「互助」の取り組みが必然になるとの期待ージャレド・ダイアモンドの場合❸

◉国際的・国内的な互助の取り組みの強化

今回のコロナ禍を巡って世界の識者がこれからの世界について色々な発言をしています。ここで私は、国際経済や国際政治の動向よりも、もっと大きな枠組みの変化について語ってくれる人のものを取り上げてきましたが、第三のケースは、ジャレド・ダイアモンド氏です。『銃・病原菌・鉄』で有名なアメリカに住む生物・地理学者。つい先ほど私は彼の書いた『人類と危機』上下を読んだばかりです。残念ながらそこには直接的には感染症は危機の対象に挙げられてはいません。ここでは毎日新聞のシリーズ「疫病と人間」第4弾(5-15付け)を基にしてみます。

ダイアモンド氏の指摘で最も胸を打つのは、疫病は世界史の転換点になり得るとしたうえで、「グローバル化が進んだ現代は、自国で感染を抑え込んだとしても、他国で終息しない限り、再び自国に飛び火する恐れがある。自国を優先するだけでは長期的には自国のためにならないのであって、必然的に国際的な協力体制が不可欠なのだ」としているところでしょう。「国際的・国内的に『互助』の取り組みを強化せざるを得なくなる」との結論は極めて重要だと思われます。

ただし、この結論は本人も認めているように、自国優先主義が広がることへの懸念もあるのを承知の上で、あえて、ポジティブな影響に目を向けているに過ぎないとも言えます。「新型コロナへの対応を通じ、人類が『脅威』を見つめ直すことにつながってほしい。それが国や人種、社会階層を超えた連帯を選択する契機となることを期待したい」と述べているように、期待を表明しただけに終わる可能性もあります。

というのも、超大国アメリカが今回のコロナ禍の前に、自国優先主義の旗を高く掲げるに至っていたし、今回の感染拡大に対応するにあたっても、ただひたすら自国を守るのに精一杯だからです。しかも、科学を軽んじる姿勢さえ大統領周辺に顕在化していることには呆れてしまいます。一方、もう一つの超大国中国は、他国への救済姿勢を披歴しようとしているかに見えますが、その本意はどこにあるのか。判別するのは心許ないと言わざるを得ません。ダイアモンド氏は、中国が今なすべきことは、「野生動物の取引の全面禁止」だと強調しています。それがなければ、再び中国初の感染症が起きる可能性が高い、というのです。ここでも科学に背を向けた姿勢の危険性が憂慮されています。つまり、中国にも変形した自国優先主義の存在が窺えるのです。

◉パンデミック第二波への対応が試金石

こうした現状を打開できるかどうかの試金石は、恐らくパンデミックの第二波にどう対応するかで、問われてきます。二つの超大国始め、第一波を経験した欧米先進各国や日本、韓国などアジアの国々が、次に第二波が襲ってきた時に、どう対応するかという側面が極めて重要です。つまり、今は未だ被害状況が大きく報じられていない、アフリカや中南米がこれからパンデミックの危機に陥った時に、どう支援の手が差し伸べられるかで、たちどころに試されてきます。一波で経験したことを、遅れてきたる国々にどう提供できるかという問題です。

やはり、今回と同じように自分のところの問題解決に翻弄されてしまうのでしょうか。それとも、救済の手を差し伸べられるのかどうかです。一波とニ波の境目は判然とせず、マダラ模様になるかもしれません。未だ一波が十分に終わり切っていない状況下に、対応が迫られる可能性もあるのです。そんな時に、このダイアモンド氏の見立てが正しいか、それとも単なる期待だけだったのかがわかるといえましょう。正しかったとなると、地球は大きく明るい方向へと舵取りが進むことになるのですが。

前回みたハラリ氏と、今回のダイアモンド氏の結論は、共に連帯と互助が求められているとしており、ほぼ同じです。前者は全体主義的傾向の台頭を恐れていたことが特徴的でした。ダイアモンド氏は、フィンランドという小国の知恵と頑張りを評価しています。コロナ禍への対応という問題に限らず、北欧各国が様々な課題に果敢な取り組みを見せていることが注目されます。これまで、私たちは、超大国の動向に目を奪われ過ぎる傾向がありました。アジアではベトナムの奮闘ぶりが目を引きます。これからは、小国にもっと目を向ける必要が出てくるのではないか、との予感がしてきます。(2020-6-2)

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