪風』を観た。幾つかのラインナップから偶々これと時間が合った。特に予備知識は持ってなかった。見終えて、改めて無謀な戦争に突っ込んで行った日本の無惨さを思い知らされた。と共に、従来の「戦争映画」にはない不思議な爽やかさも味わった。それは軍艦『雪風』の持つ任務から来るものだった。ひと口に軍艦といっても戦艦、巡洋艦、駆逐艦、哨戒艦、潜水艦、補給艦、輸送艦など色々ある。そのうち『雪風』は駆逐艦であり、少し〝がたい〟は小さい。役務は、戦闘以外にも、兵士や物資を運ぶ輸送船団の警備や撃沈された軍艦の兵員を救助することなど多岐に及ぶ。映画を観て初めて知ったのだが、この『雪風』は、大日本帝国海軍史上名だたる「武勲艦」で、1940年に完成してから数多の海戦場で活躍した。かの戦艦『大和』の海上特攻作戦にも加わりながら最後まで生き残った。こうしたことから「幸運艦」の別名がついた。なお、終戦後は「引き揚げ船」としても就労。最終的に中華民国に「賠償船」として譲り渡されたという◆だが、この映画はSNS上などでは不人気である。最大の理由は、「戦争映画」としてのリアル感に乏しいことが挙げられよう。確かに、いかにもセットで作られた間に合せ的な印象は拭がたい。制作費の問題もあろう。全体的に臨場感に乏しく、戦争の持つ厳しさの伝わり方が弱い。そんな中で玉木宏扮する早瀬先任伍長が敵機の直撃を受ける。僕は瞬時叔父を思い出した。心騒いだ。駆逐艦の甲板上に瀕死の状態の兵士の右腕は肩から先がない。その片腕を拾い上げた若い兵士がもがれた肩口にくっ付けようとする。その異様なシーンが頭から離れない。また、海面に助けを求めて漂う兵員たちを救いあげるシーンが連続して出てくる。その一部始終がパターン化してみえる。一つひとつに差があった方がいいのではと思ったりもした。だが、まさにその〝普通じゃない映像〟こそ非日常を浮かび上がらせる「戦争映画」として相応しいのかもしれない◆映画では、戦艦『大和』が飛行隊の護衛もなく、燃料は半分だけ、というまさに「特攻」で〝死出の海原〟に向かう場面が登場する。この『大和』特攻作戦で4000人を超える人々が海の藻屑と化した。この数字を阪神淡路大震災での被災者や「9-11」の米同時多発テロ死の犠牲者と比べるという不遜な誘惑に駆られてしまう。〝大自然の咆哮〟とも言うべき地震の犠牲者と、〝虐げられた異民族の怒り〟の暴発したテロに巻き込まれた死者。どちらも無惨だが、「国家の意思」によって強制的に迫られた死。現実の生活に引き寄せると、あたかも前二者は突然死、後者は余命宣告をされた病死のようなものかと思ったりもする◆戦闘機に乗った航空兵が敵艦に体当たりで立ち向かった「特攻」だけを、特別視する向きは多い。僕も巨大戦艦が丸ごと「特攻」だったとの認識は殆どなかった。改めてその無謀さと無惨さを前にして、心折れる思いがした。先に述べた片腕の叔父は、戦争というものを僕に「感得」させてくれた。そして、彼は晩年、糖尿病の悪化から片脚を切断せざるを得なくなり、やがて両脚とも失って亡くなった。人生とは最後の最後まで壮絶なまでの戦いであることを教えてくれたのかもしれない。(2025-10-5)

 

 

 

 

 

 

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2025年10月5日 · 6:57 AM

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