新型コロナ・感染症による緊急事態に思うこと

新型コロナウイルスの爆発的感染を防ぐために、東京、大阪始め7都府県で緊急事態宣言が出された。私の住む兵庫県でも、安倍首相、西村担当相の方針表明のもと、井戸知事が緊急対応を発出している。個人に対しては、基本的には三密を伴う場所に身を置くことを避け、なるべく出歩かないようにとの要請である。手洗いの励行、マスクの着用は言わずもがな、出来る限り人との接触をするなとのお達しだ。これを受けて、公共施設はもちろんのこと、多くの民間施設も続々右へならへとなっている。「コロナ禍で何処も同じ春の夕暮れ」といった風であること、まことに危く先行きは暗く覚束ない▲かつて一年間とはいえ、公衆衛生分野に責任を有する厚生労働省に所属(2005-2006)し、感染症をめぐる課題について触れる機会もなしとしなかっただけに、己が無力さを痛感している。もし、自分の任期中に直面していたならどう対応していたか。武者震いならぬ、権力者震いがしないと言えば嘘になる。私が担当したのは厚生分野(労働分野ではなく、医療を含む)で、今は橋本岳副大臣がその任についている。先般の大型クルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス号」対応をそれなりに無事に乗り切ったようで、他人事とは言えず、胸撫で下ろしている。公明党議員の後輩・稲津久副大臣は直接的には労働担当だが、大臣を支えて国会論戦で頑張っていることも嬉しい。感染症医療の専門家と連携を十分に取りつつ、地方自治体の長と心合わせて頑張ってほしい▲昨今、尾身茂・新型コロナウイルス感染症対策専門家会議副座長がテレビで登場する場面が少なくない。実は私が副大臣時代に彼はWHOの事務局長を選ぶ選挙に推薦され、出馬した(当時の彼の身分は西太平洋地域の事務局長)。2006年の選挙は、中国の代表との一騎討ちだった。日本としてはこの選挙に勝つべく、関係各国が集まるニュージーランドに工作隊を送り込むことになり、私も責任者の一人として乗り込み、それぞれの担当者に働きかけたものだ。つまり、選挙の事前活動をしたのである。結果は敗北。中国の代表にその座を奪われた。あれから14年。その中国の武漢から発生した新型の感染症の始末に尾身氏が対応していることは、因縁浅からぬ私としては感慨深い。彼は70歳。選挙に負けたことが良かったのかどうか。彼の手腕にも期待したい▲さて、前回のこのコラムで、安倍首相以下の与党の責任云々について、あれこれ口を挟むことは避けたいと言った。その姿勢は変わらない。緊急事態宣言から二週間後の4-22にピークアウトを迎えられるかどうかを固唾を飲んで見守りたい。私はこの間に、住まいのそばにある公共施設でトレーニングをし、明石市自慢の市立図書館に通って本を読み、誰もいない社団法人の事務所で思索を深め原稿を書くつもりだった。しかし残念なことに、緊急事態宣言のおかげで、トレーニング施設は休館となった。おかげで一部方針転換を余儀なくされ、今は片道3キロを歩いて事務所に通うことにしている。東京都のように、ステイホームを呼びかけるだけではなく、兵庫県では、ゴー・アウトドア・イン・カントリーを県民に呼びかけてはどうかと提案したい。もちろん三密を避けるために、一人ないしせいぜい二人だけで。行った先や途中のことも考えて、人のいない田園地帯に、自転車や車で。あるいは電車でもいいから行くことを勧めるべきだと。大きい邸宅ならともかく、ちっちゃな家の狭い部屋にずっといたら、それだけで病気になってしまう。今回の新型コロナとの戦いは紛れもなく人類、文明の危機である。これを乗り切った先にはきっと価値観の転換が待ち受けており、それがないなら永遠に戦いは終わらないかもしれない。(2020-4-10  一部修正)

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