平成天皇の背後に小泉信三塾長ー福澤研究センター准教授の講演から

姫路慶應倶楽部の新年例会が先日、姫路駅傍に出来た新しいホテルで開かれました。この日のメインは、慶應大学の福澤諭吉研究センターの都倉武之准教授による小泉信三元塾長を巡るミニ講演でした。これでこの人の講演は連続3回目。知ってるようで知らない慶應の歴史と伝統を学ぶ良い機会となりました▼小泉信三塾長といえば、戦争被災で大火傷をされた歪みひきつった気の毒な顔面が思い起こされます。私が入学した昭和40年の式典壇上におられたとのこと、同期の竹田祐一姫路慶應倶楽部前会長(まねき食品社長、姫路経営者協会会長)のこの日の挨拶で思い出しました。小泉信三は、1933年から1947年までの15年もの長きにわたって塾長を勤めました。文字通り戦前戦後の塾の「顔」であり、「象徴的存在」でした。父上の小泉信吉(のぶきち)は1987年から3年間塾長でしたから親子二代の塾長です。父が40代半ばで死んだのちに、諭吉に可愛がられたといいます。ちなみに長男の信吉(しんきち)は戦死。その生涯を父信三が『海軍主計大尉 小泉信吉』として著したことは有名です▼小泉信三はデイビッド・リカードの経済学を研究した経済学者でしたが、開戦に際し戦意高揚を訴え、戦争協力を厭わなかったと言います。戦争中の行動が後に問題視されますが、現実には、天皇に日米戦争回避を進言するなど、身近な人には「非開戦論者」と認識されていたようです。一般向け著作として著名なのは『共産主義批判の常識』。戦後、マルクス主義が跋扈し、日本共産党が大きな顔をしていた時期に、敢然とその問題点を理論的に暴いたことから、右翼反動の代表のように見られてきました。しかし、その著作における論理的展開の鋭さ、その後の歴史的経緯からも、改めて脚光を浴びていいものといえましょう。ご本人は硬式テニスをこよなく愛したスポーツマンでした▼今回、小泉信三を改めて学ぶことなったのは、平成天皇の皇太子時代の教育掛をされたこと。昭和24年に東宮御教育常時参与に就任。『ジョージ5世』『帝室論』などを教材に、帝王学を講じたとされます。平成天皇は、象徴としての天皇のあり方をめぐる深い思慮や国民を常に意識された具体的な行動を通じて、改めてその存在に賛嘆の声が高まっています。その背景に、小泉信三あり、ということを再認識しました。以上、この日の講演のエッセンスを、小川原正道著の『小泉信三ー天皇の師として、自由主義者として』(中公新書)をちょっぴり参考にして、まとめてみました。映像を使っての同准教授のわかりやすい講義に参加者は大いに満足をした次第です。(2019-2-10)

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