「競争信仰」はもう終わりにしようー長谷川眞里子と佐伯啓思の場合❹

●まったく新たな価値観への期待

ポストコロナ禍を描く様々な日本人の論考で私が注目したのは、長谷川眞里子さん(総合研究大学院大学長)と佐伯啓思氏(京都大名誉教授)のお二人のものである。前者は、毎日新聞『時代の風』(5月17日付)。後者は産経新聞『コロナ 知は語る』(5月31日付)に基く。

長谷川さんは二つのことを論じているが、ここで強調したいのは、「競争に基づく発展」という価値観についてである。彼女は競争に基づく人間活動が、多大な環境負荷を生み出し、そこに住む人々に精神的ストレスと不幸と矛盾をもたらしてきたが、永遠に富の増加を求めて競い合うことはもうやめて、転換したらどうかとの問題提起をしている。「まったく新たな価値観が出現することを期待したい」と結んではいるが、その中身には触れていない。

佐伯さんは、「グローバリズムの立て直しによる経済成長主義というような価値観はもはや破綻している」と断じ、一方で「このショックをしのいで、V字回復で再びグローバル競争に戻すべき」だとの考え方と「大きな社会転換の契機にすべきだ」との考え方があり、今人類はこの二つの岐路にたっているとの認識を示す。その上で、自分は後者の側に与し、ポスト・コロナの社会像があるとすれば、「医療、福祉、介護、教育、地域、防災、人の繋がりなどの『公共的な社会基盤』の強靭化を高めるものでなければならない」との方向性を明示している。しかも、それは「効率至上主義のグローバルな競争的資本主義というよりも、安定重視のナショナル(国民的)な公共的資本主義というべきものであろう」と、一歩踏み込んでいて、分かりやすい。

ポスト・コロナ禍を巡っては、表面的な変化を追うものが殆どであるなかにあって、価値観の転換を求めるこのご両人のもの、特に佐伯氏のものが出色だと私には思える。

●旧来的価値観の根強さを排そう

我々の社会がコロナ禍に襲われる前から、私などは価値観の転換の必要性を訴えてきた。ただ、訴えはしても、その実現可能性については悲観的にならざるを得なかった。というのは、近過去の様々な安倍首相周辺の不始末があっても、根強い「安倍神話」とでもいうべきものが存在しており、崩れそうになかったからである。つまり、どこまでいっても「経済成長至上主義」であり、株価依存の体質に凝り固まった旧来的価値観の信奉者が多いという現実がある。

しかし、今回のコロナ禍は、その辺りを一気に吹き飛ばしかねない様相を呈し始めている。日本はアメリカや中国ほど貧富の差、格差は酷くはないものの、放っておくと、益々その差は広がりかねない。一歩間違うと、つまり旧来的価値観に身を委ね続けていると、中米二国の後塵を拝するだけになりかねない。ここは、新たな価値観に向けての大論争を始めるべきなのだ。その一歩となるのが佐伯さんの提案だと思う。(2020-6-11)

 

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