Blog Archives

【43】使命に生き抜いた気高き人生と愛━━玉岡かおる『負けんとき』を読んで/10-15

 「負けんとき」って言葉を関西の人間が使うニュアンスは、ありていにいうと、「負けんときや〜」とか「負けたらあかんで〜」といった「呼びかけ」の意味合いである。決して「負けない時」ではない。時間軸ではなく人間の対応軸に関する励ましの言い回しといえよう。現代播磨が生み出した当代一流の女流作家・玉岡かおるさんが、一柳満喜子という元小野藩主の娘で教育者とその伴侶であるキリスト教伝道者でかつ建築家のウィリアム・メレル・ヴォーリズ(日本名は一柳米来留)の伝記小説を上梓したのは14年前の2011年秋。それを僕は今頃になって読んだ。著者とは交流もあり、作品もあれこれ読んではきた。が、これは未読だった。読むきっかけは、今年がヴォーリズが近江八幡に活動の足場を定めて120年の記念すべき佳節だからというのではない。強いて挙げれば、7月に僕が友人たちの勧めで開いた『「ふれあう読書」出版記念交流会』の主賓のひとりとして招いた彼女がスピーチの中で「赤松さんは小説をもっと読むべし」との発言があったからだ。「では何を?」と訊くと、ご自身のものでなく『国宝』や『暦のしずく』の名があがった。そのつましさに惹かれた◆ちょうどそんな折に、母校長田高校の先輩で旧知の西部晋二さんから『感動建築100選!』が届いた。この本の帯には「建築には素人の人間」が書いた「建築に素人の方」向けの「建築紹介の本」とあった。そして、サブタイトルは「一度は訪れてみたい日本の美しき近代建築」とあり、数々の見事な建築物の写真が満載されていた。当然ながらそこには、ヴォーリズの代表作(1933年竣工、重要文化財)としての神戸女学院の文学館、図書館、理学館もあり、長文の説明も添えられていた。というわけで、「ヴォーリズ満喜子の種まく日々」の副題付きの『負けんとき』を選び読むに至ったわけである。読み終えたいま、人間にとっての愛の確かさと切なさ、そして宗教と教育の重要性を痛感して、大いなる充足感を得ることが出来た◆この本の主題は何か。キリスト教の布教、教育に生涯をかけた夫婦の闘いを表面的流れにする一方、底流には一人の男をめぐる2人の女の闘いを描いた小説だと、僕は捉えた。この両面が競い合うように、時に浮かび上がったり沈んだりしつつ、読むものをして数奇な人生航路の深みに誘う。とりわけ、この小説の妙味は、2組の男女の心の交錯にある。ヒロイン満喜子が江戸末期の旧藩主の娘という立場であり、身分差のあった男性(祐之進)に心を寄せていながら、不幸な出来事(彼の親の事業の失敗)から身を引かざるを得なかった。その間隙を縫うように女友達の絹代が彼の心を掴み取る。一方、その溝を埋めるように、米国人ヴォーリズが満喜子の前に登場し、幾つもの障壁を乗り越えて結ばれていく。この間の女同士の心理の描写は一方に偏らずして切なく心を揺さぶる。下巻の終末近く20年余の時を隔てて、満喜子と祐之進の邂逅の場が胸を打たずにおかない。実は既に絹代は20年前に亡くなっていた。亡くなる前に絹代は満喜子への謝罪の意の表明を夫・祐之進に託していた。そのくだりは「胸を衝かれた。死にゆく者がこの世に残す思いは、我が子を始め身内に向けて尽きないだろうに、自分を思ってくれたとは。競い合ったつもりはないが、若い日、たえずその存在で行く道を阻みあった仲だった。命の淵に立った時、彼女はせめて夫に罪滅ぼしを願ったのだろう。絹代の遺志が胸にしみた。奪った恋を、実らぬまでもふたたび解き放ってやる、それも愛だ」とあった。痺れる思いを抱く◆近江八幡でヴォーリズが残した仕事の痕跡は大きく4つある。キリスト教布教と表裏一体となった学校教育の展開と、その布教の補助ツールとしての役割を果たした薬用軟膏・メンソレータムの販売拠点(近江兄弟社)と、最後に建築の所産そのものの4つである。実は僕個人の思い出は10数年前のことだが、大学同級の親友2人とこの地に遊んだことがあり、安土城跡見学に合わせて近江兄弟社に立ち寄ったのだった。思えばほぼ同じ頃に玉岡さんのこの小説も世に出ていたというのだから、面白い。尤も当時はヴォーリズの営みやその背景を知らなかった。ただ無邪気に🎵メンソレータムがあ〜れば、い〜つでも安心🎶というコマーシャルソングを口ずさみながら、同社屋の前で記念撮影のカメラに納まっただけだった。それがこの小説を読んで一気にジグゾーパズルの残り数枚のピースが埋まっていくように感じるところとなった◆玉岡さんは9月初旬に日経新聞夕刊「心の玉手箱」欄(5回連載)の担当をしており、その第2回に「ヴォーリズのウサギとカメの置物」と題した一文があった。ご自身が力を込めて書きあげた作品を慈しみながらの心温まる文章である。9月20日のヴォーリズの120年を記念する講演会の開催を予告しつつ「彼が愛した日本は今も変わらぬ良き国なのかな?立ち止まるウサギの目線で見直してみなければ」と締めくくっていた。そして、当の記念集会での講演で、玉岡さんは『負けんとき』のテレビドラマ化を参加者に強く呼びかけたという。きっと観るものを深い感動で包み込むものになるに違いない。この本の文中随所に「負けんとき」の言葉が出てきて、読むものの人生をして励ます応援歌の趣きもある。それをもっと広めることになる映像化を僕も応援したい。競争相手は多いに違いない。「玉岡さん。負けんとき!」(2025-10-15)

 

Leave a Comment

2025年10月14日 · 8:23 PM