核戦略を転換する米トランプ政権ー「テロとの戦い」の時代は終わらない④

近年、「明治維新見直し論」が盛んになってきている。一言で分り易く言えば、いわゆる「司馬史観」なるものが維新を美化しすぎているとの批判が背景にある。吉田松陰が作ったとされる松下村塾の実態はなく、彼は単にテロの首謀者だったとの作家・原田伊織氏の『明治維新という過ち』説は興味深い。いささか極論の誹りはまぬかれないにせよ、この辺りをしっかりと史実に沿った形で吟味する必要はあろう。松陰の思想と行動をつぶさに追えば、確かに「テロ礼賛」と見るのもあながちオーバーとは言えないかもしれない。尤も、司馬遼太郎さんも原田伊織さんも共に行き過ぎで、「真実は中間にあり」というところだろうが■いささか議論は横道にそれたが、ここで私が言いたいのは日本にもテロの伝統が厳然とあるということである。言い換えれば、テロを認める気分が国民のうちに内在しているということと無縁ではない。例えば、核兵器を弄ぶ北朝鮮の指導者の横暴ぶりに業を煮やした人々の間で、彼を亡き者にすればすべては収まるといった議論がある。また、およそ常軌を逸した言動をする米大統領を前にして、彼さえ倒れればと、まことしやかな議論を口の端に登らせる向きもあろう。これらは単なる井戸端会議や床屋談義かもしれないが、であるがゆえに一層国民の間に広く内在する「テロ容認論」と言えるかもしれないのである。超軍事大国米国が自己中心主義に陥り、世界の盟主たる自覚も何処へやら、ひたすら内向きになっているかに見えていたが、ここへきて冷戦時とはいささか趣きを異にした核軍拡競争にふたたび邁進しようとする姿勢を見せ始めた■2月2日に発表された「核戦略見直し(NPR) 」は、オバマ前政権の目指した「核なき世界」を事実上放棄したものである。ここでは、非核攻撃への報復にも核を使うことがあり得ると明示したほか、「使える核」としての小型核兵器を開発することもうたった。この米国の一大方針転換に至った背景には「前回のNPR発表時に比べて、世界の安全保障上の危機ははっきりと高まっている」との現状認識がある。失墜した一方の旗頭の座に復権したロシア。そして一世紀ほど前に味わった屈辱からの復讐の念に燃える中国。確かに、この両国は今や着々と世界に地場を固めている。とりわけ中国の権益拡張的振る舞いは眼をみはるばかりである。また、ロシアも新たな核兵器開発を進めており、「魔神はすでにランプから解き放たれている」(サラ・クレプス米コーネール大准教授)と見る向きが専らである。尤も、ここにきて、ネパール、ミャンマー、パキスタン、タイなどで中国が進めてきたダムや高速鉄道建設工事などが中断されたとの報道が相次ぐ。各国がその巧妙で悪辣な手口に気付いたとされるが、果たしてどうだろうか。背に腹変えられぬ貧しき国家群はいつなんどき、遅れてきた侵略国家の毒牙の深みにはまるやもしれないのである■こういう状況下にあって、米国がまたぞろ核の役割を拡大させる方針に転換するということは、予期されることではあったものの、「非核推進」陣営にとって、まことに気が重い。世界唯一の被爆国家日本の政府は、いち早く米国の方針を高く評価するむねの河野太郎外相談話を公にした。米国の核の傘に入っているがゆえに、やむを得ぬ選択というのでは陰影がなさすぎないか。核抑止力維持と核軍縮推進は矛盾しないとのいいぶりには、やはり無理がある。オバマ前大統領の示した核軍縮姿勢に世界が共鳴した事実を思い起こしたい。核の傘のもと核に依存する日本政府の与党の一員として、当時はこれを核軍縮への流れを一気に加速させる好機ととらえた。ノーベル平和賞を彼が受賞したことにも素直に喜んだものだ。前政権の政策を悉く覆すトランプ政権の決断に、異議を唱えぬ日本の安倍政権では失望を禁じ得ない。公明党も物言わぬ政権与党であってはならないのではないか。(2018・2・18)

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